レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 日没直後のストロモフカ、アル・カーヒラ第二艦隊駐屯陣地。
 折衝交渉から帰還したサラーフ・ネルソン提督を、自発的に整列した将校と兵士たちが出迎える。
「お疲れ様です!」
「ああ」
 ビーバーのネルソンは上の空である。ここ三日でやつれ果てていた。
 まず「降伏したい」意向を聞いて、すんでのところで椅子から転げ落ちそうになった。
 それからは説得のための行脚、ほとんど朝から晩まで土下座参りだった。
 軍団の兵士たちも戦闘ならば命を張って戦える。しかし協議や交渉となれば、いくらかでも信用のある人間に頑張ってもらうしかないのだった。幸いなことにネルソンは名望が高かったし、前回のテロルに駆けつけたことでも株が上がっている。
 だが……。
 それでさえ、暴漢に襲われることすら、この二日ですでに四度目である(昨晩に駐屯地に入る直前、木精の子供にトマトをぶつけられたのはノーカウント)。
 上級将校の一人が気を使いながら訊ねる。
「いかがでしたか?」
 それは周囲の居並んだ兵士たちを代表する質問であった。
 ネルソンは絶望的な表情になっている。
「駄目だ、まるきり人間種族の信用がなくなっている。いくら『ルテティアとアル・カーヒラは違う』と言っても、聞く耳を持たないんだ」
「撤退の件は?」
「それだけは猶予をもらった。キューレボルン侯国プレートとの接近まで、後二ヶ月は滞在を許可すると言ってくれた」
「お疲れ様です!」
 一同は頷き合い、ネルソンに深いねぎらいの感情を表す。そんな許可をもらうだけで、この司令官がどれだけ苦労したか知っているからだ。
 ビーバーの提督は指揮下の部下たちに声を張り上げた。
「諸君! これから二週間が勝負だ! くれぐれも信頼を損ねることがないように、品位を高く保って欲しい。我々の行動に、共和制の未来がかかって……」
 そのとき急造のフェンスの方で騒ぐ人声が聞こえた。
 遠くフェンスに炎が燃えている。火炎瓶でも投げつけられたらしかった。
『ニンゲンハ、キエロー』
『ハンザイシャドモ、ウセロー』
『ビョーゲンキンッ バイキンヤロー、シネー』
『モヤシテ、ショードク、シテヤルー』
『ヒアブリダー、ショケイシロッ』
 猛り狂った一部の市民たちの遠い叫びに遠慮はない。どうせ反撃されないと察知しているからだろうか。たかをくくるにも程があった。
「ぬうう、何様だと……」
 将校の一人が血管を浮かび上がらせてうめいた。彼は筋骨隆々たる海兵隊の勇者だ。
「提督! もう我慢の限界です! あんな暴徒ども、その気になれば簡単に蹴散らしてしまえるんです! 出て行って鎮圧しましょう! 黙らせてやればいいんです! だいたいあいつらは、三ヶ月前に助けにきてやったときにも……」
「耐えるんだ! 堪えてくれ、少佐!」
 サラーフ・ネルソンは諸手を挙げ、声を悲しげに高くした。
「わたしだって、今日は蹴飛ばされたし、石も生卵もぶつけられた。だけれども、こちらまで怒ってしまったら、交渉が決裂してしまう! そんなことになれば共和国は滅んでしまうんだ! 今は彼らの痛みと怒りをわかってやってくれ!」
「ですが……提督……」
「それでも我々は紳士なのだ」
 色めきたっていた者たちも黄昏のようにシンとしてしまう。
「はっ、自分が浅はかでしたッ! 申し訳ありませんッ!」
 尊敬する上官の諭し言葉に将校は頭を垂れる。
 一団の中には悔しさのあまり涙を流している者もいた。



 マフムート・パシャは執務室でアルジャノンと顔を合わせるとにわかにほっとした笑みを浮かべた。が、すぐにジロリと睨んで激しく叱責した。
「大失態だな! アルジャノン・ヒッピアス!」
 統領閣下はお怒りであらせられる。瞼がピクピク動いている。
「手下に刺されて三日も寝込むとは何事だ? お前はどんだけ阿呆なんだ? こんな時期に麻薬中毒にでもなりやがったのか? 吸ってる煙草に阿片かマリファナでも混じってやがるのか、貴様は! 暢気にラリッてるような時じゃないんだぞ!」
 老人には似つかわしくない表情と語調で、いきなり机を蹴飛ばした。
