レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

第八話 はじまりの終わりの季節に/白鯨


 三年程前。
 ブレイク・ハート、ヴァーツラフがまだプレート1にいた頃のある日。

 まだ年若いカレル・ノスティッツが、プレート3での軍事演習からプレート1(ルテティア)の士官学校に戻ったのはその日の昼下がりのことだった。
 梯子を上がり、相部屋のロフトに同居している見慣れた友人。案の定であった。
「あいかわらずだな、貴様は。またガリ勉か?」
 ロフトの書架を見回したカレルは、赤い小動物に呼びかけた。
「おーよ……でも、テメーにだけは言われたくねーけどな」
 振り返った赤毛の顔に金色の瞳が光っている。
 小動物、レッサーパンダの学友兼同僚。これでも本来は人間である。ただ金呪で姿かたちを変えられているだけなのだ。手にしているのは地誌学会の機関紙だった。
「どんな状況だろうが、できることはやっとかないと」
「だが趣味に走りすぎだな、ヴァーツラフ」
 苦笑するカレルに、ヴァーツラフは指を振る。
「ちゃんと本業がらみさ」
「本業がらみねえ…………」
 書架には古代地誌や循環物質学、それから銃器製造の本が溢れ返る。このレッサーパンダ、「軍務への有用性」にかこつけては、何かと趣味に走っていた(たしかに地誌や銃器などの知識は軍用としても、かなりの意義がある)。
 得意分野のレベルの高さには、士官学校の総合成績で一位のカレルも舌を巻いている。
「ほら、土産」
 カレルはプレート3の銘菓の包みを差し出す(プレート3は精糖業でも有名で、砂糖菓子の名産地)。砂糖とアーモンドを練り合わせたマジパン。小さな果物の形に整形されたのが三つ四つ、ビニールに入っている。
「さんきゅー、懐かしいな」
 実のところヴァーツラフはあちらの出身で、徴兵によってプレート1の士官学校にいるのだ。格好を動物に変えられた事を気にしてか、一度も帰省していない。ヴァーツラフは林檎形の一粒を噛んで、しばらく黙る。
 ややあって、彼は提案した。
「…………外に晩飯でも食いに行くか?」
「そうだな」
 カレルは自分のブロンドの前髪を引っ張った。
「顔合わすの一週間ぶりだから、いろいろ話もあるし」
「おーよ。お前が出発した次の日に、あの新しい店が開いたんだ。あっちで食いながら話そうぜ」
 二人とももう四年目、兵役の更新(半ば強制)の時期に近づいてきている。
 彼らの立場は天空の共和国でも特殊だった。
 この共和国は四つのプレート(浮島)と無数のプラネット(小島)から構成され、住民は人間と異種族である。人間の中でも、魔法の資質の有無に差がある。政治上「平等」の建前と現実的な要請のバランスとりが微妙だった(「金呪」の制度もまたその一環だ)。
 軍隊制度にはジレンマが強く反映している。元素魔法(エレメント・アルス)の資質のある者は軍務が必須(さらに金呪(禁呪)によって、能力や行動の制限が入る)。しかも徴兵期間は元素魔法が使えない者より格段に長く、男性の場合では四年から七年にもなる(標準人は通常七ヶ月)。
 これは魔法文明の世界において、国防の必要あってのことだ。
 つまりは国が「資質のある者は軍に就職せよ」と推奨、半分は強制しているようなものであった(平等の理念との相克がある)。そのかわりに待遇面で優遇措置がとられており、四年組は優先的に士官学校への入寮が許可される(脱走でもしない限り、二年経過で自動的に下士官、どんなに遅くとも五年目以降には将校の扱いになる)。
 制度そのものが、共和国の孕んだ矛盾に直結している。
 まだ少年の年齢を抜けきっていない若い士官たちは、社会の軋轢の軸線上にいた。
 それでも生きていれば腹は減る。
 ヴァーツラフは楽しげに事情を説明する。
「すげーぜ。クーフーのアニキの店の系列店なんだって」
 テクテク夜道を歩きながら、ヴァーツラフは説明した。
 彼があのパンダを「アニキ」と呼ぶのは、武術面での先輩だからだ。変わり者で、徴兵期間満了後に希望を出し、しばらく軍の食堂に勤務した。その後は軍籍を更新せず、イタリアン料理(?)の名門店で代表格のシェフをやっていたのだ。
 お互いに良く知っている、行きつけであった。五十グロッソの白銀貨でピザやパスタが食べられるし、百グロッソの紙幣で簡単なコースさえ楽しめる。学生たちにも人気のある、腕の割には廉価な大衆店である。
