レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載
第十五話 アレキサンドリア号への挽歌/エピローグ
1
ドン・クーフーは戦勝を英霊に報告するため、霊廟イマーム・ザーデを訪れていた。
この社には「神通力を持つ」と称えられた古蘭の拳聖アリー(第四代にして最後の正統伝承者)が祀られている。彼こそがファーティマ派アラビアン・アーツ(及びシーア系の流派全般)の開祖として崇められる、悲劇的な人物である。
拳聖アリーは圧倒的優勢にありながら、流血による勝利を望まなかった。敵に慈悲をかけようとし、結果、暗殺されてしまうのだ。しかも息子のフサインまでが、権力を掌握した独裁者によって虐殺されることになる。
苦悩したアリーの追随者たちは次第に、自らの流派を暗殺拳として洗練していった。そして千年の時を経、ついに長老たちの指導のもと、王による専制支配を打ち倒したのだが…………待ち受けていたのは更なる悲劇であった。そのときにはすでに蛮族フランク人が世界を席巻していたのである。劣勢に立たされた彼らは過激派の原理主義者になって、敵味方双方にとって悲惨なゲリラ戦を繰り広げるしかなかった。
本来は寛大を旨として、友愛を実践してきた教えの結末がこれあったのだ。
哀しいものよ! 生き残るために戦う中、誰もが美徳の記憶を忘却していく。
(同じ遠い地上時代の本、『デカメロン』の説話にもある。戦争に参加して捕虜になった男が、敵側だった、ファーティマの王者サラディンから手厚いもてなしを受ける。旅によって面識があり、お互いの優れた人柄を知っていたからだという。また同じサラディン王は敵の勇敢さを賞賛し、病に倒れた好敵手、ライオン・キングに見舞いを送ったとも語り継がれている…………そんな美風も末世には失われてしまうのだ)
「偉大なる父祖よ。我々はいつまで戦い続ければよいのでしょう? しかも戦いで勝つのは、往々にして卑怯者ばかりです。英傑は卑劣に毒殺され、無辜の民が踏みにじられるのです。善良な人間たちまでもが狂っていくしかないのです。そんな無明の歴史がいつまで続いていくのでしょう?」
パンダのイタリアン料理人は、石造りの祭壇に恭しくドルチェ(お菓子)を供えた。彼は拳聖アリーの直系、シーア派アラビアン・アーツの秘密奥義伝承者でもある。
「これが『生』と『歴史』だとでもいうのでしょうか?」
苦悩であった。
長く黙祷していた彼は、ふと柱時計を見る。
ポンと手を叩く。
「そうだ、今晩はナポリタンにしよう!」
スパゲッティ・ナポリタン大盛り。戦争捕虜のための夕食メニューであった。
かつて地上ではどんな理想も俗世の泥、汚濁と不純にまみれてしまった。
だから滅んだ地上の文明は、新たな天空の世界に思いを託そうとした。
天上には純粋なイデア(観念)の世界があると考えたからだ。
それこそ現実逃避や悪あがきの極みであった。
土の体に神の息吹で魂を吹き込まれた人間の本質は、永劫変わるはずなどないのに。
なぜ天与の世界の美質を見ようとしないのか?
なぜ生まれ持った自分の力を信じられないのか?
