魔法より、君に恋をする。

レオンハルトルート 第46章 君と選ぶ明日



 世界が独立して最初に訪れた朝は、驚くほど普通だった。

 黒い月が消えた翌日、リリアはいつもの時間に目を覚まし、眠い目を擦りながら制服へ着替えた。右腕にはもう十三本の線は浮かんでいない。鏡を見ても昨日までと同じ顔が映っていて、窓を開ければ朝の風が入ってくる。

 世界を何度もやり直していた偽神が消え、十二回続いた再構築が終わり、この世界が初めて過去から独立した。

 それなのに。

「……授業あるんだ」

 昨日、世界を救った。

 だからといって休校にはならなかった。

「一日くらい休みにしてくれてもいいのに」

 少し不満だった。

 制服のネクタイを整え、女子寮を出る。

 すると。

 今日も。

 いつもの場所に。

 金色の髪が見えた。

「おはよう、リリア」

「おはようございます」

 レオンハルトがいる。

 昨日と同じ。

 でも。

 昨日とは違う。

「今日もいる」

「いるよ」

「世界終わらなかった」

「終わらなかったね」

「明日も来る?」

「来るつもり」

「明後日は?」

「来るよ」

「その次は?」

「毎日確認する気?」

「ちょっとだけ」

 レオンハルトが笑う。

「来られる日は来る。王宮へ行く日は無理かもしれないけど」

「じゃあその日は私が行く」

「王宮に?」

「途中まで」

「迷子になるよ」

「迎えに来て」

「それだと結局僕が来ることになるね」

「確かに」

 二人で笑った。

 そして。

 いつものように。

 手を繋ぐ。

 指を絡める。

 もう。

 それほど緊張しない。

「そういえば」

 レオンハルトが言う。

「昨日の約束、覚えてる?」

「何?」

「今日、聞いていいって言った」

 少し考える。

 思い出した。

「……覚えてます」

「じゃあ聞くね」

 レオンハルトが。

 少しだけ。

 楽しそうに笑う。

「今日も僕のこと好き?」

「好き」

 即答した。

 レオンハルトが目を瞬く。

「早いね」

「聞かれるって分かってたから」

「もう少し照れると思った」

「じゃあやり直す?」

「いいよ」

「今日も僕のこと好き?」

 同じ質問。

 リリアは。

 今度は少し考えるふりをした。

「……好きです」

「演技が下手だね」

「難しい」

「最初の方が嬉しかった」

「じゃあ最初ので」

「うん」

 少し歩いて。

 リリアも聞いた。

「レオン先輩は?」

「好きだよ」

「早い」

「答え決まってたから」

「真似した?」

「ちょっと」

 また。

 二人で笑った。

 普通の朝だった。

 でも。

 それが。

 嬉しかった。

     *

 世界が独立したあとも、学院生活は続いた。

 黒い月について知っている人間は多くない。王宮と学院上層部では大規模な魔力災害として処理され、王都ではしばらく復旧作業が続いた。

 十三本目の線は、あの日以来一度も現れなかった。

 ルシアンによれば、世界の座標は完全に固定されているらしい。

「つまり?」

 リリアが聞いた。

「明日がある」

「それだけ?」

「それ以上必要?」

「ないかも」

 その答えが。

 一番好きだった。

 未来は。

 記録されていない。

 決まっていない。

 誰が誰を好きになるのかも。

 誰が何を選ぶのかも。

 何歳まで生きるのかも。

 分からない。

 それでいい。

 あの少女も。

 消えていなかった。

 ルシアンが管理していた記録領域に意識情報が残り、時々会話できるようになった。

 名前は。

 まだ決まっていない。

「遅くない?」

 リリアが聞いたことがある。

『悩んでるの』

「何個候補ある?」

『二百七十三』

「多い」

『だって一生使うかもしれないでしょ』

「それは大事」

『あなたもエリシアって名前、すぐ決めたわけじゃないでしょ』

「私は表示されてた」

『ずるい』

「ずるくはない」

 そんな話ができるようになった。

 彼女が何なのか。

 結局。

 完全には分からなかった。

 最初のリリアの記録なのか。

 十二人のリリアの情報が混ざったものなのか。

 偽神が作った新しい存在なのか。

 それでも。

 本人が生きたいと願った。

 だから。

 今はそれでいい。

     *

