『飛鳥の皇子は、私の“残業”を許さない』
「「「あの、私はただ木材の寸法を数えておりまして、けっして怪しい動きは――!」」」
「「「書類の束は確かにそこに置いておきました! 私は触れておりません!」」」
「「「皇子、お慈悲を! 我が家には老いた母が――!」」」
部屋中に、十人分の怒号、弁明、命乞いが、凄まじい不協和音となって爆発した。
聖徳太子の伝説をリアルタイムで体験している高揚感など、一瞬で吹き飛ぶ。ただの地獄のコールセンターだ。常人なら頭が痛くなるだけの雑音、あるいは音の暴力でしかない。
しかし、厩戸皇子の耳――「豊聡耳」は違った。
彼はじっと目を閉じ、集中するように耳の後ろの髪に触れている。彼の超聴覚は、十人の声を瞬時に周波数ごとに分解し、それぞれの呼吸の乱れ、声帯の微細な震え、隠された動揺を、完全に聞き分けていた。
「……静まろう」
皇子が短く右手を挙げると、部屋は打って変わって、水を打ったように静まり返った。
皇子はゆっくりと目を開け、冷徹な笑みを浮かべて十人の顔を見渡す。
「なるほど。十人のうち、三人が嘘をついている、あるいは重大な隠し事をしているな」
男たちのうち、数人があからさまに肩を跳ね上がらせた。
だが、ここで皇子は不機嫌そうに眉間を揉んだ。
「……チッ。耳障りな嘘だ。だが、人間の『泥臭い動機』や『具体的なトリック』をいちいち組み立てるのは、僕の脳のメモリの無駄遣いだ。凡人の思考回路は、あまりに回りくどくて理解できん」
天才ゆえの弊害だった。彼は「嘘があること」は瞬時に看求できても、他人の「感情」を汲み取ったり、パズルを解くように論理を組み立てる泥臭い作業が苦手なのだ。要するに、仕様書は完璧に読めても、現場の人間関係の調整ができないタイプである。
皇子は畳の上に腰を下ろすと、私を指差した。
「依、あとはお前に丸投げする。僕はこれから別の稟議書を読まねばならん。定時までにこのバグを片付けろ」
「えっ、完全に丸投げですか!? っていうか今、私の口癖の『定時』って言いました?」
「お前がいつもブツブツ言っている呪文だろう。早くしろ、お前の能力を見せてみろ」
完全に仕事を振られた。前世でもこうして、無能な上司やワンマン社長の思いつきに振り回されてきたのだ。
私ははぁ、と本日何度目か分からない大きいため息をつき、麻の袖をさらに深くまくり上げた。
こうなったら、前世のPM(プロジェクトマネージャー)としてのプライドを見せるしかない。トラブルシューティングと原因究明は、私の本業だ。
「皆さん、ご協力をお願いします。今から状況を『見える化』しますね」
私は執務室の隅にあった、作戦会議用の「砂盤」を中央に引き寄せた。
そして、尖った木の棒を持ち、現代のロジカルシンキングに基づいた「関係図」と「タイムライン(進捗表)」を、砂の上にガリガリと描き始めた。
「さあ、皇子が『嘘をついている』と指摘した三人の方。……あなたと、あなた、そして、あなたですね。一人ずつ『嘘のデバッグ』を始めましょうか」