偽りの希望や見せかけの救済にすがろうとするのは、弱さと愚かさのせいなのだろう。
どうせいつかは太陽が爆発して地球が消えるか、最後の審判で世界が終わる。
来世に希望を託す前に、生きているうちにやるべきことは山ほどある。
天は自らを助ける者をこそ助け給う。
運命や天国や地獄のことなど、至高者(アッラー)の采配に任せておけばよいのだ。
だから彼らは今を戦い続けるしかない。
2
ときに幕切れはあっけないもの。
ベルナール・ゴズを売ったのは、あのメイド服の秘書だった。
『ご主人様はご主人様を首になりました』
敗戦して帰ったゴズを出迎えるなり、いきなり態度を急変させ、冷酷で危険な本性をむき出したのだ。
『あまりリップサービスを真に受けないでくださいませ。……メイドには主人を選ぶ権利があります。あなたはわたしの主人としての資格を失ったのです。メイドこそ主役であり、主人など操り人形かアクセサリー、それか舞台装置に過ぎませんことよ?』
忠実そうだった秘書のメイドは形勢不利と見るや、あっさり他の政治家か官僚、あるいはどこかの財閥あたりに買収された。どうやら「メイド」という生き方や職業に美学を持っているだけで、個人的な忠誠心など微塵の欠片もなかったらしい(メンタリティは阿漕な傭兵に等しい酷薄さであった)。
ドジなところも、頭の悪そうな振る舞いも全てが演技である。名前も戸籍も偽造である。年齢どころか性別すらあやしいものだった。役者であることに酔うタイプらしい。
『あなたを消せば、報奨金が出るんです……ええ、ずっとこうやって生きてきたんですの。こういうラストのクライマックスでは、スポットライトが欲しくなります。観客はあなたお一人で充分です。これから死ぬ方になら、何を見せても安心ですわ』
ゴズは抹茶ミルクに盛られた大量の筋弛緩剤で窒息しかけている。彼女はスカートを捲りあげ、死にゆく主人に黄色いアンモニア水を浴びせかけた。
ご主人様は目を見開いて絶望の表情を浮かべていたものである。
『純粋なオリジナルの人間なんてとっくに残っていないのに。ご苦労様でしたわね』
それからベルナール・ゴズの頭部を包丁で切断し、生首を手土産に行方をくらました。
サイコなメイド、エリス(仮名)の行方は誰も知らない。
翌朝の曙光に照らされて、審問官ベルナール・ゴズは行政局ビルの前に曝し首になっていた。「敗戦責任者は成敗された」「売国奴に死を」の高札と共に。
不思議なことに敗軍の将、ボナパルテは三ヶ月後には元の地位に復帰していた。
そして彼の身辺ではしばしば不可思議なメイドの姿が見られた。
『ベルナール・ゴズには一種の理想があった。異種族の殲滅、純化された人間種族たちだけのための、整然たる秩序ある世界。おとぎ話のようだな、しょせんは狂信者の机上の空論だ。政治の手腕がありながら、ヒューマニズム原理主義のために焦っていたから、足許を掬われたのさ。だがわたしに下らない信条はないのだよ! ……この世で勝つためならば、どんな汚いことでもやってやる!』
人民合衆国では敗戦を受けて、軍国主義の色彩が強まりつつある。
議会では「優生標準者基本法」や「規格適用基準法」「劣等者安楽死法」などが可決された。政党は大政賛美連盟を結成し、事実上の一党独裁となった。それだけならまだしも、終身大統領(皇帝に等しい)になろうと目論む輩までいる。裁判所には行政局(実際には軍部)から標準管理指導員が送り込まれる。刑務所もまた「政治犯更正機関」や「軽犯罪の労働による贖罪所」が新設され、徐々に強制労働施設に変貌しつつある。
ルテティアの行政局の審問官の役職は、人民合衆国大統領直属の人民審問局(一種の秘密警察)として再編成され、規模と勢力を拡大している。第二のベルナール・ゴズが現れるのもそう遠い日のことではないのかもしれなかった。
同じ共和制の連合国家でありながら、新共和連邦との対立は深まっていくことになる。
3
戦闘終結から三週間後。
アル・カーヒラ第二刑務所併設の少年院。
面会に訪れたアネシュカはやつれ果てたブランシュを気遣わしげに見つめる。対面の場はガラスの壁に仕切られた白い部屋であった。
ブランシュは面会に訪れたカレルの目の前で拘禁症状まで起こしたらしかった。
アネシュカは気を遣わざるを得ない。心配でどうしようもなかった。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「うん」
「ちゃんと寝られてる?」
「うん」
ブランシュは目が泳いでいる。何を話しても「うん」「そう」と機械的に反応しているだけである。重症であった。
