外れ夫と結婚したのに、気付けば憧れの愛され妻と呼ばれていました
沙絵は恐縮して頭を下げた。
「あの、お騒がせして申し訳ありません……」
「無邪気なお姉さんですね」
謝罪は最後まで言わせてもらえず、冷たい声で遮られた。
(ああ、やっぱり怒ってる……)
当然だ。沙絵だって彼の立場なら気分が悪くなっていた。
杏華を無邪気と言ったのも当然よい意味ではなく、空気を読まない馬鹿な女だとけなしているように感じる。
まともな会話を始める前から、絶望的に空気が悪くなってしまった。
(この話はだめになるかもしれない)
いや、かもしれないではなく間違いなく断られる。
雪丸運輸への投資の件も、白紙に戻る。
沙絵の気持ちは重く沈んだ。
杏華の方の縁談は順調だそうだが、投資や援助に関してはまだ具体的な話が纏まっていないと聞いている。
杏華は沙絵と違い雪丸運輸に対する思い入れや責任感などない。それどころか地味な家業を嫌っているふしもある。雪丸運輸なんてカッコ悪い。社名を変えろと騒いだこともある。
そんな彼女が、積極的に話を進めるよう夫に働きかけてくれる期待は持てない
仮に援助があっても、自分の豪遊資金として使ってしまう心配まである。父が杏華をコントロールできるとも思えない。
だから沙絵は自分の縁談をしっかり纏めたかった。それなのに……。
(こんなことになるなんて……お見合い場所を、お姉さんに知られないように対策しておけばよかった)
父に内緒で場所を変えるなど、やり方はあったはずだ。姉の性格を熟知していながら、油断して自分が情けない。
しかし後悔してももう遅い。
沙江は半ば諦めて、蒼真に頭を下げた。
「姉が失礼な発言をしました。本当に申し訳ありません」
蒼真はきっとすぐに席を立つだろう。
ところが、彼は意外にも「もういい」と言い沙絵にメニューを差し出した。
「え?」
戸惑う沙絵に、蒼真が不機嫌そうに目を細めた。
「なにも頼まない訳にはいかないだろう」
常識がないのか?と軽蔑されているような視線だった。
「そ、そうですね」
沙絵は慌ててメニューを手にして、一瞬で決断する。
「私はダージリンティーとモンブランにします」
別にモンブランが食べたかったわけではない。一番初めに目についただけだ。この状況では一秒たりとも余計な時間は費やせない。
蒼真がスタッフを呼び、コーヒーとザッハトルテと沙絵の注文を伝えた。
(え……ケーキ食べるんだ……意外)
「なにか?」
視線を感じたのか、蒼真が沙絵をじっと見つめてきた。
「いえ、あのチョコレートケーキがお好きなんですか?」
「……別に」
気まずい空気を少しでも緩和したくて話しかけたが、とても素っ気なく冷たい反応がかえってきた。
(つまらない話をするなと思われたのかな? もう一度謝るべき? でもあまりしつこいのもよくないし……)
言葉を探していると、蒼真が気怠気な空気を醸し出しながら口を開いた。
「友崎さんはチョコレートケーキは好みじゃないんですか?」
「え?」
終わったと思っていた話題が戻ってきた。
(興味がなさそうだったのに)
沙絵は戸惑いながらも、真面目に答える。
「嫌いではありませんが、モンブランとチーズケーキが好きなのであまり食べる機会はないです」
「……そうか」
沙絵の返事を聞いた蒼真の顔が暗くなる。
質問に普通に答えただけのつもりだが、気に障ったのだろうか。
(ネットで見た評判通り、気難しい人みたい。お姉さんのことがあるから今日は特に不機嫌なのかな)
ギクシャクした空気、冷たい表情。
沙絵は居たたまれなさに目を伏せた。
面と向かって不機嫌オーラを醸し出されると困ってしまう。
沙絵は黙ってモンブランを食べる。美味しさを感じる余裕なんてない。
気まずい沈黙に耐えがたさを感じはじめたそのとき、蒼真が口を開いた。
「今回、縁談を申し込んだのは、雪丸運輸との提携を希望しているからだ」
沙絵ははっとして視線を上げる。
(うちと提携?)
思いがけない言葉に驚きながらも、沙絵は居住まいを正して蒼真を見つめた。
「ヴィアスペースの利用者が激増しているが、その分配送が間に合わなくなっている。配送部門を強化するため、雪丸運輸と専属契約を交わしたい」
「……ヴィアスペースから注文された商品の配送を、うちが単独で請け負うということですか?」
「全てじゃない。独自の配送システムを採用しているショップもあるからな。それでもかなりの物量になるはずだ」
沙絵は蒼真の声に耳を傾けながら、頭の中では昨夜調べた情報を思い浮かべていた。
ヴィアスペースのアクティブユーザーは、国内で三千万人に届くとのことだった。しかも今後も増加が見込まれているのだとか。
彼の希望する契約が成立すれば、雪丸運輸の業績は大きく上昇するだろう。
しかもこの提携によって継続的な売上が見込める。資金問題を一時的に解決する援助金よりも遥かに助けになるはず。未来の安定。これこそが沙絵が最も望んでいた形だ。
沙絵の心臓がどきどきと脈を打ち始めた。
(この契約は絶対に取りたい!)
「ぜひ……ぜひ、私たちにやらせてください」
沙絵は思わず身を乗り出して訴えた。
蒼真は沙絵の勢いとは対照的に、気怠さを醸し出しながら頷いた。
「そのつもりで縁談を申し込んだ」
「そ、そうだったんですね!」
燻っていた疑問が解消した。好条件すぎる縁談に対する不安が晴れていく。
「物流体制が大幅に変化することになるだろうから事前準備が必用になるだろう。提携の開始前にこちらから資金援助をする」
「ありがとうございます!」
(うちの都合をそこまで考えてくれているなんて……)
沙絵は胸中は感謝の気持ちでいっぱいになった。
けれどすぐに蒼真が予想外の発言をした。