シークレット―世界は守れますが、恋の仕方はわかりません―
「じゃあ」

 直充が言う。

「これから何て呼べばいいですか」

「え?」

「先生じゃないなら」

「…………」

 梨来は少し考えた。

「梨来でいいよ」

「呼び捨てですか」

「うん」

「年上ですよね」

「そうだねぇ」

「事務員ですよね」

「うん」

「それはちょっと」

「そう?」

 直充が少し考える。

 それから、ごく普通に。

「梨来さん」

「…………」

 胸の奥が、小さく跳ねた。

「これでいいですか」

「…………」

「梨来さん?」

 二回目。

 今度は、さっきよりはっきりと胸が鳴った。

「うん」

 梨来は笑う。

「それがいい」

「分かりました」

 直充は何でもないことのように頷いた。

 けれど梨来にとっては、何でもないことではなかった。

 希美にも、大我にも、ほかの学生にも呼ばれている名前。

 聞き慣れているはずなのに、直充の声で聞くと少し違って聞こえた。

 さっきまで。

 もう「先生」と呼ばれないことを、少しだけ寂しいと思ったのに。

 今は。

 これから直充が自分を「梨来さん」と呼ぶのだと思うと、それ以上に嬉しかった。

「梨来さん」

「んー?」

「書類」

「あ」

 忘れていた。

「ごめんね」

「お願いします」

「はい。預かります」

 梨来が書類を受け取る。

 指は、触れなかった。

「…………」

 その瞬間、ふと一昨日のことを思い出した。

 ファイルを受け取ろうとして、直充の指が自分の指先にほんの少し触れたこと。

 あのときは、どうしてあんなに気になったんだろうと思った。

 そして今は。

 どうして触れなかっただけで、そのことを思い出したんだろう。

「…………」

 梨来は自分でも分からないまま、そっと書類へ視線を落とした。

「梨来さん」

「んー?」

「今日、変じゃないですか」

「えっ」

「さっきから」

「変じゃないよ?」

「そうですか?」

「うん」

「ならいいですけど」

 直充はそれ以上聞かなかった。

 梨来は、ほっとする。

 その一方で。

 ほんの少しだけ、もう一度名前を呼ばれたかった。
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