魔法より、君に恋をする。

第三十一章 知らない私の物語

第三十一章 知らない私の物語

「君とは別に、かつて《リリア》と呼ばれた存在がいた」

 ルシアンの言葉が、生徒会室へ静かに落ちた。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 リリアは机の上に置かれた古い記録を見つめていた。黄ばんだ頁の一番上に、《第一個体――リリア》と書かれている。

 自分の名前。

 なのに、自分のことではない。

「……第一個体って、何?」

 最初に出たのは、思っていたより普通の声だった。

「記録上の呼称だよ」

 ルシアンは答える。

「僕も昨夜初めて見つけた。だから、まず最初に言っておく。これから話すことには、記録によって確認できた事実と、僕たちが覚えていること、それから僕の推測が混ざっている」

「僕たち?」

 レオンハルトが反応した。

 ルシアンは彼を見る。

「僕と、ノア、アレン、カイル」

 空気が変わった。

 リリアは三人を見る。

 ノアは笑っていなかった。アレンは腕を組み、壁際で黙っている。カイルは視線を逸らさない。

 そして、レオンハルトも彼らを見ていた。

「やっぱり」

 小さな声だった。

「昨日、分かってはいたけど」

 レオンハルトは苦笑した。

「僕だけじゃなかったんですね。知らないのは」

「私も知らない」

 リリアが言った。

「私も」

 セシルが続く。

 レオンハルトが二人を見る。

「……そうだったね」

「三人」

 リリアは指を三本立てた。

「昨日も言った」

「覚えてるよ」

「ならいい」

 そのやり取りに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。

 ルシアンは椅子を引く。

「長くなる。座ろう」

「どれくらい?」

「君が途中で質問しなければ、それほど」

「する」

「だと思った」

 七人が机を囲む。

 リリアの右にはセシル。左にはノア。正面にルシアン。その隣にレオンハルト。アレンとカイルも、それぞれ椅子を引いた。

 逃げ道がないように見えて。

 でも、不思議と怖くはなかった。

「まず」

 ルシアンが記録を開く。

「最初のリリアについて」

     *

「彼女は、普通の人間として生まれたわけではない」

「作られたってこと?」

「記録を見る限りでは」

「誰に?」

「……人間に」

 リリアは眉を寄せた。

「何のために?」

 ルシアンは一瞬、言葉を選んだ。

「世界を存続させるため」

「大きい」

「そうだね」

「もうちょっと小さい話かと思った」

「例えば?」

「すごい魔法使いを作ろう、とか」

「結果としては近いかもしれない」

 ルシアンは頁を指でなぞる。

「当時、この世界は滅亡に近い状態にあったらしい。原因については記録の欠損が多い。ただ、繰り返し出てくる言葉がある」

 リリアは嫌な予感がした。

「黒い月?」

 ルシアンの指が止まる。

「……そう」

 室内が静かになる。

「私が見たやつ」

「あれと同じものかは、まだ断定できない。でも記録には《黒月》とある」

「それで世界が終わる?」

「その可能性が高い」

 リリアは少し考える。

「最初のリリアは、それを止めるために作られた?」

「ああ」

「どうやって?」

「そこからが、昨日分かったことだ」

 ルシアンが別の頁を開く。

「彼女を構成したものは、大きく二つ」

 一つ目。

「生きたい、助かりたい、終わりたくないという、人々の願い」

「願いで人間が作れるの?」

「普通なら無理だよ」

「普通じゃなかった?」

「当時使われていた術式そのものが、今の魔法体系とは違う」

 そして。

「もう一つ」

 ルシアンの声が少し低くなった。

「一人の人間の魂、その半分」

 リリアが瞬いた。

「半分?」

「ああ」

「半分取ったら、その人どうなるの?」

「……生きられる場合もある」

「場合も?」

「正常ではいられない可能性が高い」

 リリアは記録へ視線を戻す。

「誰?」

 ルシアンは答えなかった。

「魂を使われた人」

「記録では名前が消えている」

「分からない?」

「現時点では」

 嘘ではない。

 けれど。

 ほんの一瞬。

 ルシアンの指が強く頁を押さえたことに、リリアは気づいた。

「ルシアン先輩」

「何?」

「本当に?」

 紫の瞳と紫の瞳がぶつかる。

