同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
6.日向の『彼女』
――「結城、本部の監査課に今届けてきてくれ」
係長の指示に、夏樹は椅子から立ち上がった。
「わかりました」
デスクの上に頑丈な鍵付きのバッグが置いてあった。
片手で掴んだ。
……重っ、
こんな重い書類バッグ、今まで持たされたことあったっけ……。
「……」
だが、夏樹は黙ってバッグを持ち直した。
「いってきます」
混雑する電車に揺られながら、流れる街の景色をぼんやりと見る。
その間にも頭の中に溢れてくるのは日向と過ごした時間だった。
……今思えば、『偽装恋愛』楽しかったな。
――ハア、
勝手に大きな吐息が出てしまった。
周囲の人がちら、と夏樹を見た。
慌てて髪を触ってごまかした。
車内に次の駅名がアナウンスされた。
スピードが落ちていく。
夏樹はゆっくり腰を上げた。再び持ち上げた書類バッグが手のひらにずっしりと食い込んだ。
ホームへ片足を下ろした時、背後から肩を押された。直後、書類バッグが強く引かれた。――ひったくり?
夏樹はもう片方の手で、その手を押さえた。手袋の隙間から細い古傷が見えた。だが後ろから降りてきた乗客に遮られ、逃がしてしまった。
……妙ね。
狙われたのが、肩に掛けている自分のバッグではないことに違和感があった。財布もスマホもそちらに入っている。
人波に目を凝らし、夏樹は書類バッグを抱え直した。
本部から署へ戻ると、すぐに日向の姿が目に入った――いや、日向に引き寄せられた。
「書き直し!」
日向は会計課の課長代理に掴まっていた。
すぐ横にあるミーティングテーブルへ戻り、書類と格闘している。
「ただいま戻りました」
上司に報告する夏樹の声に、日向がぱっと顔を上げた。
弱った笑顔が向かってきた。
夏樹はすぐに課長代理と日向のところへ向かった。
「どうしましたか? 引き継ぎましょうか?」
「いや、俺がやる」
「えっと……」
夏樹は日向をちらっと見た。
課長代理が腕を組んで、鼻息を荒くして言った。
「パトロール中にうっかり無線機を落としたんだと。部品を壊したんだぞ」
「……始末書ですか」
普段から威厳を保ちたい人なのだ。
……なぜ課長代理に書類を持っていったのよ、日向君。
夏樹は頭をフル回転させた。
どうやったらこの書類を引き継げるだろうかと。
「――課長代理、備品損壊の会計伝票もセットで本部へ出しますよね」
「ん? ああ、そうだな」
「形式が少し特殊なので、経緯だけ日向さんにメモしてもらって、正式なフォーマットは私が作りましょうか?」
課長代理は「む……」と眉をひそめたが、書類作成に慣れていない警察官は元々煩わしいことが得意ではない。
「……じゃあ日向、事実関係だけ箇条書きで書いて、結城に渡せ」
「はいっ」
日向はほっとしかけた顔を慌てて消し、神妙な表情を保った。
「これからは十分気をつけろ」
「申し訳ありませんでした」
課長代理が「……まったく」と言いながら離れていくのを見届けてから、日向が『助かった』という顔で、拝むように手を合わせてきた。
夏樹も小さく笑って、小声を向けた。
「無線機、どの程度壊れたの?」
「トイレに落としたみたいで」
……ん?
夏樹は首を斜めに落とした。……みたいって。
「実習生の星川さんが、トイレで……」
「!」
夏樹の心臓がいびつに音を立てた。
「もしかして、星川さんのミスを日向君がかばってあげたの?」
……自分だって、現場の書類なんて教わってないはずなのに。
「……どうして」
「ん? なに?」
書類に戻っていた日向が、夏樹の呟きに顔を上げた。
!
夏樹は、「なんでもないけど?」と取り繕った。
日向が、にこ、と笑った。
!
……何よ、急にそんな笑顔を向けたりして!
夏樹の心は沈んだり跳ねたりした。
「そうだ。今こんなこと言うべきじゃないって分かってるんだけど……」
「え?」
日向が耳の横に手を当てた。
夏樹は上半身を傾けた。
「非番の日、夜に会えない?」
「!」
……日向君に誘われた?!
夏樹は無意識に胸元に手を当てた。心臓の音が漏れそうで。
「相談したいことがあって」
「……相談?」
オウム返しに言って、――あ、相談。
そうだった、……そういう関係性だった、と納得した。
「わかったよ」
夏樹は少し不格好に頷いた。
「やった」
日向が小さく叫んだ。人の気も知らず、無邪気な笑顔だった。