魔法より、君に恋をする。
レオンハルトルート 第45章 正しい王子にならなくていい
夜明けを待った数時間後、王都の空に黒い月が現れた。
最初に異変へ気づいたのは、早朝から学院の門を開けていた職員だったという。東の空から朝日が昇っているにもかかわらず、その反対側に夜よりも暗い円が浮かび、ゆっくりと光を飲み込んでいった。
警鐘が鳴った時、リリアは朝の授業へ向かう途中だった。
「また……」
窓の外を見上げると、以前よりもはっきりと黒い月が見えた。学院だけではない。王都全体を覆うほど巨大で、周囲には細い亀裂のような黒い線が伸びている。
隣にいたセシルが剣へ手を掛けた。
「リリア、生徒会室へ行こう」
「うん」
二人で走り出したところで、廊下の向こうからノアとアレンが来た。
「見た?」
「嫌でも見えるだろ。ルシアンのとこ行くぞ」
「カイル先輩は?」
「もう向かってる」
四人で中央棟へ急ぐ。生徒たちは教師の指示で避難を始めており、窓の外では学院を覆う防御結界が展開されていた。
階段を上がったところで、リリアは足を止めた。
「レオン先輩は?」
誰も答えなかった。
「王宮から召集がかかった」
後ろからカイルの声がした。
「十分ほど前だ」
「もう行った?」
「ああ」
胸騒ぎがした。
「追います」
「待て」
「でも」
「まずルシアンの話を聞け。王宮にも異変は起きているが、現時点で襲撃されているわけではない」
焦る気持ちは消えなかったが、リリアは頷いた。
「分かりました」
*
生徒会室へ入ると、ルシアンは窓際に立っていた。
机の上には十三個目の石が置かれている。
「地下にあったやつ?」
「移動させた。今朝から状態が変わっている」
表面に浮かんでいる文字は昨夜と同じだった。
《FINAL SELECTION》
《LILIA》
《LEONHART》
《KINGDOM》
「王国って何?」
セシルが尋ねる。
「文字通りだろうね」
「何を選ばせるつもりなんですか?」
リリアが聞くと、ルシアンは少しだけ眉を寄せた。
「それを確認していた。おそらく偽神は、十三本目を完成させるために必要な自律選択の性質を理解し始めている」
「それってまずくない?」
ノアが言う。
「ああ。僕たちが過去と違う選択をするほど十三本目は伸びる。ならば偽神側から見れば、選択そのものを操作すればいい」
「二択を押しつける?」
カイルが言った。
「そうだ」
ルシアンが石へ触れる。
「そしてレオンハルトにとって最も強い役割は、第二王子だ」
その瞬間、リリアは《KINGDOM》の意味を理解した。
「……私と王国?」
「おそらく」
「そんなの」
言いかけた時、石が光った。
同時に窓の外から轟音が響き、王都の中心部から巨大な黒い柱が立ち上った。
「王宮!」
アレンが叫ぶ。
リリアの右腕に十三本の線が現れ、最後の一本が焼けるように熱くなる。
そして、頭の中へ声が響いた。
『王子は、王国を選ぶ』
リリアは窓へ駆け寄った。
黒い柱は王宮を包んでいる。
「行きます」
「当然だ」
ルシアンが即答した。
「ただし、君一人では行かせない」
「俺も行く」
アレンが剣を取る。
「私も」
セシルが続き、ノアも頷いた。
「ここまで来て留守番は嫌かな」
カイルはすでに扉へ向かっている。
「急げ。話は移動しながらだ」
誰一人、リリアとレオンハルトだけの問題だとは言わなかった。
それが嬉しかった。
恋人として彼のところへ行くのは自分だ。それでも、この世界を守ろうとしているのは自分たちだけではない。
六人で生徒会室を飛び出した。
*
王宮へ向かう途中、街は混乱していた。
黒い月が空を覆っているせいで朝だというのに薄暗く、王都の各所に黒い亀裂が生まれている。騎士団が市民を避難させ、魔術師たちが結界を維持していた。
リリアたちも何度か足を止めた。
崩れかけた建物を魔法で支え、逃げ遅れた人を助ける。アレンとカイルが瓦礫を退け、セシルが道を塞ぐ黒い魔力を剣で切り裂き、ノアが負傷者を運ぶ。ルシアンは王都全体の魔力流を読みながら最短経路を指示した。
「リリア、右!」
