魔法より、君に恋をする。
第三十二章 理由がなくても
第三十二章 理由がなくても
春季実戦祭が終わった翌朝。
リリアは寝坊した。
「……まずい」
目を覚ました瞬間、窓から差し込む光の強さで分かった。
いつもの時間ではない。
時計を見る。
「まずい」
もう一度言った。
昨日、自分とは別のリリアがいたことを知った。
世界が十二回繰り返されたことも知った。
自分には別の名前があるかもしれないことも知った。
そんな重大な事実を一晩かけて受け止めた結果。
「寝坊した」
人生は厳しい。
ベッドから飛び降り、制服へ着替える。髪を整える時間はない。いつもなら丁寧に梳かす銀白色の長い髪を、今日は簡単にまとめた。
教科書。
杖。
課題。
「課題」
止まる。
机を見る。
「……やったっけ」
昨日は実戦祭。
そのあと食事。
生徒会室。
世界の真相。
「やってない」
提出は一限。
「終わった」
黒い月より怖かった。
*
「珍しいね」
「何が?」
「リリアが宿題忘れるの」
「昨日忙しかった」
「私も同じ授業なんだけど」
隣でセシルが笑っている。
教室。
一限開始五分前。
リリアは机へ向かい、ものすごい速度で魔法理論の課題を書いていた。
「セシル見せて」
「駄目」
「なんで?」
「写すでしょ」
「参考」
「言い方変えただけだよね?」
「三問目だけ」
「自分で考えて」
「時間ない」
「昨日の夜やればよかったでしょ」
「世界について考えてた」
「……それ言われると怒りにくいなあ」
セシルが困った顔をする。
「でも駄目」
「厳しい」
「リリアなら解けるから」
「時間が」
「あと四分」
「無理」
「三問目は術式効率の比較だよ」
「答え言った」
「ヒント」
「ありがとう」
「ずるいなあ」
前の席から女子生徒が振り返った。
「アステルさん、課題忘れたの?」
「うん」
「珍しい!」
「そんなに?」
「入学してから一回もなかったじゃん」
「まだそんなに経ってない」
「でも意外」
別の女子も寄ってくる。
「見せようか?」
「いいの?」
「駄目だよ」
セシルが止める。
「アルヴェインさん厳しい!」
「本人のためです」
「セシル先生」
「ほら、手動かして」
「はい」
結局。
教師が教室へ入ってきた瞬間。
「できた」
「本当に?」
「うん」
セシルが覗き込む。
「……全部合ってる」
「天才」
「自分で言うんだ」
「間に合ったから」
「そこ?」
課題を提出して。
席へ戻る。
教師が授業を始める。
いつも通りだった。
本当に。
驚くほど。
いつも通り。
黒い月も。
十二回の世界も。
第一のリリアも。
授業を休ませてはくれない。
リリアは教科書を開いた。
「……普通」
小さく呟く。
「何?」
セシルが囁く。
「なんでもない」
でも。
少しだけ安心した。
*
昼休み。
「食堂?」
セシルが聞く。
「うん」
「今日は何食べる?」
「昨日いっぱい食べたから軽いの」
「例えば?」
「パスタ」
「軽いかな?」
「苺つける」
「増えてるよ」
二人で教室を出る。
廊下を歩き。
階段を下り。
食堂へ向かう。
途中。
「リリア」
聞き慣れた声。
振り向く。
「ノア」
「見つけた」
「同じクラスだったのに?」
「終礼終わった瞬間いなくなったじゃん」
「お腹すいたから」
「僕も行く」
「いいよ」
三人。
歩く。
その先。
「お」
赤い髪。
「アレン先輩」
「飯か?」
「うん」
「俺も」
「いいよ」
「……」
アレンが一瞬止まる。
「何?」
「いや。普通に入れんだなと思って」
「駄目なの?」
「駄目じゃねえ」
四人。
階段を下りる。
「リリア」
今度は。
黒髪。
「クロフォード先輩」
「食堂か」
「うん」
「……俺も行く」
「いいよ」
「お前、誰でも入れるな」
「知ってる人だけ」
「ならいい」
五人。
食堂の前。
「随分集まってるね」
金髪。
「レオン先輩」
「こんにちは」
「ご飯?」
「そのつもりだったんだけど」
「一緒に食べる?」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
六人。
そして。
食堂へ入った瞬間。
「……」
窓際の席。
眼鏡。
紫の瞳。
一人で本を読みながら昼食を取っている。
「ルシアン先輩」
リリアが呼ぶ。
