同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
気まずさに指の腹でこめかみを弾いていると、日向が話しかけてきた。
「結城さんの手、安心感があるよね」
「え?」
その言葉に立ち止まる間もなく、続けて質問がやってきた。
「なにかスポーツやってるの?」
店員が料理を運んできた。テーブルの上に前菜が並び始める。
「こっちに来てからは特にしてないよ」
取り分けながら、そう答えるだけにとどめ、唇を閉じた。
「……」
――思春期まで体力を持て余していた。
たぶん体育教師の父に似てしまったせいだろう、……と、家族が口を揃えて嘆いていた。
中学では柔道を、高校の頃はボクシングジムに通った。そうでもしなければ“お嬢様学校”が性に合わず、横道に逸れてしまう予感が自分の中にもあった。
国語教師の母は常識を重んじる厳格な人だったから、思い通りにならない娘で申し訳なかったと今でも思う。ようやく落ち着いてきたと思ったら、大学は上京したいと言い出したりして……。
「日向君はスポーツ、なにかしてた?」
「――あ、俺のこと……」
日向は質問の続きに戻したい様子だったが、夏樹は、過去の自分から意識を遠ざけるように空気を変えた。
「雰囲気からすると、『なにもしてなかったよ』って答えが似合うんだけど。たぶん、してたでしょ?」
「してない方が、俺に似合うんだ……」
唇の中で日向がもごもご言っている。
「ねえ、ねえ、なにをしてたのよ。秘密じゃないんでしょ?」
「秘密じゃないよ、もちろん」
日向は慌てながら教えてくれた。
「中学の頃は柔道で、高校ではボクシング。部活じゃなくてジムだけど」
「!」
夏樹はぐんと顔を上げた。
……私と一緒だ。
「似合わないだろ」
「そんなことない。すごく――嬉しい」
「え」
「あっ」
夏樹は自分の口に手を当てた。
なぜ“嬉しい”なんて言ってしまったのか。
けれど日向が自分の前髪をくしゃ、っと握った。俯いた頬が赤くなっている。
それを見ていたら夏樹の頬も熱くなってきた。――これは酔いか。
夏樹はワイングラスを殻にして笑った。
「私に言わせれば、日向君はフォッサだね」
日向が選んだワインの飲み口が軽くていつもより酔いが早い気がした。そのせいか、なんだか軽口を叩きたくなってしまう。
「マダガスカルマングース科。猫みたいにしなやかな肉食獣なんだよ」
「……初めて言われた」
日向が目をパチパチと瞬かせている。
「希少種なのが日向君みたいでしょ」
「俺ってどんな風に見られてるの?」
「そうねえ、『掴みどころがない。優しいのか冷たいのか、明るいのか暗いのか、分からない』」
舞華の言葉を取り出した。
指を天井に向けてさらに続けた。
「あと『飲み会とかで近づく女にめっちゃ冷たい』し『市民にはめちゃめちゃ優しい』」
ついでに琴音の言葉も。
「それに『あの顔で、あの肩幅と腹筋のギャップ』」
「!」
日向の顔がぱあっと赤らんだ。
「……結城さん、酔ったね」
日向は手のひらをひたいに当てている。
「あははは」
夏樹はただ愉快で、笑った。
「別のワインにする?」
「いいね」
そこからもグラスを傾けながら、とりとめのない質問を重ねた。
好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、趣味、家族のこと、友達のこと。
話は何度も脱線して、その都度笑いが起こった。
「そういえば、タジーさんが言ってた“トラウマ”」
夏樹はいつの間にか遠慮をやめていた。
少し前まで、日向のプライベートに踏み込む気はなかったのに、今は心のままに質問を広げていた。
「よかったら話してよ」
「いやあ……」
日向が顔をしかめた。そのおどおどした感じが夏樹の何かを刺激した。
「『元カノ』の私には話してもいいんじゃない?」
「……なんだか俺たち、別れたカップルみたいになってない?」
「ほんとだ!」
自分で言って、自分でウケてしまった。
日向が肩の力を抜いた。表情が柔らかくなった。
「中学の頃、初めて彼女が出来たんだけど」
「うんうん」
「一緒に勉強しようって――毎回俺んちに来たがって」
「うんうん」
「そしたら俺じゃなくて、兄さん目当てだった――っていうオチ」
「それはなんというか……」
“日向少年”にそんな惨い思い出があったなんて。
夏樹は手に持っていたワインを思わずテーブルに戻した。その頭を、よしよし、と撫でてあげたくなる。――もちろん堪えた。
日向は焦ったように言った。
「ずっと引きずってきたわけじゃないから、誤解しないで――っていうか、結城さん、そんな涙目にならなくても……」
夏樹はさらに突っ込んで聞いた。
「でもそれが、日向君の『女嫌い』の原因になったわけでしょう?」
「えっ? 俺が女嫌い?」
「違うの?」
日向は片手を顔の前に立てて否定した。
「俺は普通に女の人が好きだよ」
夏樹はぽかんと口を開けた。
「……まさか、結城さんは、俺が女の人に興味ないと思ってたの?」
心外だと言わんばかりの日向が、くいっとワインを飲み干した。
「――じゃあ、好きな人いるの?」
自分で聞いておいて、なぜだか重苦しい気持ちになった。
ちら、と日向を窺う。
「ええと」
日向が指先で頬を掻いて、目が泳がせた。
……いるんだ。
その空気で確信した。
「どんな人?」
気になって聞いた。
日向が数秒黙った。
「……結城さんは、俺のことが知りたい、の?」
「そうよ。だめなの?」
「だめじゃない――けど、そうか……」
「なにニヤニヤしてるのよ。はぐらかすつもり?」
夏樹が軽く睨みつけるも、日向は口元をむずむずさせている。
「――ははっ」
たった二日『偽装彼女』を引き受けただけなのに、日向が教えてくれないと拗ねる自分が可笑しかった。