セシルの声に反応し、飛んできた黒い塊を防ぐ。
「ありがとう!」
「前見て!」
「見てる!」
「今ぶつかりかけたでしょ!」
「道が動いた!」
「動いてないよ!」
こんな時まで方向感覚は助けてくれないらしい。
それでも、ようやく王宮前へ辿り着いた。
正門は開いていた。
中へ入る。
そして。
大広間で。
レオンハルトを見つけた。
「レオン先輩!」
金色の髪が振り返る。
「リリア!?」
無事だった。
それだけで、胸の奥に詰まっていたものが少しほどけた。
リリアは走り寄る。
「怪我は?」
「ない。君は?」
「大丈夫」
「学院にいると思ってた」
「来ました」
「……そうだろうと思ったけど」
レオンハルトは困ったように笑った。
「会えてよかった」
「私も」
手を取る。
冷たい。
「怖かった?」
「かなり」
「私も」
その一言を交わした直後、大広間が揺れた。
天井に黒い亀裂が走る。
『揃った』
偽神の声。
レオンハルトがリリアを庇おうとして一歩動き、途中で止まった。
代わりに。
隣へ立った。
リリアはそれに気づいて、少しだけ笑った。
「何?」
「何でもない」
『王子』
声が響く。
『選べ』
大広間の景色が消えた。
*
次に見えたのは。
王都だった。
上空から。
街全体を見下ろしている。
人。
家。
学院。
王宮。
何万人もの生活。
そして。
もう一方。
白い空間に。
リリアがいる。
『王国か』
黒い月が。
二つの景色の間へ現れる。
『女か』
「……最低」
リリアが呟いた。
『一方のみ存続を許す』
レオンハルトの表情が固まる。
『LILIAを選べば、王国は崩壊する』
街の景色に。
黒い亀裂が広がる。
建物が崩れ。
人々が消える。
『KINGDOMを選べば、LILIAは世界核として回収される』
隣のリリアの身体が。
黒い光に包まれる。
『王子ならば答えは決まっている』
レオンハルトは何も言わなかった。
『一人と万人』
声が続く。
『正しい王子ならば、迷う理由はない』
リリアはレオンハルトを見る。
顔色が悪い。
当然だった。
彼は王子だ。
生まれた時から。
大勢を守ることを。
教えられてきた。
「レオン先輩」
「……うん」
「私、嫌です」
「何が?」
「どっちも」
レオンハルトがこちらを見る。
「私が助かって王都がなくなるのも嫌。王都が助かって私が消えるのも嫌」
「僕もだよ」
「じゃあ決まり」
リリアは黒い月を見る。
「選びません」
『選択しなければ双方が消える』
「それも嫌」
『選べ』
「だから嫌です」
『選べ』
「しつこい」
リリアが睨む。
隣でレオンハルトが、こんな状況なのに少し笑った。
「本当に君は変わらないね」
「大事です」
「うん。大事だ」
『王子』
声が強くなる。
『お前には責務がある』
「あるよ」
レオンハルトが答えた。
『ならば王国を選べ』
「嫌だ」
はっきりと。
拒絶した。
『一人の女のために民を捨てるか』
「違う」
『ならば女を捨てろ』
「それも違う」
レオンハルトが黒い月を見上げる。
「僕が王子だから国民を守る責任がある。それは否定しない。でも、だからといってリリアを殺す権利が僕に与えられるわけじゃない」
『犠牲なくして世界は維持できない』
「それを決めたのは誰?」
『世界の法則だ』
「君だろう?」
声が止まった。
「君が選択肢を二つしか作っていないだけだ」
『二つで十分だ』
「僕には足りない」
レオンハルトはリリアの手を握った。
「僕は王国を守りたい。彼女にも生きていてほしい。そして僕自身も生きたい」
『欲深い』
「そうかもしれない」
「私も欲深いです」
リリアが横から言う。
「お揃いだね」
「こういう時に言う?」
「今思ったから」
レオンハルトが笑う。
ほんの少し。
緊張がほどけた。
『ならば失え』
黒い月から。
大量の魔力が放たれた。
*
「来るぞ!」
ルシアンの声。
現実と幻が重なる。
アレンとカイルが前へ出た。
二人の魔法が黒い奔流を受け止める。
「重っ……!」
「押し返せ!」
「言われなくてもやってる!」
セシルが二人の間を駆け抜ける。
