恋も料理もじっくり弱火で
「約束したもんね。うん、お目当てのマヨネーズもレタスも牛乳もバッチリ買えたし、少しだけなら寄っていこうか」
「やったぁ!」
パッと大輪の花が咲いたような笑顔を見せた柚葉は、弾むような小走りでショーケースの前へと向かった。
「わぁ……これ、すっごく美味しそう! あっ、このプレミアムクリームパン、今週の新商品だ! ええっ、あっちのメロンパンも今ちょうど焼きたてが追加されたみたいです……!」
ガラスの向こうに並ぶパン達を前に、目をキラキラと輝かせる姿は、まるで夢の国へやってきた子供のようだった。
そんな柚葉の後ろ姿を数歩引いた場所から眺めていた秋月は、愛おしそうな優しい笑みをその頬に浮かべる。
「そんなにパンが好きなの?」
「大好きです!」
やはり一瞬の澱みもない即答だった。
「ご飯もツヤツヤで美味しいですけど、パンのふわふわモチモチした食感も最高です!」
「じゃあさ、もし『一生どっちか片方しか食べちゃダメ』って言われたら、どっちを選ぶ?」
「ええっ!? そ、それは究極の選択すぎます……選べません! 絶対に両方食べます!」
世界平和でも議論しているかのような真剣そのものの表情で訴える柚葉に、秋月はついに堪えきれず「ははっ」と吹き出した。
「そこまで苦渋の決断なんだ?」
「だって、どっちも違った幸せがあるじゃないですか」
「……そうだね。確かにその通りだ」
技術や理屈、料理人としての視点ではなく、ただ純粋に「食べること」を全力で愛し、幸せを感じている。そんな柚葉らしい真っ直ぐな答えに、秋月の胸の奥にも心地いい温かさが広がっていく。
その時、柚葉の視線が一つのトレイの上でピタリと止まった。
「……」
「どうしたの?」
「これ……」
手書きのポップには『数量限定 特製塩バターロール』と書かれていた。
こんがりと綺麗な小麦色に焼き上げられた表面には、粗塩がパラパラと光っている。底からじゅわりとバターが染み出しているのが、見ただけで分かる極上の一品だった。
「すっごく、すっごく美味しそうです……」
ゴクリと喉を鳴らし、文字通り食い入るように見つめる柚葉。けれど、トングへ手を伸ばそうとはしなかった。
どれだけ食いしん坊でも、今は部活の公式な買い出しの途中。私用の買い物をして先輩や部員達を待たせるわけにはいかないと、彼女なりにちゃんと我慢しようとしているのが痛いほど伝わってくる。
健気に視線を逸らそうとする柚葉の横顔を見て、秋月は小さく息をつき、優しく目を細めた。
「柚葉ちゃん」
「はい?」
「今日は急なハプニングだったのに、嫌な顔一つせずによく手伝ってくれたからね」
そう言って、秋月はカチャリと小気味いい音を立ててシルバーのトングを手に取った。
「頑張った味見係さんには、一つくらい、特別なご褒美があってもいいんじゃないかな?」
思いがけない先輩の言葉に、柚葉はきょとんと丸い目をさらに丸くして、先輩の手元を見つめた。