同期のエリート警察官に、偽装彼女を頼まれました
日曜日がやってきた。
車の運転が趣味だという百合子が、夏樹のアパートまで迎えに来てくれることになった。
夏樹はうしろでひとつに結んだ髪をそっと整えた。
服装もかなり悩んだ。アンサンブルにクロップドパンツ、足元はローヒールのパンプス。
……カレシ(偽装)のお母さんとお出掛けなんて、人生で初めて。
プレッシャーは感じるものの、それ以上に楽しみだった。
目の前に高級外車が滑り込んできた。
運転席の百合子が手を振っている。
夏樹は緊張しながら頭を下げた。
「こんなところまで来ていただいて、ありがとうございました。道は迷われませんでしたか?」
「全然! でも迷うのも楽しいのよ」
助手席に乗り込んだ瞬間から会話は途切れなかった。
百合子は第一印象のままだった。元女優のオーラは眩しいほどだったが、気さくで明るく、雑談や質問で話題はどんどん広がっていった。
車を走らせて三十分ほどで、百合子が予約してくれたフランス料理店へ着いた。
駐車場から店まで並んで歩く間、百合子が店の特徴を教えてくれた。
「地元ブランドの野菜を使った、こだわりのコースが人気なのよ」
「楽しみです」
店に入ると、オーナーらしい男性が百合子の元へ足早に近づいてきた。
頬を上気させている。
百合子に気づいた客たちもそわそわし始めた。
引退したとはいえ、一般人とはまったく違う華やかな雰囲気を纏っている。注目を浴びるのは当然のことだった。本人もそれに慣れていて、意に介していない様子だった。
……日向君は子供の頃から、こういう視線の中にいたのね。
間接的にその生い立ちに触れたことで、少しだけ日向の内側に入れた気持ちになった。
個室へ入ると百合子にグラスワインを勧められた。
夏樹は丁重に断った。
「私のことは気にしなくていいのよ。もともとお酒は飲めないから」
百合子はからからと笑った。
夏樹は驚いた。
「じゃあ、お酒に酔ったシーンは想像で演じてたのですか」
「えっ。夏樹ちゃん、まさか私が出たドラマか映画を観たの?」
「あっ」
思わず指先で口元を押さえた。
……あまり印象は良くないよね、探ってるみたいで……。
焦っていると、百合子は「嬉しいわあ。若い頃は私も可愛かったからあ」と茶目っ気たっぷりに笑って、空気を変えてくれた。
「今でも……失礼かもしれませんが、とても可愛らしいです」
夏樹は本心から言った。
「失礼なもんですか。ありがとう」
百合子はちょっと照れたように、目を細めた。
料理が運ばれてきた。
綺麗な色のソーダ、彩り豊かな季節の野菜とテリーヌ、澄んだコンソメスープ。
その都度感想を言い合って口に運ぶ。
……楽しいな。
百合子の言動は親しみに溢れている。まるで“家族”に混ぜてもらっているような切ない高揚感があった。
……この時間、終わらせたくないな……。
叶わないことを考えて、小さく左右に首を振った。
今だけを噛みしめようと思い直した。
――「あのっ」
夏樹は切り出した。
「百合子さん、とお呼びしても大丈夫ですか?」
呼びかけたい場面が何度かあったのだが、なかなかタイミングを掴めずにいた。
「もちろん! そのうち『お義母さん』になるだろうけどね」
「……」
名前呼びを許可されたことは嬉しかったが、続く言葉にどう返すべきか詰まってしまう。
百合子がちら、と夏樹を窺う気配があった。
「夏樹ちゃん、宗一郎とはつきあってるだけで、結婚はしてくれない……わけじゃないわよね?」
「!」
絶句した夏樹に、百合子は心配そうに体を少し揺らした。
「あ、責めてるわけじゃないから誤解しないでね。女性にとって結婚って一大イベントだし、慎重に見定めることも必要だから」
「い、いえ、けしてそういうわけでは……宗一郎さんの気持ちも大切だと思って……」
夏樹はしどろもどろに言った。
百合子が口元に指を立てて首を傾けた。
「あの子の気持ち? だって、あなたを家に連れてきたのよ」
「えっと……」
夏樹は指先でぽりぽりと頬を掻いた。
それは、沙良の告げ口からの流れで仕方がなかったことだ。
「あらっ。もしかして私と卓ちゃんが『彼女ができたなら連れてきなさい!』と宗一郎に迫ったと思った?」
「……違うのですか?」
百合子は可笑しそうに声を立てて笑った。
「あの子が勝手に『今度連れてくる』って言ったのよ。それで私と卓ちゃんは、おやおやおや? ってなったんだから!」
……ん?
夏樹は記憶を整理した。
日向からはそんな風に聞いていなかった――はずだが……解釈違いだろうか……。
……でも、
胸の奥が騒いだ。
「問題は、沙良ちゃんなのよねえ」
「……」
百合子の嘆きに、意識を会話に戻した。
「宗一郎から聞いているでしょう?」
「はい……」
夏樹は小さく頷いた。
「私たちもね、『どうせ宗一郎は誰とも結婚できないだろうから、沙良ちゃんが好いてくれてるなら、それもいいわね』って言ってしまったことがあってね」
百合子は頬に手を当てて溜息を落とした。
「そのうち沙良ちゃんにも好きな人ができるだろうって思ってたの。まさかずっと宗一郎とはねえ……」
「……」
夏樹は目を伏せた。
……聞いてはいたけど、公認の仲だったんだ。
沙良の、あの涙の理由が分かった気がした。
「ま、宗一郎がなんとかするでしょ」
百合子はあっけらかんと言った。
ドアがノックされ、メインの肉料理が運ばれてきた。
豪華な一皿を前に、百合子がスマホを出した。
「卓ちゃんに自慢しよっと――あ、夏樹ちゃんも宗一郎に送ったら?」
「あっ、は、はい」
成り行きで夏樹もスマホを取り出した。
「送った?」
送信してスマホをしまった百合子が聞いてきた。
「――あ、まだ……」
……ええいっ、
夏樹は勢いで、日向に写真を送った。