夫が愛人を連れ込んだので、悪女らしく「円満」離婚いたします
「――こんな所にいたのか、グレース」
ふいに背後から声をかけられ、グレースは肩越しに振り返る。視線が絡み合った瞬間、驚きよりも先に、ふわりと顔が綻んでいた。殆ど無意識に。繕うのではなく、自然と。
「お会い出来て光栄ですわ、シエル殿下」
「先日会ったばかりだろ」
くつりと喉の奥で笑いながら、彼――シエル・ヴァレンティアはグレースの隣で足を止め、艷やかに磨き立てられた大理石の手摺に頬杖をついた。
煌々とした灯りに照らされ淡く光を帯びたブロンドの髪の毛。長く濃い睫毛に縁取られた二重の目と、まるで青空そのもののような瞳。すっと通った高い鼻筋と形の整った唇の描く、凹凸のくっきりとした輪郭。童話に出てくる“理想の王子様”を体現したような麗しくも逞しいその姿に、グレースは暫し目をとめる。さっきまで確かに階下にいたはずなのだけれど、と思いながら。
シエル・ヴァレンティア。国王夫妻唯一の息子であり、この国の未来を背負う王太子。そんな彼とは、幼い頃からの腐れ縁――もとい、幼馴染という間柄だった。身分に差こそあれど、今も気軽に軽口を叩き合える仲を続けている。夫であったエルヴィスは、ついぞ知ることはなかったけれど。
「バルコニーにいてもつまらんだろ」
「そんなことありませんわ。此処からですと、広間が一望出来ますもの」
そう言って、グレースは小さく笑いながら、シエルに据えていた視線を階下へと落とした。宮廷楽団の奏でる音楽に合わせ、思い思いにダンスを楽しむ者。壁際に沿って群れを作り、酒や扇を片手に談笑に興じる者。人いきれに包まれたそこには、今宵、王都中の貴族が集っている。
けれど、グレースの瞳は真っ直ぐに、大広間の片端へと迷いなく吸い寄せられた。
「君もなかなか、悪い性格をしているな」
恐らく、彼もまた同じところを見ているのだろう。グレースは自嘲めいた笑みを口元に浮かべ、
「よく言われますわ」
と、臆面もなく答えた。
「まさか、これを見る為だけに来たのではないだろうな」
「それ以外に何がありますの」
「たとえば、俺と踊るとか」
「ご冗談を」
ふふっ、と吐息を漏らし、グレースは僅かに目を細める。横顔をちらりと一瞥されたが、それには敢えて素知らぬふりをして。
視線の先では、半月前に離婚が成立したばかりのエルヴィスが、誇らしげな顔で、ひどく上機嫌に男爵夫妻と話をしている。笑う時など、此処まで声が飛んできそうなほど、大きく口を開けて、心底満足そうに。
「ところで、“あれ”は何だ?」
「“あれ”、とは?」
「あの男の隣にいる奴だ」
「ああ、“あれ”は――」
悪びれた様子もなく、グレースは戯けた口調で返す。
「ご覧の通り、ただの“泥人形”ですわ」
エルヴィスの隣には、ひとりの女が立っている。淡い水色のやわらかなドレスを着た――あくまで“女の姿”をした、ただの“泥人形”が。けれどエルヴィスは、それに気付いていない。気付けるはずもない。彼には、彼だけには、その泥人形が、可憐で聡明な女――アシュリンに見えているのだから。
ふいに背後から声をかけられ、グレースは肩越しに振り返る。視線が絡み合った瞬間、驚きよりも先に、ふわりと顔が綻んでいた。殆ど無意識に。繕うのではなく、自然と。
「お会い出来て光栄ですわ、シエル殿下」
「先日会ったばかりだろ」
くつりと喉の奥で笑いながら、彼――シエル・ヴァレンティアはグレースの隣で足を止め、艷やかに磨き立てられた大理石の手摺に頬杖をついた。
煌々とした灯りに照らされ淡く光を帯びたブロンドの髪の毛。長く濃い睫毛に縁取られた二重の目と、まるで青空そのもののような瞳。すっと通った高い鼻筋と形の整った唇の描く、凹凸のくっきりとした輪郭。童話に出てくる“理想の王子様”を体現したような麗しくも逞しいその姿に、グレースは暫し目をとめる。さっきまで確かに階下にいたはずなのだけれど、と思いながら。
シエル・ヴァレンティア。国王夫妻唯一の息子であり、この国の未来を背負う王太子。そんな彼とは、幼い頃からの腐れ縁――もとい、幼馴染という間柄だった。身分に差こそあれど、今も気軽に軽口を叩き合える仲を続けている。夫であったエルヴィスは、ついぞ知ることはなかったけれど。
「バルコニーにいてもつまらんだろ」
「そんなことありませんわ。此処からですと、広間が一望出来ますもの」
そう言って、グレースは小さく笑いながら、シエルに据えていた視線を階下へと落とした。宮廷楽団の奏でる音楽に合わせ、思い思いにダンスを楽しむ者。壁際に沿って群れを作り、酒や扇を片手に談笑に興じる者。人いきれに包まれたそこには、今宵、王都中の貴族が集っている。
けれど、グレースの瞳は真っ直ぐに、大広間の片端へと迷いなく吸い寄せられた。
「君もなかなか、悪い性格をしているな」
恐らく、彼もまた同じところを見ているのだろう。グレースは自嘲めいた笑みを口元に浮かべ、
「よく言われますわ」
と、臆面もなく答えた。
「まさか、これを見る為だけに来たのではないだろうな」
「それ以外に何がありますの」
「たとえば、俺と踊るとか」
「ご冗談を」
ふふっ、と吐息を漏らし、グレースは僅かに目を細める。横顔をちらりと一瞥されたが、それには敢えて素知らぬふりをして。
視線の先では、半月前に離婚が成立したばかりのエルヴィスが、誇らしげな顔で、ひどく上機嫌に男爵夫妻と話をしている。笑う時など、此処まで声が飛んできそうなほど、大きく口を開けて、心底満足そうに。
「ところで、“あれ”は何だ?」
「“あれ”、とは?」
「あの男の隣にいる奴だ」
「ああ、“あれ”は――」
悪びれた様子もなく、グレースは戯けた口調で返す。
「ご覧の通り、ただの“泥人形”ですわ」
エルヴィスの隣には、ひとりの女が立っている。淡い水色のやわらかなドレスを着た――あくまで“女の姿”をした、ただの“泥人形”が。けれどエルヴィスは、それに気付いていない。気付けるはずもない。彼には、彼だけには、その泥人形が、可憐で聡明な女――アシュリンに見えているのだから。