そもそも最初は従軍章をもらえる予定だった。けれども新しい同盟国の高名な倫理学者が「戦時法違反だ」「人道に反している」と言い出して事態は一変した。
アル・カーヒラは協調を重視した(国家の再編成直前という時期だったため、無用の議論による確執や、イメージダウンにつながるスキャンダルは避けねばならなかった)。
それでブランシュは一転、少女少年院送りになったのだ(もちろん方便に過ぎない)。
厳密に法を適用すれば死刑が妥当なのだが、大幅な情状酌量があった(彼女は法律と倫理の隙間に落ち込んでいたのである)。民間人の戦闘参加はたしかに理屈では戦時法違反だったが、自国が攻められた際のレジスタンス活動はあながち悪とはいえない。問題はブランシュが先走りすぎ、目立ちすぎてしまったことであった。
微妙な境界上の判決は、ひとまずは一年間の「反省」であった。「若年であるゆえに」「情緒不安定のため、責任能力に欠ける」「処罰より精神的なケアが必要である」というのが判決の趣旨だった(事件を担当した裁判官は直後にノイローゼに陥っている)。
善悪云々ではない。まるきり大人の都合による、玉虫色であった。
同じようなことをやったヤコブ君は「軍籍があった」という一事だけで、昇格した上に勲章までもらったのだ。「軍籍がない者の戦闘行動は戦時法違反である」「民間人の勝手な行動は正規の作戦を阻害する恐れがあった」などと言われても、実感が湧かない。
あの状況で他にどうしろというのだろう? 現に一度は顕彰しようとさえしたくせに、掌返しにも程がある。
ブランシュの頭の中では無意識にか、同じ疑問と不信、怨恨がグルグル廻り続けている。
ガラスの彼方で友人が何か喋っている。
「わたし、クーフーさんのところでアルバイトしてるの」
「…………」
アネシュカはガラスに顔を近づけ、放心状態の親友に語りかける。
「ね、ブランシュ。ここを出たら、食べに来てよ」
少女は顔を上げる。しかしその瞳は虚ろであった。
その後、共和連邦が成立して。
示し合わせたように別の学者たちから彼女を弁護する声があがり、ブランシュは再審の結果、都合一ヵ月半で出所することが決まった(この事件は最初から全部茶番だったとも言われているが、真相は闇の中である)。
釈放の日、少女少年院を訪れたのは気品のあるビーバーの大佐だった。
「わたしが君の保護司になるサラーフ・ネルソンだ」
二人は通話用の穴のあいたガラスを挟んで、パイプ椅子で対座している。
電磁パルスを遮断する透明な壁が不安を倍化させる。
だから少女はむすっとしてそっぽを向いていた。目の下の白いつややかな頬には、うっすらと隈がある。不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、一言も喋るまいと身構えているようだった。ネルソンは困りつつも自己紹介を続ける。
「チャペル・ブルーで提督と艦長をやっていた。今は休暇中だ」
記憶が正しければ、アル・カーヒラの全権大使として、侯国と交渉しストロモフカを説得した人物。
「……ひょっとして、あのアレキサンドリア号の?」
ブランシュは以前に、アルジャノンを迎えに来たあの船を目撃している。勘のようなものが働いて、直感的に反応してしまう。
(この人は……)
会ったことはないが、知っていた。戦場で感じた思念のパルス。
「うん、壊されてしまったが……実は残骸を修復して、ボーイスカウトの施設に再利用することになったんだ」
どうやら一度口を開いてしまうと、話題への好奇心が先に立つものらしい。
「ボーイスカウト?」
ブランシュは単語で短く問い返す。それでもふてくされた表情は崩さず、暇つぶしに言い分くらいは聞いてやろうという態度である。投げやりな心持ちであった。
(懲役でも、死刑でも好きにしたらいいんだわ)
他人、特に大人が信じられないのだ。
きっと心や感情を玩具にされすぎたせいだろう。
けれどもネルソンの言い分はずいぶんとユーモラスだった。
「うん。先日に友邦になったベネチャルム・プレートでは、先の内戦のせいで、まだ教育機関が足りていないんだそうだ。それで幼年学校の補講にとな」
しかしブランシュはまた険のある目つきになる。世の中は欺瞞ばかりなのだから。
不信感が彼女の刺のある言葉を吐かせた。
「子供に人殺しの訓練でも? 虫唾が走りませんかぁ?」
少女は嘲笑うみたく挑戦的な態度をとり、怒りを誘発しようとしているようだった。悪意のある微笑をたたえている。煮え切らない、曖昧な不快感を衝突で解消したいらしい。殴られるくらいは覚悟している様子でさえある。
余計な期待や希望が苦しいのなら、そんなもの捨ててしまえばいい。
