レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 夜の会場には人気がない。
 まさか倉庫で、少女二人が監禁されているなどと誰が考えるだろう?
 誘拐犯のハンフリートは卓でワイングラスを玩んでいた。透明な三角錐に赤い液体が躍っている。アネシュカとブランシュは冷たいコンクリートの床にうずくまって、座り込んでいる。両手と両足には手錠がかけられていた。
 元帝国騎士のハンフリートはチラとアネシュカを見て鼻で笑う。壮年ながらも森精(ファウニー)特有の精悍さに、どこか他人を茶化すような雰囲気があった。
「心配しなくたって、ちゃんと家へ帰してあげるよ……復讐が済んだら。お前らみたいな小娘、殺したって大して意味もないんだから」
「……だったら、どうしてわたしたちを……」
 ハンフリートはアネシュカの問いかけに失笑した。
「お前じゃなくて、ブレイク・ハート……ヴァーツラフに用がある。ちょっと前にお前らの行政局の連中が教えてくれた。それまではてっきり、ブレイク・ハートが本名かと思っていたんだが……」
「お兄ちゃんに?」
 アネシュカはドキリとして顔をしかめた。
「娘の苦しみがどんなものだか、あの赤い悪魔にわからせてやりたいんだ」
「娘さん?」
 アネシュカは意外な言葉に驚く。
「そう。この間のプラネット3-4での戦いのことは、知っているだろう? あのとき娘の婚約者を殺したんだ、あの赤い悪魔が。あいつはまだ初陣だったのに、虫けらのように…………義理の息子の仇もとってやらないと、どうしても気がすまないんだよ」
「お兄ちゃんが……」
 アネシュカはショックを隠せなかった。
 戦争なのだから、命の奪い合いをやっている。殺すことも殺されることもあるのだろう。けれども兄のヴァーツラフが「殺した」と聞くとさすがに動揺してしまう。勝手に目に涙が滲んでくる。
 ブランシュは説得を試みようとする。
「だからって、ルテティアの行政局に……あなたは利用されているだけです」
「利用されることでしか、望みを果たせないこともあるのさ」
 ハンフリートはやるせない笑顔になる。
「こんな輜重隊の退役軍人の身ではな……わたしも老いた」
 どうやらこの男は復讐のため、敵国の中央行政局の誘いに乗ったらしかった。
 アネシュカは奇妙な同情を抱く。
 ブランシュがまた口を開き、素朴に質問する。
「それで、あなたはどうするんですか? もしあなたまで死んだら、娘さんは……」
「だったら、一緒にあの世で仲良く暮らすさ」
「え?」
 驚くアネシュカとブランシュ。
 ハンフリートはいきなりワイングラスを握りつぶした。二人の少女はびくりと体を震わす。顔に怯えの色がはしる。ハンフリートは吐き捨てた。
「死んだよ」
「死んだ? どうして?」
 思ったことをそのまま口にするアネシュカ。
 誘拐犯は怨恨と絶望に顔を歪める。
「婚約者が死んで、辛そうだったんでな。急いで別の求婚者に嫁がせた。ちょっとでも気が紛れるだろうかと考えたんだ。……そうしたらその男が、酷い男でなァ。新婚一ヶ月で殴り殺されてしまったよ。あれこそDV(ドメスティック・バイオレンス)さ。腹の中には孫までいたそうなんだがなあっ! あのクソめ、メッタ刺しにしてやったが、そんなくらいじゃァ気がすまねえんだァァッ!」
 ハンフリートは激しい感情の嵐に卓をひっくり返した。
 狂気めいて立ち上がると突然叫び散らす。
「全部お前らのせいだッ! あの赤い悪魔が全部台無しにしやがったんだよッ!」
 誘拐犯の怒りは主にアネシュカに向けられている。
 ブランシュが慌てて横から口を挟んだ。
「八つ当たりじゃないですか!」
