御神渡り(おみわたり)

第十一章 上申書

 1
      上申書
    令和八年一月十五日
    長野県諏訪市(住所略)
    遠山克巳(一九六一年十一月三日生)
 平成四年一月十八日夜、私は、教え子の平出真澄さんを死なせました。
 そして、そのことを三十四年間、隠し続けました。
 以下、記憶にあるかぎりのことを、順を追って記します。私はいま膵臓に癌があり、余命が長くないと告げられています。この文書は、私が自分の口で説明できなくなった場合に備えて書き残すものです。

 一、平出真澄さんについて
 私は当時、長野県立諏訪東高等学校の国語科教諭で、三十歳でした。平出真澄さんは二年三組の生徒で、私はその学級の担任でした。
 真澄さんは、成績のよい生徒でした。とくに現代文がよくできました。私が「山月記」の授業をしたとき、彼女は感想文に、虎になった男は誰かに見つけてほしかったのだと思う、と書きました。私はその一文を、いまも覚えています。
 平成三年の秋ごろから、真澄さんの様子が変わりました。遅刻が増え、体育を見学することが多くなりました。十月の終わり、私は職員室に彼女を呼び、事情を訊きました。
 彼女は最初、何も言いませんでした。三度目に呼んだとき、腕の内側を見せてくれました。煙草を押しつけた痕が、いくつもありました。
 継父の浅倉隆之という人が、酒を飲むと荒れる、と彼女は言いました。母親は止めない、止めれば母親が殴られるから、自分が黙って受ければ家が収まる、と。
 私は、児童相談所に相談することを勧めました。彼女は激しく拒みました。そんなことをしたら妹が施設に入れられる、妹だけは絶対に離れたくない、と言いました。妹さんは当時七歳で、咲穂さんといいました。真澄さんは、妹の話をするときだけ、笑いました。
 私は、学校としてできることをしませんでした。管理職に上げれば話が大きくなり、彼女が学校に来られなくなると考えたからです。いま思えば、それは彼女のためではなく、私自身が事を荒立てたくなかっただけです。私はそこで、最初の過ちを犯しました。

 二、牧野家について
 十二月に入って、真澄さんが「叔母のところに行きたい」と言い出しました。母親の妹にあたる、牧野節子さんという方でした。
 私は牧野節子さんに連絡を取り、二度お会いしました。節子さんは、姉である平出多恵子さんの家庭のことを深く案じておられ、真澄さんをうちで預かりたい、高校を出るまでの二年間だけでも、と言われました。ご主人の牧野常雄さんも承知している、とのことでした。
 平成四年一月十八日、土曜日。その日の夜八時に、真澄さんが牧野家に移ることになりました。荷物は少しずつ運んであり、当日は本人が身一つで行くだけでした。
 私はその日、同僚の転任にともなう送別会に出ておりました。上諏訪の料理屋で、午後六時半からでした。私は酒を飲みました。ビールを三杯と、日本酒を二合ほどだったと記憶しています。
 午後九時半ごろ、店に電話が入りました。牧野節子さんからでした。真澄さんが約束の時間になっても来ない、家に電話をしても継父が出て要領を得ない、というものでした。私の妻が家で節子さんからの電話を受け、店の番号を伝えたのだと思います。
 私は、席を立ちました。

