外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました

気付けば蒼真と同居して一カ月になろうとしていた。

十一月上旬の水曜日。以前の休日出勤の代休を取った沙絵は、普段疎かになっているところの掃除と、衣替えをしていた。

引っ越しのとき時間がなくて私物は全て運び込んできたので、断捨離も兼ねている。

朝から忙しく動いていると、あっという間に正午になった。

そろそろ昼食を作ろうかとキッチン向かおうとしたとき、エプロンのポケットに入れていたスマートフォンの着信音が鳴った。
ポケットから出して画面を確認する。

表示された“お姉さん”の文字に憂鬱さが襲ってきた。

出たくない。気づかないふりをしてしまおうか。迷っている内に電話が切れた。

けれどすぐに再び着信音が鳴る。沙絵が出るまでかけ続ける気だろうか。

逃げても無駄だと悟り、沙絵は浮かない気持ちのまま応答する。

「はい」
「やっと出た」

杏華の声からは、機嫌の良さが滲み出ていた。

「今、仕事中なの?」
「今日は休みだから家の仕事を」
「休み? ちょうどよかった。沙絵に話があるのよ」
「話?」

また蒼真の連絡先を教えろと要求されるのだろうか。
沙絵のスマホを持つ手に力が籠る。

「そう。沙絵にお願いがあって」
「お願い……」

よくない展開に向かっているような予感がこみ上げる。

「私と沙絵の結婚相手、交換しない?」

その言葉を聞いた瞬間、沙絵は衝撃のあまり目眩がしそうになった。

(結婚相手を交換?……嘘でしょ……)

杏華は昔からとんでもない発言をよくしていた。けれど今回は耐性がある沙絵ですら、呆然となるような要求だ。

(あり得ない。信じられない)

二藤香音の件で、孝也との結婚に不安を持っているのは分かる。蒼真を狙っている節があるのも気づいていた。

(でもまさか交換なんて!)

釣書を見ていた時期ならまだしも、大々的に婚約パーティーを開いた今になって“交換”を言い出すとは。

さすがに予想できなかった。

沙絵はくらくらする頭を押さえて力なくソファに座り込んだ。

このまま電話を切って無視してしまいたい。もしくは馬鹿なことを言うなと怒鳴りたい。

そんな気持ちを沙絵は必死に抑える。

「お姉さん、婚約者の交換なんて聞いたことがないわ。冗談はほどほどにして」

なんとか冷静に返した言葉に、杏華がすぐ反論をかぶせてくる。

「私は真剣に言ってるの」
「……私たちは、お姉さんの希望で既にお見合い相手を交換してるんだよ。それを元に戻すって言うの? あまりに身勝手じゃないかな? 高月さんと蒼真さんに対してもあまりに失礼だよ」

考えを改めてほしくて、努めて穏やかに訴える。けれど沙絵の気持ちが杏華に届くことはなく、ますます杏華は言葉を選ばなくなっていく。

「失礼なのは孝也の方じゃない。私と婚約していながら香音と関係を続けて私を馬鹿にして! あんな男、私から捨ててやるわ」
「そういう問題じゃないでしょ? これは政略結婚のようなものなんだから」
「……はあ」

杏華がうんざりしたようなため息を吐いた。

「あんたは本当に融通が利かないわね。いい? よく聞きなさい。政略結婚だからこそ、友崎家の娘ならどちらでもいいってことなのよ。私とあんた、どっちが結婚しても同じなの」
「同じって……それはあまりに失礼じゃない? 蒼真さんたちの気持ちを無視するの?」
「無視なんてしてないわよ。孝也はもう沙絵と交換していいって言ってるの?」

沙絵は驚愕に目を瞠った。

「高月さんに話したの?」
「もちろん。彼は沙絵ならいいって言ってたから。蒼真君の方の方も、私が結婚相手になったら喜ぶと思うわ」
「な、なに言ってるの? 蒼真さんはそんないい加減な人じゃないから」

動揺しながらも否定する。すると杏華がくすりと笑った。

「ずいぶん自信があるみたいだけど、蒼真君のこと、全然分かってないのね」
「それ、どういう意味?」
「分からない? 蒼真君は沙絵より私を気に入ってるの」

杏華の得意げな声に沙絵は息を飲んだ。

「チャリティオークションのとき、蒼真さんがお姉さんを助けたからそう思ってるの?」
「ああ、あのときの蒼真君は頼りになってかっこよかったわね」

そのときのことを思い出しているのか、杏華の声が弾んだ。

「でもそれだけじゃないわ。毎日話しているうちにお互い意気投合したの」
「……毎日?」

戸惑う沙絵に、杏華が得意げに続ける。

「あら、蒼真君ったら沙絵に話してなかったの? 私たち毎日連絡を取り合っているのよ。ときどき会社の近くでランチも一緒にしてるの」

ガン! と頭を殴られたような衝撃が沙絵を襲った。

(毎日連絡しているなんて……そんなの聞いてない)

「今日もこれから蒼真君のオフィスの側にあるイタリアンレストランでランチデートなの。彼はね、沙絵は真面目で暗くてつまらないって。それに比べて私は社交的で明るくて一緒にいると楽しいって」

杏華の言っていることが本当とは限らない。彼女は過去も沙絵に沢山の嘘をついてきたのだから。

そう分かっていても、彼女の言葉は鋭い刃となって沙絵の胸を貫いた。

沙絵自身、真面目でつまらない女という自覚があるから尚更だった。

「分かったら、婚約者交換に同意しなさい」
「同意するつもりはないわ」

蒼真が姉より自分を選ぶ自信なんて少しもない。けれど認められなかった。

「どうしてそんなに頑ななの? 抵抗しても交換して貰うから」

杏華は沙絵の返事を待たずに通話を切った。
< 33 / 56 >

この作品をシェア

pagetop