同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました



 夏樹は頷いた。
「日向君が前に約束してくれた『三つのお願い』のひとつ目ってことで」
 思いついて言った。
 元々使うつもりのなかった約束だったが、ちょうどよい。
「明日、土曜日だし。だめかな」
「そんなことないけど……本当にいいの、こんなことに使って」 
「うん。気になって仕方ないの」
 日向は心配そうに夏樹を見てからスマホを取り出した。 
「持ち主の佐々木さんに聞いてみるよ」
 


 *

 ――夜が更けた頃、
 日向と一緒に、工事が中断したままの古民家へ到着した。

「足元気をつけて」
「わかったわ」
 敷地内はブルーシートが敷かれ機材があちこちに置かれた状態になっていた。
 日向と頷き合い、ライトを照らしながら一か所ずつ確認した。音が聞こえたとされるあたりでは、より慎重に耳を澄ませ進んだ。
 ひと通り確認が済んで、夏樹は日向と“縁側”へ移動した。


「不可解ね」
「だろ」
 日向と肩を並べて座った。
「音はぜったいに鳴っている。だけど確定できなくて」
 聞いたところによると、近隣の住民――とくに子供たちが騒ぎ、『幽霊屋敷』と呼ばれ始めているらしい。

「怪奇現象だとしたら、結城さん、怖くない?」
「日向君は怖いの?」
「……ちょっとは」
 夏樹は日向を覗き込んだ。
 ……怖いのに何日もひとりで音の正体を探ったなんて、いい人すぎない? 

 夏樹は霊を信じていない。
 もし死後に肉体から霊体になれるなら、祖母が自分の前に現れないはずがないからだ。
 子供の頃、両親の代わりに夏樹を必死に育ててくれた。
 近所の子供たちを泣かせてばかりいたから、そのたびに祖母は謝らなければならなかった。
 死ぬまで、夏樹のことを心配していた。
 死んだからと言って放っておくはずがない――と信じている。

「幽霊だったら、宥めた方がいいのか、毅然とした方がいいのか、どっちだろう」
 真剣な面持ちの日向に、夏樹も真面目に答えた。
「意志疎通ができるなら、なぜ音を出してるのか聞かないとね。もしできなければ問答無用で除霊よね」
「除霊の方法は知ってるの?」
「分からないわ」
「はは……」
 日向が拍子抜けしたみたいに笑った。

「はあ。結城さんのおかげで緊張が緩んだ」
 日向が両手を後ろに付いて空を仰いだ。
「俺は、結城さんに甘えてばかりだな」
「光栄です」
 わざと恭しく言った。
「結城さんはすごいよな」
「どうしたのよ、急に」
 おだてたってなにも出ないけど、と冗談に変えようとしたが、日向は噛みしめるように続けた。
「困ってる誰かをほっとけないんだもんな。ほんとにすごいよ」
「……」
 急に褒められて、恥ずかしくなってしまった。
「――肉まん食べる? 冷めてると思うけど」
 来るときにコンビニで買ってきた。
 袋の中を覗き込みながら言った。
「はい」
 ひとつ渡してから、自分の分も取る。一緒にペットボトルのお茶も渡す。    
 もぐもぐ……と食べながら、夜空を見た。もうすぐ満月だった。
 そのせいか、視界は明るい。

「俺、結城さんのこと前から知ってたんだ」
 日向も夜空を見ていた。
「……あ、実習で?」
「それよりも前」
 夏樹は日向に視線を向けた。
「警察学校に入る前の準備期間、制服の採寸とか手続きとかで本署に来てて、通勤電車が結城さんとかぶってた」
「そうだったの? 知らなかった」
「満員電車で、痴漢に遭って動けなくなってた子の背後に移動してあげてたよね」
「……」
「駅のホームでうずくまっていた人に自販機で水買ってきて飲ませてた」  
「……」
「線路に落ちた人を助けた時は、さすがに肝が冷えたな」
「……」
 全部心当たりがあった。
「その人が実習先の本署で働いてるのを見た時はびっくりした」
 日向のアンニュイな目元が夏樹を深く見ている。
「……はは。声掛けてくれればよかったのに」 
 夏樹はペットボトルのキャップを開けながら声のトーンを上げた。
 なぜだか分からないが、目を合わせていられなくなった。
「俺は最初の交番勤務が始まって、時々本署に来る機会があっても結城さんは三階へ異動した後で」 
「私たち、すれ違ってたってことね」
「そう。――すれ違ったままだった」
 日向が食べ終えた肉まんの袋をくしゃと手の中で握った。
 
「結城さんを見てたら、俺もちゃんと生きたいと思って」
「……」 
 日向の声が夏樹の心の奥深くを震わせた。
 夏樹はもぞもぞした。
 自分の『一日一助』が、出会っていなかった頃の日向を変えたことが不思議だった。

「――私ね」
 夏樹は夜風に肌を晒しながら呟いた。
 庭のそこかしこから、秋の虫たちが鳴いている。
「子供の頃、とても乱暴だったの」

 
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