 三、その夜のこと
 私は、自分の車を運転しました。
 白いトヨタ・カローラでした。当時、代行を呼ぶという習慣は、いまほど一般的ではありませんでした。だからといって、それは言い訳になりません。私は酒を飲んで運転しました。これが二つ目の、そして決定的な過ちです。
 私はまず学校へ行き、次に真澄さんの家の近くまで行きました。家の前には行きませんでした。継父と鉢合わせすることを恐れたからです。それから、彼女が行きそうな場所を思いつくままに回りました。
 午後十時四十分ごろ、中金子のバス停で、彼女を見つけました。
 彼女は、上着を着ていませんでした。セーターだけで、髪が濡れていました。雪が降っていました。左の頬が腫れていて、口の端が切れていました。バスはとうに終わっていました。
 私は車に乗せました。ヒーターの温度を上げ、後部座席にあった自分のコートを渡しました。彼女は、ずっと震えていました。
 牧野さんのところへ行こう、と私は言いました。
 彼女は首を振りました。あそこは真っ先に探される、叔母さんに迷惑がかかる、と言いました。それから、東京に行きたい、と言いました。中学のときの友達が東京にいるから、そこに置いてもらう、と。
 私は、それは駄目だと言いました。まず牧野さんのところへ行こう、あとのことはそれから考えよう、と。
 彼女は、しばらく黙っていました。
 それから、こう言いました。
 ――先生、ごめんね。
 なぜ謝るのか、私にはわかりませんでした。いまもわかりません。
 私は車を出しました。国道二十号から県道に入り、茅野方面へ向かいました。時刻は午後十一時を回っていたと思います。
 路面は圧雪でした。私は、自分が思っていたよりずっと酔っていました。
 緩い右カーブで、車の後ろが流れました。
 私はハンドルを切りすぎました。車は反対側に振られ、左前部が路肩のコンクリートの擁壁に当たりました。そのまま半回転して停まりました。
 助手席のドアが開いていました。
 真澄さんは、シートベルトをしていませんでした。私も、彼女に締めるように言いませんでした。
 彼女は、車の外にいました。

 四、真澄さんのこと
 私は、彼女のところまで這っていきました。
 彼女は、擁壁の下に仰向けに倒れていました。頭の下の雪が、黒く濡れていました。
 私が名前を呼ぶと、彼女は目を開けました。
 生きていました。
 ――せんせい。
 と、彼女は言いました。
 ――さむい。
 私は、自分のコートを掛けました。掛けてから、それが自分の車の中に置いてきたものだと気づいて、取りに戻ろうとしました。彼女が私の袖を掴みました。
 彼女は、こう言いました。
 ――さきほを、おねがい。
 それが、平出真澄さんの最期の言葉です。
 私はその言葉を、三十四年間、毎日思い出しています。
 五、私がしたこと
 私は、救急車を呼びませんでした。
 当時、あの県道沿いに公衆電話があったかどうか、私は覚えていません。少なくとも、探しませんでした。私は、彼女を抱えて車に乗せ、車を出しました。
 どこへ向かったのかも、はっきりとは覚えていません。気がついたときには、牧野プレス工業の前にいました。
 牧野常雄さんは、まだ工場にいました。真澄さんを待っていたのです。
 私が車から降りたとき、あの人は何も訊きませんでした。助手席のドアを開けて、中を見て、それだけで全部わかったようでした。
 牧野さんは、真澄さんを工場の床に寝かせました。脈を見て、瞳孔を見て、それから立ち上がりました。
 あの人は、プレス機の脇にあった鉄の棒を取りました。
 私は、逃げませんでした。
 殺してください、と私は言いました。本気でした。
 牧野さんは、その棒を私の頭の上まで振り上げて、振り下ろしませんでした。
 あの人は、棒を床に投げて、こう言いました。
 ――あんたを殺したら、おれが人殺しになる。おれは、あんたのために人殺しにはならん。
 それから、こう言いました。
 ――警察には行かせない。刑務所に入れば、あんたは何年かで出てくる。出てきて、いつか忘れる。人間は忘れる。おれは、それが我慢ならん。
 ――生きろ。教師を辞めるな。この子みたいな子を、一人でも多く救え。一人救うたびに、この夜のことを思い出せ。それがあんたの刑期だ。無期だ。仮釈放はない。
 私は、それを受け入れました。
 いま、この文書を書いている私は、当時の自分をこう考えています。
 私は、あのとき、罰を受け入れたのではありません。逃げたのです。
 牧野さんの言葉は、私にとって救いでした。警察に行かなくてよい理由を、被害者の身内の口から与えられたのですから。私は、それに飛びつきました。私は、その夜から今日まで、自分を罰しているつもりで、ただ生き延びてきただけです。

