四浦のあまやどり〜雨のち晴れ、ときどき青い奇跡〜

7つの年の差

それから、蒼は「あまなぎ」に毎日のように来るようになった。

雨の日だけ開く喫茶店。

だから、毎日雨が降るわけではない。

けれど、雨が降れば――蒼は来た。

「こんにちは、夕凪さん」

「いらっしゃい、蒼くん」

いつもの挨拶。

いつもの席。

そして、いつものように勉強道具を広げる。

「今日は何にする?」

「ココアと、サンドイッチお願いします」

「はい」

蒼は受験勉強をする。

夕凪は、そんな蒼をそっと見守る。

ときどき、蒼が参考書から顔を上げて夕凪を見る。

目が合うと、少し照れたように笑う。

そのたびに夕凪も笑い返す。

そんな日々が続いていた。

ある日には、陸と空も一緒にやって来た。

「お、蒼。またいるじゃん」

「毎日来てない?」

陸と空が笑う。

蒼は少しだけ顔を赤くした。

「……別にいいだろ」

「いいけどさ」

空が夕凪を見る。

それから蒼を見る。

「蒼って、夕凪さんのこと好きだよな」

「えっ」

蒼の顔が一気に赤くなる。

「お前、分かりやすすぎ」

陸も笑う。

「俺も気づいてた」

「……二人とも、うるさい」

「だって毎回、夕凪さんのこと目で追ってるじゃん」

「……」

蒼は何も言えなかった。

図星だった。

夕凪は厨房にいたため、三人の会話を全部聞いていたわけではない。

けれど、蒼が自分を気にしていることは、なんとなく分かっていた。

その日の帰り。

陸と空と別れたあと、蒼は一人で家へ帰った。

玄関を開ける。

「ただいま」

「おかえり、蒼」

母親が台所から顔を出した。

「今日も「あまなぎ」行ってきたの?」

「うん」

「最近よく行くね」

「……うん」

母親は、蒼の様子を見て少し笑った。

何か言いたそうだ。

「蒼」

「なに?」

「好きな人、できた?」

蒼の動きが止まった。

「……なんで?」

「分かるわよ。毎日楽しそうだもの」

蒼はしばらく黙っていた。

そして、意を決したように椅子へ座った。

「……いる」

母親も向かいに座る。

「そっか」

「本気で好きなんだ」

蒼の声は、いつもより真剣だった。

「その人はね……二十五歳」

母親は少し驚いた。

「二十五歳?」

「うん」

「蒼は十八歳だから……七歳差ね」

「うん」

蒼は俯いた。

「だから、変かなって思ってる」

「どうして?」

「だって、七歳も違うし……」

「その人は、蒼のことをどう思ってるの?」

「まだ分からない」

蒼は正直に答えた。

「でも、僕は本気」

その言葉には迷いがなかった。

「今すぐ付き合ってほしいとか、そういうことじゃない」

「うん」

「受験もちゃんと頑張る」

「うん」

「でも、好きっていう気持ちは、嘘じゃない」

母親はしばらく蒼を見つめていた。

そして、優しく笑った。

「じゃあ、大切にしなさい」

「……え?」

「その気持ち」

蒼は驚いた顔をする。

「お母さん、反対しないの?」

「反対する理由がないもの」

「でも、七歳差だよ?」

「七歳差だからって、好きになる気持ちまで否定する必要はないでしょう」

母親はそう言って、蒼の頭を軽く撫でた。

「ただし、相手の気持ちも大切にするのよ」

「うん」

「焦らないこと」

「うん」

「今は高校三年生なんだから、まずは受験」

「分かってる」

「それでも、その人を大切に思う気持ちは持っていていいと思う」

蒼は、少し目を潤ませた。

「……ありがとう」

「本当に好きなんでしょう?」

「うん。本気」

「じゃあ、ちゃんと自分の未来も大切にしなさい」

「未来?」

「その人といつかちゃんと向き合いたいなら、今の自分ができることを頑張るの」

蒼は静かに頷いた。

「うん」

「そして、いつか自分に自信が持てたときに、もう一度その気持ちを伝えたらいい」

「……分かった」

母親は笑った。

「お母さんは、蒼の味方よ」

「……ありがとう」

その夜。

蒼は自分の部屋へ戻った。

机の上には参考書。

そして、ペンケースの横には、以前「あまなぎ」で夕凪からもらった飴玉が一つ残っていた。

蒼はそれを手に取った。

包み紙を眺めながら、少し笑う。

「……頑張らないとな」

飴玉を口に入れる。

甘い味が広がった。

夕凪がくれた、小さな甘さ。

それを力に変えるように、蒼は参考書を開いた。

翌日。

雨が降った。

「あまなぎ」の扉が開く。

カラン、カラン。

「いらっしゃいませ」

夕凪が顔を上げる。

そこには蒼がいた。

「こんにちは、夕凪さん」

「こんにちは。今日も勉強?」

「はい」

蒼はいつもの席に座った。

そして、参考書を開く前に夕凪を見た。

「夕凪さん」

「ん?」

「僕、受験頑張ります」

突然の言葉に、夕凪は少し驚いた。

「うん。頑張ってね」

「はい」

蒼は笑った。

その笑顔は、昨日までより少しだけ強くなっていた。

窓の外では、雨が静かに降っている。

四浦の海も、雨に包まれていた。

まだ何も始まっていない。

けれど、蒼の中には確かに始まったものがある。

十八歳の少年が抱いた、

七つ年上の女性への片想い。

それは、焦って答えを求めるものではない。

今はただ、

自分の未来をしっかり歩くこと。

そしていつか――

胸を張って、

「本気でした」

そう伝えられる自分になること。

雨の「あまなぎ」で、

蒼は今日も参考書を開いた。

その隣には、

小さな飴玉の甘さと、

母親からもらった、

「自分の気持ちを大切にしていい」という背中押しがあった。
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