黒猫と星は凪いでいる

黒猫は凪ぐ

【シェナ】
「シェナ、朝だよ。起きて」
「…」
「シェナ、起きて」
「…」
「…シェナ!起きてって!朝!」
「…ん…おはよ」
「おはよ。早く起きて。もうお昼になっちゃうよ」
「…うん」
 そう言って大きく伸びをする。外はもう明るくて、太陽が空高く登っていた。時計はもう10時を指していた。
「ねえシェナ早く行こうよ。今日は天気が良くて気持ち良いみたいだよ。風が吹いていてみんなが楽しそうにしてるよ。ねえ早く行こう」
 目の前で綺麗な黒髪をさらさらと揺らしている彼女は小さい頃から唯一の友達であり、精霊のオールだ。
「わかった、ちょっと待って」
「早く早く」
「待ってって」
 私は急かすオールをなだめて少し急いで着替える。上着の片手に腕を通しながら靴を履いて部屋から出る。階段を降りてからちらっと食堂の方に目をやる。いつも通りヴェール先生がご飯の準備をしている。
「…おはようございます」
 そう言って私は食堂に入って行った。
「あらおはよう、シェナ。今起きたの?」
「はい」
「あらあらお寝坊さんねえ。今日はみんな正門の方にいるわよ。何やら楽しそうなことをしているみたいよ。行って来なさいな」
「…はい」
 ヴェール先生は少し変な口調で有名だ。彼女を苦手に思う人も少なからずいるらしい。
「あ、そうそう。朝ごはんはそこに置いてあるから食べて行きなさいな」
「い、いや、外で食べます」
「あらそう?まあ確かに今日は天気もいいしねえ。気をつけて行ってらっしゃい」
 ご飯を食べるだけなのに何に気をつけるのだろう。小さな疑問がぽっと浮かんだが、すぐに忘れた。
「それと、昨日言ったあなたを引き取りたいって方、明日来るらしいわ」
「…え?」
「ほんと、急よねえ。ま、後で説明すると思うから覚えておいて」
「あ…はい」
 私は机にある自分の朝ごはんのかごを持ってペコリとお辞儀をしてから裏口から庭に出た。扉を通ったところで一度止まり、軽く深呼吸をして裏山に向かって一気に走り出した。隣でオールが楽しそうにニコニコついてくるのが見えて走る足に力を込める。しばらく登ってからやがて息を切らして後ろを向き、自分の住んでいる小さな世界を眺める。
 ここはヴェール孤児院という身寄りのない子や家にいられなくなった子が来ることができる場所だ。とにかく子供の意思を尊重する孤児院で、勉強や独り立ちのための訓練以外には全く口出しをしないのだ。もちろん世間一般の常識は教えてくれるが。さらにここは時間の制限が甘く、それをいいことに私は毎日痺れを切らしたオールが起こしてくれるまで寝ている。
 家の正門の方でわあっという声が聞こえた。今日は正門前で縄跳びでもしているのだろう。この孤児院の子ども達はとても仲が良い。本当にずっと一緒にいるのだ。一人でいるのは私くらいで、他のみんなは先生も混ざって一緒に遊んでいる。私も孤児院に来たての頃は誘われていたが、あまり興味を示さなかったからなのかいつの間にか全く誘われなくなった。だからいつもオールと一緒にこの小さな山に登ってひっそりと遊んでいる。正直なところ、これはこれで楽しいし、落ち着く。
「うーん、やっぱりここの空気は美味しいね。本当に気持ちいいや」
そう言ってオールが草の上にころんところがる。
「そうだね」
 正直何が気持ち良いのかわからない。空気なんてどこも一緒だ。そう言いたい気持ちを心にしまい込んで空を見上げる。雲がふわふわと浮かんでいて、とても柔らかそうだ。
「ねえ、シェナ」
「何?」
「朝ごはん開けてよ。何が入ってるの?」
「いいけど、オールは食べないでしょ?精霊なんだから」
「いいんだよ、見たいだけなの。今日あのメガネが何を作ったのか見たいの」
 あのメガネというのは、先ほど食堂にいたヴェール先生のことだ。小太りな女の先生でいつも太くて赤い縁のメガネをつけている、子供が大好きで元気な人だ。いつもしつこく話しかけてくるのでシェナはあまり良い印象を抱いていない。あのダサいメガネを思い出して少し笑う。
「わかった、じゃあせっかくだし食べようかな。お昼になっちゃうとよくないし」
 カゴを開けると、中にはサンドイッチが三つ入っていた。どれも中身が飛び出そうなほどたくさん具が入っている。待っていましたというようにオールがカゴの中を覗く。