 数秒。

「……記録からは、分からない」

 少し言い方が変わった。

 リリアはそれ以上追及しなかった。

「じゃあ、その二つで最初のリリアができた」

「そう考えられる」

「どんな人だったの?」

 今度は。

 ルシアンではなく。

 隣のノアが息を呑んだ。

 リリアはそちらを見る。

「ノアは知ってる?」

「……うん」

「会ったことある?」

「ある」

「アレン先輩も?」

「ああ」

「クロフォード先輩も」

「ある」

 三人。

 そして。

「ルシアン先輩も?」

「あるよ」

「じゃあ四人とも知ってるんだ」

 ずっと。

 自分の周りにいた四人が。

 自分ではないリリアを知っている。

 胸の奥が、少しだけ変な感じがした。

「似てた?」

 ノアが答える。

「顔は」

「声は?」

「似てた」

「魔法は?」

「……似てるところもあった」

「性格は?」

 今度はアレンが口を開いた。

「違う」

 即答だった。

「そんなに?」

「ああ」

「どう違う?」

「お前より――」

 アレンが言葉を止める。

「何?」

「……無茶苦茶だった」

「私もよく言われる」

「種類が違う」

「どんな?」

「自分を数に入れねえ」

 リリアは意味が分からず首を傾げた。

「人を助ける時、自分が死ぬかもしれないって考えが最初から抜けてた」

 アレンの声から、いつもの軽さが消えている。

「全員助けられるなら、自分一人くらいいいって本気で思ってる奴だった」

「……」

「だから嫌いだった」

「嫌い?」

「そういうところがな」

 アレンはリリアを見ない。

「死ぬほど好きだったけど、死ぬほど嫌いだった」

 その言葉に。

 リリアは何も返せなかった。

 過去の誰かへの恋。

 それを目の前で聞くのは、思っていたより奇妙だった。

 嫌ではない。

 でも。

 胸のどこかに、小さな棘が刺さる。

「アレン先輩は、その人が好きだったんだ」

「ああ」

 否定しなかった。

「今も?」

 アレンがようやく顔を上げた。

「忘れてねえ」

「それは、好きってこと?」

「違うとは言わねえ」

 正直だった。

 だからこそ。

「でも」

 赤い瞳がリリアを見る。

「お前と混ぜる気もねえよ」

「……」

「最初は混ぜてた」

「そうなの?」

「ああ」

 アレンは少し顔を顰める。

「似てる顔で、似てる声で、平気な顔して俺の前に出てきたからな」

「私何もしてない」

「知ってるよ」

「理不尽」

「だから悪かったって思ってる」

「謝ってない」

「……悪かった」

「許す」

「早えな」

「今は怒ってない」

「お前そういうとこ――」

 アレンが何か言いかけ、やめた。

「何?」

「何でもねえ」

     *

「世界は、一度で終わらなかった」

 ルシアンが話を戻した。

「正確には、一度終わったあと、再構築された」

「作り直した?」

「そう」

「誰が?」

「……それも、まだ全部は話せない」

「秘密?」

「僕自身が関わっている」

 リリアは黙った。

 ルシアンは続ける。

「世界は再構築された。そして、そのたびにリリアも戻った」

「最初の人が?」

「そこが難しい」

「同じ人じゃない?」

「僕たちは、同じだと思っていた」

 ノアが目を伏せる。

「十二回」

 リリアが言った。

 全員が彼女を見る。

「十二本の線」

「そう」

「十二回、世界が作り直された?」

「少なくとも記録上は」

「そのたびに、リリアがいた」

「ああ」

「ノアたちも?」

 沈黙。

 ノアが答える。

「いたよ」

「全部覚えてる?」

「僕はかなり」

「アレン先輩は?」

「ところどころ抜けてる。でも大体は」

「クロフォード先輩」

「覚えている」

「ルシアン先輩」

「僕も」

 リリアは正面を見る。

「レオン先輩は?」

 レオンハルトが静かに首を振る。

「僕は何も」

「本当に?」

「うん」

「でも、いた?」

 今度はルシアンが答えた。

「いたよ」

 レオンハルトの指先が僅かに動く。

「僕も、彼女を知っていたんですね」

「ああ」

「どんな関係だった?」

 ルシアンは答えない。

 ノアも。

 アレンも。

 カイルも。

 その沈黙が。

 何より分かりやすかった。

「……僕も好きだった?」

 レオンハルトが苦笑した。

 ルシアンが静かに答える。