 六、その後のこと
 その夜、私たちは玉川の林道に真澄さんを運び、埋めました。穴を掘ったのは牧野さんで、途中から私も掘りました。
 私の車は、牧野さんが工場で解体しました。鉄板はプレスで潰され、部品は金属回収業者に引き取られました。私は陸運局で抹消の手続きをし、妻には、子どもが生まれるので買い替えると言いました。
 平成六年五月、真澄さんの遺体が見つかりました。
 私は、警察に行こうとしましたが、牧野さんに止められました。あんたが出れば、おれも死体遺棄で捕まる、おれが捕まれば節子はどうなる、咲穂ちゃんへの金は誰が送るのか、と言われました。
 それも、私にとっては言い訳になりました。私は行きませんでした。
 その代わりに、私は一度だけ、茅野警察署に電話をかけました。平成六年の、遺体が見つかって間もない夜です。公衆電話からでした。
 私は、「浅倉じゃない」とだけ言って、切りました。
 名乗ることができませんでした。
 平成九年、浅倉隆之さんが自殺したと知りました。
 私は、あの人を殺したのは自分だと思っています。真澄さんに暴力を振るっていた人です。許せない人でした。それでも、あの人は殺していない。私は、無実の人間に殺人の疑いを着せたまま、五年間、黙っていました。
 このころ、私は死のうと思いました。牧野さんに電話をかけ、そう言いました。あの人は、電話口でこう言いました。
 ――死ぬのは許さん。あんたが死んだら、あんたの罪は消えてしまう。

 七、咲穂さんへの送金について
 平成六年六月から、私は毎月三万円を、牧野常雄さん名義の口座を経由して、平出咲穂さん――現在の倉田咲穂さんに送っています。
 私の名前で送れば、いつか誰かが調べたときに繋がってしまうと考えたためです。牧野さんは、この役割を引き受けてくださいました。あの人は、私の金を一円も使っていません。
 これは償いではありません。償いになるはずがありません。私は、真澄さんの最期の言葉を実行しているつもりでした。しかし、実際には、そうすることで自分が楽になっていただけです。

 八、いま、これを書く理由
 昨年十月、私は膵臓癌と診断されました。余命は半年と言われました。
 安堵しました。
 これで、刑期が終わる、と思いました。
 私はこの三十四年、いつか自首する日のことを考えながら、その日を先延ばしにしてきました。娘が小さいうちは無理だ、娘が受験だから無理だ、妻の親の介護があるから無理だ。理由はいくらでもありました。私は、その理由を集めることで三十四年を過ごしました。
 病気は、私からその理由を取り上げてくれました。
 私は、令和八年一月十八日、諏訪警察署に出頭します。真澄さんが亡くなった日にしたいと思ったからです。
 三十四年前の件は、公訴時効が成立しています。私が罰を受けることはありません。それでもこれを提出するのは、記録に残すためです。平出真澄さんが、どのように死んだのかを、この国の記録のどこかに一行でも残したいと思います。
 牧野常雄さんは、遺体遺棄について、私と同等のことをしました。しかし、あの人は真澄さんの叔父であり、あの晩、姪を待っていた人です。あの人を裁くべきではないと私は考えます。この点については、警察および検察のご判断を仰ぎます。

