外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました
『失礼します。日堂さんでいらっしゃいますよね。お約束している友崎沙絵です。お待たせして申し訳ありません』
沙絵はまるで初対面の相手に対するように、声をかけてきた。
丁寧だが警戒している。小さな顔に浮かぶ笑みはつくったものだ。
再会してひとこと目はなんて言おうか。
あれこれ考えていた言葉は、どこかに行ってしまった。
(まさか……覚えてないのか?)
彼女も自分の釣書を見たはずだ。写真もプロフィールも。
それなのに少しも思い出さなかったのだろうか。
(名前すら記憶にないのか?)
こんな展開は想像していなかった。
深い衝撃が胸を襲う。それでも蒼真は平静を装い口を開いた。
『それほど待っていない。座ってくれ』
動揺を隠そうとするあまり、冷たく響いた。しかし沙絵は平然と席に着く。
親しみも懐かしさもなにもない。
確信した。沙絵は蒼真のことなどまったく覚えていない。
見合い相手は蒼真でなくてもよかったのだ。
蒼真にとって素晴らしい思い出も、沙絵にとっては簡単に忘れられるような過去だった。
ショックが大きくて、情けないことにただ冷静でいるだけで精一杯だ。
そんな状況だといいうのに、沙絵の姉、杏華が乱入してきた。
わざとらしいうえに場をわきまえない言動に、傲慢さが見え隠れする。
『お姉さん、まだお見合い中だから、悪いけど……』
沙絵がそれとなく黙るように言っても、察しようとしない。
それどころか信じがたい発言をした。
『それならよかったですけど……沙絵ったらずっと片思いの相手がいて、お見合いなんてしたくないって騒いでいたんです。だから姉としてとても心配で……』
(片思い? 見合いをしなかった?)
今日何度目か分からない衝撃が、蒼真を襲う。
同時に理解した。
沙絵には想う相手がいるが、嫌々ながら見合いをした。蒼真については初対面の赤の他人だと思っている。
非常識な姉の発言を真に受けるのは愚かだと分かっている。しかし沙絵の顔からは血の気が引き、ショックを受けている様子が窺えるし、反論もしない。
(友崎社長は姉妹仲がいいと言っていたな)
姉が妹の恋心を知っていても不思議はない。おそらく真実なのだ。
杏華が去ってからも気まずい空気が続いた。
今更昔を懐かしむことなど不可能だ。
それでも僅かな期待を消せなくて、ふたりで分け合って食べた思い出があるチョコレートケーキを注文するという、未練たらしい行動をした。
しかし沙絵はチョコレートケーキが嫌いだそうで、彼女が変わってしまったことを知るだけだった。
蒼真は深く失望し、半ば自棄になって、これはビジネス婚だと切り出した。
沙絵は傷つくどころか、喜んでいた。
彼女にとっては見合い相手よりも、提携内容の方が重要らしい。
『雪丸運輸からは株式を五パーセント譲渡してもらいたい』
意地になって嫌なことを言っても、冷静な対応だった。
怒りの感情すら見せてくれない。
蒼真は激しく落胆した。信じていたものが崩れ落ちていくようだった。
それでも沙絵との縁談をやめることはできず、仮面夫婦への道を突き進むことになったのだった。
素直で屈託なく少し落ち着きがなかった沙絵は、冷静な大人の女性に変わっていた。
思ったことがすぐ顔に出ていた顔に、感情を呑み込んだつくり笑いを浮かべている。
蒼真は沙絵といると苛立ちを感じた。
忘れられてしまったこと。婚約をしようとしているのに、壁を作られていること。
本音をなにも話してくれないこと。
少し様子を見ていれば、沙絵と姉の関係が、聞いてたような単純なものではないことに気が付いた。
理由は分からないが、沙絵は杏華とあまり関わりたくなさそうだ。
それでも沙絵は蒼真には隠して姉妹中は良好な素振りをしていた。その態度は、心は通わせず、表面だけ取り繕う関係を求めている表れのようだった。