レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載
第九話 ストロモフカ事変の裏で/パトリシア
彼は普通の男だったが、只者ではなかった。
チャペル・グリーン第二防空軍、フェデリコ・ウルバーン中尉。
これはプレート4の「事変」と同時進行した事件の記録だ。
1
共和国の行政局がその布告を出したのは、プレート4の事件が起こる五日前。
ちょうどプラネット3‐4で勃発した、帝国との交戦が極点に達していた時期だ。
『国難にあたり、亡命者に特赦をなす。対帝国戦争の部隊を召集する。所属は第二外人部隊とする予定。有志は帰還されたし。待遇は将校、期間は半年毎の更新とする。第一回の任期満了後は、名誉除隊可。登録により有事のみの短期参戦も許可する』
他国に逃亡していたエレメント・アルスの血筋の者たちを惑わせるに充分な条件だった。
たった半年間、従軍するだけで亡命の罪がチャラになる。今現在の自由な立場を維持したままで、大手を振って帰郷できることになるわけだ。
それに彼らとて、祖国の共和国が帝国の侵略に曝されるのを指を咥えて眺めているのは、歯がゆかったに違いない。何しろ家族や親戚、友人たちをあとに残してきているのだ。とうてい他人事ではなかった。
沈静化していた戦争状態が再燃しようとしている。
どうにかして手助けしたいと考えるのは自然な感情だっただろう。
パトリシア・グランリュートもまた、そんなふうに考えた一人だった。
二十三歳、女性。職業は商社の船舶の二等航海士で、輸出入関係の書類事務も取り扱っている(大気のエレメント・アルスよりはむしろ、法律がらみの事務や語学の能力の方で重宝されていた)。現在の生活にさほどの不満はない。が、あとに残してきた者たちへの心配がなくもなかった。
やはり気がかりであった。いかに古い家のたかが傍流とはいえ、亡命者を出すことはそれなりの不祥事である。法律的に連座で罰を受けることはないにせよ、少なからず肩身の狭い思いもさせたかもしれない。
(うーん……)
彼女は二年前にプレート1から逃亡した。それきり共和国の家族や友人とは顔を合わせていない。手紙を出すことはあったが、検閲も入ることだろうし、そうそう詳しい話も書けない。返事を受け取れないから、ちゃんと届いているかどうかも判らない。もっと秘密な形での通信を試してみようかとも思ったが、迷惑になるのを怖れて思いとどまった。
件の布告の事を知ったのは、出された翌日になってから。
たまたま航海を終えた本社近くの港で、輸入したジオラマ・パネルの搬出作業の書類を書き終えたときに同僚が知らせてくれたのだ。それから丸一時間はそわそわとして、遅い昼食をとりながらも味がわからない。せっかく好きなスパゲッティだったのに、ナポリタンだったか、ペペロンチーノだったか、思い出せない。
美味しかったことだけは覚えていたが。
彼女はスパゲッティをフォークに巻きつけながら延々と思案していた。セットのアイスティの氷が全部融けてしまって少しばかりぬるくなっていた。無料の二杯目をもらい、珍しくレモンを浮かべてみた。
ほんのりとこの異国の香りがした。
祖国よりも懐かしい風味に喉をうるおしながら思案し続ける。
(対帝国戦争に限定なら、仕事に支障もなさそうだし)
彼女の滞在していた国は貿易立国で、国際通商の安全を脅かす帝国を敵と見做していた。
午後は休暇の予定であったが、会社に足を向けた。その日の夕方、職場の直属の上司におずおずと相談してみた。「急に抜けられると困るが、君には貴重な機会ではあるのだから」との返事。自分からもさらに上の上司に事情を話してみると請合ってくれた。
一晩じっくりと考えた上で正式な希望を出したのは、翌日の午前中。あくる日の午後には許可が下りた。集合住宅の自宅で通知を受け取ったとき、豚皮のトランクには旅支度の用意ができていた。翌朝にはフェリーの切符を手に入れていた。
そしてプレート4の事件が起きる前日。パトリシアはセミロングの栗色の髪をなびかせ、共和国行きのフェリーに乗り込んだ。
2
同じ日の晩、アル・カーヒラにて。
「フェデリコっ! 散らかしたら、ちゃんと掃除するのよっ!」
当直を交代するときに、土精の同僚アリスに怒鳴られてしまう。
何処吹く風だ。
「フェデリコっ! 聞いてんのっ?」
「あーい」
「あ! そ!」