「少なくとも、無関係ではなかった」

「随分ぼかしますね」

「君の過去を、僕が決めたくない」

「でも皆さんは覚えている」

「それでもだ」

 レオンハルトはしばらく黙っていた。

 それから。

「分かりました」

「いいの?」

 リリアが聞く。

「よくはないよ」

「怒ってる?」

「少し」

「誰に?」

「分からない」

 レオンハルトは笑った。

「忘れている自分かもしれないし、僕だけ置いていった過去かもしれない」

 そして。

「でも、今すぐ取り戻したいとは思わない」

「どうして?」

 青い瞳がリリアを見る。

「昨日も言ったけど」

 柔らかい声。

「僕が今、君を気にしている理由まで、過去の僕に渡したくないから」

 胸が。

 小さく鳴った。

「過去の僕が誰を好きだったとしても」

 レオンハルトは笑う。

「今、僕が君と話して楽しいこととは別だからね」

「……そっか」

「うん」

 それでいい気がした。

     *

「十二回」

 リリアは指で机を叩く。

「じゃあ今は十三回目?」

「僕たちもそう思っていた」

 ルシアンが言う。

「昨日までは」

「違う?」

「記録がない」

「何の?」

「十三回目の再構築記録」

 リリアの指が止まる。

「ないの?」

「どこにも」

「なくした?」

「可能性はある」

「でもルシアン先輩は、そう思ってない」

「……本当に分かりやすくなったな、僕」

「うん」

「少し困るね」

「答えて」

「思っていない」

 ルシアンは十三本の線を描いた紙を出す。

「十二本は、中央へ向かっている」

「十三本目は外」

「そう」

「前に言ってた」

「昨日の記録には、さらに《独立》《新規魂》という言葉があった」

「新しい魂?」

「ああ」

 リリアはしばらく考える。

「それ、私?」

「可能性がある」

「どれくらい?」

「数字にできるほど証拠はない」

「でも、ルシアン先輩はそう思ってる?」

「……かなり」

「じゃあ」

 リリアはゆっくり言った。

「私は、十三人目のリリアじゃない?」

「その可能性が高い」

「最初のリリアの生まれ変わりでもない?」

「おそらく」

「十二回いたリリアの続きでもない?」

「僕は、そう考え始めている」

 不思議だった。

 怖いと思っていた。

 自分が偽物だと言われるのかもしれないと。

 でも。

 実際に聞いた言葉は。

 逆だった。

「じゃあ私」

 リリアは自分の胸に手を当てる。

「本当に別人?」

「そうかもしれない」

「……」

 少しだけ。

 息が楽になった。

「リリア?」

 セシルが顔を覗き込む。

「何?」

「笑ってる」

「私?」

「うん」

 頬へ触れる。

 確かに。

 少し口元が上がっていた。

「なんでだろ」

「嬉しい?」

「分からない」

 でも。

「偽物じゃなかった」

 口にして。

 自分で気づいた。

 怖かったのだ。

 誰かの代わりであることが。

 みんなが見ているのが、本当は自分ではないことが。

「私、誰かの代わりじゃないんだ」

「最初からそう言ってるでしょ」

 セシルが言った。

「うん」

「遅いよ」

「ごめん」

「謝ることじゃないけど」

 セシルはリリアの手を取った。

 温かい。

 その時。

「一つ、いいですか」

 セシルがルシアンを見る。

「もちろん」

「第一のリリアという人がいた」

「うん」

「世界が十二回繰り返された」

「ああ」

「四人はそれを覚えている」

「そうだね」

「レオン先輩も、その世界にはいた」

「ああ」

「今のリリアは、そこから独立して生まれた新しい魂かもしれない」

「現時点では、それが一番有力だ」

「分かりました」

 セシルは一度頷いた。

 そして。

「それで」

 灰青の瞳が、静かに細くなる。

「今ここにいるリリアと、何の関係があるんですか?」

 誰も答えなかった。

「セシル?」

 リリアが隣を見る。

「だって、そうでしょ?」

 セシルは手を離さない。

「昔の人が誰を好きだったとか、誰と何を約束したとか、世界を何回救ったとか」

 ノアを見る。

 アレン。

 カイル。

 ルシアン。

 そしてレオンハルト。

「それは、その人の話ですよね」

「……そうだね」

 ノアが小さく答えた。

「リリアは知らない」

「うん」

「覚えてないんじゃなくて」

 セシルの声が少し強くなる。

