外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました
◇◇
友崎家のリビングはすっかり静まり返っていた。
父は飲み過ぎて眠りこけ、母は朝から立ち働き疲れたのか自室に戻った。
杏華は三人掛けのソファに優雅に座り、少し離れた一人掛けの席を選んで座る孝也を眺めていた。
生まれついての御曹司だけあってひとつひとつの振る舞いが気品に溢れている。けれど蒼真のような際立った美形ではない。
そして中身は下劣だ。婚約してからも過去の女と関係を持ち続けているのに、罪悪感を持っていない。
杏華は婚約者選びに失敗したことを悟っていた。
名門の夫人の地位は捨てがたいが、それでも孝也ではなくて蒼真を選ぶべきだった。
蒼真の沙絵に対する態度は、杏華の予想を遥かに超えていた。
沙絵に対する優しさと庇護。蒼真は仕事では苛烈かもしれないが、自分の女は完璧に守る男だ。
(沙絵の今日の服、目立たないけどハイブランドの今年の新作だった)
セットアップで三十万以上はするはずだ。アクセサリーもバッグも全て老舗ブランドの名品だった。
蒼真は随分沙絵に贅沢をさせているようだ。
(それに比べて孝也は……)
杏華にプレゼントをしたことなどない。毎月決まった経費が高月家から支払われれるだけだ。その金額は、沙絵がプレゼントという形で知らずに使っているお金より少ないだろう。
杏華はぎりっと歯を食いしばった。
(どうして沙絵が得してるのよ!)
その事実は我慢が許せない。
(沙絵のくせに!)
血の繋がりがない、少しも似ていない妹。
幼い頃から全ての面で、杏華は沙絵の上に立っていた。それなのにまさか結婚で逆転してしまうなんて。
ふたりが仲良くしている姿を見ると悔しさがこみ上げた。
蒼真が杏華に向ける軽蔑の目にも耐えられない。
少し媚を売れば、彼だって手に入ると思っていたのに。
(あの男は最初から私に興味をもたなかった)
なぜ自分が下に見られなくてはならないのか。
(こんなはずじゃなかった……ふたりとも許せない……許さない)
杏華はどす黒い嫉妬心に胸を焼かれながら決心した。
ニヤニヤしながらスマホを眺めている孝也に目を向ける。どうせ浮気相手とやり取りしているのだろう。
「孝也」
「な、なんだ?」
孝也は突然話しかけられたことに驚いたように顔を上げる。
「あなた私と婚約解消したくないって言ってわよね?」
もう大分前から孝也と杏華は言い争いを繰り返し、婚約解消直前まできていた。世間のイメージよりも遥かに冷え切っている。
「ああ。イメージアップの為に君と婚約したのに、解消したら意味がなくなる」
孝也は誠意の欠片もない返事をした。もうお互い本性を隠さなくなっている。
「そう。なら条件を飲むなら結婚してあげてもいいわ」
「条件?」
孝也が意外そうに眉を上げた。
「ええ。日堂蒼真の邪魔をしてほしいの。彼の大切なヴィアスペースを潰せたら一番だわ」
孝也は呆気にとられていたが、苦笑いになった。
「それは無理がある。ヴィアスペースは国内外の大企業から個人まで浸透している。日堂の帝国をどうやって崩せって言うんだ?」
「商売で勝てなくても高月家には蒼真君にはない人脈がある。政治力だってずっと上のはず。手段はなんでもいいからとにかく彼に痛い目を見せたいの」
「個人的な恨みがあるのか? そうだとして、そんなリスクを背負うメリットが俺にあるのか?」
「結婚後も二藤香音との付き合いを認めてあげるって言ったら?」
今となっては孝也に対する恋心など消え失せている。しばらくの間香音との関係を黙認するくらい問題ない。
(あの女を排除するのは、結婚してからの方が楽だろうし)
正式に高月夫人になり力を持ったら、香音など敵ではないはずだ。
孝也は少し迷ったようだが、最終的には杏華の提案に乗ることを決めたようだ。
「日堂を潰すのは無理だが邪魔ならできる。それでいいか?」
「ええ、いいわ」
「香音に手を出すなよ」
「約束は守る」
(今のところはね)
結婚し家庭を築くはずだったふたりの間に、邪な契約が結ばれた。
孝也は悩みが解決できてほっとしたのか、機嫌よく笑う。
「でも杏華が日堂蒼真を恨んでいるとは知らなかったな。嫌いなのは妹の方だと思ってた」
「その通りよ。一番目ざわりなのは沙絵。あいつが私よりいい思いをするのは昔から許せないの」
「それならどうして日堂を?」
「いろいろあったのよ。それに蒼真君に攻撃すれば沙絵にとってもダメージになるの」
そのときのことを想像すると、気分が軽くなる。
「性格が歪んでるな。妹の方は純真そうなのに」
孝也が軽蔑したような目を杏華に向ける。
「それはお互いさまでしょ」
杏華は相手にしなかった。しかし孝也が言った通りなのだ。
(真面目で頑張り屋で素直。そういうところが昔から嫌いだった)
両親の再婚により姉妹となった沙絵と初めて会ったときの記憶は忘れられない。
年下なのに、全てが杏華よりも優れていた。
親戚たちは皆が沙絵を褒めて、杏華には見向きもしなかった。
生まれたときから社長令嬢として育った沙絵は、苦労を知らない素直な少女は、それを当然のことと受け止めていた。
必ず見返してやると思った。
その後、杏華は少しずつ沙絵の明るさを奪ったはずだった。
「そうそう、ついでに雪丸運輸も少し困らせてあげて」
「自分の実家だろ?」
驚く孝也に、杏華は唇を歪めた。
「まさか。あれは妹の会社」
昔から雪丸運輸は自分の母方が起こした会社だと偉そうにしているのが、目障りだった。
その大切なものが崩れたら、さぞ残念に思うだろう。
自分の結婚が上手くいかないのなら、沙絵も不幸になるべきだ。