「いいか、薬物乱用は鞭打ちの刑だ! 常習や再犯なら鞭打ち三百回だぞ。独房の檻の中で正座して二百回くらい刑法の本でも読み直せ! もし叶うことならな、もう一回、改めて病院送りにでもしてやりたいくらいだ! 次にフヌケた真似してみろ、目玉をくりぬいて石割り労働にしてやる!」
 凄まじい剣幕である。こうまで怒りを露わにするのは十年に一度だろう。
(もちろんアルジャノンは麻薬など金輪際やってはいない)
 付き添っていたキアラが何か言おうとしたが、アルジャノンはそぶりで制した。
 マフムート老は白髪を逆立てんばかりにしてアルジャノンを強烈に指差した。
「いいか? 貴様がいなくなったら、外人部隊はただの無法者集団になるんだぞ? それこそ捨石にしかならん。ケツに爆竹でもゆわえつけて、特攻させるくらいの役にしか立たん! お前はそれをわかっておるのか?」
「重々承知しております」
 この会話は必ずしも比喩ではない。
 三つのアルス特殊部隊のうちで、どれか一つを犠牲にするとすれば確実に外人部隊が生贄に当選する。なぜなら彼らは外部の出身者であり、アル・カーヒラには直接の縁者が少ない。ゆえに使い捨てにしても、遺族やプレート市民からの非難が少なくて済む。いざとなれば「勇士たちの献身を称え、死を悼んで」終わりである(慰霊碑一つでケリが付く)。
 これまでそういう扱い方をされなかったのは、「消耗品に無駄に死なせるより、生かしておいたほうが利用価値がある」という極めて打算的な理由が大であった。それにはやはり、総長としてのアルジャノンの役目が要として利いていたのである。
 なおもマフムートの怒りは収まらないようだった。それでもやや落ち着いてはきたようで、声のトーンは少し収まる。
「そうなったら、うちは貴重な戦力が一つ、消滅してしまうんだぞ。あの哀れな連中も全員犬死だ、それでいいのか?」
「申し訳ありませんでした」
 アルジャノンが素直なのはヘマをやった自覚があるからだ。自分の油断と無用心が原因で、心配をかけただけでなく、プレートの防衛を危険に曝したことになる。
「いいか、今後は石にかじりついてでも絶対にコケるんじゃない。死んでいる場合じゃあないんだぞ。暗殺者相手に律儀に刺されてやるなんてこと、二度とやるんじゃあない。相手が女や子供でも返り討ちにして一向に構わん」
「肝に銘じます」
「よし」
 老人の怒りが収まったらしき様子に、キアラは胸をなでおろす。アルジャノンは無表情なままだったが、眉間にかすかな皺ができていた。
 平静を取り戻したマフムート・パシャはようやく本題に入る。
「……現状が度し難く最悪であることは知っておるか?」
「はい。先ほどキアラからあらましは聞きました」
「そうか」
 マフムートは沈痛な面持ちになった。
 プレートの頂点に立つ老いた統領は、若輩の部下に率直に詫びた。
「わたしの失策だ。敵の真意を読みきれなかった……万死に値する!」
 どうやら先の激怒には、自分自身が裏をかかれた苛立ちも加算されていたようである。
「だがまだ打つ手はある。たとえ一割でも可能性が残っていれば、勝負を投げる気はない。……もう一度手を貸してくれるか?」
「もちろんです、閣下」
「よろしく頼む」
 統領の老人マフムートは気分を新たにし、ガチリと親指の爪を噛んだ。
「既に幾つか手は打ってある」
 外交戦略のことだろう。水面下での戦いと駆け引きは、平和時でさえも延々と続いているのだった。古来の兵法書にも曰く、「戦争など、始める前に勝敗は決まっている」のだ。小手先の戦術指揮や場当たり的な英雄行為より、事前の準備プロセスの方が数段重要なのである。
 統領は声を落して話を進める。
「いざというときには……ストロモフカにいるネルソンに、亡命政府を樹立して抵抗を続けるように指示しておいた。第二艦隊の大半は帰還させたが、核になる海兵隊はあちらに残してある。いざとなれば、君もあちらにいって助けてやってくれるか?」
「閣下、それでは……」
「もし負けて占領されれば、わしも政治犯として絞首台から吊るされるだろう。カテドラルのグリエルモも覚悟は出来ておる」
 アルジャノンはこの老政治家の悲壮な決意に胸を打たれたようだった。
「わたしは、逃げて生き延びるなど性に合いません。このアル・カーヒラを失って共和制が滅ぶくらいならば、わたしも最後まで……」
 するとマフムート・パシャは浅黒い顔で優しげに微笑んだ。まるで千年も生きてきた聖なる賢人のように。
