レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 夜の九時を廻ったとき。
 詰め所のドアが開き、フェデリコと同じ、緑の軍服の男が入ってきた。
「やあ」
「交替にはまだ早いぜ?」
「貴様個人に用があるんだ」
 シナゴーク(「諜報部」)の男は無表情に告げた。
「俺に?」
「まずは腹ごしらえだ」
 男はピザ(LLサイズ)の箱をとりだしテーブルに置く。
 そこでフェデリコは血相を変えた。もしソファでなくてチェアだったら、きっと姿勢を崩して転がり落ちたことだろう。
「あんたっ!」
「そうよ、そうともよ! やっと気がついたか!」
 来訪者は正体を表す。
 周囲の光を捻じ曲げていたベールが剥がれ落ちていく。黒い肩にワインレッドのエプロン。みるみるうちに二周りも大きな体の輪郭が現れる。……パンダであった。
 ドン・クーフー、ここに参上!
「旦那かよ」
「最初、ピザの宅配で入り込もうとしたら駄目だって言うから。しょーがなく、魔法で変装しちゃったんだな、これが」
 突如として登場したドン・クーフーはピザの箱の封印を厳かに解いた。
「マア食えよ」
「嫌だ」
 フェデリコは突っぱねようとする。「付き合いたくない」「係わり合いになりたくない」という、自衛本能的な条件反射だったのだろう。つまりはあとの祟りを気にしたからだ。彼はプラグマティスト(現実的な経験から学ぶ、実用・実践重視の考え方を信奉している現実主義者)である。経験則には従う主義なのだ。
「あんた、今度は俺に何やらす気だ? 普段の情報提供だけじゃ足りないってのか?」
「うん。本格的に貴様の出番が来たんだ。素直に喜べよ」
「出番って」
 クーフーは勝手に対面のソファに座ると自分も一ピースとる。チーズがジューシーに伸び、トマトソースとあいまって、極上の香りを漂わせた。そして勝手に話を進める。
「食いながら作戦を説明する」
「また危ない橋渡らせるのかよ? 仕舞いにゃお陀仏になっちまう」
「貴様なら、どうということはあるまい」
「あんまり信頼されるのも、良し悪しだぜ」
 フェデリコは薄笑いにぼやく。
 これも経験則からだが……逆らっても無駄だと諦める。
 人生、諦めが肝心だ。フェデリコは遠慮なくピザに手をつけた。クーフーはもう二切れ目に突入している。半分ずつ味付けが違う、今度はジャガ・ベーコンの方だ。
「あんま無茶させないでくれよ」
「どうこうあるまい。貴様とて、ファーティマ派古欄拳の伝承者だ」
「そりゃーねえー」
「任務によっては、そこらのアルス使いより、よっぽど適任だ」
 クーフーは常々お墨付きを与えている。
 古欄拳の中でもファーティマ派は特殊だった。どれか他流派の武術を習得した者の中から、白羽の矢を立てた使い手に、さらに暗殺の特殊技能に特化した訓練を施すのである。ゆえにフェデリコはエレメント・アルスが使えないのを別とすれば、ブレイク・ハートに匹敵する腕前を誇っている(これも一種の超人である)。
「で、いったい今度は?」
「うむ。また、例によって行政局がよからぬことを企んでいるようでな。さっきお前も、シナゴーク(「諜報部」)の分室に連絡しただろう? アルムルクからの電話の件で」
「ああ」
「やっぱりなんだ」
「へー」
 フェデリコはピザを食って口をモゴモゴさせながら答える。
 そう。
 彼は裏でシナゴーク「諜報部」に協力する、二重スパイだった(防空軍の特殊部隊にも籍を置いている)。
 日常は「いいかげんで利己的な」チャペル・ブルーの歩兵中尉。それでアル・カーヒラを「裏切っていると見せかけ」ながら、プレート1行政局の役人たちと「仲良く」する。そして反対に行政局側の動向を探り、怪しい動きがあればシナゴークに通報する。たまにそれとなく、偽の情報を敵に流したりもする。「標準人」であるフェデリコにはうってつけの役割であった(彼は共和国人で生粋のアル・カーヒラ人であり、原理主義者たちの政治主張など知ったことではなかった)。
 フェデリコはムシャムシャやりながら疑問を口にする。
「やっぱり、この間の布告のこととか? ほら、『第二外人部隊』とか何とか、調子のいいこと言って。結局、どーせプレート1の直属にするつもりなんでしょう?」
「それだけならまだいいんだが」
 クーフーはピザの箱の横に書類を投げ置く。
「どうにも、もっと悪いことが起きそうな気配なんだ」
「悪いこと?」
「連中が利己的なだけなら、まだ救いようがあるし、妥協の余地もある。だが、悪意がある場合は……」
「悪意?」
 二切れ目に指を伸ばすフェデリコ。クーフーは大きな頭につぶらな瞳で頷いた。
「それにちょっと、プレート4でもおかしな事態が起きてきとるらしい。統領から聞いた話では……ちょっと差し迫っているかもしれん。そのあたりを……」
 ドン・クーフーはフェデリコの様子の変化を察した。彼の目はめくった書類に釘付けになっている。
「これって」
「うむ。帰還する予定の亡命者のリストだ。どうかしたのか?」
「いや……」
 フェデリコは目をそらして口をつぐむ。クーフーはあえて追求しない。
「とにかく、事態は一刻を争うのだ」
 ドン・クーフーは三ピース目を飲み込んだ。
「これを食ったら、すぐに潜入して欲しい。チームのメンバーには連絡してある。今回は成り行き次第では、平職員くらいなら自己判断で抹殺してもらっても構わん」
 フェデリコの不都合はそんなことではなかった。
「けどよ、当直はどうするんだよ?」
「それは代わりを手配しておいた。もうじき……」
 そのとき弾みをつけてドアが開く。直後に聞きなれた罵声。
「あんたねえっ!」
 よーく見知った土精の女性は、不機嫌タラタラに拳をペキポキ鳴らした。
「どーして、盲腸の人間が平気でピザぱくついてるのよ?」
「まーま、お嬢さん」
 ドン・クーフーが鷹揚にとりなした。主原因であるくせに他人事のように。
「この馬鹿が、どーしても用事があるというので」
「用事って?」
「今晩死ぬかもしれないから、最後に一目くらい会っておきたいと」
「ピンピンしてるけど?」
 アリスは目を細めてフェデリコを見やる。クーフーは臆面もなく別の言い訳を持ち出す。
「いやはや……せっかくのピザですし、どーせなら、ご一緒にお夜食したいと。こー見えても、テレ屋らしくって」
 土精の女は「フーン」と疑わしげな視線。まんざらでもないのかもしれなかった。フェデリコは困った顔で笑ってごまかそうとする。クーフーは、ポンと掌を叩く。
「あ、そうだ。貴様、ちょっと甘いもんでも買って来いよ。デザートに」
 フェデリコは顔を引きつらせる。
 冷や汗が流れた。
 これもまた、当然の帰結としての後の祟りを予感すれば、自然な生理反応だ。
(それは、このまま俺にバックレろってことなのか?)
 こんなことを繰り返しているから「デタラメ野郎」といつも罵られるのだ。
 フェデリコは三ピース目を口にくわえて夜の闇に走り出した。



