同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
送信者の名前は『ユリ』。
――日向の母親だった。
!
夏樹は慌てて開いた。
そこには挨拶とともに、『今度の日曜日、ランチしましょ!』とあった。
……うそ、
夏樹は片手で口元を押さえた。
想定外のことに、体も心も固まってしまう。
だが日向の母にとって自分は『息子の彼女』である――と信じさせた。連絡先も交換し合ったし、誘われるのは不自然ではない――のかもしれない……。
どのくらいスマホを手にあれこれと考えていただろうか。
夏樹はおもむろに顔を上げた。
……これ、日向君にメールする『用事』だよね。
それに気づいて片手で口元を覆った。
用件とともに、日向の様子を知るチャンスでもあった。
夏樹は息を詰めて、スマホに文字を打ち込んだ。
短すぎず、長すぎず、砕け過ぎず……丁寧になり過ぎないよう考えながら、“ちょうどいい”文章を作る。作ったら、不自然じゃないかを何度も読み返した。
震える指で『送信』を押した。
既読になるまで、手の中のスマホを何度も確認した。
そして既読になってからは、返信が来るまでスマホを伏せることができなかった。
その時間がやけに長く感じた。
ピコン、の受信音に夏樹は反射的にメールを開いた。
食い入るように文面を読んだ。
――母さんからそんな誘いが……。結城さんの気が乗らないなら俺からうまく断っておくよ
「……」
夏樹は穴が開くほど、画面を見つめた。
行間に込められた“なにか”を求めて。
ただ、どんなに読もうとも、そこから日向の気持ちを推し量れなかった。
はあ――、
夏樹は両手でひたいを支えた。
膝の中で溜息をつく。
頭の中がうまくまとまらない。
時間だけがじりじりと過ぎていく。
……このままじゃダメだ。
夏樹は気持ちを立て直し、再び指を動かした。
――日向君が嫌じゃなければ、会ってこようかと思うけど
これでどうだ。
夏樹は挑むような気持ちで送信した。
返信はすぐに来た。
――もちろん俺は嫌じゃないよ。結城さんが面倒なんじゃないかと思っただけで
……あ。日向君、嫌じゃないんだ。
その言葉だけで、夏樹は頬を緩めた。
すかさず返す。
――私は大丈夫! ただ、また日向君の彼女のふりするようになるけど、いいの?
ドキドキしながら送信した。
喉が渇き、冷蔵庫へ缶ビールを取りに行った。
戻ってくるとメールが入っていた。
夏樹はすぐにスマホを握りしめた。
――もちろんだよ。俺の彼女は結城さんしかいないから
!
夏樹の心臓が、きゅ、っと掴まれたようになった。
……なんていう無自覚。
『彼女の役は』と書けばいいのに、『俺の彼女は』だなんて……。
はあ、
夏樹は心臓のあたりを押さえたまま、ソファに倒れ込んだ。
頬が熱かった。
……よかった、
普通の会話ができる。
夏樹は素早く身を起こし、指を動かした。
――それじゃ、会ってくるね。なにか注意することあるかな?
敢えて質問調にした。
せっかく始まった日向とのやりとりを少しでも長引かせるために。
――なにもないよ。普段の結城さんのままでいいよ
――そうなの?
……ああ、私、ずるい。
自覚しつつも、日向が返信してくれるのを待つ。
そこから少し他愛ないやりとりが続いた。また普段の空気が戻ってきた。
夏樹は思い切って聞いた。
――そういえば今日、書類大丈夫だった?
この質問の後には、自分が“車庫脇の事務室”へ向かっていたこと、雨が降っていたこと、そして日向が巡回から戻ってきた時間と偶然重なったんじゃないかと思った――というところまで進めたかった。
会話のどこかで日向の気持ちを知ることが出来ればと望んだ。
だが、日向からの返信は「うん。なんとかなったよ」だった。
……。
――会話は終わってしまった。
じりじりしながら少し待った。
日向の返信に続きはなかった。
夏樹は仕方なく、じゃあまた明日ね、と締めくくった。
――うん。また明日ね。おやすみ
夏樹は、両手の中のスマホを気落ちしたまま見つめた。
やりとりが終わってしまったことが残念だった。
その気持ちを引きずりつつも、百合子に返信した。
『私でよければ、ぜひ! 楽しみにしています』と。
百合子の返信を待つ間、夏樹はもう一度スクロールで戻って、日向とのやりとりを読み返した。
少なくとも、メールの文面からは今までとの違いを見つけられなかった。
安堵する一方で――
……あの状況で、光琉と話していたところを……見られてないはずないよね。
その事実に立ち止まる。
日向が光琉のことについて一言も触れなかったことに、心が沈むのを感じた。