ルシアンが顔を上げる。
「こんにちは」
「一人?」
「見れば分かるだろう?」
「こっち来る?」
「……」
ルシアンが六人を見る。
それから。
少し笑った。
「いいの?」
「うん」
「じゃあ行こうかな」
七人。
結局。
いつもの人数になった。
*
「……何で?」
席についてから。
リリアが言った。
「何が?」
ノアが聞く。
「今日、実戦祭ない」
「ないね」
「訓練もない」
「ないね」
「部隊も終わった」
「そうだね」
「なのに全員いる」
一瞬。
全員が黙った。
「……確かに」
レオンハルトが笑う。
「考えてなかった」
「俺はたまたまだ」
アレンが言う。
「僕もたまたま」
ノア。
「俺もだ」
カイル。
「私はリリアと食べる予定だったよ」
セシル。
「僕は誘われたから」
ルシアン。
最後。
レオンハルトが困ったように笑う。
「僕も偶然会っただけだね」
「じゃあ偶然」
リリアが結論を出す。
「六回重なった?」
「それはもう偶然って言わないんじゃない?」
セシルが笑う。
「じゃあ何?」
誰も答えなかった。
ノアがパンを千切りながら言う。
「会いたかったんじゃない?」
「誰が?」
「みんな」
「誰に?」
「それ聞く?」
「うん」
「君に」
リリアの動きが止まった。
「……全員?」
「俺を勝手に入れんな!」
アレンが即座に言う。
「違うの?」
「……」
「アレン先輩?」
「うるせえ!」
「答えてない」
「飯食え!」
「逃げた」
「逃げてねえ!」
「顔赤いよ」
セシルが言う。
「アルヴェイン!」
「事実です」
「お前最近遠慮なくなったな!?」
「仲良くなりましたから」
「俺は認めてねえ!」
「私は認めてます」
「勝手だな!」
リリアは笑った。
なんとなく。
嬉しかった。
*
「そういえば」
食事の途中。
レオンハルトが口を開いた。
「実戦祭が終わったから、部隊として集まる理由はなくなったんだよね」
「さっき言った」
「うん。それで思ったんだけど」
レオンハルトは六人を見る。
「このまま解散する?」
静かになった。
「解散?」
リリアが聞く。
「もちろん、同じ学院にいるから会うことはある。でも、学年も違うし」
一年生。
リリア、ノア、セシル。
二年生。
レオンハルト、アレン。
三年生。
カイル、ルシアン。
「来年には卒業する人もいる」
リリアの手が止まった。
カイル。
ルシアン。
三年生。
「……卒業」
「そこ今気づいた?」
ルシアンが苦笑する。
「知ってた」
「顔が知らなかった顔だけど」
「知ってたけど考えてなかった」
「まだ先だよ」
「でも卒業する?」
「順調ならね」
「しない方法は?」
「留年を勧めないでくれる?」
「ルシアン先輩ならわざとできそう」
「できるけど、したくない」
「クロフォード先輩は?」
「俺を見るな」
「留年」
「しない」
「そっか」
なんとなく。
嫌だった。
「リリア?」
セシルが気づく。
「何?」
「寂しい?」
「……」
考える。
「たぶん」
カイルの目が少し動く。
ルシアンも。
「卒業しても会えるよ」
レオンハルトが言う。
「本当に?」
「少なくとも僕は会うつもりだけど」
「レオン先輩まだ来年いる」
「そのあともだよ」
「王宮忙しくない?」
「時間くらい作る」
「私のために?」
レオンハルトが止まった。
「……うん」
「そっか」
「そこで普通に受け取るんだ」
ノアが呟く。
「何?」
「何でもない」
「変なの」
「最近そればっかり言われる」
*
「なら」
ルシアンがカップを置いた。
「理由を作ればいいんじゃない?」
「何の?」
「集まる理由」
全員が彼を見る。
「部隊がなくなったから会わなくなるのが嫌なら、別の理由を作ればいい」
「例えば?」
「定期的に食事するとか」
「七人で?」
「嫌なら六人でもいいけど」
「ルシアン先輩抜けるの?」
「そういう意味じゃないよ」
「七人」
「はいはい」
「毎日?」
「多い」
カイルが即答した。
「じゃあ週一」
ノアが提案する。
「少なくない?」
リリア。
「毎日と週一の間が広すぎるね」
レオンハルトが笑う。
「昼なら会える日は一緒に食えばいいだろ」
アレンが言う。
「決める必要あんのか?」
「ない?」
「会いてえ時に来りゃいい」
リリアが瞬く。
「それでいい?」
「いいだろ」
