レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 ハロルド号のダメージは大きかった。横腹を何箇所も切られ、機能中枢こそ無事であれ、内部もだいぶやられてしまっている。プラネット3‐4の母体、支持プレートである、プレート3のドックに入り、製作者自ら修理中である。
 セリム・トレルビーは四角い台の上でワイヤード・パズル(YP)を組み立てていた。
 それは三次元立体パズルに似ていることからそう呼ばれる、テクネー魔法の中枢装置だ。それはゴーレムにも使われている技法である。
 ハロルド号には大小あわせ、三十七のパズルが組み込まれている。そのうち、実に八つまでが障害を受けて故障し、あるいは破壊されている。パズル同士をつなぐケーブルもあっちこっちで切れてしまっていた。
 セリムの紅葉色の目は真剣に机上に注がれている。
 立体の中をあまたの光が流れていく様は美しい。
 このパズルはエーテルの波と風を視覚的に観測するための計測装置から発達してきた。その出発点には単に実用のためだけでなく、美術品としての価値も含まれている。今でも人気のある調度品として、装飾したものが好まれている。そのために製作者には独特のセンスが必要とされていた。
 現在のワイヤード・パズル・システムは「小さな迷宮」といわれるほどに複雑な自動機械である。規模の大きなパズルは「ジオラマ」とも呼ばれ、さながら一個の巨大都市の模型のようにさえ見える。この世界を満たす第一元素エーテルの流れから直接に力を汲み取る、超精密な永久機関なのだ。その技法に習熟している一流の人材は、エレメント・アルスの魔法に卓越した者たちと同様、多くはない。
 テクネーの魔法は様々な流派(マニエラ)のアルテ(=ギルド、結社や組合)によって伝えられ、研究がなされてきた。その点が個人の資質や修行に依存するエレメント魔法との大きな相違だ。古くは各サークルは閉鎖的な秘密結社であり、身内や一族の者にだけ代々に技法を伝授していくのが伝統だった。セリム・トレルビーは今はもう存在しない国の、木精の一族の末裔である。
 遠いフリュートのような音が小さく響きだす。
 セリムはパズルに流れる光と、それが奏でる音楽的な旋律に注意を集中して観察していた。目許がほころんだのはテストが成功したからか。
 そのときうしろのドアがぎっと開く。
「おい、晩飯」
 ブレイクが木のドアを肩で押し開けて、でっかい紙袋を抱きかかえて入ってきた。
「お前、夢中になると食事も忘れやがるからよー……ちょっくら、シチューをとってくる」
 ブレイクが防寒マントをひらとさせて舷側の階段を上って行くと、セリムはステンレスの皿を取り出し、脇の丸テーブルの上に二人分の食器を並べた。
 やがてブレイクが、蓋付きの鍋を持って降りてくる。作り置きのシチューはトマトとたまねぎをベースに、キャベツとジャガイモとソーセージを入れ、香辛料で味付けし、隠し味のクリームを混ぜて煮たもの。ストーブの上において温めなくてはならない。
 セリムは湯気の立つコーヒーをブリキのカップに二人分注ぐ。さっきまでストーブの上に乗っていたから熱くなっていた。
 ブレイクはマントを外し、自分用の高い椅子に飛び乗る。紙袋から皿の上にアップルパイとパンプキンパイをとりだした。
「町で安く売ってたんだ。閉店前だったからな」
 正午前にハロルド号が不時着したのち、ブレイクはプレート3の砦で、他の戦闘員たちと一緒に待機していた。万一、プラネット3‐4だけでなくプレート3本体に攻撃が及んだ場合のための用心である。晩の七時前にセリムが補修作業をしているドックに顔を出し、必要な部品を発注しに出かけたのだった。
 セリムがふと見やると、もう壁掛時計は九時を指していた。
 二人は向かい合い、コーヒーを片手にパイを食べはじめる。
「えらいことだったな」
 ブレイクは一口目を飲み込んで呟いた。
