外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました
「不注意でぶつかってしまい申し訳ありません」
苛立ちを胸の奥に押し込め、謝って早々にこの場を収めようとした。
ところが男は引く気がないようで、ますます沙絵との距離を詰めてきた。
「謝って済むなら警察なんていらないだろ? こっちは怪我してるんだ」
男はシャツの袖を捲り上げた。太い腕に包帯が巻かれているのを見て、沙絵は目を見開いた。
(元々怪我をしていたの? )
同じところをぶつけて悪化してしまったたのだろうか。
(大げさに騒いでる訳じゃないのかもしれない)
沙絵は男に対する印象を改めた。
「これじゃあ当分仕事ができないな。どう責任を取ってくれるんだ?」
「まずは病院に行きましょう。車を呼びます」
怪我が自分のせいだとは思えないが、相手が怪我をしてしまった以上、放置はできない。しかし男はますます苛立ち声を荒げた。
「病院? 俺は怪我の保証について聞いてるんだよ!」
耳が痛くなるような大声に、周囲の人々の視線が集中する。そんな中、男は怒りをぶつけるように沙絵に向かって手を振り上げた。
(……え?)
沙絵の思考は真っ白になって停止した。
突然の暴力に体が固まってしまって避けることなどできない。
沙絵は目を閉じて、やってくるだろう痛みを覚悟して目を閉じた。そのとき。
「うわっ!」
男の情けない悲鳴が響き渡った。驚き顔を上げた瞬間、沙絵は驚愕に目を見開いた。
いつの間にかやって来た蒼真が、沙絵を殴ろうとしていた男の手を、軽々と捻り上げていたのだ。
男は押さえつけるの手から逃れようと暴れているが、蒼真には力及ばないようだ。
「は、離せ!」
「離してほしいなら暴れるな。こんなところで他人に八つ当たりをして情けないとは思わないのか?」
叫ぶ男に蒼真が軽蔑を感じる声音で返す。
(八つ当たり? どういうことなの?)
沙絵は戸惑いを覚えたが、男は激高して声を高くした。
「お前に何が分かるんだ!」
蒼真は目を細めた。元々冷え切った視線に軽蔑が浮かぶ。
「お宅の会社、資金がショートして破産寸前のようだな。婚約パーティで投資家を探そうとしたがそれも上手くいかず自棄酒を呷り、果てには見ず知らずの女に難癖をつけて八つ当たり。情けないな」
馬鹿にしたような蒼真の言葉は真実だったようだ。男の顔から血の気が引いていく。
(八つ当たりってそいういうことだったんだ……)
蒼真がなぜ詳しい事情を知っているのかは知らないが、自分が運悪く巻き込まれてしまったことだけは理解した。
(私はストレスが爆発寸前の酔っ払いに、ぶつかってしまったのね)
蒼真は図星を指されて黙り込んだ男の手を、乱暴に振り払った。
「彼女に謝罪しろ」
「は?」
不服そうな男に、蒼真が威圧感を放ちながら言い放つ。
「目撃者も大勢いる。どちらが悪いかは一目瞭然だ。迷惑をかけたのだから謝罪するのは当然だろう」
蒼真の腕っぷしの強さと迫力に恐れを成したのか、男は打って変わって気弱な態度で沙絵に頭を下げた。
「悪かった。冷静さを失ってしまっていた」
「いえ……」
沙絵は短く答えた。蒸し返す気はないが、気分が悪かったのは本当だ。愛想よくはできない。
男の方も本心では納得できないようで、不満が顔に表れている。
微妙な空気が漂う中、蒼真が男に油断ない視線を送る。
「まだなにか言いたいことでも?」
「な、ないですよ」
男は気まずさに耐えきれなかったのか、慌てて逃げ出して行った。
後に残されたのは蒼真と沙絵、それから心配そうに様子を窺っていた人たちだ。