魔法より、君に恋をする。
第三十三章 同じじゃない
翌朝。
リリアは寝坊しなかった。
課題も終わっている。
髪もいつも通り整えた。
朝食も食べた。
完璧だった。
「眠い」
「完璧じゃないね」
隣を歩くセシルが笑った。
「昨日ちゃんと寝た」
「何時?」
「一時」
「ちゃんとじゃない」
「課題やったから」
「朝やらなかったのは偉いよ」
「成長した」
「基準低くない?」
二人で教室へ入る。
席へ向かおうとして。
「リリア」
呼ばれた。
窓際。
ノアが本を一冊持っている。
「今日、忘れてない?」
「何を?」
「図書館」
「あ」
「忘れてた?」
「今思い出した」
「ひどい」
「行く」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ放課後」
「でもクロフォード先輩とも術式見る」
「……」
「昨日延期した」
「何時?」
「決めてない」
「じゃあ僕が先」
「何で?」
「先に約束した」
「そうだっけ」
「昨日した」
「その前にクロフォード先輩とも昨日――」
「リリア」
「何?」
セシルが鞄を置きながら言った。
「今日は自分で予定表作ろうね」
「必要?」
「必要」
「そんなに?」
「たぶん」
ノアが笑った。
「僕もそう思う」
*
昼休み。
リリアは紙を一枚机に置いた。
「予定表」
「作ったんだ」
セシルが覗く。
「うん」
紙には。
《放課後 ノア 図書館》
《そのあと クロフォード先輩 術式》
そこまで書いてある。
「二つだけ?」
「今日は」
「それなら大丈夫そう」
「あと」
リリアは下に書き足した。
《ルシアン先輩 聞きたいこと》
「増えた」
「昨日思いついた」
「何を聞くの?」
「秘密」
「私にも?」
「聞いてから話す」
「そっか」
セシルは笑う。
「じゃあ待ってる」
「何を?」
「話してくれるの」
さらりと言われて。
リリアは少しだけ止まった。
「……うん」
こういうところ。
セシルは聞かない。
聞かないのに。
話したくなる。
不思議だった。
*
放課後。
図書館。
「こっち」
ノアが迷いなく奥へ進む。
「詳しいね」
「よく来るから」
「意外」
「僕、本読むよ?」
「寝てそう」
「どういう印象?」
「窓辺で昼寝」
「それもする」
「やっぱり」
ノアが笑う。
案内されたのは、魔法史の棚だった。
「これ」
一冊の本を渡される。
「古代魔術?」
「うん」
「昨日の話と関係ある?」
「少し」
リリアは表紙を見る。
「遊びじゃなかった」
「遊びだと思ってた?」
「デートって言うかと思った」
ノアの動きが止まった。
「……リリア」
「何?」
「そういうこと、普通に言うようになったね」
「何が?」
「デート」
「セシルとはした」
「知ってる」
「何でちょっと嫌そうなの?」
「嫌だから」
「何が?」
「君がセシルとデートしたこと」
「まだ言ってる」
「言うよ」
ノアは本棚へ寄りかかる。
「僕ともする?」
「図書館?」
「じゃなくて」
「二人で出かける?」
「うん」
「いいよ」
「……」
「いつ?」
「待って」
「何?」
「もうちょっと迷うかと思った」
「行きたくないの?」
「行きたい」
「じゃあいいじゃん」
「そうなんだけど」
ノアは片手で顔を覆った。
「何?」
「君、無自覚で人殺せるよね」
「殺してない」
「比喩」
「いつ行く?」
指の隙間から。
青い瞳がこちらを見る。
「今度の休日」
「いいよ」
「二人で」
「うん」
「本当に分かってる?」
「何が?」
「……いいや」
諦めたように笑う。
「そのままでいて」
「変なの」
「うん」
ノアは本を一冊抜き出した。
「でも」
「何?」
「楽しみにしてる」
その声が。
いつもの軽い声より少し低かった。
リリアの胸が、小さく跳ねた。
「……私も」
今度は。
ノアが何も言わなかった。
*
図書館を出たあと。
中庭。
カイルはすでに待っていた。
「遅い」
「三分」
「遅刻は遅刻だ」
「ごめんなさい」
「……素直だな」
「謝る時は謝る」
「そうか」
ベンチ。