気のない返事で応じたときにはドアはバタリと閉められていた。発音する音節すら節約するような別れの言葉だった。金髪の影がガラスの向こうで遠ざかっていく。
知るか。
フェデリコ・ウルバーン中尉はチャペル・グリーン(第二防空軍)の宿直室でポテトチップスの大きい袋を開けた。ついでにコーラのロング缶も。たったの四十グロッソで幸福になれる。幸せなんて、安いものさ。
そっけないグリーンの制服には皺が残っている(飾り紐や勲章一つ付けてはいない)。頭髪は赤みのある褐色で肌は小麦色。全体的に赤茶けた感じのする青年である。
長椅子にゆったりとくつろぎ、ラジオをつける。
ジャズだった。
敷地内には七つの当直室があり、彼の居る場所は、おそらく重要度が最も低い。施設の敷地内、主に学校部分の守衛のようなものである。夜間の誰も居ない教室に泥棒に入る奴などざらにはいない。さして金目のものがあるわけでもなかった。軍事基地の区画と異なり、政治的な重要性もほとんどない。
チャペル・グリーンは多廊式バシリカの長方形の建物をメインに、複葉機の飛行場が設けられている(フェデリコの位置からすれば、ガラスの向こうのさらにフェンスの彼方であるが)。ここの「第二防空軍」は、俗に言う標準人が主体の組織である。アルス使いの専用艦艇が外部空域の担当ならば、彼らは上空の制空権の確保が主任務。もちろん性能として劣るから、外敵と交戦用の戦力というより、哨戒やサポートが任務の中心をなしている(「アルノー」は一番多く配備されている型だ)。一部にはアルス使いが後部座席から砲手を担当する、攻撃機(「シルバースター」)も配備されていた。
しかも華々しいのは、件のテクネー飛行隊くらいのもの。もしパイロットならば花形でモテるし、給与なども魔法使いの戦闘員並である(危険手当に技能手当がたっぷりと上乗せされるため)。けれどもあとの人員は比較的地味な役割。移動式の高射砲だの、治安出動などの歩兵人員など(もちろん役目柄、それなりの給与や待遇ではあったが)。
あいにくフェデリコはパイロットではなかった。
大盾をもって並ぶ歩兵機動隊中尉である。
(ま、人生、ホドホドが一番さ)
彼はポテチをつまみながら、時間の経過を待つ。ジャズに合わせて頭をユラユラさせ、まるでメトロノームのカウントのように定められた時間の経過をひたすら待つ。そのうちだんだんじれてくる。
「あーあ!」
大あくびして伸びをする。
さすがに眠ってしまうわけにもいかない。
フェデリコは立ち上がって体操を始める。
最小限の真面目さは常に必要、それがポリシーだ。彼のようないいかげんな人間が、どうにかやってこられたのも、中庸を得た信念のおかげであった。……そのかわりに、熱を上げて熱くなることもなかった。情熱は身を滅ぼす元でもある。
時計はチクタク過ぎて行った。
電話が鳴った。
「はい、チャペル・グリーン」
『俺だ、俺だよ、アルムルクだよ。フェデリコだな』
よく知った役人からの電話だった。標準人原理主義者である。
「そうだ。どうした? また冷やかしか?」
『そっち、飛行機が飛びそうな気配は?』
「ねーよ」
『そうか。夜分遅くすまなかった。また飯でもおごる』
「期待してるぜ、ステーキがいいな」
フェデリコは愛想よく応じた。仲良くしておいて損はなかったし、まあ「友達」で通っている。彼とて同じ「標準人」なのだから。
(蛇の道は蛇だぜ)
フェデリコは受話器を置く。小麦色の面持ちには陰険な笑みがひろがっていた。いくら彼にだって、「何事か起きている」「中央行政局の分署が企んでいる」くらいの察しはつく。
そしてこの電話連絡が、情報収集ではなく攪乱工作の一環であることも。もしも本気でこっそり裏の情報を知りたいのなら、内容を傍受されかねない公式回線を使うはずもない。要するにその程度の「お友達」である。
もちろんフェデリコは親切な男だったから、ちょくちょく役に立ちそうな事柄を知らせてやったりもしていたのだが。食事の最中にちょっと仄めかすと、飯と酒の料金があのアルムルクの持ちになるのだ(たぶん行政局の秘密交際費から出ているのだろう)。
彼にとっては非常に都合の良い役得である。
3
フェリーの甲板には密度のある風が吹いて白い雲の海の波立ちは灰色に輝いている。
パトリシアは手すりにもたれてぼんやり、流れ行く単調な景色を眺めていた。
(あの子、どうしてるかしら?)
