シークレット―世界は守れますが、恋の仕方はわかりません―
 その日の夕方。

 仕事を終えた梨来は事務室を出た。

 廊下を歩き。

 階段を下り。

 建物の外へ出る。

 いつもと同じ道。

 なのに今日は。

 黒髪と眼鏡を、無意識に探していた。

「…………」

 いない。

 そう思った、そのとき。

「梨来さん」

 背後から聞き覚えのある声がした。

 梨来はすぐに振り返る。

「直充くん」

 そこにいた。

 黒髪。

 眼鏡。

 肩から鞄をかけた、いつもの姿。

 直充が少しだけ眉を上げる。

「嬉しそうですね」

「うん」

「何かあったんですか」

 梨来は直充を見る。

「直充くんに会えたから」

「…………」

 直充が黙った。

 ほんの少しだけ、視線が逸れる。

「……それ、普通に言うんですね」

「だって、本当にそう思ったから」

「…………」

「何?」

「いや」

 直充が眼鏡の位置を直す。

「……梨来さんらしいなと思って」

「私らしい?」

「思ったこと、そのまま言うので」

「直充くんには、そうかもね」

「…………」

 また黙った。

 梨来はその横顔を見て、少し笑う。

「何ですか」

「今のは何も言ってないよ」

「笑ってるでしょう」

「ちょっとね」

「何でですか」

「直充くん見てたら面白くて」

「俺、何もしてませんけど」

「うん。知ってる」

「余計分からないです」

 少し前なら。

 こんなやり取りはしなかった。

 直充も。

 梨来も。

「帰るんですか」

「うん」

「駅?」

「そう」

 直充は少しだけ間を置いた。

「じゃあ、一緒に帰りますか」

「…………」

 昨日は。

 たまたま帰る方向が同じだった。

 でも今日は。

 直充のほうから誘ってくれた。

 梨来は一拍遅れて歩き出す。

「うん。一緒に帰ろう」

「はい」

 二人で歩く。

 直充の歩幅は大きい。

 けれど少しすると。

 何も言わず、梨来と同じ速さになる。

 昨日もそうだった。

 梨来はそれに気づいている。

 今日は何も言わなかった。

「直充くん」

「はい」

「今日ね」

「はい」

「希美ちゃんと恋バナしたの」

 直充の足が、ほんの少しだけ乱れた。

「……そうですか」

「うん」

「それ、俺に言うんですか」

「直充くんには言ってもいいかなと思って」

「…………」

「何?」

「いや」

「気になる?」

「……言われたら気になるでしょう」

「そっか」

 梨来は前を見る。

「会いたい人に会いたいって思うのは、普通だって話」

「そうですか」

「うん」

 夕方のキャンパスを歩く。

 帰っていく学生。

 笑い声。

 並んで歩く二人組。

「それで気づいたんだけど」

「何にですか」

「私、今日」

 一度だけ。

 直充を見る。

「直充くんに会いたいと思ってた」

「…………」

 直充が黙る。

 梨来はその沈黙を急かさなかった。

 少しして。

「……俺も」

「ん?」

「昨日、また帰ればいいって言ったでしょう」

「うん」

「だから」

 そこで言葉が止まる。

「今日会ったら、一緒に帰ろうとは思ってました」

「…………」

「そっか」

 梨来は笑った。

「じゃあ、会えてよかった」

「……そうですね」

 それ以上。

 梨来は何も言わなかった。

 昨日と同じ道を。

 二人で歩く。

 昨日は。

 帰り道がたまたま一緒だった。

 今日は。

 梨来は直充を探していた。

 直充は。

 会ったら一緒に帰ろうと思っていた。

 偶然だったものに。

 ほんの少しだけ。

 二人の意思が混ざった。
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