恋も料理もじっくり弱火で
 分かっているのに。
 昼休みに味わったあの痛いほどの嫉妬の残火が、今度は甘い熱となって、胸の奥を激しく焦がした。

「……柚葉ちゃん」
「はい?」
「そういう言葉、あんまり簡単に人に言わない方がいい」
「え?  どうしてですか?」
「……勘違いする人がいるから。特に、男相手には」

 柚葉はきょとんとしたまま、小首を傾げる。

「勘違い……?  先輩を好きっていうのが、ですか?」
「……いや、もういい」

 これ以上この純粋無垢な爆弾発言を受け続けたら身が持たないと察したのか、秋月はそれ以上言葉を続けず、真っ赤になった顔を隠すようにして逃げるようにシンクへと向かった。

「……ほんと、あの二人見てると飽きないわ」

 二年生の女子部員がくすくすと笑いながら、拭き終わったボウルを棚に片付ける。
 シンクの前では、秋月が恐ろしいほどの集中力で、すでにピカピカになっているはずのステンレスの壁面をスポンジで磨き続けていた。流れる水の音が、彼のせわしない心電図のようにも聞こえる。

「先輩、そこもう綺麗ですよ?」

 トコトコと後ろから近づいてきた柚葉が、無邪気に秋月の手元を覗き込んだ。

「うわっ……!?」

 急に真横から声を掛けられ、秋月はビクッと肩を跳ね上がらせる。あまりの驚きように、柚葉はまたしてもきょとんとした。

「あ、すみません。驚かせるつもりじゃなかったんです。……まだ何処か汚れてましたか?」
「いや……違うんだ。ただ、ちょっと考え事をしていて」

 秋月は慌てて水道の蛇口を締め、濡れた手をペーパータオルで拭った。
 顔の赤みは少し引いたものの、柚葉と目を合わせようとしないのは相変わらずだ。

「考え事ですか?  もしかして、次の部活で作るメニューのこととか!」

 すぐさま料理の話題に結びつけるところが実に柚葉らしい。
 秋月は「……まあ、そんなところ」と曖昧に濁しながら、ようやく彼女へ視線を戻した。
 真っ直ぐで、曇りのない瞳。
 先ほど「大好き」と言い放った本人は、今や完全に次の美味しいもののことで頭がいっぱいのようだ。その様子を見て、秋月は小さく息を吐き出し、胸のあたりに残る甘痒い痛みをどうにか宥める。

「柚葉ちゃんは、次は何を作りたい?」
「えっ!  私が決めていいんですか!?」

 ぱっと顔を輝かせた柚葉は、人差し指を顎に当てて「うーん」と真剣に悩み始めた。

「今日のアジフライが最高だったから、次はやっぱりお肉系ですかね……。あ、でも、先輩が作るオムライスとかも食べてみたいです!  卵がふわとろのやつ!」
「オムライスか。いいよ、じゃあ次はそれにしよう」
「やったあ!  楽しみです!」

 嬉しそうに小さく飛び跳ねる柚葉の姿に、秋月の口元が自然と緩む。
 揶揄われていた方言のことも、昼間の嫉妬のことも、彼女のこの笑顔一つでどうでもよくなってしまうのだから、我ながらチョロいものだと自嘲する。

「よし、じゃあ今日の部活はここまで。皆、片付けが終わったら解散していいよ」

 秋月が調理室全体に声をかけると、部員達から「はーい!」と元気な返事が返ってきた。
 帰り支度を始める部員達の中、柚葉は自分のエプロンを丁寧に畳みながら、ふと思いついたように秋月に声を掛ける。

「あ、そうだ。秋月先輩」
「ん?」
「さっきの博多弁の『なーーんばしよっとね!』、私、すっごく気に入っちゃいました。だから今度、また私の手元が危なっかしかったら、遠慮なく博多弁で怒ってくださいね!」

 悪びれもせず、むしろ嬉しそうにそう提案する柚葉に、秋月は一瞬だけ呆気に取られた。
 そして、今度は顔を赤くする代わりに、意地悪く口角を上げる。

「……言われなくても、あんたがよそ見しとったら、何回でも怒るけんね」

 わざと少しだけ混ぜた本場のイントネーションに、柚葉は「わあ、本物だ!」と大喜びで拍手をする。
 完全に『お気に入りのフレーズ』として楽しんでいる後輩と、それを免罪符に少しだけ素の自分を出せるようになった先輩。
 カバンを肩に掛け、調理室の鍵を閉める秋月の背中は、心なしか放課後の夕日よりも温かく染まっているように見えた。








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