「そこ、少し開けて!」
剣が振り抜かれる。
黒い魔力の一部が切り裂かれた。
「今!」
ノアの魔法が隙間へ入り込み、黒い流れを横へ逸らす。
「リリア!」
ルシアンが叫ぶ。
「君の魔法を使え!」
「でも何を作ればいい!?」
「それを僕に聞いたら意味がない!」
「こういう時くらい教えてください!」
「無理だ!」
「役に立たない!」
「今それ言う!?」
怒鳴り合いながらも。
リリアは考える。
可能性創造。
自分が望む。
まだ存在しない未来。
王都も。
レオンハルトも。
自分も。
全員生きる。
でも。
それだけでは足りない。
ノアルートとは違う。
これは。
レオンハルトの選択でもある。
「レオン先輩!」
「何!?」
「王子としてじゃなくて答えて!」
黒い魔力の音に負けないよう叫ぶ。
「何を!?」
「何が欲しい!?」
レオンハルトが息を呑む。
「国のためとか、私のためとかじゃなくて! レオン先輩自身はどうしたいの!?」
彼は。
答えられなかった。
生まれた時から。
第二王子だった。
兄を支える。
国を守る。
民を守る。
それが。
正しい。
ずっと。
そう教えられてきた。
『答えは不要だ』
偽神の声。
『王子に個人の願いは不要』
その言葉に。
レオンハルトの表情が変わった。
「……そうか」
「レオン先輩?」
「似てるんだ」
黒い月を見る。
「君と、昔の僕は」
『何?』
「役割を先に決めるところ」
王子だから。
こうあるべき。
器だから。
こうあるべき。
記録だから。
こうあるべき。
そして。
愛するなら。
こうあるべき。
「僕はずっと、正しい王子になろうとしてた」
レオンハルトの声は。
静かだった。
「それ自体が間違っていたとは思わない。僕はこの国が好きだし、王族としてできることをしたい」
リリアの手を。
握る。
「でも、それを理由に僕自身の願いをなくす必要はない」
青い瞳が。
リリアを見る。
「僕は君と生きたい」
その言葉に。
胸が熱くなる。
「うん」
「それから、この国も守りたい」
「うん」
「兄を支えたい。卒業したい。君とまた植物園へ行きたいし、次は違う街にも行きたい。君が何をする人になるのか見たいし、僕自身が王子以外に何をしたいのかも探したい」
レオンハルトが。
笑った。
「全部欲しい」
「いいと思います」
「欲張りかな」
「私も全部欲しい」
「じゃあ、お揃いだ」
「うん」
今度は。
リリアも笑った。
『不可能だ』
「それを」
リリアは。
右手を上げる。
「決めるのは私たちです」
十三本の線が。
光る。
《可能性創造》
魔法が。
発動する。
*
作るのは。
王国かリリアか。
そのどちらかを救う魔法ではない。
選択肢そのものを。
増やす。
「第三の答え?」
レオンハルトが聞く。
「違う」
リリアは。
首を振った。
「三つ目を作ったら、また三択になるだけだから」
「じゃあ?」
「選択肢を誰かに用意されなくていい世界」
偽神が。
揺れる。
「正解が先に決まってない世界です」
リリアの魔力が。
王都全体へ広がる。
『正解のない世界は失敗する』
「するかも」
『人間は間違える』
「間違えます」
『後悔する』
「します」
『ならばやり直せ』
「嫌です」
リリアは。
まっすぐ。
黒い月を見る。
「間違えたら、その後どうするか考える。後悔したら、次を選ぶ。それじゃ駄目なんですか?」
『同じ過ちを繰り返す』
「それでも」
レオンハルトが続ける。
「その人生は、僕たちのものだ」
黒い月に。
亀裂が入った。
*
十三本目の線が。
円へ近づく。
あと。
ほんの少し。
しかし。
届かない。
「何が足りない?」
リリアが呟く。
ルシアンが。
十三個目の石を見る。
「レオンハルト」
「何?」
「君だ」
「僕?」
「リリアはもう選んだ。次は君だ」
黒い月が。
最後の抵抗のように。
景色を変える。
王宮。
玉座。
レオンハルトの前に。
二つの未来が現れる。
一つ。
完璧な王子。
国を守り。
民に愛され。
政治的に正しい相手と結婚し。
王家を支える人生。
もう一つ。
決まっていない未来。
何も見えない。
