『飛鳥の皇子は、私の“残業”を許さない』
2.十人の容疑者
「ちょっと、依! 大丈夫なの!?」
十人を集めるため、私が一度執務室を出て渡り廊下を進むと、物陰から同じ采女の仲間である、あぐりと、とよが血相を変えて飛び出してきた。現代で言えば、オフィスの給湯室での噂話タイムである。
「聞いたわよ、法隆寺の木簡が消えたんですって? よりによって厩戸皇子の案件でやらかすなんて、生きた心地がしないわね……」
あぐりが自分の胸元を押さえながら、同情の目を向けてくる。
「本当よ。あの皇子、お顔は神様みたいに綺麗だけど、中身は冷酷無比の鬼ですもの。前に予算の計算を間違えた役人が、一時間もお説教されて泣きながら帰っていくのを見たわ」
とよが声を潜めて身震いした。
「本当にね。結論から話せ、とか、非効率だ、とか、口を開けばそんなことばっかり。現代のロジハラ上司そのものよ」
「げんだい? ろじはら?」
二人がきょとんとする。
「あ、ううん、こっちの話。それより、紛失した時間帯に部屋にいた十人って、どんな人たちだった?」
私が尋ねると、情報通のあぐりが待ってましたとばかりに指を折った。
「それがね、かなり曲者揃いよ。予算を統括しているベテランの物部系の官吏でしょ、それから実際に木材を切り出したっていう偏屈な大工の親方。あとは、最近入ってきたばかりの若い役人たち数人と、雑用係の奴婢が数人。みんな、皇子の前に出されるって聞いて、生きた心地がしてないわ」
「物部系の中堅官吏、か……」
私はあぐりの言葉を頭の中でメモ帳に書き留めた。
蘇我氏と物部氏の内戦から数年。宮廷は今、蘇我派と皇族主導の「実力主義・効率主義」へシフトしている。昔ながらのやり方に固執するベテラン勢の中には、激務化する宮廷のシステムについていけず、不満を募らせている者も多いと聞く。
「とにかく気をつけてね、依。もし皇子の機嫌を損ねたら、地方の不毛な土地に島流しにされるかもしれないんだから!」
「分かっているわ。ありがとう、二人とも」
二人に励まされ(あるいは余計に脅され)ながら、私は十人の男たちを伴って、再び厩戸皇子の執務室へと戻った。
広々とした土間の執務室に、十人の男たちが縮こまって並んでいる。
誰もが皇子の威光と、これから始まるであろう尋問への恐怖で、青い顔をして床を見つめていた。
「一人ずつ話していては日が暮れる。そんな非効率な真似、僕の時間がもったいない」
厩戸皇子は冷ややかに言い放つと、すっと畳から立ち上がった。
「全員、同時に『自分が一刻前、この部屋で何をして、何を見たか』を述べよ。一言句、僕の耳から漏らすな」
十人の男たちが、一斉に顔を見合わせた。
現代において「聖徳太子が十人の話を同時に聞き分けた」という超人伝説として語り継がれる奇跡の現場が、今まさに、私の目の前で始まろうとしていた。
「ちょっと、依! 大丈夫なの!?」
十人を集めるため、私が一度執務室を出て渡り廊下を進むと、物陰から同じ采女の仲間である、あぐりと、とよが血相を変えて飛び出してきた。現代で言えば、オフィスの給湯室での噂話タイムである。
「聞いたわよ、法隆寺の木簡が消えたんですって? よりによって厩戸皇子の案件でやらかすなんて、生きた心地がしないわね……」
あぐりが自分の胸元を押さえながら、同情の目を向けてくる。
「本当よ。あの皇子、お顔は神様みたいに綺麗だけど、中身は冷酷無比の鬼ですもの。前に予算の計算を間違えた役人が、一時間もお説教されて泣きながら帰っていくのを見たわ」
とよが声を潜めて身震いした。
「本当にね。結論から話せ、とか、非効率だ、とか、口を開けばそんなことばっかり。現代のロジハラ上司そのものよ」
「げんだい? ろじはら?」
二人がきょとんとする。
「あ、ううん、こっちの話。それより、紛失した時間帯に部屋にいた十人って、どんな人たちだった?」
私が尋ねると、情報通のあぐりが待ってましたとばかりに指を折った。
「それがね、かなり曲者揃いよ。予算を統括しているベテランの物部系の官吏でしょ、それから実際に木材を切り出したっていう偏屈な大工の親方。あとは、最近入ってきたばかりの若い役人たち数人と、雑用係の奴婢が数人。みんな、皇子の前に出されるって聞いて、生きた心地がしてないわ」
「物部系の中堅官吏、か……」
私はあぐりの言葉を頭の中でメモ帳に書き留めた。
蘇我氏と物部氏の内戦から数年。宮廷は今、蘇我派と皇族主導の「実力主義・効率主義」へシフトしている。昔ながらのやり方に固執するベテラン勢の中には、激務化する宮廷のシステムについていけず、不満を募らせている者も多いと聞く。
「とにかく気をつけてね、依。もし皇子の機嫌を損ねたら、地方の不毛な土地に島流しにされるかもしれないんだから!」
「分かっているわ。ありがとう、二人とも」
二人に励まされ(あるいは余計に脅され)ながら、私は十人の男たちを伴って、再び厩戸皇子の執務室へと戻った。
広々とした土間の執務室に、十人の男たちが縮こまって並んでいる。
誰もが皇子の威光と、これから始まるであろう尋問への恐怖で、青い顔をして床を見つめていた。
「一人ずつ話していては日が暮れる。そんな非効率な真似、僕の時間がもったいない」
厩戸皇子は冷ややかに言い放つと、すっと畳から立ち上がった。
「全員、同時に『自分が一刻前、この部屋で何をして、何を見たか』を述べよ。一言句、僕の耳から漏らすな」
十人の男たちが、一斉に顔を見合わせた。
現代において「聖徳太子が十人の話を同時に聞き分けた」という超人伝説として語り継がれる奇跡の現場が、今まさに、私の目の前で始まろうとしていた。