「あのドン(旦那)が? 独立して新しい店を?」
「いんや。アニキはちょっと前、プレート2(アル・カーヒラ)に新しい店を出して、引っ越したって話しただろ?」
「ほう? では誰が?」
 ヴァーツラフはカレルにニヤッと笑った。白い歯列がのぞく。
「弟分のシェフの一人が暖簾分けしたそうなんだ。味は保証するぜ」
 宿舎を出、二人が連れ立って歩くこと二十分。
 繁華街の一角。こじんまりした洋風レストランだ。
 格子ガラスのドアを押すとカラリと鈴が鳴る。
 柱時計は四時半にもならない。時間帯が夕食にはやや早いせいか、まだ空いている。
「いらっしゃい」
 出迎えたのは若い人間の青年。カレル(やヴァーツラフ)と同じくらいの年頃だろうか。小麦色の肌からすると、ドン・クーフーと同じアル・カーヒラの出身らしい。
「おーよっ」
 ヴァーツラフはどうやら知りあいらしく、気さくに挨拶する。 
「こいつ、演習の帰りで。昇進祝いも兼ねてるんだ」
 大規模演習や出征に参加すると箔がつく。三回から五回の出撃で准尉であった。
「あいよ……単品より二品か三品のコースとか?」
 この店は値段に比しての分量の多さで知られる。セットとなると、なおさらである。
「そーだなー。そーするか?」
 ヴァーツラフはメニューを広げる。
 第一皿と第二皿のセットメニュー、がっつり食べたいときにお勧めである(この構成はコースメニューを元にしている)。前菜やデザートは任意であった。
「今のシェフは、リゾットが得意なんだぜ」
 ヴァーツラフの紹介にウェイターもかすかに頷く。
 カレルはあっさり勧めに乗った。
「ではわたしもリゾットを…………」
 第一皿は日替わりのパスタかリゾット(大盛り無料)、第二皿は自由。二人ともキノコのリゾットを大盛りで頼む。
 それから二品目は好みが別れた。ヴァーツラフは白身魚のピッカータ(チーズソテー)、生野菜サラダ付き。カレルはオッソ・ブーコ(すね肉の煮込み)を注文する。このレッサーパンダは肉よりも魚介類や乳製品を好んで食べる。カレルの方は少年時代から慣れていた、肉の煮込みが食べたかったらしい(学校の食堂ではなかなか食べられない)。
 注文を取ったウェイターが店の奥に引っ込む。彼はすぐに引き返してくる。
「こちら前菜になります」
 ウェイターが置いていった前菜は共用の小皿に盛ったチーズ。白カビ醗酵のカマンベールのような代物だ。ランチョンミートの輪切りも添えられていた。
「アップルパイじゃないのか?」
 カレルがさりげなく茶化す。ヴァーツラフはアップルパイが大の好物なのだ。
「抜かりはないさ。朝に二切れも食った…………十時だったから、昼もかねてたな」
「今日は休日じゃなかったのか?」
 おや、と怪訝な顔になるカレルに、ヴァーツラフはチーズを齧って答える。
「銃器の補修作業。昨日の晩に研究会から帰ってから、やりっぱなしでよー」
 帝国との小競り合いがあったせいか、銃器や軍用船舶の補修が急がれているらしい。ヴァーツラフは仲間内での研究会にも籍を置いており、エレメント系銃器の製造や改修はお手の物。とうに上級ガンスミス(銃砲技師)のライセンスを持っているほどの腕前。それでよく応援に駆り出されるのだ。
 昨日までカレルの参加していた大規模演習にしても、共和国側からの示威の意図があるのは明白だった。彼らの立場柄、何気ない日常の一コマでさえ、大局の動向を反映する。
「だったら、徹夜か?」
「そうなんだ。でも正午ごろに二、三時間くらい昼寝してあるから」
「それで、晩の講座に出るつもりだったのか?」
「今日は二限目がレポート提出だけだから」
 ヴァーツラフは週に二回、近所のセミナリオ(テクネー系の大学)で夜間講座にも出ている。チリも積もれば、で週二回でも学部は四年で終了できる(士官学校の後期過程とセミナリオの前期過程は単位が重複するため)。
 彼自身に言わせると「せっかくタダで勉強できるから、機会を活用する」と。もっとも割ける時間とエネルギーが限られているために、やむなく物質循環学の学士論文に的を絞ったらしいが。
 この手の掛け持ちはアルス使いの士官学校生徒には割合よくある(ドン・クーフーも若かりし日、料理の専門学校を掛け持ちして、修行していたらしい)。このヴァーツラフとて小動物だてら、かなりの勉強家であった(銃火器研究会とで二種目)。カレルはカレルで最近まで、高等法学院(マドラサ)の試験勉強だけで手一杯であった(この点、二人はほぼライバル関係と言ってよかった)。
