あの雨の日から、ふたりは

 待ち合わせは、写真展の会場に近い大きな駅だった。

 約束の10分前。

 美織は改札を出て、柱の近くを見回した。

 そして、すぐに見つけた。

 ――いた。

 湊は少し離れた場所でスマートフォンを見ていた。

 仕事の日と同じ人なのに、背景が違うだけで印象が変わる。

 ネクタイはない。

 肩の力が抜けた薄手のシャツ。

 パンツも、仕事の日より柔らかい生地に見える。

 それでも、背の高さと肩幅、長い脚のバランスは隠れない。
むしろシンプルな私服のほうが、体格の良さがそのまま
品良く出ている。

 髪も少しセットがやわらかく見えた。

 リムレス眼鏡は同じなのに、仕事の時よりずっと軽い。

 美織は数歩手前で、真帆の言葉を思い出した。

 ――目の保養、休日に進出。

 その意味を、妙に実感する。

 ――なんだあれ、ま、眩しい……。

 心の中でそう思って、自分でも少し可笑しくなった。

 会社という背景がないぶん、街の中で余計に目立つ。

 もし知らない人としてすれ違っていたら、一度くらい
いや、2度見てしまったと思う。

 でも今は、その人がこちらを知っている。

 美織が近づく気配に気づき、湊が顔を上げた。


「あ」

 その瞬間。

 湊の目が、明らかに少し大きくなった。

「おはようございます」

「おはようございます」

 美織はいつも通り挨拶をした。

 湊は返しながら、もう一度美織を見る。

 仕事の日とは違う髪。

 やわらかい色。

 身体の線を拾いすぎない、揺れるワンピース。

 小さめのバッグ。

 そして、仕事中より少しだけ素に近い目元。

 ――わー。

 湊の中に、何の準備もなく感想が落ちてきた。

 いい。

 すごくいい。

 何がどういいのか、まだ言葉にはできない。

 綺麗なのは前から知っている。

 でも、今朝の美織は会社で見る「大庭さん」と少し違う。

 きちんとしていることは変わらないのに、全体がやわらかい。

 湊はその違いを、思っていた以上に新鮮に感じた。

「……なんです?」

 美織が不思議そうに聞く。

「あ、いや」

「今、ちゃんと見ましたよね」

「見ました」

 素直に認めたので、美織のほうが少し困る。

「仕事の時と、雰囲気違いますね」

「変ですか?」

「全然」

 湊は一度だけえーと、と言葉を探した。

「……すごく、いいです」

「…………」

 美織は返事を一拍失った。

 さらっと言う。この人。

 本人は褒め方を工夫したわけでも、わざわざ反応を
見ようとしたわけでもない。

 たぶん、本当にそう思っただけだ。

 そのまっすぐさに、美織は少しだけ視線を逸らした。


「朝倉さんも、全然違いますね」

「そうですか?」

「はい」

「変です?」

 美織はさっき自分が聞いたのと同じ質問をされて、少し笑った。

「……いいです」

 湊が一瞬止まる。

 今度は美織のほうが先に笑った。

「お返し」

「ああーやられた」

 湊も笑う。穏やかな空気になる。

 それだけで、待ち合わせの最初にあった少しの緊張と
ぎこちなさが空気にほどけた。


   *


 写真展の会場は、駅から歩いて20分ほどのギャラリーだった。

 入口には、大きな猫の写真が何枚も並んでいる。

 窓辺で眠る三毛猫。

 真っ白な長毛猫。

 段ボールから顔だけ出した黒猫。

 それを見た瞬間、美織の歩く速度が少し上がった。

「お、足が速くなりましたね」

 隣から湊が言う。

「気のせいです」

「いいえ、気のせいじゃないです」

「猫がいるので」

「いますね。写真ですけど」

「猫は猫です」

 美織が真顔で言う。

 湊はそれもそうだ、と笑った。

 仕事中なら、こういう会話をする美織を湊自身まだ
ほとんど知らなかったと知る。
真面目な顔をして、好きなものに一直線。
普段はキリっとして、隙がない人の印象がある。
最近は砕けてきたのはもちろんある。

 これもまた、今日はじめて見る部分だった。


   *


 展示は思っていたより広かった。

 街角で暮らす猫。

 家猫。

 保護猫。

 子猫。

 老猫。

 一枚ごとに短い説明が添えられ、撮影された場所や、
その猫の背景が書かれている。

 美織は足を止める時間が長かった。

 可愛いだけではなく、写真の構図や光の入り方も見ている。
季節を考える。文章をじっくり読んでいる。

 湊は最初、その横で同じ写真を見ていた。

 けれど、少しすると二人は別々の作品へ散るようになった。

 美織が一枚を長く見る。

 湊がその先の写真へ進む。

 しばらくすると、

「朝倉さん、これ」

 と美織が呼ぶ。

 どれどれ何ですか、と湊が戻る。

「この顔見て」

 写真の中で、猫がものすごく不満そうな顔をしている。

 湊が吹き出した。

「小虎さんも、たまにこういう顔します」

「するんだ」

「僕が話しかけすぎた時」

「やっぱり話しかけすぎなんですよ」

「でも聞いてほしいじゃないですか」

「猫に?」

「猫に」

 湊は実に真面目だった。

 美織は口元を隠してあははと笑う。

「朝倉さん、ほんと面白いですね」

「ほんと?」

「はい。最初、もっと隙がない人だと思ってた」

「そんなふうに見えてたんですか」

「見た目が」

「また見た目」

「しょうがないでしょ。目立つんだから」

 美織はそう言って、また写真へ向き直る。

 湊は一瞬だけ笑って、その横顔を見る。

 言葉遣いも笑い方も少しずつ砕けてきている。

 仕事の日なら見えにくかった表情も増えている。

 湊は、その変化を面白いと思った。

 自分の前でそうなっているという意識まではない。

 ただ、知らなかった美織が増えるのが楽しかった。


 
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