外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました

彼は沙絵に気付き、様子を窺っているようだ。

(助かった!)
沙絵は目線で蒼真に合図を送った。こちらに来て欲しいという気持ちを込めて。

察しがいい彼はきっと沙絵の意図に気付くだろう。近づいて来て佐枝に挨拶するはずだ。その流れで自然に佐枝との会話が終わり離れられると思った。

ところが蒼真は目を逸らし、くるりと背を向けて立ち去ってしまった。

(え……無視された?)

あまりに冷ややかな蒼真の態度に唖然とした。

(社交の場では、婚約者として気を遣ってくれるんじゃなかったの?)

先ほどまでは、隣を離れずフォローしてくれていた。

しかも今は困った状況だと分かったはず。それなのに見捨てられた。

(取り繕うのも嫌なくらい機嫌が悪いってこと? なんて気分屋なのよ……)

沙絵はますます失望して、一度も振り向かずに遠ざかっていく、他人のように感じる背中を見つめた。

その後、長々続く佐枝の話からなんとか解放されて宴会場に戻った。

既に席に着いていた蒼真は沙絵をちらりと見ると「楽しかったか?」と嫌味っぽく笑う。

沙絵は気分を損ねて口角を下げた。

(絶対わざと言ってる!)

あのとき、沙絵がうんざりしていたのを気づいていたのだ。それなのにフォローをしてくれないだけでなく、嫌みを言ってくるとは。

(気難しくて意地悪なんて、質が悪すぎる)

今も沙絵が不満を感じているのに気付いているのに、寧ろ楽しそうだ。

なんてひねくれた人なのだろうと、沙絵の中で元々低かった蒼真の評価は更に低下した。

沙絵は落胆の中で、決心をした。

(もう彼を当てにするのはやめよう)

沙絵は改めて仮面夫婦だという事実を、胸に刻み込んだ。

 
婚約披露パーティーが無事終わった。

招待客たちが会場を出て行く中、沙絵は座ったままキョロキョロと周囲に視線を巡らせていた。

仕事の電話が入ったと席を外した蒼真が、まだ戻ってきていないのだ。

しばらく待っていたが一向に戻ってこない。先に帰宅するわけにもいかず、沙絵は彼を探すために宴会場を出た。

エントランスに向かう広い廊下には、まだ残っている招待客がいくつかのグループをつくり談笑している。

沙絵は蒼真を見つけようと、ゆっくり歩きがなら彼の姿を探した。

そのとき、誰かが沙絵に勢いよくぶつかってきた。

「あっ!」

肩に強い痛みを感じて、沙絵は思わず顔をしかめた。
直後、不穏な声が響き立る。

「いてっ! なんだよ!」

悲鳴を上げたのは、大柄な男性だった。

年齢は五十代半ばくらい。くすんだグレーのスーツ姿がだが着崩れている。

この場にいるということは婚約式に出席していた招待客なのだろうが、見覚えはなかった。

男はまるで敵を見るような目で沙絵を睨んでいる。

あからさまな敵意を向けられて、沙絵は狼狽した。

(ただ、ぶつかっただけでどうしてここまで怒るの? そもそも彼の方から突っ込んできたのに)

けれど男は少しも悪びれた様子はない。お互いさまの状況なのに、沙絵が悪いと思い込んでいるようだ。

嫌な予感が胸を過る。彼は多分、杏華と同じような人の話を聞かないタイプの人間だ。一度思い込んだら何を言っても聞き入れてくれない。

厄介なことになるかもしれない。その勘は的中した。

男が沙絵を威嚇するようにその巨体で迫ってきたのだ。ぶつけたであろう右の肘をつき出し喚き出す。

「お前のせいで腕が動かなくなった! どうしてくれるんだ?」

沙絵は無意識に眉間にしわを寄せた。

こんなに体格のよい男が、沙絵と衝突したくらいで怪我をするはずがない。彼が怪我をしたのだとしたら、沙絵だって重傷を負っている。

そもそも衝突したのは、彼がこんな場所で走っていたからだ。

それなのに、こんなふうに一方的に責められるのは納得がいかない。

けれど男からは強い酒の臭いが漂っている。酔っ払い相手に冷静な話し合いなどできそうにない。

不本意だがお祝いの席の帰りに揉め事を起こしたくない。沙絵は妥協して頭を下げた。

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