「君らはまだ若い。年寄りに付き合って死ぬことはないのだ。どうか遺志をついで、未来を守って欲しい…………それはそうと。後でよいから、ブレイク・ハートを呼んでくれるか?」



 夜。防空軍飛行場。
「珍しいな、セリム」
 フェンスのそばの並木道で、飛行兵のルジェロに出くわす。鄙びた顔立ちの小柄な青年だった。知らぬ仲でもない故にセリムも無視はしなかった。
「うん。ブレイクに頼まれて」
「っつーと、あれか?」
「そう。後部座席搭載用のアルス使い用の特殊ライフル、一ダースほど。まだ量産してるから、明日の昼までにもう半ダースは作れそうだって言ってた」
「ありがてえ」
 ルジェロはバシンと掌を拳で叩く。
「この調子なら、上空の守りは防空軍だけでカバーできそうだな」
「間に合えばいいんだけどね」
「改造は進んでいる?」
「もちろんだ。昼にも別の工廠から二ダース届いて、さっそく取り付けたよ」
 アル・カーヒラ標準仕様のYP飛行機、青と灰色でカラーリングされたアルノー複葉機は武装が貧弱だ。しかし後部座席にアルス使いの砲撃手が乗り込めば事情は違ってくる。
 現在は黒い攻撃機シルバースターだけでなく、哨戒機であるアルノーを武装強化する改造中である。改造だけでなく、作りかけの飛行機の完成も急ピッチで進められている。砲撃手には陸戦隊や艦隊(海軍)からの人員を乗り込ませる手はずになっている。
 もはやルテティアとの間の軍備制限協定は意味をなさなかった。
 ルジェロはふと気付いたことを口にする。
「セリム、お前は大丈夫なのか」
「何が?」
「ほら、枯葉病。木精がバタバタ倒れてるって」
「言ったろう? ぼくの心臓は機械でできてるって。心臓を侵食するタイプの病原菌みたいだからね、あれは」
「そう、なのか……てっきり冗談だと……」
 肩を落すルジェロ。セリムは怪訝そうに訊ねる。
「どうしたんだい? ぼくがぶっ倒れなかったのが気に食わないかい」
「そうじゃない! そういうわけじゃないんだ!」
 ルジェロは慌てて弁解する。
「まさか、ルテティアの奴らじゃあるまいし」
「じゃあどうして?」
 ルジェロは気恥ずかしそうなそぶりになる。
「実はさ、ストロモフカに文通してる子がいたんだ……その、木精の女の子でさ」
 初耳だった。けれどもセリムだって、母親は木精でも父親は普通の人間、アルスの力すらない標準人だったのだ。
 ルジェロは深刻な面持ちで言葉をつないだ。
「…………大丈夫かなーって。もし予防の仕方とか薬とかあったらって、ちょっと思っただけなんだ」
「そうなの」
 セリムは冷たく表情を閉ざす。無意識の、精神的な自衛策だ。気休めを言っても仕方がないことを重々承知しているだけに、内心で対応に窮してしまうからだ。
 だからそのまま立ち去るつもりでいた。
 それなのにセリムは足を止めてしまう。
 胸の中のモヤモヤは不快ではなかった。それは仲睦ましかった両親や平和だった幼少時の記憶が呼び覚まされたからだろう。
「ルジェロ。この戦いが終わったら、ぼくにも紹介してくれるかい?」
 飛行兵は少しばかりあっけにとられた様子をみせる。
「お前、変わったな」
「そう? どうして?」
「だってお前がこんなこと言うなんて、初めて聞いたよ。こいつはジョークか?」
 セリムは紅葉色の瞳に取り澄まして軽く小鼻で笑う。
「冗談なんかじゃないさ」
 その子はきっと元気で生きている……セリムは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 楽観的な励ましを口にするには悲惨なものを知りすぎてしまっている。
 きっと自分は酷いものを見るために、トラウマを反芻し続けるために生まれてきたのだろう、彼は長くそう思っていた。それなのに心に余裕が生まれたのは、ブレイクや友人たち、ひいてはこのアル・カーヒラの社会のせいだろうか。
(ぼくは馬鹿だな……)
 帰り道で奇妙な温かい感情に呟く。
 もう破滅は決まったようなものなのに、胸の中が安らかなのは。
 心が地獄のような絶望から救われたからなのか?
 それとも死によって全てが終わるであろうことへの安心感なのだろうか?
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