 話しているうちに、間もなく二人前のリゾットが運ばれてくる(フレンチのピラフ風であった)。
「よく動けるな」
「なーに、食うもん食っとけば……それにしても珍しいな、お前まで大盛りとは」
 ヴァーツラフの指摘にカレルは微苦笑した。
 常日頃、カレルは大盛りを頼まない(貴公子然とした容姿とあいまって、周囲からは「気取り」と受けとられることがままある)。現実は中途半端な大盛りよりはサイドメニューを追加する派だ(彼は育ちのいい合理主義者であった)。今日ばかりは二品セットなので、別にもう一品というのも面倒だった。
「昼があんまり食べてない。帰りがフェリーだったから」
 ヴァーツラフは「ああ」と思い至る。
「そーだよなー。あれ、もうちょい値段がどーにかなあねーのかって」
「無駄な浪費だ。チュロスでもかじってた方がいい」
 口ぶりからすると昼食はチュロスと飲み物で済ませたのだろう。
 ヴァーツラフは頷く。
「マジで、料理に金粉でも混じってるのかって感じだもんな」
「たかがカレーやオムレツの単品で、百グロッソではきかんから。カツレツカレーだったら、百五十はとられる」
 繰り返すようだが、この店のパスタは五十グロッソである。
「それが購買のチュロスなら、三本でせいぜい二十グロッソだ。紅茶を入れても四十グロッソを超えんし」
 カレルもたいがい甘党でドーナツの類が好物だった。よくプレート3に出入りするのも、それが目当てでないかと勘ぐってしまう(砂糖菓子の名産地だけあって、有名なドーナツ屋もある)。
「アップルパイだったら、一ピース十五グロッソだぜ」
 じっさい、近隣プレート間を往復する、フェリーのレストランでは少々値が張りすぎる。
 これが長距離便なら食堂も相応に完備されるのだが、短距離の場合はオマケの贅沢設備なのである。相対的な話で、需要が低いが故にかえって値が上がる(少量生産品と同じ因果であった)。ゆえに接待だのデートでないも限り、内部の購買のパンで手早く済ませてしまうのがセオリーなのだ。何事も対費用効果は馬鹿にならない。
「それにしても、その体でよく大盛りを食う……」
 大口を開けてリゾットを胃に詰め込んだヴァーツラフ。カレルはいつもながら感心する。
「食えるときに食っとくのさ」
 ヴァーツラフはチーズの残りに手を伸ばしかける。
 ちょうどそのときに、白身魚のピッカータが運ばれてきた(生野菜サラダが一緒に乗っかっている)。おおむね腹心地がついていたせいか、ヴァーツラフはゆっくりと味わって平らげる。やがてカレルも、自分のすね肉煮込みに手をつける。
 カレルがおもむろに、再び会話の口を切る。
「この兵役期間が終わったら、どうする?」
「どうするって、強制で更新だろうよ」
 彼らの徴兵期間は四年だが、更新が強く推奨される。最低でも一回の軍務更新が、ほとんど慣例による義務であった。
 カレルはやや憂鬱な面持ちで友人に訊ねる。
「更新の期間や、勤務先は?」
 この初の更新からは、期間や所属に本人の希望が反映される。
 ヴァーツラフは首をかしげた。
「まだ決めてないが…………プレート2か4にでも行ってみようかと思うんだ。あっちなら、専門の研究所や学者の集まりも盛んだし。それに二、三年くらいしたら金呪も解けるだろうし。そしたら退役して専業の学者か、博物館の調査員にでも。…………お前は予備部隊のバイトやりながら、高等法院(マドラサ)で勉強続けるんだろう?」
 この共和国では統治者側として出世、政治家や高級官僚になるには高等法院に学ばなければならない。名家の嫡子であるカレルにとって、それは宿命付けられたコースだった。
 けれどもカレルの表情は暗かった。
「どうかな……?」
「どうって、どーよ?」
 意味がわからないヴァーツラフに、カレルは簡潔に指摘した。
「…………たとえば、お前の金呪」
「オレの金呪?」
「本当に解いてもらえるのか?」
 ヴァーツラフはギクリとして言葉に詰まる。
 確証はない。行政局の腹一つで、何十年もこの姿のままということもありえた。動物化の金呪があと三年(足掛け七年)で解かれるなど、あくまで過去の古き良き時代の先例からの、ごく希望的な観測であった。
 ヴァーツラフは考えながら反論する。
