『飛鳥の皇子は、私の“残業”を許さない』
先ほどあぐりから噂を聞いた、予算管理の責任者である物部系の中堅官吏の男だ。
男は他の二人がシロだと判明しても焦る様子を見せず、ニタニタと卑屈な笑みを浮かべたまま、私を見下ろしていた。
「橘の依殿、私とてこの宮廷に長く仕える身。木簡を盗むような愚かなリスクは冒しませんよ。現に、私の懐も、荷物も、先ほど他の采女たちに徹底的に調べさせましたが、何も出てこなかったでしょう? 私はこの部屋から、何も持ち出していない」
確かに、彼の身体検査は終わっており、紛失した【三十五枚目の木簡】はどこからも見つかっていない。
「そうですね。あなたは木簡を『盗んで』はいない」
私はフッと口角を上げた。前世で、何度もデータの数値を誤魔化そうとした下請け業者の言い訳を聞いてきた私には、彼のハッタリが透けて見えていた。
「ですが、『消した』のではないですか?」
「な、何をバカなことを。木簡が消えたと言っているのはそっちだろう」
私は砂盤の上に、当時の木簡のイラストを大きく描いた。
「皆さん、忘れていませんか? 私たちの職場の書類である『木簡』は、紙と違って、小刀で表面を薄く削れば、文字を綺麗に消して、何度でも再利用できるという特性を」
中堅官吏の男の顔から、一瞬にして血の気が引いた。