カイルが紙を広げる。
「実戦祭でお前が使った防御術式」
「これ?」
「ああ」
「普通の多層障壁だけど」
「普通じゃない」
「どこが?」
「ここだ」
指が触れる。
紙の上。
リリアも覗き込む。
近い。
黒い髪が、視界の端に入る。
「この接続式。本来は三段階必要だ」
「一個でできた」
「だから問題なんだ」
「便利なのに」
「便利だから問題なんだ」
「難しい」
「お前の魔法は、既存術式を無視することがある」
「前から?」
「……」
カイルが止まる。
「昔のリリアも?」
聞くと。
「似たことはあった」
「そっか」
胸は。
思ったより痛まなかった。
昨日なら、少し嫌だったかもしれない。
今は。
「でも私の方が上手い?」
「張り合うな」
「気になる」
「比較できない」
「逃げた」
「本当に比較できないんだ」
「じゃあ今度調べる」
「何を」
「私の方が上手い魔法」
「……お前は」
カイルが呆れたように息を吐く。
でも。
少し笑っていた。
「その顔」
「何だ」
「最近する」
「してない」
「する」
「気のせいだ」
「今も」
「見るな」
顔を逸らされる。
「なんで?」
「……」
「クロフォード先輩」
「近い」
言われて。
初めて気づいた。
紙を見るために。
肩が触れそうなくらい近づいている。
「あ、ごめん」
離れようとした。
その瞬間。
手首を掴まれた。
「……」
「……」
二人とも止まる。
カイルが。
自分の手を見る。
すぐ離した。
「悪い」
「ううん」
「……」
「……」
変な沈黙。
リリアは自分の手首を見る。
痛くない。
でも。
触れられたところだけ。
少し熱い。
「クロフォード先輩」
「何だ」
「今の何?」
「俺に聞くな」
「私も分からない」
「なら忘れろ」
「気になる」
「忘れろ」
「無理」
「……」
カイルが深く息を吐いた。
「お前は本当に」
「何?」
「何でもない」
「今日二人目」
「何が」
「途中でやめる人」
「知らん」
そのあと。
術式の説明が再開したけれど。
リリアはしばらく。
右手首ばかり気にしていた。
*
「遅かったね」
生徒会室。
ルシアンは書類を整理していた。
「術式見てた」
「カイルと?」
「うん」
「楽しかった?」
「勉強」
「質問に答えてない」
「楽しかった」
「そう」
ルシアンが笑う。
「何?」
「いや」
「また秘密?」
「嫉妬する立場でもないからね」
「嫉妬?」
「忘れて」
「今日そういう人多い」
「そういう日なのかもしれない」
リリアは向かいへ座る。
「聞きたいこと」
「どうぞ」
「ルシアン先輩は」
「うん」
「最初のリリアに告白された?」
書類を持っていた手が止まった。
「……随分直接的だね」
「気になった」
「されたよ」
「付き合った?」
「いいや」
「なんで?」
ルシアンは。
少しだけ。
困ったように笑った。
「断ったから」
「好きだったのに?」
「ああ」
「何で?」
「当時は、それが正しいと思っていた」
「好きなのに?」
「好きだからこそ、という言葉は便利なんだよ」
「便利?」
「自分の臆病さを、相手のためだと言い換えられる」
リリアは黙る。
「僕は彼女を愛していた。でも、選ばなかった」
「……」
「それだけ」
「後悔した?」
「したよ」
即答だった。
「とても」
「じゃあ今なら?」
紫の瞳が。
こちらを見る。
「今?」
「同じことになったら」
「……」
長い。
長い沈黙。
「選ぶ」
ルシアンは言った。
「今度は」
胸が。
また。
変な音を立てる。
「誰を?」
「それは」
ルシアンが微笑む。
「まだ言わない」
「けち」
「君がもう少し自分の気持ちに詳しくなったらね」
「みんなそれ言う」
「みんな?」
「ノアも」
「……へえ」
「何?」
「いや」
ルシアンの笑顔が。
少しだけ怖くなった。
「ノアと何を話したの?」
「休日に二人で出かける」
「……」
「ルシアン先輩?」
「そう」
「うん」
「そうなんだ」
「何で二回言ったの?」
「大事だから」
「何が?」
「何でもないよ」
笑っている。
でも。