「わあ、サンドイッチだ。美味しそうだね」
「そうだね」
 適当に相槌を打ってサンドイッチを一つ取る。レタスとトマトの入ったサラダサンドイッチだ。
「どう?美味しい?」
「うん」
 味はいつも通りのヴェール先生のサンドイッチ。もしかしたら美味しいのかもしれないが、私からすれば普通のサンドイッチだ。
 私は小さい頃から人よりも感情の起伏が小さい。泣いたことも心の底から笑ったことも、怒ったこともない。何をしても興味が沸かないし、楽しいとも思わない。先生達はそんな私を気にかけてくれているが、正直きっともう諦めているだろう。それに、私はそのことをなんとも思っていない。いちいちそんなことに感情を揺らしていてはこの世界で生きて行くことはできない、よわい十二歳にして知ったこの世の現実だ。それでも私を心配してくれる人にはなんだか申し訳なくなる。だから、できる限り相手が不快にならない言葉を選んで会話をする。おかげで集団行動をしない私でも嫌われずにいるようだ。
「ねえねえ、シェナ」
「ん?」
 考え事をしていたせいで変な声が出た。オールは空っぽになったかごから頭だけ出して期待するような目で私をじっと見つめて言った。
「今日もあれ、見せてよ」
「…でもあれはまだ練習中だから」
「いいのいいの、ここで練習すればいいの。私が見ててあげる」
「はあ…」
「ね、お願い!」
 この精霊はいつもわがままだ。自分の思い通りにいかないとすぐにかんしゃくを起こす。この前なんて薬草を探していて少し放置していたら森の木を何本も切り倒したのだ。
「わかった。一回だけだからね」
「ほんと⁈やったぁ」
 嬉しそうにかごから出て来てふわふわと飛ぶ姿を眺めつつ、私は立ち上がって両手を空に向かって上げる。その手のひらに集中して、そこから空に向かって放出するイメージをする。そのイメージが固まったら、今度はその放出したモノに変化を加えるイメージをする。そしてそのままボソッと呟いた。
「蛍」
 その言葉に反応してその放出されたものがぱあっと光り出す。昼間なのであまり映えないが、その小さな光がキラキラとシェナの周りを舞う。私はオールの方を見た。
「どう?前よりももっと光るようになったと思うんだけど」
 オールは私が出した光を見てキラキラと金色の目をより一層輝かせて嬉しそうに叫ぶ。
「すごいすごい!綺麗に光ってる!発現してから間もないのにやっぱりシェナは魔法が上手だね。それに、蛍っていいなまえ〜」
「ありがとう」
 そう、私はつい最近魔法が発現したのだ。魔法とは、放出した魔力をトリガーにして様々なことをする術だ。何かを生み出したり物を浮かせたりなど、基本的に使い手によってできることの範囲は広がる。私は発現して間もない上にこの孤児院に発現者がいないため、独学で学んだ蛍しか使うことが出来ない。他の魔法はいくら試しても出てこなかったので、やっと出せたこの魔法を忘れないよう毎日練習することにしている。
 ただ、独学で魔法を練習するにあたって少し問題があった。自分の魔力量と適性がわからないのだ。適性はまだわからなくても探していけば良いが、魔力量がわからなければどのくらい練習して良いのかわからないので、いつ魔力切れの状態になるかわからない。そして魔力切れになるとどうなるかもわからないので危険かなと思い、一日に三回くらいしか魔法を発動させていない。
 ちなみに朝ヴェール先生が言っていた私の引き取り人は、私が魔法を発現させたため選ばれたのだ。平民の発現者は珍しく、引き取りたいという人が多くなるという。それに、使い方によっては危険になる魔法の正しい使い方を教えるためでもある。
 本当は独学でいいと思っておるのだが、何せ魔法発現者がいない村だ。魔法の使い方に関する本が一つもない。あるのは魔法がどういうものかが書いてある常識本だけだ。ため息をつきながら蛍をやめる。
「えっ、もう辞めちゃうの?残念」
「魔力がどうなっているかわからないからね」
「魔力は無くならないから大丈夫なのに」
「それは精霊だけでしょ。そろそろお昼の時間だし戻ろうか」
 そう言って早々と立ち上がる。ちょうど遠くで鐘が三回なった。お昼の時間10分前の合図だ。私はかごを持って孤児院めがけて走り出した。
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