この二年間、一日たりとも考えないことはなかった。
そもそも亡命などという大それたことを企図したのも、我が子を守るためだったというのに。最後の最後で手放して、プレート1に置いてくることになってしまった。結果的に自分は新しい人生を手に入れた。……皮肉の極みである。
わだかまりは消えるはずもなかった。
(でもきっと、お父様とお母様が……)
プレート1にいる両親が、孫の面倒を見てくれるだろうという希望的な観測だけが慰めである。
(やっぱり、怒ってるかしら? でも孫のことは……)
パトリシアは夜風に頭を振る。
箱入り娘だった。十代の終わりには両親に勧められるままに結婚した。そのときも特に疑問をもったことはなかった。賢明な父親の判断は正しかった。夫はハンサムで優しかったし、それなりに幸福でもあっただろう。周りの言うことに従順でありさえすれば、平穏に幸せに暮らしていける、それが一番いい生き方なのだと信じていた。……そんな考えが変わったのは、断続的に続いていた帝国との紛争で、夫が戦死したときだ。
あれで人生の歯車が一変に狂ってしまった。
単に死者のための悲しみだけではなかった。
我が子までが将来、行政局の道具として命まで使い潰される(両親共にアルスの血統であるから、資質があることは明らかだ)。慣例として、将校として軍務につくことを要求されるだろう……そして戦死してしまう。そんな不安がのしかかってくるようだった。
だから逃げた。
生まれて初めて両親に反抗し、まだ二歳にもならない息子を連れて。
けれども行政局の手は早く、逃げる途中で息子だけがつかまってしまったのだ。
「もうじき、会えるもの」
パトリシアは期待と不安に胸を膨らませる。
そんなとき、一筋の光が水平に横切っていくのが見えた。
(あれは……快速艇? それにしても、すごい速さだけれど)
それがブレイク・ハートの駆るハロルド号だったことなど、彼女は知る由もない(時間的には、サラマンデルによるテロルが起きる前の晩である)。
ただ急速に胸のうちに不安が拡がって、心臓が侵食されるような気持ちになる。
(まさか、事故でもあったのかしら? それともまた帝国軍が……)
プラネット3‐4での対帝国紛争の一件のことは良く知っている。
パトリシアの推測はハズレだったが、不幸にも胸騒ぎだけは的中していたのである。
チャペル・グリーン第二防空軍、フェデリコ・ウルバーン中尉。
これはプレート4の「事変」と同時進行した事件の記録だ。
1
共和国の行政局がその布告を出したのは、プレート4の事件が起こる五日前。
ちょうどプラネット3‐4で勃発した、帝国との交戦が極点に達していた時期だ。
『国難にあたり、亡命者に特赦をなす。対帝国戦争の部隊を召集する。所属は第二外人部隊とする予定。有志は帰還されたし。待遇は将校、期間は半年毎の更新とする。第一回の任期満了後は、名誉除隊可。登録により有事のみの短期参戦も許可する』
他国に逃亡していたエレメント・アルスの血筋の者たちを惑わせるに充分な条件だった。
たった半年間、従軍するだけで亡命の罪がチャラになる。今現在の自由な立場を維持したままで、大手を振って帰郷できることになるわけだ。
それに彼らとて、祖国の共和国が帝国の侵略に曝されるのを指を咥えて眺めているのは、歯がゆかったに違いない。何しろ家族や親戚、友人たちをあとに残してきているのだ。とうてい他人事ではなかった。
沈静化していた戦争状態が再燃しようとしている。
どうにかして手助けしたいと考えるのは自然な感情だっただろう。
パトリシア・グランリュートもまた、そんなふうに考えた一人だった。
二十三歳、女性。職業は商社の船舶の二等航海士で、輸出入関係の書類事務も取り扱っている(大気のエレメント・アルスよりはむしろ、法律がらみの事務や語学の能力の方で重宝されていた)。現在の生活にさほどの不満はない。が、あとに残してきた者たちへの心配がなくもなかった。
やはり気がかりであった。いかに古い家のたかが傍流とはいえ、亡命者を出すことはそれなりの不祥事である。法律的に連座で罰を受けることはないにせよ、少なからず肩身の狭い思いもさせたかもしれない。
(うーん……)
彼女は二年前にプレート1から逃亡した。それきり共和国の家族や友人とは顔を合わせていない。手紙を出すことはあったが、検閲も入ることだろうし、そうそう詳しい話も書けない。返事を受け取れないから、ちゃんと届いているかどうかも判らない。もっと秘密な形での通信を試してみようかとも思ったが、迷惑になるのを怖れて思いとどまった。
