同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました


 二つの単語が引っかかり、夏樹は指を止めた。
 吸い寄せられるように、視線が背後に向かってしまう。

 フロアを行き来して挨拶回りを始めた実習生の中に、ひとりだけ女子がいた。肩の上で切り揃えられた黒髪が、頭を下げるたびにサラサラと揺れている。

「よろしくお願いします! 星川純(ほしかわじゅん)です!」
 会計課にもやってきて、元気よく頭を下げた。
 意志の強そうな目元は警察官らしいが、それとは裏腹にどこか守ってあげたくなるような、小動物っぽい雰囲気を纏っていた。誰かの話を聞くときに口をきゅっと窄め、顔を小さく振るのが癖のようだった。

 
「――あの子、可愛がられそうですね」 
 実習生たちが去ると琴音が耳打ちしてきた。
 同じくらいの年だからか、いびられないかと心配になったようだ。
 だがそんな心配を余所に、純は先輩警察官たちに臆せず話しかけていた。

「一応、法律や逮捕術は学んできてますから! 私、即戦力になれます!」
 純が両手をぶんぶんと振ると、ベテラン警察官たちが豪快な笑い声を上げた。
「なあにを言ってんだあ、このお嬢ちゃんは」
「危険な現場に突入させたら俺らの首が飛ぶっての」
「おまえは現場の空気感を学ぶだけ」
「そんなのつまらないじゃないですか!」
「つまる、つまらないの話じゃないんだよ」
 和気あいあいだった。
 その近くでは、日向が黙々と書類に向かっている。 

「あの子、あざといですね。“オジサン”たちの目尻が下がりっぱなしですよ」
 琴音が純に対しての評価を少し下げた。
 夏樹はちら、と純を眺めてから言った。
「……まあ、そのくらいのメンタルの方が警察官向きかもね」
 男社会の中でうまく立ち回れるなら、その方が生きやすい。
 ――そう思いつつも、夏樹の心はどことなく沈んでいた。
 
 
 **

 「――日向先輩! おつかれさまです!」
 純のハキハキとした明るい声がフロアに響いた。
 夏樹は思わず出入り口に顔を向けた。
 パトカーの清掃を終えた日向が戻ってきたところだった。
 先輩警察官たちはだいぶ前にフロアに戻っていた。
「あ、うん。おつかれさま」
 その労いに答える日向の声が優しく聞こえる。 
「さっき先輩たちが話してくれたんですけど、職質で空き巣犯を捕まえたって。すごいですよね」
 純の驚きには純粋さが滲み出ている。
「そうだね。みなさん『職質のプロ』だから」
「日向先輩だってそうじゃないんですか?」
「俺はまだ研修中だし、経験も知識もないから」
「それって謙遜では?」
「いや……」
 日向は困っているように見えた。  
 夏樹はハラハラした。
 そんな会話を地域課の叩き上げベテラン警察官たちに聞かれたら、必ず日向に火の粉が飛んでしまうのに。
『階級だけバカ高いお坊ちゃんだもんな』
『おいキャリア様、現場知らんくせに出来るふりかあ』
 そんな言葉を日向が投げつけられるたびに、夏樹の胸は痛んだ。

「あの、日向君、ちょっといいかな」
 たまらずに割って入った。
 純が夏樹に向かってぺこっとお辞儀をした。天真爛漫な笑顔が無防備に向かってくる。
 ……うわあ、可愛い、負けてる。

「……」
 ん?
 夏樹は自分の心が吐き出した嘆きに、気を取られた。
 ……なに、負けてるって。
 
「結城さん?」
 日向に覗き込まれた。
「――あ、えっと、忙しそうだね」
 慌てて取り繕った。
「そうだね。でも遣り甲斐はあるよ」
「そっか、じゃあ、よかった」 
「ただ最近、昼夜逆転しちゃって……」
 日向は困った顔で笑った。

「……」 
「……」
 会話が続かない。
 日向は夏樹の次の言葉を待っている。
 ……ああ、どうしよう。
 なんで用事あるふりしちゃったんだろう。

「日向、報告書はできたのか?」
「あ、今――」
 背後からの声に日向の足が動く。「結城さん、ごめんね。よかったらメールで」

「!」
 夏樹は目を瞬かせた。
 ……あ、メールか。
 メール、してもいいんだ。

「うん。わかったわ。メールする」
 自分のデスクへ戻るわずかな動線で、頬が緩むのを感じた。指の腹でそっと押さえた。
 
 
 結局日向は、夏樹が退勤するまで戻ってこなかった。
 帰宅ラッシュや下校時間に合わせた巡回に出ているのだ。
 
 ……会えなかったんだから、メールしてもいいのよね。
 
「……ん?」 
 何度も自分に理由を与えていることに、夏樹は不自然さを感じた。けれどその正体にはまだ行き着かなかった。

  
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