絶対に何でもなくない。
*
生徒会室を出たところで。
「リリア」
呼ばれた。
「レオン先輩」
「今帰り?」
「うん」
「少しだけいい?」
「散歩、週末じゃなかった?」
「それとは別」
レオンハルトが窓の外を指す。
「五分だけ」
「いいよ」
二人で渡り廊下へ出る。
夕方。
風が少し冷たい。
「昨日の話」
「どれ?」
「僕が忘れていること」
「あ」
「考えてたんだ」
「思い出した?」
「いいや」
レオンハルトは首を振る。
「でも、少し分かった」
「何が?」
「僕はたぶん」
金色の髪が風に揺れる。
「思い出すのが怖いんだと思う」
「どうして?」
「過去の僕が、今の僕より君を好きだったら嫌だから」
リリアは瞬いた。
「比べるの?」
「比べたくない」
「同じ人なのに?」
「同じだからこそ」
レオンハルトは笑った。
「過去の僕に負けたくないんだよ」
「変なの」
「そうかな」
「だって今のレオン先輩しか知らない」
「君はね」
「うん」
「……それ、かなり嬉しいな」
「そう?」
「うん」
レオンハルトは手すりへ寄りかかる。
「なら、しばらくこのままでいい」
「記憶なくても?」
「うん」
「怖くない?」
「怖いよ」
それでも。
「今の僕が君と過ごした時間まで、過去に説明されたくない」
リリアは少し考えて。
「私と同じ?」
「何が?」
「私も、昔のリリアで説明されたくない」
レオンハルトの目が。
柔らかく細くなる。
「そうだね」
「じゃあ一緒」
「うん」
「仲間」
「……仲間か」
「嫌?」
「もう少し特別だと嬉しい」
「友達より?」
「ずっと」
風が吹く。
リリアは、なぜか
すぐには返事ができなかった。
「考えておいて」
レオンハルトが笑う。
「急がなくていいから」
*
女子寮へ戻ろうとして。
「リリア」
「今日はよく呼ばれる」
振り返る。
「アレン先輩」
「何だその反応」
「今日四人と二人で話した」
「四人?」
「ノア、クロフォード先輩、ルシアン先輩、レオン先輩」
「……」
アレンの顔が変わる。
「おい」
「何?」
「俺は?」
「今話してる」
「そうじゃねえ!」
「?」
「……くそ」
頭を掻く。
「飯」
「今日?」
「食ったか?」
「まだ」
「じゃあ来い」
「二人?」
「……嫌なら誰か呼べ」
「嫌じゃない」
アレンが止まる。
「じゃあ行く」
「おう」
「何食べる?」
「肉」
「昨日も食べてた」
「肉は毎日食える」
「苺も」
「飯じゃねえ」
二人で歩く。
何でもない。
本当に。
何でもない会話。
でも。
昨日までは。
アレンと二人になると。
どこかに昔の誰かがいた。
知らない約束。
知らない痛み。
三百年。
置いていかれた人。
今は。
「アレン先輩」
「あ?」
「今日何してた?」
「授業」
「それだけ?」
「午後は訓練」
「誰と?」
「一人」
「楽しかった?」
「普通」
「怪我した?」
「してねえ」
「よかった」
「……」
「何?」
「いや」
アレンが少し笑う。
「こういうのでいいんだなと思って」
「何が?」
「知らねえならいい」
「また!」
「何だよ」
「今日みんな途中でやめる」
「じゃあ言うか?」
「うん」
アレンは。
少し考えて。
「お前と普通に飯食いに行けんの、結構嬉しい」
リリアが止まる。
「……」
「何だよ」
「言った」
「言えっつったのお前だろ!」
「そうだけど」
「なら止まんな!」
「なんか」
胸に手を当てる。
「今日これ多い」
「これって何だよ」
「変になる」
「病気か?」
「レオン先輩には違うって言われた」
「王子に何聞いてんだお前!?」
「違う。前の話」
「紛らわしい!」
アレンは頭を抱えた。
「もういい。飯行くぞ」
「うん」
「あと」
「何?」
「先輩、いらねえ」
「何が?」
「二人の時」
赤い瞳が。
少しだけ逸れる。
「前も呼んだだろ」
リリアは思い出す。
実戦祭の前。
苺のタルト。
黒い石。
そして。
「アレン」
呼ぶ。
「……おう」
アレンが笑う。
その顔を見たら。
また。
胸が変になった。
*
夕食を終えて。