件の布告の事を知ったのは、出された翌日になってから。
たまたま航海を終えた本社近くの港で、輸入したジオラマ・パネルの搬出作業の書類を書き終えたときに同僚が知らせてくれたのだ。それから丸一時間はそわそわとして、遅い昼食をとりながらも味がわからない。せっかく好きなスパゲッティだったのに、ナポリタンだったか、ペペロンチーノだったか、思い出せない。
美味しかったことだけは覚えていたが。
彼女はスパゲッティをフォークに巻きつけながら延々と思案していた。セットのアイスティの氷が全部融けてしまって少しばかりぬるくなっていた。無料の二杯目をもらい、珍しくレモンを浮かべてみた。
ほんのりとこの異国の香りがした。
祖国よりも懐かしい風味に喉をうるおしながら思案し続ける。
(対帝国戦争に限定なら、仕事に支障もなさそうだし)
彼女の滞在していた国は貿易立国で、国際通商の安全を脅かす帝国を敵と見做していた。
午後は休暇の予定であったが、会社に足を向けた。その日の夕方、職場の直属の上司におずおずと相談してみた。「急に抜けられると困るが、君には貴重な機会ではあるのだから」との返事。自分からもさらに上の上司に事情を話してみると請合ってくれた。
一晩じっくりと考えた上で正式な希望を出したのは、翌日の午前中。あくる日の午後には許可が下りた。集合住宅の自宅で通知を受け取ったとき、豚皮のトランクには旅支度の用意ができていた。翌朝にはフェリーの切符を手に入れていた。
そしてプレート4の事件が起きる前日。パトリシアはセミロングの栗色の髪をなびかせ、共和国行きのフェリーに乗り込んだ。
2
同じ日の晩、アル・カーヒラにて。
「フェデリコっ! 散らかしたら、ちゃんと掃除するのよっ!」
当直を交代するときに、土精の同僚アリスに怒鳴られてしまう。
何処吹く風だ。
「フェデリコっ! 聞いてんのっ?」
「あーい」
「あ! そ!」
気のない返事で応じたときにはドアはバタリと閉められていた。発音する音節すら節約するような別れの言葉だった。金髪の影がガラスの向こうで遠ざかっていく。
知るか。
フェデリコ・ウルバーン中尉はチャペル・グリーン(第二防空軍)の宿直室でポテトチップスの大きい袋を開けた。ついでにコーラのロング缶も。たったの四十グロッソで幸福になれる。幸せなんて、安いものさ。
そっけないグリーンの制服には皺が残っている(飾り紐や勲章一つ付けてはいない)。頭髪は赤みのある褐色で肌は小麦色。全体的に赤茶けた感じのする青年である。
長椅子にゆったりとくつろぎ、ラジオをつける。
ジャズだった。
敷地内には七つの当直室があり、彼の居る場所は、おそらく重要度が最も低い。施設の敷地内、主に学校部分の守衛のようなものである。夜間の誰も居ない教室に泥棒に入る奴などざらにはいない。さして金目のものがあるわけでもなかった。軍事基地の区画と異なり、政治的な重要性もほとんどない。
チャペル・グリーンは多廊式バシリカの長方形の建物をメインに、複葉機の飛行場が設けられている(フェデリコの位置からすれば、ガラスの向こうのさらにフェンスの彼方であるが)。ここの「第二防空軍」は、俗に言う標準人が主体の組織である。アルス使いの専用艦艇が外部空域の担当ならば、彼らは上空の制空権の確保が主任務。もちろん性能として劣るから、外敵と交戦用の戦力というより、哨戒やサポートが任務の中心をなしている(「アルノー」は一番多く配備されている型だ)。一部にはアルス使いが後部座席から砲手を担当する、攻撃機(「シルバースター」)も配備されていた。
しかも華々しいのは、件のテクネー飛行隊くらいのもの。もしパイロットならば花形でモテるし、給与なども魔法使いの戦闘員並である(危険手当に技能手当がたっぷりと上乗せされるため)。けれどもあとの人員は比較的地味な役割。移動式の高射砲だの、治安出動などの歩兵人員など(もちろん役目柄、それなりの給与や待遇ではあったが)。
あいにくフェデリコはパイロットではなかった。
大盾をもって並ぶ歩兵機動隊中尉である。
(ま、人生、ホドホドが一番さ)
彼はポテチをつまみながら、時間の経過を待つ。ジャズに合わせて頭をユラユラさせ、まるでメトロノームのカウントのように定められた時間の経過をひたすら待つ。そのうちだんだんじれてくる。