「なんだと?」
 殺気の篭ったハンフリートの眼光がブランシュを射る。少女は臆さなかった。
「そんなの、半分逆恨み……」
 そんな理屈など、もちろん通用するはずもなかった。
 ブランシュは腹を蹴りつけられ、激しく咽る。
 それからハンフリートはアネシュカの髪をつかみ、無理やり自分の方を向かせた。
「お前もちょっと味わってみるか? どうせ将来、男に殴られるんだ。人間の男なんてもんはなァ、酔って女房に手を上げるって相場が決まってるんだ! 前借の予行演習だ、軽く内臓破裂でもさせてやんよ……」
「ひ……」
 アネシュカは恐怖に顔を引きつらせる。ハンフリートの顔つきは本気でやりかねない。
 彼女は勇気を振り絞り、最後の抗弁に叫ぶ。
「うちのお父さん、お母さんにそんなことしないもんっ!」
 ハンフリートははっとして、途方もなく悲しげな目をする。だが怒りはすぐに再燃したようだ。裏拳で顔面を殴り飛ばされ、アネシュカは二回転も転がる。お祭りのための晴れ着は埃塗れで、口の中は血の味がした。捲れあがったスカートを気にするゆとりもない。
 ハンフリートは半狂乱で雄叫びのように喚く。
「なんでお前らみたいなのが生きてるんだ? 娘は死んだのに! 孫も死んだのに! あの子ら、毎年でも昨日みたいな祭りに連れてやりたかったんだよ! なんで人間のガキが生きてて、うちのマリアが死んだんだ? ふざけんなァッ!」
 ヒステリックに足を踏み鳴らすハンフリート。
 そのとき甲高い叫びが聞こえた。
「テメーこそふざけんなッ!」
 倉庫の扉を開いてブレイク・ハートが姿を現す。
「オレに文句があんのならよッ! オレに直接言いやがれッ!」

 老騎士ハンフリートはククリナイフを抜いた。
「よ、よく来た、よく来たァ……」
 声さえ狂気に軋むようだった。彼はいきなり、ナイフをアネシュカの顔の横に突き立てる。コンクリートに散る火花にアネシュカは身震いする。
「武器を捨てろ! 抵抗しようなんて考えるんじゃあないぞ……ククク、殺してやる」
 ブレイク・ハートはためらいもなく、三節棍を投げ捨てる。
 ハンフリートは立ち上がり、両手にククリナイフを構えて前に出る。
 アネシュカたちは後姿を見送るしかない。
「お兄ちゃん……」
「アホじゃねえの?」
 そう言ってのけたのはブレイク・ハートだった。
「オイ、目ぇ瞑ってろッ!」
 ブレイクはそう怒鳴るなり、エイハブ・アサルトを召還する。
 手品のように出現したエレメントガンは、形勢を逆転させた。
 ハンフリートは充分驚くことさえ出来ない。
「な……」
 即座にエイハブの銃口炎が瞬く。
 たちまちのうちに二本のククリナイフが弾き飛ばされる。
「なーにが『武器を捨てろ』だ。バーカ、ど素人め! そんなだからすぐに死ぬんだろうが? 人質までとって、なんてお粗末さだよ……さっさと手を挙げろ、この未成年者略取ヤローめ!」
 だがブレイクの勝利はそこまでであった。
 エイハブとは別の銃声が響き渡る。
 二発。
 これは狙撃であった。
 ハンフリートでさえ気付かないうちに、スナイパーが配置されていたのである。
 哀れな帝国の騎士は頭を吹き飛ばされて即死。だがブレイク・ハートは横飛びに転がって身をかわし、エイハブ・アサルトで応射する。
 キャットウォークに隠れ潜んでいたスナイパーは蜂の巣になって絶命し、転落する。血まみれの屍がコンクリートに叩きつけられる。
 ブレイク・ハートは発砲を止めない。
 天井の闇で次々に悲鳴が上がる。
 一人、二人、三人……。
「ひッ!」
 アネシュカとブランシュは恐怖に身を強張らせる。天井から死体が落ちてくれば、ローティーンの少女たちにとって自然な反応だったろう。
