土佐弁男子は気まぐれ猫さん
第一章、龍馬、家族になる
短い短い春休みは、あっという間に過ぎ去った。
坂本龍馬を名乗る不思議な男の子は、宣言通り毎日お店にやってきた。最初は彼の規格外なテンションに驚いていたお母さんも、持ち前の人懐っこさにすっかり絆されたらしく、いつの間にか彼を『龍馬くん』と呼んで、余ったケーキをサービスしたり、世間話をしたりするのが当たり前になっていた。
そして今日。
私の前を歩くのは、四月から通うことになった私と同じ中学校の制服に身を包んだ、ふわふわした茶髪の背中だ。
「莉子ちゃん、見てみぃ!桜がまっこと綺麗ぜよ。高知の桜もえいがやけど、ここの桜は莉子ちゃんの匂いがするねぇ」
「桜から私の匂い……は、ちょっと何言ってるのか分からないかも」
呆れ顔で返しながらも、私の心臓は朝からずっと落ち着かない音を立てている。
春休みの間に確信したことがあった。
彼は、あまりにも猫の龍馬なのだ。
言葉を交わさなくても、彼が次に何をしたいのか、なぜ今嬉しそうなのかが、手に取るように分かってしまう。
彼もまた、私の好みの飲み物や、少し疲れた時の癖を、まるでずっとそばで見ていたかのように知っていた。
(いや、でも猫が人になるなんて、そんな非現実的なことないし……)
ぐるぐると回る思考を振り切るように、職員室の前で、先生に連れられていく彼と別れた。私は一人、小さく息を吐いて自分の教室へと向かった。
「いいかー、今日からうちのクラスに新しい仲間が加わる。坂本、入ってこい」
担任の先生の声に促されて教室に入ってきた龍馬に、クラス中がざわめく。
整った顔立ちと、どこか野性味を感じさせる堂々とした立ち振る舞い。けれど何より、彼が放つ圧倒的な『陽だまり』のようなオーラに、クラスの女子達の視線が釘付けになる。
龍馬は教壇に立つと、ひまわりが咲いたような笑顔を浮かべた。
「高知県から来た、坂本龍馬ぜよ!趣味は莉子ちゃんと日向ぼっこすること!よろしく頼むき!」
(……莉子ちゃんと日向ぼっこすること!?)
聞き捨てならないセリフに、ガバっと顔を上げた。
あまりにもストレートで、誤解を招きかねない自己紹介に、私は机に突っ伏したくなった。案の定、クラスメイト達の視線が「え、坂本さんと知り合いなの?」「莉子ちゃんとどういう関係?」と一斉に私に突き刺さる。
当の本人は、そんな教室の動揺などどこ吹く風という様子で、先生に指示された席へと歩き出す。
幸いにも、少女漫画でよくある『隣の席』というベタな展開にはならなかった。
クラスメイトからの痛いほどの視線を浴びながら、私はできるだけ背中を丸め、消しゴムのカスを見つめるフリをして小さくなってやり過ごそうとした。当の龍馬は、私の斜め後ろ、二列ほど離れた窓際の席へと向かっていく。
彼が席につく間際、私の真横を通り過ぎるその一瞬。
目が合うと、彼は私にだけ見えるように片目をいたずらっぽく細め、まるで見えない尻尾を嬉しそうに振るように、ふわふわの茶髪をくしゃりと揺らした。
「おい、莉子ー。どういうこと?」
休み時間になった瞬間、案の定、女子達がニヤニヤしながら私の席にドッと押し寄せてきた。
「いつの間にあんなイケメン捕まえたのさー」
「私達と同類と思ってたのに、抜け駆けずるい!」
「あ、いや……実家がカフェをやってて、そこに春休み中、彼が毎日お客さんとして来てて……」
「へえー!じゃあ本当に知り合いなんだ!」
「っていうか『莉子ちゃんと日向ぼっこ』って何? 完全に狙われてるじゃん!」
クラスメイトの執拗な追及に、私は顔が沸騰しそうなほど赤くなる。
「違うよ!彼はちょっと……その、独特というか、言葉のチョイスがファンタジーなだけで!」
必死に手を振って弁解する私を救い出したのは、当の本人だった。
「莉子ちゃんは人気者やき、友達も多いのぉ!」
