同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました



 「……」
 署内へ戻ると、日向は黙々と書類を書いていた。
 何度か視線を向けたが、一度も顔を上げる気配はなかった。

 ……難しい書類でも書いてるのかな。
 気にはなるものの、頼られていない以上、こちらから動くわけにもいかなかった。


「あ。先輩戻ってきた。交通課の桐(きり)さんが来てたんですよ」
 席に戻ると琴音が口を尖らせていた。
「いつもは先輩がいないと書類持って帰っちゃうんですけど、今日は超急ぎだったみたいで」
「そうだったんだ」
 散漫な意識のまま答えた。
「私で“仕方ないか”みたいな空気。ほんと、失礼しちゃう」
「そんなに気難しい人じゃないはずなんだけど……」
 警察官にもいろいろなタイプがいる。経験でその扱い方を覚えていくしかない。
「大丈夫よ、あと一年もすれば嫌でも分かってくるから」
 ――と会話をしながらも、視線はつい日向に流れる。
「……」
 今日に限って、まったく目が合わなかった。  


 *

「雨やんでよかったあ。神様ありがとう」
 退社時間になり、琴音が両手を組んで祈るように言った。
「どこかへ行くの?」
 夏樹が聞くと「デートです!」と元気な声が返ってきた。
「あら。琴音ちゃん、いつのまに彼が出来たのよ」
 絶賛恋人募集中だったはずだが……と思っていると、琴音は鼻先を擦りながら言った。
「先輩、私はね、チャンスは逃さない女なんです」
「え?」
「それが“地味子”の特技です」
「琴音ちゃんのどこが地味子なのかなあ」
 首を捻ってしまう。
 可愛らしさに溢れているのに。
「だからね、先輩」
 琴音がぴと、と夏樹に体を寄せてきた。
「“待ってるだけじゃダメ”ですよ」
「……」
「お疲れさまでした!」
 琴音は言うだけ言って、軽い足取りで更衣室へ消えていった。
 その背中を見送りながら――琴音が置いていった言葉を唇の中で反芻した。 
 
 日向がいる方向へ視線を向けた。
 けれどいつの間にか日向の姿がなかった。
 え……、
 夏樹はフロア内に視線を這わせた。
 日向はどこにもいなかった。

 しばらくデスク周辺を片付けながら待ってみたが、結局戻ってこなかった。
 いつまでも残っているわけにもいかず、気落ちしながらロッカールームへ向かった。
 ちょうど身支度を整えたフルメイクの琴音が飛び出してくるところだった。
「先輩! おつかれさまでした。また明日!」
 元気に手を振って走って行く。
 その楽しそうな姿に背中を押されるように――夏樹は踵を返した。
 このまま帰れない、と思った。
 今日中に日向と話がしたかった。

 再びフロアへ戻り、意を決して日向の席へ向かった。
 だがデスクの上は整理され、椅子は奥に収まっていた。
 それで分かった。たまたま席を外したわけではなく、もう署を出たのだと。

「……」
 夏樹は呆然とした。
 偽装彼女の役目が終わってから、日向との関係は同僚に戻った。
 それでもフロア内では何度も目が合い、どちらかが退社するときは会釈で見送った――昨日までは。

 ……やっぱり光琉と話しているところを見られたんじゃ。
 
 そうとしか思えなかった。
 ……誤解を解かなきゃ。

 居ても立っても居られなくなった。

 ……やっぱり、メールよね。

 夏樹はスマホを開いた。
 日向とのやりとりをスクロールする。
 二回目の偽装彼女を引き受けてから、メールは毎日した。お互いに、カレシカノジョの役が自然になるようにと。
 だが日向の両親に会った日を境に徐々に減り、今は以前の状態に戻っていた。要するに、用事がなければメールをしない関係に。

 ……今日の“これ”は、用事にはいるのかな。


 悩みながら帰宅した。
 バッグを置くなり、スマホを手にした。ソファを背にカーペットへ座り込む。
 
 ……よし。
 気合を入れて文字を打ち込んだ。

 ――日向君、今日のことなんだけど。光琉が

 ……。
 夏樹は慌てて消した。名前を出すよりは『元カレが』の方がいい気がした。――そんな風に書いては消し、消しては書き直し、なんとか“誤解”である、という意味の文章が完成した。
 
 夏樹は肩の力を抜いた。
 仕事で文章を作る方がよっぽど楽だ、と思った。

 そうしていざメールを送信しようと指を置きかけて、頭の奥で誰かがブレーキを踏んだ気がした。
「……」
 夏樹は眉間を押さえた。
 たぶんシワが寄っている。日向が教えてくれてから意識が向くようになっていた。
 
 ……ということは、私は今、なにが嫌なんだろう。
 このネガティブの正体はなんだろう。

 そうして夏樹は、重大なことに行き着いた。

 ……待って。
 日向君が、光琉のことを気にしているって証拠はあるの?

 夏樹は慎重に過去を辿った。
 日向は、夏樹が光琉と別れたことは知っている。出勤時に舞華と話している時、偶然一緒にいたからだ。
 ――だが今まで日向が、“光琉のこと”を口に出した記憶がなかった。
 
 そもそも、日向は夏樹の恋愛に興味がないのではないか。
 誰と付き合っていたとか、別れたとか、彼にとってはどうでもいいことなんじゃ……。 


 はは……。
 夏樹は自虐的に笑っていた。

 ……日向君が光琉(元カレ)のことを気にしていてほしいって、それ、私の願望じゃないの。
 
 
 その現実に行き着いて、夏樹は時間をかけて打ち込んだ文章を消去した。


 
 ピコン、とスマホがメールを受信した。
 ぼんやりしていた夏樹は、その音に驚き、テーブルの上に伏せていたスマホを掴んだ。

 ……え?

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