リリアと続くかもしれない。
別の道へ進むかもしれない。
失敗するかもしれない。
王子であり続けるかもしれない。
違う何かを見つけるかもしれない。
『正しい未来を選べ』
偽神が囁く。
レオンハルトは。
完璧な未来を見る。
そこにいる自分は。
笑っている。
何一つ。
間違えていない。
でも。
「いらない」
即答した。
『なぜ』
「僕が選んでないから」
レオンハルトは。
何も見えない方へ。
歩く。
『そこには保証がない』
「知ってる」
『幸福も保証されない』
「それでいい」
『リリアと結ばれる保証すらない』
そこで。
レオンハルトは。
少しだけ足を止めた。
リリアを見る。
「それはちょっと嫌だな」
「私も嫌です」
「でも」
笑う。
「保証されてるから君といるんじゃない」
「うん」
「明日も君を好きでいたいから、明日の僕が選ぶ」
リリアの目が。
少し熱くなる。
「私も選びます」
「明後日も?」
「その時に聞いて」
「厳しいな」
「自分で選ぶんでしょ?」
「そうだった」
二人で。
何も見えない未来へ。
一歩。
踏み出した。
十三本目の線が。
繋がった。
*
光が。
王都を覆った。
黒い月に走った亀裂が。
一気に広がる。
『なぜ』
声が。
初めて。
怯えていた。
『正しい未来を捨てる』
「捨ててないよ」
レオンハルトが答える。
「最初から、そんなものは僕の未来じゃない」
黒い月が。
砕ける。
その奥から。
小さな声がした。
『もう、いいよ』
以前の少女。
記録として生まれ。
初めて。
生きたいと願った存在。
『私も、正しいリリアじゃなくていい』
リリアは。
空を見る。
「名前、決めた?」
少し間があった。
『まだ』
「そっか」
『だから、これから考える』
「うん」
『それでいい?』
「私に聞かないで」
思わず笑う。
「自分で決めて」
声も。
笑った気がした。
『うん』
黒い月が。
完全に崩れた。
*
朝日が。
王都へ戻った。
崩れかけていた建物は止まり、黒い亀裂も消えていく。
学院地下にあった十二個の黒い石は、全て白く変わった。
十三個目だけは。
砕けた。
その破片が。
光になって消える。
「終わった?」
リリアが聞く。
ルシアンは。
しばらく何かを確かめていた。
そして。
ゆっくり。
頷いた。
「世界座標が固定された」
「それって?」
「もう再構築対象ではない」
ノアが息を吐く。
アレンがその場へ座り込む。
「マジで?」
「ああ」
「十三回目は?」
リリアが聞く。
ルシアンは。
リリアを見る。
「ない」
そして。
少しだけ。
笑った。
「ここが最初の独立世界だ」
誰も。
すぐには声を出さなかった。
十二回。
終わって。
始まって。
選ばされて。
失って。
また。
最初へ戻った。
その円が。
ようやく。
終わった。
*
王宮の外へ出る。
朝だった。
いつもの空。
いつもの街。
でも。
初めて。
明日へ続く空だった。
「リリア」
レオンハルトが。
隣へ来る。
「疲れた?」
「かなり」
「僕も」
「お腹空いた」
「僕も」
「甘いもの食べたい」
「朝から?」
「昨日行けなかったから」
「ああ、そうだったね」
「奢ってくれる?」
「もちろん」
歩き出す。
自然に。
手が触れる。
指を絡める。
「レオン先輩」
「うん?」
「さっき言ってたこと」
「どれ?」
「明日も私を好きでいたいって」
「ああ」
「私も」
レオンハルトが。
こちらを見る。
「明日もレオン先輩を好きでいたい」
未来のことは。
分からない。
保証もない。
でも。
だから。
自分で選べる。
レオンハルトは。
少しだけ。
嬉しそうに笑った。
「じゃあ明日も聞こうかな」
「何を?」
「僕のこと好き?」
「毎日?」
「駄目?」
「たまになら」
「厳しいな」
「でも」
リリアは。
繋いだ手を。
少しだけ。
強く握った。
「明日は聞いていいですよ」
「分かった」
「明日だけ?」
「明後日は?」
「明日決めます」
レオンハルトが笑った。
「それがいいね」
二人は。
朝の王都を歩いていく。
王子と。
世界の核としてではなく。