「約束なくても?」
「なくても来る」
アレンは普通に言った。
言ったあと。
自分で気づいたらしい。
「……」
ノアが笑う。
「へえ」
「何だよ」
「別に?」
「殴るぞ」
「暴力反対」
「顔が腹立つ!」
「アレン先輩」
リリアが呼ぶ。
「あ?」
「私も」
「何が」
「会いたくなったら行く」
「……おう」
「嫌って言っても?」
「言わねえよ」
「じゃあ行く」
アレンは耳まで赤くなっていた。
*
午後。
授業が終わる。
「今日は剣術部」
セシルが言った。
「見に行っていい?」
「もちろん」
「じゃあ――」
「リリア」
別の声。
ノア。
「図書館行かない?」
「今日?」
「うん」
「でもセシルの剣術」
「あ」
ノアが止まる。
さらに。
「アステル」
廊下の先。
カイル。
「クロフォード先輩」
「昨日の術式について確認したいことがある」
「今?」
「時間があるなら」
「あるけど」
「リリア」
今度はレオンハルト。
「レオン先輩まで」
「僕だけ『まで』?」
「いっぱい来た」
「何の話?」
「今からセシルの剣術見て、ノアと図書館行って、クロフォード先輩と術式見る」
「忙しいね」
「レオン先輩は?」
「少し散歩でもどうかと思って」
「追加」
「無理しなくていいよ」
「行きたい」
レオンハルトが一瞬黙る。
「……そっか」
「時間ずらせる?」
「もちろん」
「じゃあ――」
「お前ら」
さらに。
赤髪。
「アレン先輩」
「何集まってんだ」
「予定決めてる」
「何の」
「今日の」
「俺も入れろ」
「何する?」
「……」
アレンが考える。
「飯」
「さっき食べた」
「夜!」
「なるほど」
「入れるなよ」
ノアが笑う。
「何でだよ!」
「もう予定いっぱいだよ」
「お前の図書館削れ!」
「嫌だよ」
「剣術部は?」
「削らない」
セシルが即答する。
「クロフォード先輩の術式は?」
「必要事項だ」
「レオンハルトは?」
「僕だけ呼び捨て?」
「王子は後回しでいいだろ!」
「酷いな」
五人が言い合っている。
リリアは。
少しずつ。
眉を寄せた。
「待って」
止まらない。
「待って」
まだ話している。
「うるさい!」
全員が止まった。
「……」
「私が決める」
「はい」
ノアが即答した。
「まずセシル」
「うん」
「剣術部見る」
「待ってる」
「そのあとクロフォード先輩」
「ああ」
「術式」
「分かった」
「ノア」
「はい」
「図書館は明日」
「えー」
「駄目?」
「……駄目じゃない」
「じゃあ明日」
「約束ね」
「うん」
「レオン先輩」
「僕はいつでも」
「夕方」
「いいよ」
「アレン先輩」
「俺最後かよ」
「夜ご飯でしょ」
「まあ」
「みんなで食べる」
「二人じゃねえのかよ!」
「二人って言ってない」
「……言ってねえな」
「じゃあ決まり」
満足。
「待って」
セシルが言った。
「何?」
「それ全部やったら、リリア休む時間ないよ」
「……」
「実戦祭三日やった翌日だよ?」
「元気」
「駄目」
「でも」
「予定減らそう」
「どれ?」
「今日は剣術部見なくていい」
「嫌」
「リリア」
「見たい」
「……」
「セシル見たい」
セシルが固まった。
「……それは」
「何?」
「ずるいなあ」
「今日二回目」
「誰に言われたの?」
「ノア」
「同意見」
結局。
術式確認は翌日。
図書館も翌日。
散歩は週末。
今日残ったのは。
セシルの剣術部見学と。
全員で夕食。
「減った」
「十分だよ」
「暇になった」
「休む時間を暇って言わないの」
*
剣術部の訓練場。
リリアは壁際の長椅子に座っていた。
目の前。
セシルが剣を振るう。
綺麗だった。
無駄がない。
長い手足。
青い髪が動くたびに揺れる。
「……かっこいい」
思わず呟く。
近くにいた女子生徒が激しく頷いた。
「分かる」
「うん」
「アルヴェインさん本当に格好いいよね」
「うん」
「女子なのに王子様みたい」
「女子でも王子様でいいと思う」
「分かる!」
二人で頷く。
その瞬間。
訓練場の向こうで。
セシルと目が合った。
リリアは手を振る。
セシルが笑った。
周囲の女子たちから、小さな悲鳴が上がった。
「今こっち見た!」
「笑った!」
「格好いい!」
「私に」
リリアが言った。
「え?」
「たぶん私に笑った」