「最初から経験してないのかもしれない」

 リリアの指を握る力が僅かに強くなった。

「だったら」

 セシルは言う。

「昔のリリアが誰を愛してたかなんて、この子には関係ないでしょう」

 胸の奥で。

 何かが大きく鳴った。

「……セシル」

「何?」

「かっこいい」

「今?」

「うん」

「真面目な話してるんだけど」

「でもかっこいい」

 セシルの頬が少し赤くなる。

「……ありがとう」

「照れた」

「照れてない」

「赤い」

「リリア」

 そのやり取りに。

 アレンが小さく笑った。

「アルヴェインの言う通りだ」

 セシルがアレンを見る。

「俺らが勝手に引きずってただけだ」

「アレン先輩」

「忘れろとは言われても無理だけどな」

 アレンはリリアを見る。

「でも、お前に背負わせるもんじゃねえ」

「……うん」

 ノアも頷いた。

「僕も」

 笑っていない。

「過去があったから君に近づいた。それは否定しない」

「うん」

「でも、それを理由に君から何かをもらう権利があるとは思ってない」

 カイルは長い間、黙っていた。

 やがて。

「俺が一番、区別できていなかった」

 低い声だった。

 リリアが彼を見る。

「クロフォード先輩?」

「お前を見るたびに、過去を見ていた」

 黒い瞳。

「また失うと思った」

「……」

「だから守ろうとした。お前が望んでいるかも考えずに」

 カイルは一度目を閉じた。

「悪かった」

「謝るの?」

「ああ」

「じゃあ」

 リリアは少し考える。

「今度から聞いて」

「何を」

「守っていいか」

「……」

「私は守られるの嫌いじゃない」

 カイルが目を開く。

「でも、勝手なのは嫌」

「分かった」

「あと私も守る」

「それは――」

「勝手に禁止しないで」

「……分かった」

「よし」

「何でお前が満足そうなんだ」

「話まとまったから」

 カイルの口元がほんの少し緩んだ。

     *

「ルシアン先輩」

「何?」

「最初のリリアは、誰が好きだったの?」

 空気が止まった。

「リリア」

 ノアが驚く。

「気になる」

「聞いてどうするんだよ」

 アレンが言う。

「分からない」

「じゃあ聞くなよ」

「でも気になる」

「お前な……」

 ルシアンだけが黙っていた。

「知ってる?」

「知ってる」

「誰?」

 長い沈黙。

 ルシアンは眼鏡の奥からリリアを見る。

「僕だよ」

「……」

 今度こそ。

 完全に静かになった。

「ルシアン先輩?」

「ああ」

「最初のリリアが?」

「僕を好きだった」

「……へえ」

「反応それだけ!?」

 アレンが叫ぶ。

「だって」

 リリアはルシアンを見る。

 いつもと同じ。

 紫の瞳。

 眼鏡。

 落ち着いた顔。

 でも。

 少しだけ。

 悲しそうに見えた。

「ルシアン先輩は?」

「何?」

「好きだった?」

 ルシアンの笑みが消えた。

「……愛していたよ」

 静かな声だった。

「誰よりも」

 胸の奥が。

 ちくりとした。

 今度は。

 はっきり分かった。

「……やだ」

 口から出た。

 ルシアンが瞬く。

「何が?」

「分からない」

「リリア?」

「なんか嫌」

 胸へ手を当てる。

「ここ変」

 ノアが目を細める。

 セシルも黙っている。

「病気?」

「違うと思うよ」

 レオンハルトが笑いを堪えるような顔をした。

「じゃあ何?」

「自分で考えた方がいい」

「またそれ」

「大事なことだからね」

 リリアは少し不満だった。

 ルシアンはそんな彼女を見て。

 ほんの少しだけ。

 笑った。

「安心して」

「何が?」

「僕が愛した彼女と、君を同じだとは思っていない」

「……」

「それに」

 ルシアンは眼鏡を押し上げる。

「今の僕が誰を好きになるかは、まだ僕の自由だろう?」

「……うん」

「君がそう言っていた」

「私?」

「自分で選ぶって」

「言った」

「僕もそうするよ」

 なぜか。

 胸の変な感じが。

 少しだけ軽くなった。

     *

「じゃあ最後」

 リリアが言った。

「まだあるの?」

 アレンが疲れた顔をする。

「大事」

「何だよ」

「私の名前」

 ルシアンの表情が変わる。

「昨日言ってたよね」

「……聞いていたわけじゃないだろう」

「言ってない」