「あーあ!」
大あくびして伸びをする。
さすがに眠ってしまうわけにもいかない。
フェデリコは立ち上がって体操を始める。
最小限の真面目さは常に必要、それがポリシーだ。彼のようないいかげんな人間が、どうにかやってこられたのも、中庸を得た信念のおかげであった。……そのかわりに、熱を上げて熱くなることもなかった。情熱は身を滅ぼす元でもある。
時計はチクタク過ぎて行った。
電話が鳴った。
「はい、チャペル・グリーン」
『俺だ、俺だよ、アルムルクだよ。フェデリコだな』
よく知った役人からの電話だった。標準人原理主義者である。
「そうだ。どうした? また冷やかしか?」
『そっち、飛行機が飛びそうな気配は?』
「ねーよ」
『そうか。夜分遅くすまなかった。また飯でもおごる』
「期待してるぜ、ステーキがいいな」
フェデリコは愛想よく応じた。仲良くしておいて損はなかったし、まあ「友達」で通っている。彼とて同じ「標準人」なのだから。
(蛇の道は蛇だぜ)
フェデリコは受話器を置く。小麦色の面持ちには陰険な笑みがひろがっていた。いくら彼にだって、「何事か起きている」「中央行政局の分署が企んでいる」くらいの察しはつく。
そしてこの電話連絡が、情報収集ではなく攪乱工作の一環であることも。もしも本気でこっそり裏の情報を知りたいのなら、内容を傍受されかねない公式回線を使うはずもない。要するにその程度の「お友達」である。
もちろんフェデリコは親切な男だったから、ちょくちょく役に立ちそうな事柄を知らせてやったりもしていたのだが。食事の最中にちょっと仄めかすと、飯と酒の料金があのアルムルクの持ちになるのだ(たぶん行政局の秘密交際費から出ているのだろう)。
彼にとっては非常に都合の良い役得である。
3
フェリーの甲板には密度のある風が吹いて白い雲の海の波立ちは灰色に輝いている。
パトリシアは手すりにもたれてぼんやり、流れ行く単調な景色を眺めていた。
(あの子、どうしてるかしら?)
この二年間、一日たりとも考えないことはなかった。
そもそも亡命などという大それたことを企図したのも、我が子を守るためだったというのに。最後の最後で手放して、プレート1に置いてくることになってしまった。結果的に自分は新しい人生を手に入れた。……皮肉の極みである。
わだかまりは消えるはずもなかった。
(でもきっと、お父様とお母様が……)
プレート1にいる両親が、孫の面倒を見てくれるだろうという希望的な観測だけが慰めである。
(やっぱり、怒ってるかしら? でも孫のことは……)
パトリシアは夜風に頭を振る。
箱入り娘だった。十代の終わりには両親に勧められるままに結婚した。そのときも特に疑問をもったことはなかった。賢明な父親の判断は正しかった。夫はハンサムで優しかったし、それなりに幸福でもあっただろう。周りの言うことに従順でありさえすれば、平穏に幸せに暮らしていける、それが一番いい生き方なのだと信じていた。……そんな考えが変わったのは、断続的に続いていた帝国との紛争で、夫が戦死したときだ。
あれで人生の歯車が一変に狂ってしまった。
単に死者のための悲しみだけではなかった。
我が子までが将来、行政局の道具として命まで使い潰される(両親共にアルスの血統であるから、資質があることは明らかだ)。慣例として、将校として軍務につくことを要求されるだろう……そして戦死してしまう。そんな不安がのしかかってくるようだった。
だから逃げた。
生まれて初めて両親に反抗し、まだ二歳にもならない息子を連れて。
けれども行政局の手は早く、逃げる途中で息子だけがつかまってしまったのだ。
「もうじき、会えるもの」
パトリシアは期待と不安に胸を膨らませる。
そんなとき、一筋の光が水平に横切っていくのが見えた。
(あれは……快速艇? それにしても、すごい速さだけれど)
それがブレイク・ハートの駆るハロルド号だったことなど、彼女は知る由もない(時間的には、サラマンデルによるテロルが起きる前の晩である)。
ただ急速に胸のうちに不安が拡がって、心臓が侵食されるような気持ちになる。
(まさか、事故でもあったのかしら? それともまた帝国軍が……)
プラネット3‐4での対帝国紛争の一件のことは良く知っている。
パトリシアの推測はハズレだったが、不幸にも胸騒ぎだけは的中していたのである。