レオンハルトと。
リリアとして。
まだ何も決まっていない。
明日の方へ。
最初に異変へ気づいたのは、早朝から学院の門を開けていた職員だったという。東の空から朝日が昇っているにもかかわらず、その反対側に夜よりも暗い円が浮かび、ゆっくりと光を飲み込んでいった。
警鐘が鳴った時、リリアは朝の授業へ向かう途中だった。
「また……」
窓の外を見上げると、以前よりもはっきりと黒い月が見えた。学院だけではない。王都全体を覆うほど巨大で、周囲には細い亀裂のような黒い線が伸びている。
隣にいたセシルが剣へ手を掛けた。
「リリア、生徒会室へ行こう」
「うん」
二人で走り出したところで、廊下の向こうからノアとアレンが来た。
「見た?」
「嫌でも見えるだろ。ルシアンのとこ行くぞ」
「カイル先輩は?」
「もう向かってる」
四人で中央棟へ急ぐ。生徒たちは教師の指示で避難を始めており、窓の外では学院を覆う防御結界が展開されていた。
階段を上がったところで、リリアは足を止めた。
「レオン先輩は?」
誰も答えなかった。
「王宮から召集がかかった」
後ろからカイルの声がした。
「十分ほど前だ」
「もう行った?」
「ああ」
胸騒ぎがした。
「追います」
「待て」
「でも」
「まずルシアンの話を聞け。王宮にも異変は起きているが、現時点で襲撃されているわけではない」
焦る気持ちは消えなかったが、リリアは頷いた。
「分かりました」
*
生徒会室へ入ると、ルシアンは窓際に立っていた。
机の上には十三個目の石が置かれている。
「地下にあったやつ?」
「移動させた。今朝から状態が変わっている」
表面に浮かんでいる文字は昨夜と同じだった。
《FINAL SELECTION》
《LILIA》
《LEONHART》
《KINGDOM》
「王国って何?」
セシルが尋ねる。
「文字通りだろうね」
「何を選ばせるつもりなんですか?」
リリアが聞くと、ルシアンは少しだけ眉を寄せた。
「それを確認していた。おそらく偽神は、十三本目を完成させるために必要な自律選択の性質を理解し始めている」
「それってまずくない?」
ノアが言う。
「ああ。僕たちが過去と違う選択をするほど十三本目は伸びる。ならば偽神側から見れば、選択そのものを操作すればいい」
「二択を押しつける?」
カイルが言った。
「そうだ」
ルシアンが石へ触れる。
「そしてレオンハルトにとって最も強い役割は、第二王子だ」
その瞬間、リリアは《KINGDOM》の意味を理解した。
「……私と王国?」
「おそらく」
「そんなの」
言いかけた時、石が光った。
同時に窓の外から轟音が響き、王都の中心部から巨大な黒い柱が立ち上った。
「王宮!」
アレンが叫ぶ。
リリアの右腕に十三本の線が現れ、最後の一本が焼けるように熱くなる。
そして、頭の中へ声が響いた。
『王子は、王国を選ぶ』
リリアは窓へ駆け寄った。
黒い柱は王宮を包んでいる。
「行きます」
「当然だ」
ルシアンが即答した。
「ただし、君一人では行かせない」
「俺も行く」
アレンが剣を取る。
「私も」
セシルが続き、ノアも頷いた。
「ここまで来て留守番は嫌かな」
カイルはすでに扉へ向かっている。
「急げ。話は移動しながらだ」
誰一人、リリアとレオンハルトだけの問題だとは言わなかった。
それが嬉しかった。
恋人として彼のところへ行くのは自分だ。それでも、この世界を守ろうとしているのは自分たちだけではない。
六人で生徒会室を飛び出した。
*
王宮へ向かう途中、街は混乱していた。
黒い月が空を覆っているせいで朝だというのに薄暗く、王都の各所に黒い亀裂が生まれている。騎士団が市民を避難させ、魔術師たちが結界を維持していた。
リリアたちも何度か足を止めた。
崩れかけた建物を魔法で支え、逃げ遅れた人を助ける。アレンとカイルが瓦礫を退け、セシルが道を塞ぐ黒い魔力を剣で切り裂き、ノアが負傷者を運ぶ。ルシアンは王都全体の魔力流を読みながら最短経路を指示した。
「リリア、右!」
セシルの声に反応し、飛んできた黒い塊を防ぐ。
「ありがとう!」
「前見て!」