「また、なんですか?」
 アリスはおずおずと問いかけた。
 クーフーは黙って、四切れ目を手に取る。そして立ち上がりながら、言った。
「知らない方がいいこともある」
「……そうですね」
「すまないが、わたしも行かなければならない」
「わかりました。あと三時間、代役でここにいればOKですね?」
「グラッツィエ(ありがとう)」
 クーフーは流暢なロタリア弁で感謝する。
 技術者でもある土精のアリスは、薄々に事情を察している。彼女とて、マフムート直属の諜報機関シナゴークのことはいくらか知っていた。

 アリスはかつてフェデリコが行政局のスパイではないかと勘ぐって、シナゴークの窓口に通報(密告)したのだ。受けとった返事は「放置せよ」であった。
 てっきりフェデリコが消されるだろうと思っていた(裏切りの報いである)。だが何事も起きない。怪訝に思ってもう一度通報したら、今度は「口外するな」と脅迫まがいの通告を受けたのである。
『フェデリコ君を抹殺したいわけですね? そこまで悪い奴じゃありませんけど。……・え、許しがたい裏切り者? ……いくら自分が気に食わないからって、そりゃ阿漕ってもんでしょう。お嬢さん、つまりはピザということですね? 何がピザかと申しますと、お嬢さんの空っぽなアタマの中身ですよ。イタリアン料理の愛好者としては、けしからん言い方ですがね。さておき「人を呪わば穴二つ」です。狙撃されて粗末なアタマを撃ち抜かれて、前と後ろ、それか右と左に二つばかり穴があいちゃったりするんですね、これが。ちょっとくらいカワイイからって、思い上がってつけあがった挙句の果て、どんな非道やっても許されるなんて思ってたら、世の中大間違いなんですよ』
 ドスのきいたサウスチーノ(南華)訛りだった。
 それでアリスはようやく裏を理解したのだ。……それからしばらく、彼女は逆に自分が「消される」のではないかと、心の底から怯えていた。



 パトリシア・グランリュート。
 夜道をYP搭載の二輪車で飛ばしながら、フェデリコは思案した。
(やっぱりそうなのか?)
 記憶が正しければ、彼の父方の従姉と同名である。亡命したと聞いていたのだが。
 パトリシアは初恋の相手だった。けれどもフェデリコには、彼女のようなアルスの力がなかった。よく覚えていないが、それが悔しくて武術に手を染めたように思う。
 きっかけはどうあれ、行動は次の状況を導き出す。
 フェデリコの父親(息子同様にやはり標準人だった)はプレート1の故意の作戦で見殺しにされた。郵便配達をしていて戦闘に巻き込まれたのだ(避難勧告もなかったらしい)。表向きは「殉職」だったが、中央行政局は気にもとめず、涙金で責任すらもウヤムヤにした。「標準人の指導者」を自認していたプレート1の政治家や、行政局の高級官僚たち……他のプレートの一般人どころか、自分たちのところの下級職員の犠牲さえなんとも思っていない。「標準人原理主義は弱者に優しい」「万人に平等」などというのは幻想だった。欺瞞と嘘ばかりだ。
 成長して物事を知るにつれて、汚さに反吐が出る思いだった。
 疑惑の総仕上げの駄目押しはパトリシアの亡命事件。
 彼女の子供は祖父母からさえ取り上げられたというのだ。
 プレート1(ルテティア)の秘密施設で、都合がいいように洗脳して育てられているらしい。噂話は眉唾だったが、現に子供は行方不明だ。もはや人権もへったくれもありはしない。フェデリコを突き動かしたのは怒りだった。
 そうでもなければ、損得勘定だけで特殊部隊、ましてや(二重!)スパイになどなりはしない。はした金やつまらない役得のために、命や将校の地位を危険に曝すなど、そもそも割に合わないからだ。
(こんちくしょう、パトリシアは何も知らないんだっ!)
 もしも真相を知っていたら、帰ってくるはずがなかった。
 彼はYPバイクのアクセルを吹かす。
「急げ、急げよ、この野郎ッ!」
 珍しく愛車に苛立ちを呟きながら、彼は猛スピードで坂を下っていた。
 夜間発のフェリーに乗り込むために。
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