「アステルさん強い……」
「魔法?」
「そっちじゃない」
「?」
*
練習後。
「リリア」
セシルが駆けてくる。
額に薄く汗。
「待った?」
「全然」
「どうだった?」
「かっこよかった」
「……」
「みんなも言ってた」
「みんな?」
「あっちの女子」
「そっか」
「人気」
「まあ、少しは」
「嬉しい?」
「応援してもらえるのは嬉しいよ」
「ふーん」
リリアは何となく。
さっきセシルを見ていた女子たちを見る。
「どうしたの?」
「別に」
「……リリア」
「何?」
「もしかして」
セシルが少しだけ笑う。
「妬いてる?」
「焼いてない」
「そっちの焼くじゃないよ」
「分かってる」
「じゃあ?」
「分からない」
「そっか」
セシルはそれ以上追及しなかった。
ただ。
少し嬉しそうだった。
「何笑ってるの?」
「秘密」
「最近みんな秘密多い」
「これは楽しい方」
「ルシアン先輩も言ってた」
「……それはちょっと複雑だな」
「何で?」
「秘密」
「また」
*
夕方。
結局。
七人で食堂にいた。
「今日もいる」
リリアが言う。
「もう驚かなくてよくない?」
ノアが笑う。
「昨日まで部隊だったから」
「今日は?」
「……友達?」
一瞬。
妙な沈黙。
「違う?」
リリアが聞く。
「いや」
レオンハルトが最初に笑った。
「友達でいいよ」
「僕はもうちょっと欲しいけど」
ノア。
「欲しい?」
「こっちの話」
「変なの」
「俺は先輩だ」
アレン。
「友達じゃない?」
「……友達でもいい」
「どっち?」
「細けえな!」
「クロフォード先輩は?」
「俺に振るな」
「友達?」
「……」
「違う?」
「好きに呼べ」
「じゃあ友達」
「……ああ」
「ルシアン先輩」
「僕?」
「友達?」
ルシアンは少し考える。
「それだけ?」
「嫌?」
「嫌ではないよ」
「じゃあ友達」
「今はそれでいいかな」
「今は?」
「そのうち」
「またそのうち」
「便利だからね」
最後。
セシル。
「セシルは友達」
「うん」
「親友?」
「……」
セシルが一瞬黙る。
「親友?」
リリアがもう一度聞く。
「そうだね」
笑う。
「今は」
「セシルまで!」
全員が笑った。
「なんで!?」
「リリア」
ノアが笑いながら言う。
「君、そろそろ気づいた方がいいよ」
「何に?」
「それは自分で」
「教えて」
「嫌」
「けち」
「そういうのは、教えてもらうものじゃないからね」
分からない。
でも。
なぜか。
胸が少しだけ騒がしかった。
*
夜。
寮へ戻る前。
七人が別れる場所。
「じゃあまた明日」
リリアが言った。
自然に。
誰かが答える。
「また明日」
もう一人。
「明日な」
「おやすみ」
「寝坊するなよ」
「しない」
「課題も」
「やる」
「本当に?」
「たぶん」
「今やれ」
「明日の朝」
「今日やれ」
笑いながら。
一人ずつ別れていく。
最後に。
リリアはふと立ち止まった。
「……あ」
「どうしたの?」
隣に残っていたセシルが聞く。
「理由」
「何の?」
「集まる理由」
「うん」
リリアは少し考えた。
「いらなかった」
セシルが笑う。
「そうだね」
「会いたかったら会えばいい」
「うん」
「簡単だった」
「最初からね」
二人で女子寮へ向かう。
その途中。
リリアは思った。
十二回の世界で。
誰と誰が出会ったのか。
誰が誰を好きだったのか。
誰とどんな約束をしたのか。
それはまだ知らない。
いつか知るのかもしれない。
でも。
今ここにいる七人が一緒に食事をした理由は。
過去ではない。
実戦祭でも。
術式でも。
黒い月でもない。
ただ。
会いたかったから。
それだけだった。
そして。
それが。
リリアには、少し嬉しかった。
*
同じ夜。
学院地下の記録庫。
誰もいない部屋で。
古い本が、また開いた。
《独立個体識別名――》
昨日。
三文字まで浮かんでいた名前。
《ELI》
淡い光が続く。
一文字。
《C》
そして。
《I》
最後に。
《A》
文字が完成する。
《ELICIA》
エリシア。
誰にも呼ばれたことのない名前。
まだ。
本人さえ知らない名前。
その下に。
新しい一文が浮かび上がった。
《所属世界――未登録》
そして。
《生成原因――》
一度。
文字が揺らぐ。
やがて。
《選択》