「見てる!」
「今ぶつかりかけたでしょ!」
「道が動いた!」
「動いてないよ!」
こんな時まで方向感覚は助けてくれないらしい。
それでも、ようやく王宮前へ辿り着いた。
正門は開いていた。
中へ入る。
そして。
大広間で。
レオンハルトを見つけた。
「レオン先輩!」
金色の髪が振り返る。
「リリア!?」
無事だった。
それだけで、胸の奥に詰まっていたものが少しほどけた。
リリアは走り寄る。
「怪我は?」
「ない。君は?」
「大丈夫」
「学院にいると思ってた」
「来ました」
「……そうだろうと思ったけど」
レオンハルトは困ったように笑った。
「会えてよかった」
「私も」
手を取る。
冷たい。
「怖かった?」
「かなり」
「私も」
その一言を交わした直後、大広間が揺れた。
天井に黒い亀裂が走る。
『揃った』
偽神の声。
レオンハルトがリリアを庇おうとして一歩動き、途中で止まった。
代わりに。
隣へ立った。
リリアはそれに気づいて、少しだけ笑った。
「何?」
「何でもない」
『王子』
声が響く。
『選べ』
大広間の景色が消えた。
*
次に見えたのは。
王都だった。
上空から。
街全体を見下ろしている。
人。
家。
学院。
王宮。
何万人もの生活。
そして。
もう一方。
白い空間に。
リリアがいる。
『王国か』
黒い月が。
二つの景色の間へ現れる。
『女か』
「……最低」
リリアが呟いた。
『一方のみ存続を許す』
レオンハルトの表情が固まる。
『LILIAを選べば、王国は崩壊する』
街の景色に。
黒い亀裂が広がる。
建物が崩れ。
人々が消える。
『KINGDOMを選べば、LILIAは世界核として回収される』
隣のリリアの身体が。
黒い光に包まれる。
『王子ならば答えは決まっている』
レオンハルトは何も言わなかった。
『一人と万人』
声が続く。
『正しい王子ならば、迷う理由はない』
リリアはレオンハルトを見る。
顔色が悪い。
当然だった。
彼は王子だ。
生まれた時から。
大勢を守ることを。
教えられてきた。
「レオン先輩」
「……うん」
「私、嫌です」
「何が?」
「どっちも」
レオンハルトがこちらを見る。
「私が助かって王都がなくなるのも嫌。王都が助かって私が消えるのも嫌」
「僕もだよ」
「じゃあ決まり」
リリアは黒い月を見る。
「選びません」
『選択しなければ双方が消える』
「それも嫌」
『選べ』
「だから嫌です」
『選べ』
「しつこい」
リリアが睨む。
隣でレオンハルトが、こんな状況なのに少し笑った。
「本当に君は変わらないね」
「大事です」
「うん。大事だ」
『王子』
声が強くなる。
『お前には責務がある』
「あるよ」
レオンハルトが答えた。
『ならば王国を選べ』
「嫌だ」
はっきりと。
拒絶した。
『一人の女のために民を捨てるか』
「違う」
『ならば女を捨てろ』
「それも違う」
レオンハルトが黒い月を見上げる。
「僕が王子だから国民を守る責任がある。それは否定しない。でも、だからといってリリアを殺す権利が僕に与えられるわけじゃない」
『犠牲なくして世界は維持できない』
「それを決めたのは誰?」
『世界の法則だ』
「君だろう?」
声が止まった。
「君が選択肢を二つしか作っていないだけだ」
『二つで十分だ』
「僕には足りない」
レオンハルトはリリアの手を握った。
「僕は王国を守りたい。彼女にも生きていてほしい。そして僕自身も生きたい」
『欲深い』
「そうかもしれない」
「私も欲深いです」
リリアが横から言う。
「お揃いだね」
「こういう時に言う?」
「今思ったから」
レオンハルトが笑う。
ほんの少し。
緊張がほどけた。
『ならば失え』
黒い月から。
大量の魔力が放たれた。
*
「来るぞ!」
ルシアンの声。
現実と幻が重なる。
アレンとカイルが前へ出た。
二人の魔法が黒い奔流を受け止める。
「重っ……!」
「押し返せ!」
「言われなくてもやってる!」
セシルが二人の間を駆け抜ける。
「そこ、少し開けて!」
剣が振り抜かれる。
黒い魔力の一部が切り裂かれた。