けれども反応は意に反していた。
「まさか!……あの船は不運だったが、これならいい供養にもなる……自己満足といえばそれまでだし、何のために戦うのか、実感が欲しいだけなのかもしれんがな」
サラーフ・ネルソンはしんみりと腕組みする。
ブランシュはガラス越しに、大きく目を瞠っていた。
(そっか。この人も、辛くて悲しかったんだ……)
誤解と失言を悟り、俯いて黙り込む。今は泣き出しそうに顔をしかめている。急に感動めいた想いが胸に溢れてくる。このビーバーの提督が悪いわけではない。それなのについ、感情的になって当たってしまったのだ。
ネルソンはうろたえるように、オロオロしていたが、話を続けることにしたらしい。
「……それで来週、さっそくキャンプがあるんだ」
「…………」
「あいにくうちの海兵隊の連中が、瓦礫の撤去と水道の復旧作業に駆り出されていて。まあ、得意分野ではあるが……こっちも人手が足りなくってな」
少女は耳を傾けて、少しは気が紛れたらしい。ネルソンはほっとしたように耳を掻く。
「それでボランティアを募ったわけだ。ブレイクに自然学の野外授業を頼んで、キアラさんは綴りと文法の補講をしてくれると」
「…………」
「で……クーフーにはバーベキューを担当してもらうことになった。アルジャノンも同じプレートで地雷撤去の作業をやっているんだが、できれば顔は出すと言っている。アネシュカちゃんも手伝いに来るし、君も一緒に行かないかね」
ブランシュはしばし狐に摘まれたようだったが、考える前に返事をしていた。
「よろこんで」
それからは二ヶ月後。今度は保護観察期間が終わってしまうのが名残惜しく、号泣してネルソンをおおいに困らせたのだった。
ドン・クーフーは戦勝を英霊に報告するため、霊廟イマーム・ザーデを訪れていた。
この社には「神通力を持つ」と称えられた古蘭の拳聖アリー(第四代にして最後の正統伝承者)が祀られている。彼こそがファーティマ派アラビアン・アーツ(及びシーア系の流派全般)の開祖として崇められる、悲劇的な人物である。
拳聖アリーは圧倒的優勢にありながら、流血による勝利を望まなかった。敵に慈悲をかけようとし、結果、暗殺されてしまうのだ。しかも息子のフサインまでが、権力を掌握した独裁者によって虐殺されることになる。
苦悩したアリーの追随者たちは次第に、自らの流派を暗殺拳として洗練していった。そして千年の時を経、ついに長老たちの指導のもと、王による専制支配を打ち倒したのだが…………待ち受けていたのは更なる悲劇であった。そのときにはすでに蛮族フランク人が世界を席巻していたのである。劣勢に立たされた彼らは過激派の原理主義者になって、敵味方双方にとって悲惨なゲリラ戦を繰り広げるしかなかった。
本来は寛大を旨として、友愛を実践してきた教えの結末がこれあったのだ。
哀しいものよ! 生き残るために戦う中、誰もが美徳の記憶を忘却していく。
(同じ遠い地上時代の本、『デカメロン』の説話にもある。戦争に参加して捕虜になった男が、敵側だった、ファーティマの王者サラディンから手厚いもてなしを受ける。旅によって面識があり、お互いの優れた人柄を知っていたからだという。また同じサラディン王は敵の勇敢さを賞賛し、病に倒れた好敵手、ライオン・キングに見舞いを送ったとも語り継がれている…………そんな美風も末世には失われてしまうのだ)
「偉大なる父祖よ。我々はいつまで戦い続ければよいのでしょう? しかも戦いで勝つのは、往々にして卑怯者ばかりです。英傑は卑劣に毒殺され、無辜の民が踏みにじられるのです。善良な人間たちまでもが狂っていくしかないのです。そんな無明の歴史がいつまで続いていくのでしょう?」
パンダのイタリアン料理人は、石造りの祭壇に恭しくドルチェ(お菓子)を供えた。彼は拳聖アリーの直系、シーア派アラビアン・アーツの秘密奥義伝承者でもある。
「これが『生』と『歴史』だとでもいうのでしょうか?」
苦悩であった。
長く黙祷していた彼は、ふと柱時計を見る。
ポンと手を叩く。
「そうだ、今晩はナポリタンにしよう!」
スパゲッティ・ナポリタン大盛り。戦争捕虜のための夕食メニューであった。
かつて地上ではどんな理想も俗世の泥、汚濁と不純にまみれてしまった。
だから滅んだ地上の文明は、新たな天空の世界に思いを託そうとした。
天上には純粋なイデア(観念)の世界があると考えたからだ。
それこそ現実逃避や悪あがきの極みであった。
土の体に神の息吹で魂を吹き込まれた人間の本質は、永劫変わるはずなどないのに。
なぜ天与の世界の美質を見ようとしないのか?