ただ一語。
それを最後に。
本は静かに閉じた。
春季実戦祭が終わった翌朝。
リリアは寝坊した。
「……まずい」
目を覚ました瞬間、窓から差し込む光の強さで分かった。
いつもの時間ではない。
時計を見る。
「まずい」
もう一度言った。
昨日、自分とは別のリリアがいたことを知った。
世界が十二回繰り返されたことも知った。
自分には別の名前があるかもしれないことも知った。
そんな重大な事実を一晩かけて受け止めた結果。
「寝坊した」
人生は厳しい。
ベッドから飛び降り、制服へ着替える。髪を整える時間はない。いつもなら丁寧に梳かす銀白色の長い髪を、今日は簡単にまとめた。
教科書。
杖。
課題。
「課題」
止まる。
机を見る。
「……やったっけ」
昨日は実戦祭。
そのあと食事。
生徒会室。
世界の真相。
「やってない」
提出は一限。
「終わった」
黒い月より怖かった。
*
「珍しいね」
「何が?」
「リリアが宿題忘れるの」
「昨日忙しかった」
「私も同じ授業なんだけど」
隣でセシルが笑っている。
教室。
一限開始五分前。
リリアは机へ向かい、ものすごい速度で魔法理論の課題を書いていた。
「セシル見せて」
「駄目」
「なんで?」
「写すでしょ」
「参考」
「言い方変えただけだよね?」
「三問目だけ」
「自分で考えて」
「時間ない」
「昨日の夜やればよかったでしょ」
「世界について考えてた」
「……それ言われると怒りにくいなあ」
セシルが困った顔をする。
「でも駄目」
「厳しい」
「リリアなら解けるから」
「時間が」
「あと四分」
「無理」
「三問目は術式効率の比較だよ」
「答え言った」
「ヒント」
「ありがとう」
「ずるいなあ」
前の席から女子生徒が振り返った。
「アステルさん、課題忘れたの?」
「うん」
「珍しい!」
「そんなに?」
「入学してから一回もなかったじゃん」
「まだそんなに経ってない」
「でも意外」
別の女子も寄ってくる。
「見せようか?」
「いいの?」
「駄目だよ」
セシルが止める。
「アルヴェインさん厳しい!」
「本人のためです」
「セシル先生」
「ほら、手動かして」
「はい」
結局。
教師が教室へ入ってきた瞬間。
「できた」
「本当に?」
「うん」
セシルが覗き込む。
「……全部合ってる」
「天才」
「自分で言うんだ」
「間に合ったから」
「そこ?」
課題を提出して。
席へ戻る。
教師が授業を始める。
いつも通りだった。
本当に。
驚くほど。
いつも通り。
黒い月も。
十二回の世界も。
第一のリリアも。
授業を休ませてはくれない。
リリアは教科書を開いた。
「……普通」
小さく呟く。
「何?」
セシルが囁く。
「なんでもない」
でも。
少しだけ安心した。
*
昼休み。
「食堂?」
セシルが聞く。
「うん」
「今日は何食べる?」
「昨日いっぱい食べたから軽いの」
「例えば?」
「パスタ」
「軽いかな?」
「苺つける」
「増えてるよ」
二人で教室を出る。
廊下を歩き。
階段を下り。
食堂へ向かう。
途中。
「リリア」
聞き慣れた声。
振り向く。
「ノア」
「見つけた」
「同じクラスだったのに?」
「終礼終わった瞬間いなくなったじゃん」
「お腹すいたから」
「僕も行く」
「いいよ」
三人。
歩く。
その先。
「お」
赤い髪。
「アレン先輩」
「飯か?」
「うん」
「俺も」
「いいよ」
「……」
アレンが一瞬止まる。
「何?」
「いや。普通に入れんだなと思って」
「駄目なの?」
「駄目じゃねえ」
四人。
階段を下りる。
「リリア」
今度は。
黒髪。
「クロフォード先輩」
「食堂か」
「うん」
「……俺も行く」
「いいよ」
「お前、誰でも入れるな」
「知ってる人だけ」
「ならいい」
五人。
食堂の前。
「随分集まってるね」
金髪。
「レオン先輩」
「こんにちは」
「ご飯?」
「そのつもりだったんだけど」
「一緒に食べる?」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
六人。
そして。
食堂へ入った瞬間。
「……」
窓際の席。
眼鏡。
紫の瞳。
一人で本を読みながら昼食を取っている。
「ルシアン先輩」
リリアが呼ぶ。
ルシアンが顔を上げる。
「こんにちは」
「一人?」