「今!」
ノアの魔法が隙間へ入り込み、黒い流れを横へ逸らす。
「リリア!」
ルシアンが叫ぶ。
「君の魔法を使え!」
「でも何を作ればいい!?」
「それを僕に聞いたら意味がない!」
「こういう時くらい教えてください!」
「無理だ!」
「役に立たない!」
「今それ言う!?」
怒鳴り合いながらも。
リリアは考える。
可能性創造。
自分が望む。
まだ存在しない未来。
王都も。
レオンハルトも。
自分も。
全員生きる。
でも。
それだけでは足りない。
ノアルートとは違う。
これは。
レオンハルトの選択でもある。
「レオン先輩!」
「何!?」
「王子としてじゃなくて答えて!」
黒い魔力の音に負けないよう叫ぶ。
「何を!?」
「何が欲しい!?」
レオンハルトが息を呑む。
「国のためとか、私のためとかじゃなくて! レオン先輩自身はどうしたいの!?」
彼は。
答えられなかった。
生まれた時から。
第二王子だった。
兄を支える。
国を守る。
民を守る。
それが。
正しい。
ずっと。
そう教えられてきた。
『答えは不要だ』
偽神の声。
『王子に個人の願いは不要』
その言葉に。
レオンハルトの表情が変わった。
「……そうか」
「レオン先輩?」
「似てるんだ」
黒い月を見る。
「君と、昔の僕は」
『何?』
「役割を先に決めるところ」
王子だから。
こうあるべき。
器だから。
こうあるべき。
記録だから。
こうあるべき。
そして。
愛するなら。
こうあるべき。
「僕はずっと、正しい王子になろうとしてた」
レオンハルトの声は。
静かだった。
「それ自体が間違っていたとは思わない。僕はこの国が好きだし、王族としてできることをしたい」
リリアの手を。
握る。
「でも、それを理由に僕自身の願いをなくす必要はない」
青い瞳が。
リリアを見る。
「僕は君と生きたい」
その言葉に。
胸が熱くなる。
「うん」
「それから、この国も守りたい」
「うん」
「兄を支えたい。卒業したい。君とまた植物園へ行きたいし、次は違う街にも行きたい。君が何をする人になるのか見たいし、僕自身が王子以外に何をしたいのかも探したい」
レオンハルトが。
笑った。
「全部欲しい」
「いいと思います」
「欲張りかな」
「私も全部欲しい」
「じゃあ、お揃いだ」
「うん」
今度は。
リリアも笑った。
『不可能だ』
「それを」
リリアは。
右手を上げる。
「決めるのは私たちです」
十三本の線が。
光る。
《可能性創造》
魔法が。
発動する。
*
作るのは。
王国かリリアか。
そのどちらかを救う魔法ではない。
選択肢そのものを。
増やす。
「第三の答え?」
レオンハルトが聞く。
「違う」
リリアは。
首を振った。
「三つ目を作ったら、また三択になるだけだから」
「じゃあ?」
「選択肢を誰かに用意されなくていい世界」
偽神が。
揺れる。
「正解が先に決まってない世界です」
リリアの魔力が。
王都全体へ広がる。
『正解のない世界は失敗する』
「するかも」
『人間は間違える』
「間違えます」
『後悔する』
「します」
『ならばやり直せ』
「嫌です」
リリアは。
まっすぐ。
黒い月を見る。
「間違えたら、その後どうするか考える。後悔したら、次を選ぶ。それじゃ駄目なんですか?」
『同じ過ちを繰り返す』
「それでも」
レオンハルトが続ける。
「その人生は、僕たちのものだ」
黒い月に。
亀裂が入った。
*
十三本目の線が。
円へ近づく。
あと。
ほんの少し。
しかし。
届かない。
「何が足りない?」
リリアが呟く。
ルシアンが。
十三個目の石を見る。
「レオンハルト」
「何?」
「君だ」
「僕?」
「リリアはもう選んだ。次は君だ」
黒い月が。
最後の抵抗のように。
景色を変える。
王宮。
玉座。
レオンハルトの前に。
二つの未来が現れる。
一つ。
完璧な王子。
国を守り。
民に愛され。
政治的に正しい相手と結婚し。
王家を支える人生。
もう一つ。
決まっていない未来。
何も見えない。
リリアと続くかもしれない。
別の道へ進むかもしれない。
失敗するかもしれない。