 ブレイク・ハートは気軽に引き金を引き、手足の手錠を無造作に、そして正確に撃ち壊す。パニック状態になりかかっていたアネシュカは、手元足許で散った火花に泣きそうになった。
「まさかとは思ったが……思ってたより、ずいぶん念入りだな。オイっ、そろそろ帰るぜ。まだいるかもしれないから、オレから離れないように……」
 だがアネシュカは、兄に手を触れられるなりヒステリーの発作を起こしたらしかった。
「人殺しッ!」
 彼女は兄の手を振り解いて、転げるように走り出す。
「待てッ! まだ敵が……」
「お前なんか、お兄ちゃんじゃないッ!」
 少女は鎖の揺れる両手で耳をふさぎ、絶望に駆られて走っていく。
「オイッ、アネシュカ……」
 恐怖に錯乱したアネシュカは聞く耳を持たない。
 そして倉庫から走り出した彼女を狙撃の銃弾が襲った。

 駆けつけたセリムたちはブレイク・ハートと二人の少女を発見した。それからハンフリートの死体を。ブランシュは洋服を血まみれにして、アネシュカを抱いて泣き叫んでいた。少女は胴体に穴があいて重傷であった。
 傍らのブレイク・ハートは悄然としてうなだれ、魂が抜けたようであった。



 同じころベルナール・ゴズは秘書を相手に長々と長広舌を振るっていた。
「人間を支配するには。人間以上のメンタリティを持つことが必要なんだ。つまり、余計な感情なんか持たないこと。情熱とか、愛情とか、もってのほか。そういう『人間らしい』感情をもつと、そこに付け入られることになるからね。常に冷静に最適な行動をとることが何より大事なんだ。非人間性だけが、勝利をもたらしてくれるんだ」
 メイド服の秘書はクスクス笑った。
「それですと、普段おっしゃっていることと矛盾しませんか? ヒューマニズム(人間主義)のために、非人間種族の撲滅を指導していらっしゃるご主人様であらせられますのに」
 ゴズは爽やかに講釈した。
「それは修辞学だよ。言葉の綾みたいなものさ。大事なのは、『自分こそが正義で、敵は悪』、そういうふうに周りに見せかけることだ。善人にはたいしたことはできはしないけれど、上辺だけは善人、いや聖人の振りをしなくちゃいかん。金の羊の皮をかぶっていれば、腐肉を漁っていても神々しく見えるものなのさ」
 栗色の髪の秘書は愛しげな視線でゴズを眺めていた。一般に個人的な愛情と世間の倫理は別物であるらしい。
「ご主人様は本当に悪いお方。でもそこが素敵なんですけれど」
「やったもん勝ちさ。ここまで上り詰めるまでに、どれだけの人間を破滅させてきたかわからんが、それは必要な運命だったんだ。肥料みたいなものだ。仮に今さらわたしが罰を受けたところで、台無しになった奴らの人生が元に戻るわけでもない」
「それは居直りですわ」
 メイド秘書は楽しげだ。他人事である故に。
「だいたい、罰しようがあるのか? 一つの命では一回死刑になるだけがせいぜいなのだから。仮に百回死刑になるような悪行を成したとすれば、九十九回分は得をしたことになる。まさか百回死刑執行するわけにはいかないんだからな! ……だからこそ巨悪は裁きようがないんだ。だからわたしは永遠の勝利者なんだ。他人を踏みしだくたびに天の高みへと昇っていく、そういう生き方を選んだんだよ……わたしは王になるように生まれついた男なのさ。正義を実現するのはわたしなんだ」
 ベルナールは誇らしげにウインクした。メイド秘書はコーヒーを勧めようとしてけつまずき、主人の顔面に煮立ったどす黒い汁を浴びせかけた。

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