「見れば分かるだろう?」
「こっち来る?」
「……」
ルシアンが六人を見る。
それから。
少し笑った。
「いいの?」
「うん」
「じゃあ行こうかな」
七人。
結局。
いつもの人数になった。
*
「……何で?」
席についてから。
リリアが言った。
「何が?」
ノアが聞く。
「今日、実戦祭ない」
「ないね」
「訓練もない」
「ないね」
「部隊も終わった」
「そうだね」
「なのに全員いる」
一瞬。
全員が黙った。
「……確かに」
レオンハルトが笑う。
「考えてなかった」
「俺はたまたまだ」
アレンが言う。
「僕もたまたま」
ノア。
「俺もだ」
カイル。
「私はリリアと食べる予定だったよ」
セシル。
「僕は誘われたから」
ルシアン。
最後。
レオンハルトが困ったように笑う。
「僕も偶然会っただけだね」
「じゃあ偶然」
リリアが結論を出す。
「六回重なった?」
「それはもう偶然って言わないんじゃない?」
セシルが笑う。
「じゃあ何?」
誰も答えなかった。
ノアがパンを千切りながら言う。
「会いたかったんじゃない?」
「誰が?」
「みんな」
「誰に?」
「それ聞く?」
「うん」
「君に」
リリアの動きが止まった。
「……全員?」
「俺を勝手に入れんな!」
アレンが即座に言う。
「違うの?」
「……」
「アレン先輩?」
「うるせえ!」
「答えてない」
「飯食え!」
「逃げた」
「逃げてねえ!」
「顔赤いよ」
セシルが言う。
「アルヴェイン!」
「事実です」
「お前最近遠慮なくなったな!?」
「仲良くなりましたから」
「俺は認めてねえ!」
「私は認めてます」
「勝手だな!」
リリアは笑った。
なんとなく。
嬉しかった。
*
「そういえば」
食事の途中。
レオンハルトが口を開いた。
「実戦祭が終わったから、部隊として集まる理由はなくなったんだよね」
「さっき言った」
「うん。それで思ったんだけど」
レオンハルトは六人を見る。
「このまま解散する?」
静かになった。
「解散?」
リリアが聞く。
「もちろん、同じ学院にいるから会うことはある。でも、学年も違うし」
一年生。
リリア、ノア、セシル。
二年生。
レオンハルト、アレン。
三年生。
カイル、ルシアン。
「来年には卒業する人もいる」
リリアの手が止まった。
カイル。
ルシアン。
三年生。
「……卒業」
「そこ今気づいた?」
ルシアンが苦笑する。
「知ってた」
「顔が知らなかった顔だけど」
「知ってたけど考えてなかった」
「まだ先だよ」
「でも卒業する?」
「順調ならね」
「しない方法は?」
「留年を勧めないでくれる?」
「ルシアン先輩ならわざとできそう」
「できるけど、したくない」
「クロフォード先輩は?」
「俺を見るな」
「留年」
「しない」
「そっか」
なんとなく。
嫌だった。
「リリア?」
セシルが気づく。
「何?」
「寂しい?」
「……」
考える。
「たぶん」
カイルの目が少し動く。
ルシアンも。
「卒業しても会えるよ」
レオンハルトが言う。
「本当に?」
「少なくとも僕は会うつもりだけど」
「レオン先輩まだ来年いる」
「そのあともだよ」
「王宮忙しくない?」
「時間くらい作る」
「私のために?」
レオンハルトが止まった。
「……うん」
「そっか」
「そこで普通に受け取るんだ」
ノアが呟く。
「何?」
「何でもない」
「変なの」
「最近そればっかり言われる」
*
「なら」
ルシアンがカップを置いた。
「理由を作ればいいんじゃない?」
「何の?」
「集まる理由」
全員が彼を見る。
「部隊がなくなったから会わなくなるのが嫌なら、別の理由を作ればいい」
「例えば?」
「定期的に食事するとか」
「七人で?」
「嫌なら六人でもいいけど」
「ルシアン先輩抜けるの?」
「そういう意味じゃないよ」
「七人」
「はいはい」
「毎日?」
「多い」
カイルが即答した。
「じゃあ週一」
ノアが提案する。
「少なくない?」
リリア。
「毎日と週一の間が広すぎるね」
レオンハルトが笑う。
「昼なら会える日は一緒に食えばいいだろ」
アレンが言う。
「決める必要あんのか?」
「ない?」
「会いてえ時に来りゃいい」
リリアが瞬く。
「それでいい?」
「いいだろ」
「約束なくても?」
「なくても来る」