 九、娘へ
 千尋。
 この文書を、おまえが読むことになるかもしれない。
 おまえが小さいころ、私はおまえを膝に乗せて本を読んだ。おまえは、私の膝の上で眠るのが好きだった。
 私はあのころ、おまえを抱くのが怖かった。
 私の腕は、真澄さんを抱えた腕だ。この腕で娘を抱いていいのか、といつも思っていた。だから私は、おまえが大きくなるにつれて、おまえに触れなくなった。
 おまえは私に、他人の子どものほうが大事なの、と聞いたことがある。中学生のときだ。私は答えなかった。
 答えは、いいえ、だ。
 私は、おまえがいちばん大事だった。だから、おまえのそばにいる資格がなかった。
 勝手な言い分だとわかっている。おまえに謝る資格もない。それでも、書いておく。
 すまなかった。                          遠山克巳

 2
 千尋が便箋を読み終えたとき、あたりは暗くなっていた。
 石段の下で、彼女は動けなかった。指の感覚がとうになくなり、便箋を掴んでいるのが自分の手なのかどうかも、わからなくなっていた。
 最後の一枚を膝に置いて、千尋は顔を上げた。
 目の前に、五十段の石段があった。
 この上で、父は誰かに突き落とされた。
 三十四年間、その日を先延ばしにして、癌になってようやく期限を切って、あと三日で警察へ行くはずだった父。
 千尋は、口を開けた。
 声は出なかった。
 代わりに、体の奥から、聞いたことのない音が出た。獣の鳴き声のような音だった。彼女は雪の上に膝をつき、便箋を胸に押しつけて、その音を出し続けた。
 誰も通らなかった。
 どのくらいそうしていたのか、わからない。気がつくと、彼女は立ち上がって、鳥居のほうへ歩いていた。手には封筒があった。
 石段の途中で、一度だけ振り返った。
 雪が、また降りはじめていた。

 3
 家に帰ると、玄関の灯りがついていた。
 千尋は、靴を脱いだ。廊下を歩き、居間の襖を開けた。
 母が、炬燵に入って座っていた。テレビはついていなかった。
 母は、千尋の顔を見た。
 それだけで、母は察したようだった。
「読んだの」
 千尋は、封筒を炬燵の上に置いた。
「お母さん」
「うん」
「知ってたの」
 母は、湯呑みを両手で包んでいた。
 長い沈黙のあと、母は言った。
「知ってた」
 千尋の膝が、崩れた。彼女は畳の上に座り込んだ。
「いつから」
「あの晩から」
 母は言った。
「一月十八日の晩。私は臨月で、家にいた。九時半ごろ、節子さんから電話があって、真澄ちゃんが来ないって。私はお父さんのいるお店の番号を教えた」
 母の目は、湯呑みの中を見ていた。
「お父さんが帰ってきたのは、朝の五時過ぎ。びしょ濡れで、泥だらけで。私が起きたら、お風呂場で、着てたものを全部洗ってた。手で。真夜中に」
「お母さん」
「私、何も訊かなかった」
 母は言った。
「訊いたら、この生活が終わると思った。お腹に、あんたがいたから」
 千尋は、母の顔を見た。
「二年後に、山で骨が見つかったってニュースをやったの。お父さん、台所に立ってて、テレビの音を聞いて、そのまま動かなくなった。何分も。私はご飯をよそいながら、それを見てた」
 母は、初めて千尋を見た。
「そのときに、確信した」
 千尋は、声が出なかった。
「私はね、千尋」
 母は言った。
「三十四年間、この人が自首しないようにって、祈ってたのよ」
 千尋の目から、涙が落ちた。
「毎晩、祈ってた。どうかこの人が言い出しませんように。どうかこのまま、何も起きませんように。お父さんが、いつか警察に行くって言い出すのが、いちばん怖かった」
 母の顔が、初めて歪んだ。
「私が、いちばん悪いの」
 千尋は、母の手を掴んだ。
「違う」
「違わない」
「違う!」
 千尋は叫んだ。
「お父さんが悪いよ! お父さんが、全部悪いよ!」
 母は、娘の手を握り返した。
 二人は、炬燵を挟んで、長いあいだ泣いた。
 テレビのない部屋で、時計の音だけが聞こえていた。
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