「うわ、噂をすれば……!」
女子達が一斉に振り返る中、龍馬はいつの間にか私の席のすぐ後ろまで足音もなくやってきていた。彼は机の端にひょいと軽い身のこなしで腰掛けると、集まっていたみんなに向かって、人懐っこい笑顔を向ける。
「わしな、莉子ちゃんが大好きながじゃ。じゃき、みんなも莉子ちゃんと仲良くしてくれとるがを見たら、まっこと嬉しくなるぜよ!」
あまりにも真っ直ぐで、一点の曇りもない言葉。その純粋すぎる破壊力に、周りの女子たちは「お、おう……」「なんか、ごちそうさまです……」と、顔を赤らめながらじりじりと後退していった。
からかう隙すら与えないその純粋さは、まさに彼の最強の武器だった。
当の本人は、嵐が去った後のように静かになった私の机に身を乗り出して、声を潜めた。
「莉子ちゃん、怒っちゅう?」
「……いや、怒ってないです」
「敬語じゃぁぁぁぁ……!」
さっきまでの堂々とした笑顔はどこへやら、一瞬にして骨がなくなったかのように机に項垂れる龍馬。
「いや、怒ってないけど……」
あまりの落ち込みっぷりに、私は思わず元の口調に戻って苦笑いした。
「もう、本当に怒ってないってば。でもね、学校ではあんな目立つこと言っちゃダメだよ?勘違いされちゃうから」
私が声を和らげると、龍馬は机に突っ伏したまま、上目遣いでじっと私を見つめてきた。その瞳は、まるで機嫌を伺う猫そのものだ。
「勘違いって……わしは莉子ちゃんが好きやき、本当のことを言っただけながやけど……」
「だから!それが誤解を生むんだってば。ほら、起きて。みんな見てるから」
私が困り果てて、彼の肩をぽんと軽く小突くと、龍馬はふにゃんとした脱力感のある動きで、嬉しそうにゆっくりと体を起こした。
その日は目まぐるしく、そして驚くほど賑やかだった。
龍馬は、その圧倒的なコミュ力とどこか憎めないキャラで、あっという間にクラスの男子とも意気投合していた。昼休みになれば、彼を中心にしていつも誰かが笑っている。
(友達がたくさんできたみたいで、本当に良かった)
少し遠くからその輪を見つめながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
そして、放課後。
「莉子ちゃん、今日もお店、お手伝いするが?」
部活の勧誘をすべて断ったらしい龍馬が、私の席の横でカバンを肩に掛けて待っていた。
「うん、もちろん。お母さんも待ってるしね」
「おっしゃ、じゃあ今日もわしが莉子ちゃんのボディーガードぜよ!」
学校の門をくぐり、いつもの通学路を二人で並んで歩く。
ひらひらと舞い散る桜の花びらが、彼のふわふわとした茶髪に不時着する。それに気づいた彼は足を止め、少し首を傾げて私を見つめる。まるで「取って」とおねだりする時のように、じっと動かない。
私が手を伸ばしてそれを取ってあげると、龍馬は嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり、莉子ちゃんの近くは落ち着くねぇ」
「そう?普通の人だけどな、私」
「普通じゃないが。わしにとっては、世界で一番の……」
そこまで言って、龍馬くんは何か大切な、まだ明かしてはいけない秘密を飲み込むように言葉を止め、照れくさそうに顔を赤くしてはにかんだ。
お店に到着すると、ドアのベルがカランカランと涼しい音を立てた。
「あら、莉子お帰り。龍馬くんも、今日から学校お疲れ様!」
厨房から、エプロン姿のお母さんが満面の笑みで迎えてくれる。
「おばちゃん、ただいま戻ったぜよ!今日もお店、手伝わせてもらうきね!」
龍馬くんはすっかり我が家の一員のような顔をして、手慣れた動作で制服のブレザーを脱ぎ、自分の定位置に置いてあるエプロンを首にかけた。