「じゃあ何で?」

「今思った」

「相変わらず怖い勘だな」

「何が?」

 リリアは首を傾げる。

「私が最初のリリアと別人なら」

 自分の胸を指す。

「どうして私もリリアなの?」

 誰も答えない。

「偶然?」

「おそらく違う」

 ルシアンが言う。

「じゃあ誰かがつけた?」

「その可能性はある」

「誰?」

「分からない」

「本当の名前ある?」

 ルシアンは。

 今度こそ。

 目を見開いた。

「あるの?」

 リリアが身を乗り出す。

「……記録に」

「何て?」

「読めなかった」

「えー」

「僕のせいじゃないよ」

「途中まで?」

「《独立個体識別名》という表記だけ」

「そのあとが消えた?」

「そう」

「じゃあ探す」

「簡単に言うね」

「だって私の名前でしょ」

 リリアは笑った。

「知りたい」

 怖くない。

 むしろ。

 少し楽しみだった。

「リリアじゃない名前」

 セシルが隣で聞く。

「もし見つかったら、そっちにするの?」

「分からない」

「そっか」

「でも」

 リリアは少し考える。

「リリアも好き」

 十五年間。

 呼ばれてきた名前。

 父も母も。

 友達も。

 今ここにいるみんなも。

 自分を呼んできた名前。

「だから捨てない」

「うん」

「でも、もう一個あるなら」

 紫の瞳が輝く。

「それも私のものにする」

 ルシアンが笑った。

「欲張りだね」

「今日も言われた」

「知ってる」

「悪い?」

「いや」

 ルシアンは静かに首を振る。

「君らしいよ」

     *

 話が終わった頃には。

 外はすっかり暗くなっていた。

「お腹すいた」

「さっきあれだけ食っただろ!」

 アレンが叫ぶ。

「頭使った」

「どこで!?」

「いっぱい」

「糖分消費したのかもね」

 ノアが笑う。

「苺?」

「今日はもう駄目」

 セシルが止める。

「じゃあパン」

「それなら」

「寮まで送る」

 カイルが立つ。

「全員で?」

「……」

「七人?」

「何でそうなる」

「全員で帰るって言った」

「実戦祭は終わったぞ」

「でも帰る」

 レオンハルトが笑う。

「じゃあ行こうか」

「王子まで乗るな」

「王子やめてって言われてるんだけど」

「レオン先輩」

 リリアが呼ぶ。

「ほら」

「嬉しそう」

「少しね」

 ルシアンも記録を閉じた。

「僕も途中まで行こう」

「七人」

 リリアが満足そうに言う。

「多いな」

 アレンがぼやく。

「嫌?」

「嫌じゃねえ」

「じゃあいい」

 生徒会室を出る。

 長い廊下。

 七人分の足音。

 リリアは真ん中を歩いていた。

 自分ではないリリアがいた。

 世界は十二回繰り返された。

 四人はそれを覚えている。

 レオンハルトは忘れている。

 セシルは、そもそもそこにいない。

 そして自分は。

 その誰とも違う。

 怖い話のはずだった。

 でも。

 今は少しだけ。

 嬉しい。

 自分には。

 まだ知らない名前がある。

 まだ知らない過去ではなく。

 これから知る、自分自身のことがある。

「リリア」

 誰かが呼んだ。

「何?」

 振り返る。

 六人全員がこちらを見た。

「……誰?」

「僕」

 ノアが手を上げる。

「何?」

「呼んだだけ」

「変なの」

「うん」

 ノアは笑った。

「呼びたかったから」

 リリアも笑う。

 今は。

 この名前でいい。

 いつか。

 本当の名前を知る日が来ても。

 今日まで「リリア」と呼ばれて振り返った自分が。

 消えるわけではないから。

     *

 その夜。

 学院地下。

 誰もいない記録庫で。

 閉じられていたはずの古い本が。

 ひとりでに開いた。

 頁が捲れる。

 一枚。

 二枚。

 最後の白紙。

 淡い光が浮かぶ。

《独立個体識別名――》

 昨日は。

 そこまでだった。

 けれど今夜。

 その先に。

 一文字。

 また一文字。

 新しい文字が刻まれていく。

《E》

 そして。

《L》

 次。

《I》

 まだ。

 誰も見ていない。

 彼女自身さえ知らない。

 けれど。

 その名前は確かに。

 世界のどこかに。

 存在していた。
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