なぜ生まれ持った自分の力を信じられないのか?
偽りの希望や見せかけの救済にすがろうとするのは、弱さと愚かさのせいなのだろう。
どうせいつかは太陽が爆発して地球が消えるか、最後の審判で世界が終わる。
来世に希望を託す前に、生きているうちにやるべきことは山ほどある。
天は自らを助ける者をこそ助け給う。
運命や天国や地獄のことなど、至高者(アッラー)の采配に任せておけばよいのだ。
だから彼らは今を戦い続けるしかない。
2
ときに幕切れはあっけないもの。
ベルナール・ゴズを売ったのは、あのメイド服の秘書だった。
『ご主人様はご主人様を首になりました』
敗戦して帰ったゴズを出迎えるなり、いきなり態度を急変させ、冷酷で危険な本性をむき出したのだ。
『あまりリップサービスを真に受けないでくださいませ。……メイドには主人を選ぶ権利があります。あなたはわたしの主人としての資格を失ったのです。メイドこそ主役であり、主人など操り人形かアクセサリー、それか舞台装置に過ぎませんことよ?』
忠実そうだった秘書のメイドは形勢不利と見るや、あっさり他の政治家か官僚、あるいはどこかの財閥あたりに買収された。どうやら「メイド」という生き方や職業に美学を持っているだけで、個人的な忠誠心など微塵の欠片もなかったらしい(メンタリティは阿漕な傭兵に等しい酷薄さであった)。
ドジなところも、頭の悪そうな振る舞いも全てが演技である。名前も戸籍も偽造である。年齢どころか性別すらあやしいものだった。役者であることに酔うタイプらしい。
『あなたを消せば、報奨金が出るんです……ええ、ずっとこうやって生きてきたんですの。こういうラストのクライマックスでは、スポットライトが欲しくなります。観客はあなたお一人で充分です。これから死ぬ方になら、何を見せても安心ですわ』
ゴズは抹茶ミルクに盛られた大量の筋弛緩剤で窒息しかけている。彼女はスカートを捲りあげ、死にゆく主人に黄色いアンモニア水を浴びせかけた。
ご主人様は目を見開いて絶望の表情を浮かべていたものである。
『純粋なオリジナルの人間なんてとっくに残っていないのに。ご苦労様でしたわね』
それからベルナール・ゴズの頭部を包丁で切断し、生首を手土産に行方をくらました。
サイコなメイド、エリス(仮名)の行方は誰も知らない。
翌朝の曙光に照らされて、審問官ベルナール・ゴズは行政局ビルの前に曝し首になっていた。「敗戦責任者は成敗された」「売国奴に死を」の高札と共に。
不思議なことに敗軍の将、ボナパルテは三ヶ月後には元の地位に復帰していた。
そして彼の身辺ではしばしば不可思議なメイドの姿が見られた。
『ベルナール・ゴズには一種の理想があった。異種族の殲滅、純化された人間種族たちだけのための、整然たる秩序ある世界。おとぎ話のようだな、しょせんは狂信者の机上の空論だ。政治の手腕がありながら、ヒューマニズム原理主義のために焦っていたから、足許を掬われたのさ。だがわたしに下らない信条はないのだよ! ……この世で勝つためならば、どんな汚いことでもやってやる!』
人民合衆国では敗戦を受けて、軍国主義の色彩が強まりつつある。
議会では「優生標準者基本法」や「規格適用基準法」「劣等者安楽死法」などが可決された。政党は大政賛美連盟を結成し、事実上の一党独裁となった。それだけならまだしも、終身大統領(皇帝に等しい)になろうと目論む輩までいる。裁判所には行政局(実際には軍部)から標準管理指導員が送り込まれる。刑務所もまた「政治犯更正機関」や「軽犯罪の労働による贖罪所」が新設され、徐々に強制労働施設に変貌しつつある。
