同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
結局、日向にメールを送ることはできなかった。
何度も文字を打ち込んだ。
だがどれも、疲れている日向のプライベートな時間に送るほど、意味のあるものに思えなかった。
*
フロアに日向の姿があった。
日向は引き継ぎに追われていて、今日も忙しそうだった。
「日向、おまえ、今日はひとりで星川連れて巡回行ってこい」
指示を出す先輩警察官の声が聞こえてきた。
「ですが、私だけじゃ……」
「星川がキャリア様のおまえを尊敬してるようだから、しっかり活躍して見本みせてやれや」
「……」
日向と純以外の警察官は皆、ニヤニヤしていた。
日向の目が、純の指導員を探している。
夏樹も無意識に探した。
夏樹は奥歯を噛んだ。
こんな雑な丸投げは、嫌がらせに違いない。
実務を知らない研修生に実習生を押し付けるなんて、どうかしてる。
「――わかりました。星川さん、行こうか」
日向が黙って従った。従うしかないのだ。
「はい! よろしくお願いします」
事態を分かっていない様子の純は元気に敬礼し、スキップでもしそうな足取りで日向についていった。
そうしてふたりが外へと出て行くと、指導員の巡査部長が戻ってきた。
「星川はどこいった?」
「日向と先に出て、車で待ってるそうです」
「ったく勝手に……」
巡査部長は呆れてふたりを追いかけて行った。その後ろでは仕掛けた張本人たちが声を出さずに肩を揺らして笑っている。
質の悪い悪ふざけだったようだ。
……まったく、もう。
釈然としないまでも、夏樹は胸を撫で下ろした。
**
翌日の午前中、日向が先輩たちと一緒に署へ戻ってきた。
けれど再び出掛ける雰囲気だった。
「……」
夏樹は書類を手に立ち上がった。
わずかな時間だろうが、元気かどうか、近くで日向の顔色を確認したかった。
フロアを横切らず通路から近づいた。
その奥の廊下の先からドアの開閉音が聞こえた。
仮眠室がある方だ。
直後に足音が立った。
誰かが勢いをつけて走ってくる音に、夏樹は無意識に足を緩めた。
走ってきたのは純だった。
当番勤務が終わり非番のはずだが、仮眠室で眠っていたらしい。
「……はは」
日向が、自分のところへ走ってきた純を振り返った瞬間、声を出して笑った。
「鏡見た?」
「えっ、なんですかっ?」
純は慌てて自分の口元を拭った。
「いや、そっちじゃなくて――これ」
日向が笑いながら、純のひたいから飛び跳ねた前髪に触れた。
――!
夏樹の足がぴたっと止まった。
純の髪に触れている日向の指から、目が離せない。
近い距離で日向を見上げている純からも。
「なんだ星川、まだいたのか」
担当指導員も純に気づいて、――と同時に、垂直に伸びたような前髪に腹を抱えて笑い出した。
「どんな寝方したらそんな風になるんだよ」
「あっはっはっは」
地域課以外の警察官たちも集まってきて笑っている。
「なっ! そんなに笑わなくたっていいじゃないですかっ」
純は怒っていたが、その様子は愛らしくて、好感しかなかった。
……負けてる、私、
あんな風に可愛い仕草、できない。
「……」
……なに、この感情……。
「――先輩、行きましょ」
ふいに、肩に琴音の手が乗った。
琴音は目を伏せていた。
夏樹は浅い呼吸とともに、ようやく足を動かした。
来た道を戻る。
どうして琴音が夏樹を迎えに来てくれたのか聞く気力は湧いてこなかった。ただ、ありがたかった。通路でひとり立ち尽くしているなんて、意味不明だ。
「この書類、私が持っていきますね」
席に座る直前、琴音が夏樹の手から書類をそっと抜き取った。
……。
てきぱきと処理を進める後輩の背中を見つめながら、――夏樹は、この胸に芽生えた小さな痛みに翻弄されていた。