 季節が変わった。

 レオンハルトとの関係も。

 少しずつ変わった。

 最初は手を繋ぐだけで意識した。

 キスをする前には毎回確認した。

 そのうち。

 確認しなくても。

 互いに分かる時が増えた。

 それでも。

 嫌なら離れられる。

 したい時は近づく。

 その距離が。

 二人にはちょうどよかった。

 喧嘩もした。

「レオン先輩、また勝手に決めた」

「今回は仕方なかったんだよ」

「私に言わずに王都の外まで調査行った」

「急だったから」

「一言言えるでしょ」

「ごめん」

「三日会えなかった」

「そこ?」

「そこも大事」

 怒った。

 その翌月には。

 逆になった。

「リリア」

「はい」

「どうして魔獣討伐に参加したことを僕がノアから聞くことになるの?」

「急だったから」

「それ、この前僕が言った言い訳だよね?」

「使えるかなと思って」

「使えないよ」

「ごめんなさい」

「怪我は?」

「ないです」

「本当に?」

「ちょっと擦った」

「リリア」

「ごめんなさい」

 似た者同士だった。

 互いに。

 相手を守りたい。

 だから。

 時々。

 一人で決めようとする。

 そのたびに。

 話した。

 怒った。

 謝った。

 次はどうするか決めた。

 完璧ではない。

 それでも。

 少しずつ。

 二人でいる方法を覚えていった。

     *

 二年目の春。

 リリアのネクタイは。

 白銀から。

 蒼へ変わった。

「似合う?」

「似合うよ」

「去年とどっち?」

「どっちも」

「逃げた」

「本当にどっちも似合うから」

「レオン先輩は赤になった」

「そうだね」

「最後の一年?」

「うん」

 その言葉だけ。

 少し寂しい。

「卒業したらどうする?」

「王宮へ戻る」

「毎日?」

「基本的には」

「会えなくなる?」

「王宮から学院まで来ようと思えば来られるよ」

「どれくらい?」

「馬車なら四十分くらいかな」

「遠い」

「君、今から心配してる?」

「してる」

 レオンハルトが笑う。

「じゃあ、今のうちにたくさん会おう」

「卒業したあとも会う」

「もちろん」

「忙しいって言っても会う」

「努力します」

「努力?」

「王子だから仕事はあるよ」

「じゃあ私が王宮行く」

「迷子にならずに?」

「迎えに来て」

「またそれ?」

「うん」

「分かった」

 レオンハルトが。

 頭を軽く撫でる。

「迎えに行くよ」

     *

 三年目。

 レオンハルトの卒業式。

 リリアは。

 思ったより。

 寂しかった。

 式が終わったあと。

 学院の庭で。

 赤いネクタイを外したレオンハルトを見る。

「本当に卒業した」

「したね」

「明日からいない」

「そうだね」

「嫌かも」

「リリア」

「分かってる。卒業はいいこと」

「うん」

「でも寂しい」

「僕も寂しいよ」

 レオンハルトが。

 手を広げる。

 もう。

 聞かなくても。

 分かった。

 抱きつく。

 腕が。

 背中へ回る。

「一年って早い」

「僕には長かったよ」

「なんで?」

「君が卒業するまで、あと一年あるから」

 顔を上げる。

「待ってくれる?」

「何を?」

「私」

「もちろん」

「他の人好きにならない?」

「ならないよ」

「絶対?」

「未来のことを保証するのはやめたんじゃなかった?」

「こういう時は保証して」

「難しいな」

 笑う。

 それから。

 レオンハルトは。

 少しだけ真面目な顔になった。

「でも」

「うん」

「少なくとも今の僕は、来年も君を迎えに来たいと思ってる」

「卒業式?」

「うん」

「じゃあ待ってる」

「必ず来るよ」

「約束?」

「約束」

 小指ではなく。

 手を繋いだ。

 その方が。

 二人らしかった。

     *

 一年後。

 リリアは。

 学院を卒業した。

 白銀。

 蒼。

 そして。

 最後の一年は。

 深紅。

 三年間。

 長かったようで。

 短かった。

 入学した時には。

 自分が何者なのか。

 知らなかった。

 世界の中心だとも。

 十二回の過去があるとも。

 自分が。

 過去のリリアとは違う魂だとも。

 知らなかった。

 今は。