アレンは普通に言った。
言ったあと。
自分で気づいたらしい。
「……」
ノアが笑う。
「へえ」
「何だよ」
「別に?」
「殴るぞ」
「暴力反対」
「顔が腹立つ!」
「アレン先輩」
リリアが呼ぶ。
「あ?」
「私も」
「何が」
「会いたくなったら行く」
「……おう」
「嫌って言っても?」
「言わねえよ」
「じゃあ行く」
アレンは耳まで赤くなっていた。
*
午後。
授業が終わる。
「今日は剣術部」
セシルが言った。
「見に行っていい?」
「もちろん」
「じゃあ――」
「リリア」
別の声。
ノア。
「図書館行かない?」
「今日?」
「うん」
「でもセシルの剣術」
「あ」
ノアが止まる。
さらに。
「アステル」
廊下の先。
カイル。
「クロフォード先輩」
「昨日の術式について確認したいことがある」
「今?」
「時間があるなら」
「あるけど」
「リリア」
今度はレオンハルト。
「レオン先輩まで」
「僕だけ『まで』?」
「いっぱい来た」
「何の話?」
「今からセシルの剣術見て、ノアと図書館行って、クロフォード先輩と術式見る」
「忙しいね」
「レオン先輩は?」
「少し散歩でもどうかと思って」
「追加」
「無理しなくていいよ」
「行きたい」
レオンハルトが一瞬黙る。
「……そっか」
「時間ずらせる?」
「もちろん」
「じゃあ――」
「お前ら」
さらに。
赤髪。
「アレン先輩」
「何集まってんだ」
「予定決めてる」
「何の」
「今日の」
「俺も入れろ」
「何する?」
「……」
アレンが考える。
「飯」
「さっき食べた」
「夜!」
「なるほど」
「入れるなよ」
ノアが笑う。
「何でだよ!」
「もう予定いっぱいだよ」
「お前の図書館削れ!」
「嫌だよ」
「剣術部は?」
「削らない」
セシルが即答する。
「クロフォード先輩の術式は?」
「必要事項だ」
「レオンハルトは?」
「僕だけ呼び捨て?」
「王子は後回しでいいだろ!」
「酷いな」
五人が言い合っている。
リリアは。
少しずつ。
眉を寄せた。
「待って」
止まらない。
「待って」
まだ話している。
「うるさい!」
全員が止まった。
「……」
「私が決める」
「はい」
ノアが即答した。
「まずセシル」
「うん」
「剣術部見る」
「待ってる」
「そのあとクロフォード先輩」
「ああ」
「術式」
「分かった」
「ノア」
「はい」
「図書館は明日」
「えー」
「駄目?」
「……駄目じゃない」
「じゃあ明日」
「約束ね」
「うん」
「レオン先輩」
「僕はいつでも」
「夕方」
「いいよ」
「アレン先輩」
「俺最後かよ」
「夜ご飯でしょ」
「まあ」
「みんなで食べる」
「二人じゃねえのかよ!」
「二人って言ってない」
「……言ってねえな」
「じゃあ決まり」
満足。
「待って」
セシルが言った。
「何?」
「それ全部やったら、リリア休む時間ないよ」
「……」
「実戦祭三日やった翌日だよ?」
「元気」
「駄目」
「でも」
「予定減らそう」
「どれ?」
「今日は剣術部見なくていい」
「嫌」
「リリア」
「見たい」
「……」
「セシル見たい」
セシルが固まった。
「……それは」
「何?」
「ずるいなあ」
「今日二回目」
「誰に言われたの?」
「ノア」
「同意見」
結局。
術式確認は翌日。
図書館も翌日。
散歩は週末。
今日残ったのは。
セシルの剣術部見学と。
全員で夕食。
「減った」
「十分だよ」
「暇になった」
「休む時間を暇って言わないの」
*
剣術部の訓練場。
リリアは壁際の長椅子に座っていた。
目の前。
セシルが剣を振るう。
綺麗だった。
無駄がない。
長い手足。
青い髪が動くたびに揺れる。
「……かっこいい」
思わず呟く。
近くにいた女子生徒が激しく頷いた。
「分かる」
「うん」
「アルヴェインさん本当に格好いいよね」
「うん」
「女子なのに王子様みたい」
「女子でも王子様でいいと思う」
「分かる!」
二人で頷く。
その瞬間。
訓練場の向こうで。
セシルと目が合った。
リリアは手を振る。
セシルが笑った。
周囲の女子たちから、小さな悲鳴が上がった。
「今こっち見た!」
「笑った!」
「格好いい!」
「私に」
リリアが言った。
「え?」
「たぶん私に笑った」
「アステルさん強い……」
「魔法?」