寮へ戻る。
今度こそ。
今日は終わり。
そう思ったのに。
「リリア」
「……」
立ち止まる。
「何その顔」
セシルだった。
「今日六人目」
「え?」
「全員と二人になった」
「……全員?」
「うん」
「私以外とも?」
「セシルは朝一緒だった」
「あれも二人に入る?」
「入らない?」
「……入るけど」
少しだけ。
不満そう。
「どうしたの?」
「何でもない」
「今日それ禁止」
「え?」
「みんな何でもないって言う」
「じゃあ」
セシルは考える。
「少し妬いた」
リリアが瞬く。
「何に?」
「今日、私以外のみんながリリアと二人でいたこと」
「セシルとも今二人」
「そうだけど」
「じゃあ同じ」
「……同じかな」
「違う?」
「リリア」
セシルは足を止めた。
寮の前。
夜風。
青い髪が揺れる。
「私ね」
「うん」
「あなたの親友でいられるの、すごく嬉しい」
「私も」
「でも」
一歩。
近づく。
「ずっと、それだけでいたいわけじゃないよ」
リリアは。
動けなかった。
セシルは笑う。
いつもの。
優しい笑顔。
「今は、それだけ覚えてて」
「……どういう意味?」
「そのうち分かるよ」
「またそれ!」
「ふふ」
「今日全員それ!」
「全員?」
「みんな私が分かってないみたいに言う」
「分かってないからじゃない?」
「何を?」
「恋」
「……」
「リリアは」
セシルの指が。
銀白色の髪を一房。
そっと耳へかける。
「自分が思ってるより、ちゃんと恋に近づいてるよ」
近い。
顔も。
声も。
指も。
リリアは。
息をするのを一瞬忘れた。
セシルは。
それ以上近づかなかった。
「おやすみ、リリア」
「……おやすみ」
先に歩いていく。
リリアは。
その場に残った。
胸へ手を当てる。
「……また」
今日。
何回目だろう。
*
部屋。
ベッド。
リリアは仰向けになっていた。
「恋」
呟く。
分からない。
と思っていた。
でも。
本当に。
何も分かっていないのだろうか。
ノアと休日に二人で出かけるのが楽しみだった。
カイルに手首を掴まれたところが、ずっと熱かった。
ルシアンが昔のリリアを愛していたと聞いた時、嫌だった。
レオンハルトに「友達よりずっと特別」と言われて、嬉しかった。
アレンと普通に夕食へ行けることが嬉しかった。
名前を呼んだ時の笑顔に、胸が鳴った。
セシルに髪へ触れられた時。
動けなかった。
「……全部違う」
初めて。
そう思った。
六人とも。
大切。
でも。
同じじゃない。
ノアといる時。
カイルといる時。
ルシアンといる時。
レオンハルトといる時。
アレンといる時。
セシルといる時。
全部。
胸の鳴り方が違う。
「これ」
リリアは枕を抱く。
「どうやって選ぶの?」
誰も答えてくれない。
当たり前だった。
これは。
自分で選ぶものだから。
でも。
「六人は多い」
枕へ顔を埋めた。
「多すぎる」
しばらく。
ごろごろする。
「……寝よ」
今日は考えない。
そう決めて。
目を閉じた。
数秒後。
また開く。
「無理」
今度は。
セシルの顔が浮かんだ。
「……」
反対を向く。
アレン。
「違う」
また反対。
ノア。
「何で」
布団を被る。
ルシアン。
「もうやだ」
カイル。
レオンハルト。
「寝かせて」
誰も何もしていない。
完全に八つ当たりだった。
*
そして。
リリアが恋に悩みながら。
ようやく眠りについた頃。
学院地下。
閉じられていた記録が。
静かに光った。
《ELICIA》
その名前の下。
《生成原因――選択》
さらに。
新しい文章が浮かぶ。
《既定運命との接続――なし》
《第一個体との魂魄連続性――なし》
《再構築個体との魂魄連続性――なし》
そして。
最後。
《存在目的――》
文字が止まる。
長い沈黙。
やがて。
一文字ずつ。
《未定義》
世界は。
彼女へ目的を与えていなかった。
何をするために生きるのか。
誰を救うのか。
誰を愛するのか。
何一つ。
決められていない。
それは。
十二の世界には存在しなかった。
初めての空白だった。