 知っている。

 でも。

 それだけで。

 自分を説明しようとは思わない。

「リリア!」

 式場を出たところで。

 声がした。

 振り返る。

 金色の髪。

 少しだけ。

 大人びた。

 でも。

 笑った顔は。

 変わらない。

「レオン先輩」

「卒業おめでとう」

「来た」

「約束したからね」

「一年待った」

「僕も」

 走る。

 抱きつく。

 去年と。

 逆。

「卒業しました」

「うん」

「もう先輩じゃない」

「そうだね」

「じゃあ何て呼ぼう」

「今さら?」

「レオン?」

 言ってみる。

 本人が。

 固まった。

「……もう一回」

「レオン」

「もう一回」

「調子乗ってる」

「だって一年待ったんだから、それくらい」

「レオン」

 今度は。

 少し笑いながら。

 呼んだ。

「リリア」

 名前を。

 返される。

 それだけなのに。

 不思議なくらい。

 嬉しかった。

     *

 卒業後。

 リリアは王宮魔術院へ入った。

 誰かに決められたからではない。

 自分で選んだ。

 可能性創造について研究しながら、王都や地方で起こる魔力災害の対策にも関わるようになった。

 レオンハルトは第二王子として。

 王宮で働いた。

 兄を支え。

 外交へ出て。

 時々。

 死ぬほど忙しくなった。

 会えない日も増えた。

 でも。

 会えなくなったわけではない。

「今日何時に終わる?」

「十九時くらい」

「遅い」

「リリアは?」

「十八時」

「じゃあ迎えに行く」

「王子が?」

「恋人が」

「それならお願いします」

 そんな会話が。

 日常になった。

     *

 ある休日。

 二人は。

 久しぶりに。

 王立植物園へ来た。

 初めて二人で来た。

 あの場所。

「変わってない」

 リリアが言う。

「少し変わってるよ」

「どこ?」

「あそこ。温室が増えた」

「本当だ」

「あと、ソレイユの区画も広くなった」

 金色の花。

 昔。

 レオンハルトが。

 子どもの頃から好きだった花。

「覚えてる?」

「何を?」

「最初に来た時、僕を花に例えた」

「閉じてる花と開いてる花」

「そう」

「今は?」

 リリアは。

 レオンハルトを見る。

 考える。

「普通」

「普通?」

「ずっと開いてるわけでもないし、閉じてるわけでもない」

「それ、褒めてる?」

「褒めてる」

「どういう意味?」

「王子のレオンも本当だし、私といる時のレオンも本当だから」

 レオンハルトが。

 少し驚いた顔をする。

「どっちが本物とかじゃない」

「……そっか」

「うん」

 昔。

 彼は。

 王子ではない自分を。

 探していた。

 でも。

 王子の自分を。

 捨てる必要もなかった。

 どちらも。

 レオンハルトだ。

「リリア」

「何?」

「僕、君に会えてよかった」

「急ですね」

「ここに来ると思い出すから」

「私も」

「何を?」

「最初のデート」

「デートって認めるんだ」

「今なら」

「あの時は?」

「お出かけ」

「かなり違うね」

「付き合ってなかったから」

 花の間を。

 ゆっくり歩く。

 昔より。

 背丈は。

 少しだけ変わった。

 距離は。

 ずっと近くなった。

「そういえば」

 リリアが聞く。

「記憶、欲しいと思うことあります?」

 レオンハルトは。

 少し考えた。

「あるよ」

 意外だった。

「あるんだ」

「うん。過去の僕が何を見て、何を考えて、誰とどんな時間を過ごしたのか。知りたいと思うことはある」

「戻したい?」

「それは違うかな」

 レオンハルトは。

 花を見る。

「知りたいことと、それがないと今の僕が完成しないと思うことは違うから」

「そっか」

「もし自然に思い出す日が来たら、その時は受け入れる。でも、自分から取り戻そうとは思わない」

「怖い?」

「少し」

「私も」

「でも」

 レオンハルトが。

 リリアを見る。

「何を思い出しても、今まで君と過ごした時間が消えるわけじゃない」

「うん」

「だから大丈夫」

 リリアは。

 その手を取った。

「私もいるし」

「それが一番大きいかな」

「じゃあもっと言って」

「何を?」