彼がお店にいるだけで、常連さん達との会話も弾み、店内はいつも以上の活気に包まれる。
坂本龍馬を名乗る不思議な男の子は、宣言通り毎日お店にやってきた。最初は彼の規格外なテンションに驚いていたお母さんも、持ち前の人懐っこさにすっかり絆されたらしく、いつの間にか彼を『龍馬くん』と呼んで、余ったケーキをサービスしたり、世間話をしたりするのが当たり前になっていた。
そして今日。
私の前を歩くのは、四月から通うことになった私と同じ中学校の制服に身を包んだ、ふわふわした茶髪の背中だ。
「莉子ちゃん、見てみぃ!桜がまっこと綺麗ぜよ。高知の桜もえいがやけど、ここの桜は莉子ちゃんの匂いがするねぇ」
「桜から私の匂い……は、ちょっと何言ってるのか分からないかも」
呆れ顔で返しながらも、私の心臓は朝からずっと落ち着かない音を立てている。
春休みの間に確信したことがあった。
彼は、あまりにも猫の龍馬なのだ。
言葉を交わさなくても、彼が次に何をしたいのか、なぜ今嬉しそうなのかが、手に取るように分かってしまう。
彼もまた、私の好みの飲み物や、少し疲れた時の癖を、まるでずっとそばで見ていたかのように知っていた。
(いや、でも猫が人になるなんて、そんな非現実的なことないし……)
ぐるぐると回る思考を振り切るように、職員室の前で、先生に連れられていく彼と別れた。私は一人、小さく息を吐いて自分の教室へと向かった。
「いいかー、今日からうちのクラスに新しい仲間が加わる。坂本、入ってこい」
担任の先生の声に促されて教室に入ってきた龍馬に、クラス中がざわめく。
整った顔立ちと、どこか野性味を感じさせる堂々とした立ち振る舞い。けれど何より、彼が放つ圧倒的な『陽だまり』のようなオーラに、クラスの女子達の視線が釘付けになる。
龍馬は教壇に立つと、ひまわりが咲いたような笑顔を浮かべた。
「高知県から来た、坂本龍馬ぜよ!趣味は莉子ちゃんと日向ぼっこすること!よろしく頼むき!」
(……莉子ちゃんと日向ぼっこすること!?)
聞き捨てならないセリフに、ガバっと顔を上げた。
あまりにもストレートで、誤解を招きかねない自己紹介に、私は机に突っ伏したくなった。案の定、クラスメイト達の視線が「え、坂本さんと知り合いなの?」「莉子ちゃんとどういう関係?」と一斉に私に突き刺さる。
当の本人は、そんな教室の動揺などどこ吹く風という様子で、先生に指示された席へと歩き出す。
幸いにも、少女漫画でよくある『隣の席』というベタな展開にはならなかった。
クラスメイトからの痛いほどの視線を浴びながら、私はできるだけ背中を丸め、消しゴムのカスを見つめるフリをして小さくなってやり過ごそうとした。当の龍馬は、私の斜め後ろ、二列ほど離れた窓際の席へと向かっていく。
彼が席につく間際、私の真横を通り過ぎるその一瞬。
目が合うと、彼は私にだけ見えるように片目をいたずらっぽく細め、まるで見えない尻尾を嬉しそうに振るように、ふわふわの茶髪をくしゃりと揺らした。
「おい、莉子ー。どういうこと?」
休み時間になった瞬間、案の定、女子達がニヤニヤしながら私の席にドッと押し寄せてきた。
「いつの間にあんなイケメン捕まえたのさー」
「私達と同類と思ってたのに、抜け駆けずるい!」
「あ、いや……実家がカフェをやってて、そこに春休み中、彼が毎日お客さんとして来てて……」
「へえー!じゃあ本当に知り合いなんだ!」
「っていうか『莉子ちゃんと日向ぼっこ』って何? 完全に狙われてるじゃん!」
クラスメイトの執拗な追及に、私は顔が沸騰しそうなほど赤くなる。
「違うよ!彼はちょっと……その、独特というか、言葉のチョイスがファンタジーなだけで!」
必死に手を振って弁解する私を救い出したのは、当の本人だった。
「莉子ちゃんは人気者やき、友達も多いのぉ!」
「うわ、噂をすれば……!」
