外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました

入れ替わるように蒼真が戻ってきたため、沙絵は気を取り直してまた彼と一緒に会場を回ることにした。

広い会場の一部のエリアでは、オークションに出品予定の品が展示されてたり、見ていて飽きないつくりになっている。

美しいものを見ていると、心が現れる。沙絵はある展示品の前で立ち止まった。

「あの、陶器の箱すごく綺麗」

艶やかなエメラルドグリーンで形は正方形に近い長方形をしている。

蒼真も沙絵の視線を追い戸惑いの表情になった。

「硯入れか」
「あれ硯入れなんだ」

沙絵は少し驚いた。あんな高級感溢れる陶器に硯を入れるだなんて。汚れてしまわないのだろうか。

「使いたいのか?」
「インテリアに飾っら素敵だと思っただけだよ」
「欲しいなら、オークションで落札する」

蒼真はこともなげに言った。

「えっ、そこまでしなくても大丈夫。綺麗だと思っただけだから、眺めるだけで十分」

オークションに出品するくらいなのだから、かなりの名品なのだろう。金額も大きなものになりそうだ。

そんな大金を蒼真に払って貰うのは気が引ける。申し訳ないし大きな借りをつくってしまうようで落ち着かないのだ。

「遠慮するなよ。結婚したら俺の資産は夫婦共有財産になるんだから」

蒼真が少し不満そうな声を出した。

沙絵は彼がそんな発言をするとは思っていなかった。意外だと感じながら答える。

「気を遣ってくれてうれしいけど、まだ結婚していないのに買って貰うのに抵抗があるの。元々親にも強請るのが苦手な性格なんだ」
「そうなのか?」

蒼真がなぜか驚きの声を上げた。

「うん。なにかおかしい?」
「いや、ねだるのは上手いと思ってたから」

沙絵は苦笑いになった。

(私って厚かましいイメージがあるのかな?)
「そうは見えないかもしれないけど、すごく苦手」
「……そうか」

蒼真が複雑そうな表情を浮かべた。けれどなにか言うことはなく、沙絵の背中に手を添えて「向こうも見てみよう」と促した。ちょうどそのとき、甲高い悲鳴が響き渡った。

沙絵は反射的に声がした方に体を向けた。

揉め事が起きたようで、人だかりができている。

その中心には若い女性がふたり対立するように向かっていた。

「え?……お姉さん?」

当事者のうちひとりが杏華だった。沙絵は信じられない思いで声を漏らす。

杏華は家では傍若無人だが外面だけは非常にいい。とくに今日のような公の場では、慎重に振る舞おうとするはずだ。

それが今は人目を気にせず凶悪な目で対立する女性を睨んでいる。周囲が引いているのもお構いなしだ。

沙絵が唖然としている間にも、杏華ともうひとりの女性の争いは続いている。

「人の婚約者に手を出して許されると思ってるの? 泥棒猫はさっさとここから出て行きなさいよ!」
(ど、泥棒猫?)

今どきそんな発言をする人がいるとは思わなかった。けれど杏華が何に怒っているのか察することができた。

もうひとりの女性は、高月孝也の浮気相手かなにかで、杏華はそれを知ってしまった。プライドが高い彼女は人前でも我慢ならなかったのだろう。

沙絵は少し心配になった。浮気はよくないが、姉が女性に対して行き過ぎた報復をして警察沙汰になる恐れがある。

(止めなくちゃ)

浮気相手の為というより、友崎家と雪丸運輸の評判のために。

沙絵は覚悟を決めて一歩前に出た。

「ふざけないで! 浮気相手はあんたの方でしょ? 私はもう三年も孝也と付き合ってるんだから! 後からきて偉そうにするな!」

浮気相手の女性も杏華に負けず気が強く引く気がないようだ。

ますます諍いが激しくなり、果たして自分が止められるのか沙絵は不安になった。

「お姉さん、落ち着いて」

意を決して声を上げたが、聞く耳を持ってくれない。

それどころか今にもつかみ合いが始まりそうな緊迫感が漂いはじめた。

しかしそのとき、沙絵の隣をさっと蒼真が通りすぎた。彼は迷わず杏華の前に立ちふさがると、落ち着き払った声で言う。

「杏華さん、落ち着いてください」
「え……蒼真君」

沙絵が止めたときは見向きもしなかった杏華が、蒼真の声には反応した。彼が出てきたことに驚いたからか険しかった表情が、まるでいじめられた被害者のような頼りないものに変わっていく。