 プラネット3‐4は沈没こそまぬがれたものの、いまだに救助作業が続いている。プレートに脱出した人々は簡易宿泊施設やテントに収容され、損傷したプラネットに残っている人々は、内部の安全なシェルターエリアに集められつつある。一時間ほど前にも非常食料や毛布を積んだ船が空を上っていくのが見えた。どうやら物資の備蓄はあったらしい。
「もう、離れたのかな?」
「ああ、もうずいぶん。でもまだ上空で警備隊が見張ってる」
 ブレイクはそう答えて、切れ目にそってアップルパイをかじりとった。
「あの帝国のプレート……昔はあんなのじゃなかったのに」
 セリムはポツリと呟いた。その面持ちは悲しげだ。
 おのおののプレートと、それに付属するプラネットは大気中のエーテルの対流に流されて巡回している。それでときどき、仲の悪い敵国のプレートに、距離が接近してしまうことがあるのだ。睨みあいですむこともあれば、小競り合いになることもある。今回は最悪のパターンだった。
 ブレイクたちの共和国と帝国は険悪な間柄にある。何十年間も散発的な交戦があって、正式な講和はなされていない。だから戦闘のない平時であっても、厳密には帝国と戦争継続中ということになる。
 共和国は四つのプレートを領土としているが、帝国の方は強引な他国の併合でとっくに十を超えている。侵略政策と規模の差だけでも脅威なのだが、不仲の理由には政治体制の違いも大きく手伝っていた。
 共和国には議会や元老院があり、各プレートごとの統領や全国の元首を選ぶ。また人々の平等を原則とするために工夫がなされている。たとえばテクネーを教授する国営魔法学校(セミナリオ)が組織されている。そのため、エレメントを操る生まれ持った才能がなくても出世することが可能だった。また強力すぎる使い手には名誉と引き換えに、金呪(=禁呪、ゲシュ)という行動制限などが課せられる。
 しかし帝国ではエレメント魔法の資質と能力(エレメント・アルス)に優れた家系が貴族階級を形成し、エレメント・アルスが使えない大半の平民を支配している。それは共和国の理念とは相容れない。
「そろそろ、いいんじゃないか?」
 ブレイクはストーブの上の片手鍋に視線を投げる。
 パイを食べ終えてしまうと、次はシチューだ。セリムが金属の深皿に注ぎ、ブレイクは紙袋から固パンを取り出し、パン用のナイフで薄切りにする。
 あつあつのシチューを木のスプーンで口に運びながら、楕円形に切った固パンをかじる。
「思ったより、やられちゃってるみたいだな」
 ブレイクは夢中で食べながらも、ハロルド号を横目に観察する。
「うん、でも中枢のジオラマは全部無事だし。明日のお昼過ぎには動けるんじゃないかな。外装の仕上げとかは、明日の晩、プレート2に帰ってから工場に頼んでもいいし」
 セリムの答えにブレイクはうなずいた。現在の状況からして、プレート3の貴重な資材や労力を使うより、さっさと帰投した方がよい。戦闘の危機が去り、ハロルド号が損傷した今、いてもかえって邪魔になるだけである。二人の本来の所属はプレート2であり、今回は非常事態のために動員されたのだった。
「それじゃ、ちょうどよかった。もう一個ずつパイがあるから、朝か昼飯に食おう」
 この危機のための動員で人が集まることを見越し、客を当てこんで町々のパン工房はフル稼働していたらしかった。食料面では問題はなさそうだった。最後のタイミングでプラネット3の内部での事故が重なったことと、帝国側による過度の攻勢を除けば準備は万全だった。
 セリムは固焼きのパンの楕円の先をシチューにつけて微笑む。
 ブレイクが思い出したように言った。
「そういえば。足りないパーツな、日付が変わる前、十一時にまたとりに来いって。これ食ったら、ちょっと出てくる」
「うん。仮の修理はあらかた、予備のパーツでできちゃったから。今晩中に補修したら、明日にはパテも固まるだろうし。ちょっと遅くなるかもしれないから、ブレイクは先に寝ちゃって」
 やがてブレイクは木の匙をおくと、フードつきマントを羽織ってトコトコ駆け出していった。

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