ルテティアの行政局の審問官の役職は、人民合衆国大統領直属の人民審問局(一種の秘密警察)として再編成され、規模と勢力を拡大している。第二のベルナール・ゴズが現れるのもそう遠い日のことではないのかもしれなかった。
同じ共和制の連合国家でありながら、新共和連邦との対立は深まっていくことになる。
3
戦闘終結から三週間後。
アル・カーヒラ第二刑務所併設の少年院。
面会に訪れたアネシュカはやつれ果てたブランシュを気遣わしげに見つめる。対面の場はガラスの壁に仕切られた白い部屋であった。
ブランシュは面会に訪れたカレルの目の前で拘禁症状まで起こしたらしかった。
アネシュカは気を遣わざるを得ない。心配でどうしようもなかった。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「うん」
「ちゃんと寝られてる?」
「うん」
ブランシュは目が泳いでいる。何を話しても「うん」「そう」と機械的に反応しているだけである。重症であった。
そもそも最初は従軍章をもらえる予定だった。けれども新しい同盟国の高名な倫理学者が「戦時法違反だ」「人道に反している」と言い出して事態は一変した。
アル・カーヒラは協調を重視した(国家の再編成直前という時期だったため、無用の議論による確執や、イメージダウンにつながるスキャンダルは避けねばならなかった)。
それでブランシュは一転、少女少年院送りになったのだ(もちろん方便に過ぎない)。
厳密に法を適用すれば死刑が妥当なのだが、大幅な情状酌量があった(彼女は法律と倫理の隙間に落ち込んでいたのである)。民間人の戦闘参加はたしかに理屈では戦時法違反だったが、自国が攻められた際のレジスタンス活動はあながち悪とはいえない。問題はブランシュが先走りすぎ、目立ちすぎてしまったことであった。
微妙な境界上の判決は、ひとまずは一年間の「反省」であった。「若年であるゆえに」「情緒不安定のため、責任能力に欠ける」「処罰より精神的なケアが必要である」というのが判決の趣旨だった(事件を担当した裁判官は直後にノイローゼに陥っている)。
善悪云々ではない。まるきり大人の都合による、玉虫色であった。
同じようなことをやったヤコブ君は「軍籍があった」という一事だけで、昇格した上に勲章までもらったのだ。「軍籍がない者の戦闘行動は戦時法違反である」「民間人の勝手な行動は正規の作戦を阻害する恐れがあった」などと言われても、実感が湧かない。
あの状況で他にどうしろというのだろう? 現に一度は顕彰しようとさえしたくせに、掌返しにも程がある。
ブランシュの頭の中では無意識にか、同じ疑問と不信、怨恨がグルグル廻り続けている。
ガラスの彼方で友人が何か喋っている。
「わたし、クーフーさんのところでアルバイトしてるの」
「…………」
アネシュカはガラスに顔を近づけ、放心状態の親友に語りかける。
「ね、ブランシュ。ここを出たら、食べに来てよ」
少女は顔を上げる。しかしその瞳は虚ろであった。
その後、共和連邦が成立して。
示し合わせたように別の学者たちから彼女を弁護する声があがり、ブランシュは再審の結果、都合一ヵ月半で出所することが決まった(この事件は最初から全部茶番だったとも言われているが、真相は闇の中である)。
釈放の日、少女少年院を訪れたのは気品のあるビーバーの大佐だった。
「わたしが君の保護司になるサラーフ・ネルソンだ」
二人は通話用の穴のあいたガラスを挟んで、パイプ椅子で対座している。
電磁パルスを遮断する透明な壁が不安を倍化させる。
