キスから始まる恋は甘くて苦い
 稽古前の、他に誰もいない男子更衣室へ入る。引退とはいえ、しばらくは部に顔を出すつもりでいる蒼一は誰よりも早く剣道場を訪れていた。
 パイプ椅子に腰を下ろし部室の隅でペン回しを始める。自宅のリビングに落ちていたこのシャーペンはおそらくほたるの物だろう。あれ以来、彼女の代わりに肌身離さず持ち歩いている。
 ほたるに会わないたった数日ですでに禁断症状が出そうだ。会わなければ変な気は起こさないけれど、ストレスで精神が不安定になる。

 俺って重い男だったんだな……

 試合にまで私情を持ち込むなんてらしくないと思っていた。でも、これが本来の自分なのかもしれない。今まで何事にも本気になったことがなかったのだ。

 だったら、何があっても手放しちゃいけないよな?

「蒼!」
「……?」

 出し抜けに瞳の声が響いて蒼一は我に返った。

「蒼! いる?」
「なんだよ……」

 面倒くさそうに立ち上がり、胸ポケットにシャーペンを差し込んで更衣室を出る。

「いるなら返事しなさいよ!」
「何事だよ?」

 瞳は蒼一を見つけると、怒りながら道場を横切って目の前まで走ってきた。

「これ、永瀬さんからだと思う」
「……ん?」

 差し出された紙袋を見て蒼一は首を傾げた。

「A組のゴミ箱に捨ててあったの」
「は? どういうことだよ?」
「いいから、受け取ったことを永瀬さんに知らせて。メールでもなんでもいいから、早く!」
「ちょっと待て。状況がわからねえんだけど」

 まくしたてる瞳を落ち着かせるように彼女の肩へ手を置く。
< 167 / 199 >

この作品をシェア

pagetop