王子であり続けるかもしれない。
違う何かを見つけるかもしれない。
『正しい未来を選べ』
偽神が囁く。
レオンハルトは。
完璧な未来を見る。
そこにいる自分は。
笑っている。
何一つ。
間違えていない。
でも。
「いらない」
即答した。
『なぜ』
「僕が選んでないから」
レオンハルトは。
何も見えない方へ。
歩く。
『そこには保証がない』
「知ってる」
『幸福も保証されない』
「それでいい」
『リリアと結ばれる保証すらない』
そこで。
レオンハルトは。
少しだけ足を止めた。
リリアを見る。
「それはちょっと嫌だな」
「私も嫌です」
「でも」
笑う。
「保証されてるから君といるんじゃない」
「うん」
「明日も君を好きでいたいから、明日の僕が選ぶ」
リリアの目が。
少し熱くなる。
「私も選びます」
「明後日も?」
「その時に聞いて」
「厳しいな」
「自分で選ぶんでしょ?」
「そうだった」
二人で。
何も見えない未来へ。
一歩。
踏み出した。
十三本目の線が。
繋がった。
*
光が。
王都を覆った。
黒い月に走った亀裂が。
一気に広がる。
『なぜ』
声が。
初めて。
怯えていた。
『正しい未来を捨てる』
「捨ててないよ」
レオンハルトが答える。
「最初から、そんなものは僕の未来じゃない」
黒い月が。
砕ける。
その奥から。
小さな声がした。
『もう、いいよ』
以前の少女。
記録として生まれ。
初めて。
生きたいと願った存在。
『私も、正しいリリアじゃなくていい』
リリアは。
空を見る。
「名前、決めた?」
少し間があった。
『まだ』
「そっか」
『だから、これから考える』
「うん」
『それでいい?』
「私に聞かないで」
思わず笑う。
「自分で決めて」
声も。
笑った気がした。
『うん』
黒い月が。
完全に崩れた。
*
朝日が。
王都へ戻った。
崩れかけていた建物は止まり、黒い亀裂も消えていく。
学院地下にあった十二個の黒い石は、全て白く変わった。
十三個目だけは。
砕けた。
その破片が。
光になって消える。
「終わった?」
リリアが聞く。
ルシアンは。
しばらく何かを確かめていた。
そして。
ゆっくり。
頷いた。
「世界座標が固定された」
「それって?」
「もう再構築対象ではない」
ノアが息を吐く。
アレンがその場へ座り込む。
「マジで?」
「ああ」
「十三回目は?」
リリアが聞く。
ルシアンは。
リリアを見る。
「ない」
そして。
少しだけ。
笑った。
「ここが最初の独立世界だ」
誰も。
すぐには声を出さなかった。
十二回。
終わって。
始まって。
選ばされて。
失って。
また。
最初へ戻った。
その円が。
ようやく。
終わった。
*
王宮の外へ出る。
朝だった。
いつもの空。
いつもの街。
でも。
初めて。
明日へ続く空だった。
「リリア」
レオンハルトが。
隣へ来る。
「疲れた?」
「かなり」
「僕も」
「お腹空いた」
「僕も」
「甘いもの食べたい」
「朝から?」
「昨日行けなかったから」
「ああ、そうだったね」
「奢ってくれる?」
「もちろん」
歩き出す。
自然に。
手が触れる。
指を絡める。
「レオン先輩」
「うん?」
「さっき言ってたこと」
「どれ?」
「明日も私を好きでいたいって」
「ああ」
「私も」
レオンハルトが。
こちらを見る。
「明日もレオン先輩を好きでいたい」
未来のことは。
分からない。
保証もない。
でも。
だから。
自分で選べる。
レオンハルトは。
少しだけ。
嬉しそうに笑った。
「じゃあ明日も聞こうかな」
「何を?」
「僕のこと好き?」
「毎日?」
「駄目?」
「たまになら」
「厳しいな」
「でも」
リリアは。
繋いだ手を。
少しだけ。
強く握った。
「明日は聞いていいですよ」
「分かった」
「明日だけ?」
「明後日は?」
「明日決めます」
レオンハルトが笑った。
「それがいいね」
二人は。
朝の王都を歩いていく。
王子と。
世界の核としてではなく。
レオンハルトと。
リリアとして。
まだ何も決まっていない。
明日の方へ。