「私がいるから大丈夫って」

「調子に乗ってる?」

「ちょっと」

「珍しいね」

「彼女なので」

「何年付き合ってもそれ使うんだ」

「便利だから」

 二人で笑った。

     *

 植物園を出る頃。

 空が。

 夕焼けに染まっていた。

「リリア」

「うん?」

「次の休み、空いてる?」

「空いてる」

「行きたいところある?」

「海」

「遠いね」

「嫌?」

「行こう」

「すぐ決めた」

「君と行ったことないから」

「じゃあ泊まり?」

「……それは」

 レオンハルトが。

 少しだけ。

 言葉に詰まる。

「何?」

「いや」

「泊まり嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ行こう」

「リリア」

「何?」

「少しは僕の心の準備を考えて」

「旅行で?」

「……もういい」

「なんで顔赤いの?」

「そのうち分かるよ」

「またそれ」

 何年経っても。

 時々。

 こうなる。

 リリアには。

 まだ分からないことがある。

 レオンハルトにも。

 分からないことがある。

 それでいい。

 これから。

 知ればいい。

     *

 植物園の門を出る。

 夕方の街。

 人の声。

 馬車の音。

 パン屋から漂う。

 焼きたての匂い。

 世界は。

 続いている。

 誰かが用意した。

 正しい未来ではない。

 間違えることも。

 後悔することも。

 きっとある。

 それでも。

 明日は。

 今日の続きに来る。

「レオン」

「うん?」

 もう。

 自然に呼べる。

「今日も好き」

 レオンハルトが。

 少し驚いて。

 それから。

 笑った。

「今日は聞いてないよ」

「言いたくなったから」

「じゃあ僕も」

 繋いだ手に。

 少しだけ。

 力が入る。

「今日も好きだよ、リリア」

「明日は?」

「明日の僕に聞いて」

「真似した」

「いい言葉だったから」

「じゃあ明日聞く」

「うん」

 信号代わりの魔導灯が変わる。

 二人で。

 道を渡る。

 未来は。

 見えない。

 だから。

 怖い。

 だからこそ。

 楽しみだった。

 過去の僕が。

 誰を愛したのか。

 何を失ったのか。

 何を願ったのか。

 それを。

 知らなくても。

 もう。

 迷わない。

 これは。

 過去の僕の感情じゃない。

 今の僕が。

 今の君を好きになった。

 そして。

 明日も。

 君を好きでいたいと。

 今の僕が願っている。

 それで。

 十分だった。

 レオンハルトは。

 隣を歩くリリアを見る。

「リリア」

「何?」

「キスしていい?」

「ここで?」

「嫌?」

 リリアは。

 周囲を見る。

 人はいる。

 少し恥ずかしい。

「……あっち」

 人気の少ない道を指す。

「するんだ?」

「したいから」

「僕も」

 二人で。

 少しだけ。

 道を逸れる。

 建物の陰。

 夕焼けの光が。

 銀白色の髪を染める。

 レオンハルトが。

 頬へ触れる。

「好きだよ」

「知ってる」

「言いたかっただけ」

「じゃあ私も」

 リリアは。

 少し背伸びをする。

「好き」

 唇が。

 重なる。

 短く。

 優しく。

 何かを誓うためではなく。

 永遠を保証するためでもなく。

 ただ。

 今日。

 互いを好きだから。

 離れたあと。

 リリアが笑った。

「明日もする?」

「明日決めるんじゃなかった?」

「それは好きかどうか」

「キスは別?」

「別」

「じゃあ」

 レオンハルトも。

 笑った。

「明日もしたい」

「私も」

 手を繋いで。

 また。

 歩き出す。

 明日になれば。

 また。

 新しい選択がある。

 そのたびに。

 自分で選ぶ。

 誰かに。

 決められたからではなく。

 運命だからでもなく。

 好きだから。

 隣にいたいから。

 君と。

 生きていきたいから。

 そうやって。

 二人は。

 何度でも。

 互いを選んでいく。

 決められていない未来を。

 これから。

 一緒に作っていく。
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