蒼真はその様子を確認してから、杏華と争っていた女性に視線を移す。

「あなたも落ち着いてください。話し合いをするなら場所を変えた方がいい」

蒼真の冷静な態度で、頭が冷えたのか、彼女も周囲の人だかりに気付いたようだった。

最悪と声なく呟くと、これ以上この場にいることが耐えられないように走り去ってしまった。

杏華は忌々しそうに女性を睨み今にも追いかけていきそうだったが、蒼真が「落ち着いて」と引き留めた。

「だって、あの女……」
「話は向こうで聞きます」

蒼真は姉の腕を引き出入口に向かう。途中で沙絵を振り向き「君も一緒に」と声をかける。

沙絵は小さく頷き後を追う。

蒼真の表情は険しく機嫌の悪さが伝わってくる。一方で杏華は邪魔をされたというのにまんざらでもない様子だ。

沙絵に対する傲慢な態度が嘘のように、従順に従っている。

ふたりの後ろを追いながら、沙絵は胸が騒めくのを感じた。

姉が蒼真を見つめる眼差しは、ただの義弟に向けるものではない。蒼真の態度も……。

自ら厄介事に首を突っ込んで面倒をみようとするなんて、彼らしくない気がする。

(蒼真さんは、お姉さんを特別扱いしているの?)

沙絵は胸の奥に何かが詰まったような息苦しさを感じた。

イベント会場を出てラウンジに向かう。蒼真は人が少ない隅のソファに杏華を座らせた。

沙絵は蒼真の隣に少し距離を置いて立った。

「少しは落ち着きましたか?」

蒼真が杏華を見ろして言った。

杏華はわざとらしく肩をすくめる。それからソファの背もたれに体を預けて腕を組んだ。

「蒼真君が止めるから。でもあの女を許したわけじゃないからね」

杏華の言葉は反発しながらも、どこか甘えを帯びたものだ。

蒼真はそれに気づいていないのか、呆れたようなため息を吐いた。

「彼女とは関わらない方がいい」

杏華は明らかに不満そうに眉根を寄せた。

「駄目よ。彼女は孝也さんに付きまとっているの。今日だって彼を追ってこんなところまで来て。結婚式の前に別れさせないと」

杏華はふてくされたように言うと、今日初めて沙絵に目を向けた。

「沙絵もそう思うでしょ? 夫の浮気なんて許せないわよね!」

杏華の目は、まるで杏華こそが浮気相手かのように厳しい。沙絵はひとつ呼吸をしてから口を開いた。

「高月さんが浮気をしたのは間違いないの?」
「彼女は孝也さんの元カノなの。私の婚約して別れたはずなのにまだ付きまとってるのよ」
「それだけで浮気と決めつけるのは……」
「決まってるわ。孝也さんと毎日メッセージのやり取りをして、行く先々に現れて付きまとってるんだから。彼にスケジュールを聞いているのよ」
「お姉さんが気に入らないのは分かるけど、それだけでは浮気の証拠にならないわ」

沙絵が淡々と答えると、杏華の顔が赤くなった。蒼真に助けを求めるように訴える。

「蒼真君、聞いたでしょ? 沙絵ってばいつもこうなの。人の気持ちに寄り添うってことを知らなくて、本当に冷たいの!」

不当な被害を受けたように杏華は涙をこぼす。

沙絵にとっては、いつもの姉の行動だった。蒼真も間に受けることはないと思っていた。

ところが彼は宥めるように杏華の言葉に相槌を打っている。

その態度は杏華の言葉を肯定しているかのようだった。
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