だから少女はむすっとしてそっぽを向いていた。目の下の白いつややかな頬には、うっすらと隈がある。不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、一言も喋るまいと身構えているようだった。ネルソンは困りつつも自己紹介を続ける。
「チャペル・ブルーで提督と艦長をやっていた。今は休暇中だ」
記憶が正しければ、アル・カーヒラの全権大使として、侯国と交渉しストロモフカを説得した人物。
「……ひょっとして、あのアレキサンドリア号の?」
ブランシュは以前に、アルジャノンを迎えに来たあの船を目撃している。勘のようなものが働いて、直感的に反応してしまう。
(この人は……)
会ったことはないが、知っていた。戦場で感じた思念のパルス。
「うん、壊されてしまったが……実は残骸を修復して、ボーイスカウトの施設に再利用することになったんだ」
どうやら一度口を開いてしまうと、話題への好奇心が先に立つものらしい。
「ボーイスカウト?」
ブランシュは単語で短く問い返す。それでもふてくされた表情は崩さず、暇つぶしに言い分くらいは聞いてやろうという態度である。投げやりな心持ちであった。
(懲役でも、死刑でも好きにしたらいいんだわ)
他人、特に大人が信じられないのだ。
きっと心や感情を玩具にされすぎたせいだろう。
けれどもネルソンの言い分はずいぶんとユーモラスだった。
「うん。先日に友邦になったベネチャルム・プレートでは、先の内戦のせいで、まだ教育機関が足りていないんだそうだ。それで幼年学校の補講にとな」
しかしブランシュはまた険のある目つきになる。世の中は欺瞞ばかりなのだから。
不信感が彼女の刺のある言葉を吐かせた。
「子供に人殺しの訓練でも? 虫唾が走りませんかぁ?」
少女は嘲笑うみたく挑戦的な態度をとり、怒りを誘発しようとしているようだった。悪意のある微笑をたたえている。煮え切らない、曖昧な不快感を衝突で解消したいらしい。殴られるくらいは覚悟している様子でさえある。
余計な期待や希望が苦しいのなら、そんなもの捨ててしまえばいい。
けれども反応は意に反していた。
「まさか!……あの船は不運だったが、これならいい供養にもなる……自己満足といえばそれまでだし、何のために戦うのか、実感が欲しいだけなのかもしれんがな」
サラーフ・ネルソンはしんみりと腕組みする。
ブランシュはガラス越しに、大きく目を瞠っていた。
(そっか。この人も、辛くて悲しかったんだ……)
誤解と失言を悟り、俯いて黙り込む。今は泣き出しそうに顔をしかめている。急に感動めいた想いが胸に溢れてくる。このビーバーの提督が悪いわけではない。それなのについ、感情的になって当たってしまったのだ。
ネルソンはうろたえるように、オロオロしていたが、話を続けることにしたらしい。
「……それで来週、さっそくキャンプがあるんだ」
「…………」
「あいにくうちの海兵隊の連中が、瓦礫の撤去と水道の復旧作業に駆り出されていて。まあ、得意分野ではあるが……こっちも人手が足りなくってな」
少女は耳を傾けて、少しは気が紛れたらしい。ネルソンはほっとしたように耳を掻く。
「それでボランティアを募ったわけだ。ブレイクに自然学の野外授業を頼んで、キアラさんは綴りと文法の補講をしてくれると」
「…………」
「で……クーフーにはバーベキューを担当してもらうことになった。アルジャノンも同じプレートで地雷撤去の作業をやっているんだが、できれば顔は出すと言っている。アネシュカちゃんも手伝いに来るし、君も一緒に行かないかね」
ブランシュはしばし狐に摘まれたようだったが、考える前に返事をしていた。
「よろこんで」
それからは二ヶ月後。今度は保護観察期間が終わってしまうのが名残惜しく、号泣してネルソンをおおいに困らせたのだった。