「そっちじゃない」
「?」
*
練習後。
「リリア」
セシルが駆けてくる。
額に薄く汗。
「待った?」
「全然」
「どうだった?」
「かっこよかった」
「……」
「みんなも言ってた」
「みんな?」
「あっちの女子」
「そっか」
「人気」
「まあ、少しは」
「嬉しい?」
「応援してもらえるのは嬉しいよ」
「ふーん」
リリアは何となく。
さっきセシルを見ていた女子たちを見る。
「どうしたの?」
「別に」
「……リリア」
「何?」
「もしかして」
セシルが少しだけ笑う。
「妬いてる?」
「焼いてない」
「そっちの焼くじゃないよ」
「分かってる」
「じゃあ?」
「分からない」
「そっか」
セシルはそれ以上追及しなかった。
ただ。
少し嬉しそうだった。
「何笑ってるの?」
「秘密」
「最近みんな秘密多い」
「これは楽しい方」
「ルシアン先輩も言ってた」
「……それはちょっと複雑だな」
「何で?」
「秘密」
「また」
*
夕方。
結局。
七人で食堂にいた。
「今日もいる」
リリアが言う。
「もう驚かなくてよくない?」
ノアが笑う。
「昨日まで部隊だったから」
「今日は?」
「……友達?」
一瞬。
妙な沈黙。
「違う?」
リリアが聞く。
「いや」
レオンハルトが最初に笑った。
「友達でいいよ」
「僕はもうちょっと欲しいけど」
ノア。
「欲しい?」
「こっちの話」
「変なの」
「俺は先輩だ」
アレン。
「友達じゃない?」
「……友達でもいい」
「どっち?」
「細けえな!」
「クロフォード先輩は?」
「俺に振るな」
「友達?」
「……」
「違う?」
「好きに呼べ」
「じゃあ友達」
「……ああ」
「ルシアン先輩」
「僕?」
「友達?」
ルシアンは少し考える。
「それだけ?」
「嫌?」
「嫌ではないよ」
「じゃあ友達」
「今はそれでいいかな」
「今は?」
「そのうち」
「またそのうち」
「便利だからね」
最後。
セシル。
「セシルは友達」
「うん」
「親友?」
「……」
セシルが一瞬黙る。
「親友?」
リリアがもう一度聞く。
「そうだね」
笑う。
「今は」
「セシルまで!」
全員が笑った。
「なんで!?」
「リリア」
ノアが笑いながら言う。
「君、そろそろ気づいた方がいいよ」
「何に?」
「それは自分で」
「教えて」
「嫌」
「けち」
「そういうのは、教えてもらうものじゃないからね」
分からない。
でも。
なぜか。
胸が少しだけ騒がしかった。
*
夜。
寮へ戻る前。
七人が別れる場所。
「じゃあまた明日」
リリアが言った。
自然に。
誰かが答える。
「また明日」
もう一人。
「明日な」
「おやすみ」
「寝坊するなよ」
「しない」
「課題も」
「やる」
「本当に?」
「たぶん」
「今やれ」
「明日の朝」
「今日やれ」
笑いながら。
一人ずつ別れていく。
最後に。
リリアはふと立ち止まった。
「……あ」
「どうしたの?」
隣に残っていたセシルが聞く。
「理由」
「何の?」
「集まる理由」
「うん」
リリアは少し考えた。
「いらなかった」
セシルが笑う。
「そうだね」
「会いたかったら会えばいい」
「うん」
「簡単だった」
「最初からね」
二人で女子寮へ向かう。
その途中。
リリアは思った。
十二回の世界で。
誰と誰が出会ったのか。
誰が誰を好きだったのか。
誰とどんな約束をしたのか。
それはまだ知らない。
いつか知るのかもしれない。
でも。
今ここにいる七人が一緒に食事をした理由は。
過去ではない。
実戦祭でも。
術式でも。
黒い月でもない。
ただ。
会いたかったから。
それだけだった。
そして。
それが。
リリアには、少し嬉しかった。
*
同じ夜。
学院地下の記録庫。
誰もいない部屋で。
古い本が、また開いた。
《独立個体識別名――》
昨日。
三文字まで浮かんでいた名前。
《ELI》
淡い光が続く。
一文字。
《C》
そして。
《I》
最後に。
《A》
文字が完成する。
《ELICIA》
エリシア。
誰にも呼ばれたことのない名前。
まだ。
本人さえ知らない名前。
その下に。
新しい一文が浮かび上がった。
《所属世界――未登録》
そして。
《生成原因――》
一度。
文字が揺らぐ。
やがて。
《選択》
ただ一語。
それを最後に。
本は静かに閉じた。