女子達が一斉に振り返る中、龍馬はいつの間にか私の席のすぐ後ろまで足音もなくやってきていた。彼は机の端にひょいと軽い身のこなしで腰掛けると、集まっていたみんなに向かって、人懐っこい笑顔を向ける。
「わしな、莉子ちゃんが大好きながじゃ。じゃき、みんなも莉子ちゃんと仲良くしてくれとるがを見たら、まっこと嬉しくなるぜよ!」
あまりにも真っ直ぐで、一点の曇りもない言葉。その純粋すぎる破壊力に、周りの女子たちは「お、おう……」「なんか、ごちそうさまです……」と、顔を赤らめながらじりじりと後退していった。
からかう隙すら与えないその純粋さは、まさに彼の最強の武器だった。
当の本人は、嵐が去った後のように静かになった私の机に身を乗り出して、声を潜めた。
「莉子ちゃん、怒っちゅう?」
「……いや、怒ってないです」
「敬語じゃぁぁぁぁ……!」
さっきまでの堂々とした笑顔はどこへやら、一瞬にして骨がなくなったかのように机に項垂れる龍馬。
「いや、怒ってないけど……」
あまりの落ち込みっぷりに、私は思わず元の口調に戻って苦笑いした。
「もう、本当に怒ってないってば。でもね、学校ではあんな目立つこと言っちゃダメだよ?勘違いされちゃうから」
私が声を和らげると、龍馬は机に突っ伏したまま、上目遣いでじっと私を見つめてきた。その瞳は、まるで機嫌を伺う猫そのものだ。
「勘違いって……わしは莉子ちゃんが好きやき、本当のことを言っただけながやけど……」
「だから!それが誤解を生むんだってば。ほら、起きて。みんな見てるから」
私が困り果てて、彼の肩をぽんと軽く小突くと、龍馬はふにゃんとした脱力感のある動きで、嬉しそうにゆっくりと体を起こした。
その日は目まぐるしく、そして驚くほど賑やかだった。
龍馬は、その圧倒的なコミュ力とどこか憎めないキャラで、あっという間にクラスの男子とも意気投合していた。昼休みになれば、彼を中心にしていつも誰かが笑っている。
(友達がたくさんできたみたいで、本当に良かった)
少し遠くからその輪を見つめながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
そして、放課後。
「莉子ちゃん、今日もお店、お手伝いするが?」
部活の勧誘をすべて断ったらしい龍馬が、私の席の横でカバンを肩に掛けて待っていた。
「うん、もちろん。お母さんも待ってるしね」
「おっしゃ、じゃあ今日もわしが莉子ちゃんのボディーガードぜよ!」
学校の門をくぐり、いつもの通学路を二人で並んで歩く。
ひらひらと舞い散る桜の花びらが、彼のふわふわとした茶髪に不時着する。それに気づいた彼は足を止め、少し首を傾げて私を見つめる。まるで「取って」とおねだりする時のように、じっと動かない。
私が手を伸ばしてそれを取ってあげると、龍馬は嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり、莉子ちゃんの近くは落ち着くねぇ」
「そう?普通の人だけどな、私」
「普通じゃないが。わしにとっては、世界で一番の……」
そこまで言って、龍馬くんは何か大切な、まだ明かしてはいけない秘密を飲み込むように言葉を止め、照れくさそうに顔を赤くしてはにかんだ。
お店に到着すると、ドアのベルがカランカランと涼しい音を立てた。
「あら、莉子お帰り。龍馬くんも、今日から学校お疲れ様!」
厨房から、エプロン姿のお母さんが満面の笑みで迎えてくれる。
「おばちゃん、ただいま戻ったぜよ!今日もお店、手伝わせてもらうきね!」
龍馬くんはすっかり我が家の一員のような顔をして、手慣れた動作で制服のブレザーを脱ぎ、自分の定位置に置いてあるエプロンを首にかけた。
彼がお店にいるだけで、常連さん達との会話も弾み、店内はいつも以上の活気に包まれる。