「これでもけっこうスクランブルしてるし。このペースで行ったら、あと五、六年もしたら…………。それなりに階級も上がるだろうし、佐官とかになったら、金呪の変更はできるだろ? 共和国のルールじゃ、功績には報いてくれるってのが…………」
 兵役や金呪に服することも、共和国への貢献である。
 カレルは頭を横に振って言葉を遮った。
「だが。功績を認めるかどうか、判断するのは行政局だ」
「何が言いたい?」
 もう付き合いも長い。ヴァーツラフは問いかけつつ、カレルの言わんとしていることには薄々察しがついている。
 間があった。
 カレルは料理を口に運ぶ手を止めて眉間に皺をつくっている。
 彼の手は、手袋に覆われた精巧な義手なのだ。まだ幼い少年のころ、「金呪」としての名目で切断されたのだ。…………こうまで過酷な処置は、一世代前には前例がめったとない。ところが似たような事例が、ここのところ急増しているのだった。
「今の行政局は信用できない…………特に中央の連中は」
 声が少しばかり震えているのは強烈な不信感の表れであろう。
 受けた仕打ちからの強迫観念も混じってはいるのだろう。
「まー、そーいやーそーなんだろーが…………」
 論拠があるだけにヴァーツラフは対応に迷う。
 締め付けは着実に強まっている。
 大勢を占める「標準人」たちは、エレメントアルスの血統の管理を強化してきている。中央行政局でも、標準人優先の派閥が大きな位置を占めつつある。
 カレルは少し考えるそぶりをしてから語をつないだ。
「それでも、アル・カーヒラやプレート4に行くのはいいアイデアかもしれない。あっちなら、まだ話がわかりそうだ」
 一つの共和国でも、プレートごとにカラーがある。
 プレート2(アル・カーヒラ)は多種族共存路線だし、プレート4に至っては異種族主体の住民構成である。標準人優先主義のプレート1よりは、かえって有利かもしれない。
「だったら。お前も、あっちの高等法院(マドラサ)に行くか? 学派は違っても、アル・カーヒラの学校は有名だろ?」
「それも考えてはいる。だが…………」
 ヴァーツラフはピッカータの最後の一切れを咀嚼しながら、友人の言説に耳を傾ける。
「なあ? 本当に、ちょっと出世したくらいでどうにかなるのか?」
「どうにかって?」
「もしこの共和国が、根本からおかしくなってきてるんだとしたら。普通に頑張ったくらいじゃ、巨大な渦みたいなものに巻き込まれるのがオチじゃないのか?」
 ヴァーツラフは「考えすぎだ」とは言わなかった。
 自分でも似たようなことは散々考えてきた。めったに口に出さないだけだ。
「あ、あのう」
 いつの間にやら席の横にウェイターが立っている。にわかに深刻になったムードに切り出しかねていたようだった。
「食後のお飲み物は、いかがしましょう?」
「オレはカフェラテで」
「わたしはレモンティーのホットで。じきに食べ終わるから、二人分まとめて持ってきてもらって構わない」
「かしこまりました」
 それからカレルとヴァーツラフは、デザートの付け合せのクッキーを齧りながら、十五分くらい黙り込んでいた。
 晩餐の料金は二人分合わせて二百四十グロッソだった。

 閉まりかけの八百屋を過ぎた、暗い夜道。
 カレルがぼんやりと言った。
「もし共和国がおかしくなるなら、未練はないが……だが、妹のこともある……」
 ヴァーツラフは小さな青林檎を齧って答えた。境遇が似ている点で心中は察する。
「時代の変わり目ってやつか? ……だったらお前がどうにかすりゃいいじゃねえか。お前、政治とか才能有りそうだしよー。そのためにマドラサで勉強してんだろ? いざとなったら手くらいはかしてやるぜ? クーデターでも起こして大統領にでもなるってゆーなら加勢してやるしよ。でもそのかわり、辺獄エリア調査隊のバックアップも忘れずによろしく頼むぜ」
 若者たちによくあるような、空想じみた夢のような会話。
 カレルが姿を消すほんの少し前の、ごくありふれた一日だった。

 けれども大抵の場合。夢の実現するべき未来の到来は、若き日々の想像を絶することが多い。このわずか二ヵ月後、カレルはヴァーツラフに不意打ちの電気ショックを食らわせ、共和国から行方をくらませることになる(友人に「逃亡幇助の容疑がかからないように」という配慮からであった)。

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