魔法より、君に恋をする。

アレンルート 第35章 会いたい人


 翌朝、リリアは目を覚ましてからしばらく、白い天井を見つめていた。

 昨夜、眠る直前まで考えていた問いが、まだ胸の奥に残っている。

 もし明日、授業も約束もなく、誰のところへ行ってもいいとしたら、自分は誰に会いたいのか。

 六人とも大切だった。ただ、その大切が全部同じ形ではないことにも、もう気づいている。

 ノアの笑顔を見ると安心する。レオンハルトとは、もっと王子ではない彼のことを知りたい。カイルには、自分を見るたびに浮かべるあの苦しそうな顔の理由を聞きたい。ルシアンのことは知れば知るほど分からなくなるし、セシルといる時間は自然で心地いい。

 そして、アレン。

 赤い髪と赤い瞳。初対面の頃から距離が近く、思ったことを隠すのが下手で、時々腹が立つほど勝手で、それなのに誰より分かりやすく自分を気にしている人。

 会いたい人を一人だけ選べと言われて最初に浮かんだのは、彼だった。

「……アレン先輩」

 声に出してみると、妙に意識してしまった。

 理由は分からない。

 だからこそ、確かめたかった。

     *

 授業が始まるより一時間近く早く寮を出たものの、リリアはすぐに困った。

 アレンがどこにいるのか知らない。

 昨日の夜には「会いたい」と思っただけで、その先をまったく考えていなかった。

「二年生寮……は入れないし」

 訓練場にいる可能性はある。朝から剣や魔法の訓練をしていても不思議ではない。

 そう考えて向かった結果、なぜか十分後には温室の裏にいた。

「違う」

 見覚えがない。

 学院へ入学してそれなりの日数が経ったというのに、方向感覚だけは一向に改善しない。

「訓練場ってどっちだっけ」

「お前、朝っぱらから何してんだ?」

 背後から聞こえた声に、勢いよく振り返った。

 探していた赤がそこにあった。

「アレン先輩」

「おう」

 本人だった。

 黒い制服の上着は着ておらず、白いシャツの袖を肘まで捲っている。蒼色のネクタイも少し緩んでいて、片手には訓練用の剣があった。どうやら予想通り朝練の途中らしい。

「なんでこんなとこいんだ?」

「アレン先輩を探してました」

「俺を?」

「はい」

 アレンの動きが止まった。

「……何かあったか?」

「ないです」

「じゃあなんで」

「会いたかったから」

 言ってから、自分でも少し驚いた。

 でも嘘ではない。

 アレンはもっと分かりやすかった。

 赤い瞳を大きくして、数秒ほど完全に固まっている。

「先輩?」

「待て」

「何を?」

「今ちょっと喋んな」

「なんで?」

「いいから」

 顔を逸らされた。

 耳が赤い。

「照れてる?」

「照れてねえ」

「赤いですよ」

「朝練したからだ!」

「耳も?」

「うるせえ!」

 怒られた。

 でも、本気で怒っているわけではないことくらいは分かる。

 リリアは少し笑った。

「何笑ってんだよ」

「アレン先輩、分かりやすいなと思って」

「お前が分かりにくすぎんだよ」

「私?」

「普通、朝から男探しに来て『会いたかった』なんて言うなら、もうちょいこう……あるだろ」

「何が?」

「照れるとか!」

「ちょっと照れてます」

「見えねえ!」

「心の中で」

「分かるか!」

 朝の静かな庭に声が響く。

 この感じ。

 久しぶりでもないのに、少し懐かしく思えた。

「それで」

 アレンが剣を肩へ担ぐ。

「本当にそれだけか?」

「うん」

 自然に敬語が抜けた。

 アレンも気づいたらしい。

 目が合う。

 けれど何も言われなかった。

「昨日、考えてたんです」

「何を?」

「もし誰に会ってもいいなら、誰に会いたいかなって」

 アレンの表情が少し変わる。

「それで俺?」

「最初に浮かんだ」

「……マジで?」

「うん」

 今度は。

 アレンが黙った。

 さっきみたいな照れ方ではない。

 もっと。

 何かを堪えるような顔。

「アレン先輩?」

「……そういうの」

 低い声だった。

「簡単に言うなよ」

「嫌だった?」

「逆だ」

 アレンは目を逸らした。

「嬉しすぎるから困ってんだよ」

 胸が。

 小さく鳴った。

 いつもそうだ。

 アレンは。

 欲しい言葉を。

 何の準備もさせずに投げてくる。

「先輩も会いたかった?」

 聞く。

 赤い瞳が戻ってくる。

「会いたかった」

 迷わない。

「昨日も?」

「会いたかった」

「一昨日は?」

「会いたかった」

「毎日?」

「そうだよ」

「……それはちょっと重い」

「お前な!」

 笑ってしまった。

 アレンも呆れたように笑う。

 でも。

 その笑顔の奥。

 一瞬だけ。

 寂しそうに見えた。

 なぜだろう。

 毎日会っている。

 同じ学院にいる。

 自分はここにいる。

 それなのに。

 アレンは時々。

 ずっと会えなかった人を見ているような目をする。

「アレン先輩」

「ん?」

「今日、放課後空いてます?」

「空いてるけど」

「ご飯食べたい」

「食堂?」

「外」

「二人で?」

「嫌?」

「嫌なわけねえだろ」

 また即答だった。

 その速さが。

 少し嬉しい。

「じゃあ行こう」

「……お前さ」

「何?」

「俺がどんだけ我慢してるか知らねえだろ」

「何を?」

「知らなくていい」

「気になる」

「今はいい」

「教えて」

「嫌だ」

「ケチ」

「何とでも言え」

 アレンが笑う。

「放課後、迎えに行く」

「二年生棟まで行けます」

「お前が?」

「行ける」

「温室の裏で何言ってんだよ」

「今日はたまたま」

「絶対迎えに行く」

「信用ない」

「あると思ってたのか?」

「ひどい」

 でも。

 迎えに来てくれるなら。

 それも悪くない。

     *

 放課後。

 本当にアレンは来た。

 授業が終わって教室を出ると、廊下の壁にもたれて待っている。

 目立つ。

 かなり。

 二年生の赤髪の男子が一年生棟にいるだけでも目を引くのに、アレンは元々有名だ。

「アレン先輩」

「おう」

「目立ってます」

「知るか」

「女子見てる」

「だから?」

「モテる?」

「知らねえ」

「告白されたことある?」

「ある」

「何回?」

「覚えてねえ」

「すごい」

「何の話だよ」

 二人で歩き出す。

 廊下の視線はまだついてくる。

 リリアは何となくアレンを見る。

 背が高い。

 かなり高い。

 隣を歩くと、自分の頭が彼の肩より低い。

「何だよ」

「大きいなと思って」

「今さら?」

「何センチ?」

「百八十七」

「でかい」

「お前が小せえんだよ」

「百五十四あります」

「小せえだろ」

「普通です」

「そうか?」

 アレンの手が伸びてきた。

 頭へ。

「ちょうどこの辺」

「何してるの?」

「身長差確認」

「やめて」

 手を払う。

 アレンが笑う。

「怒んなよ」

「子ども扱いされた」

「してねえよ」

「頭触った」

「触りたかっただけ」

「……なんで?」

「好きだから」

 足が止まった。

 アレンも止まる。

「今」

「ん?」

「好きって言いました?」

「言った」

「普通に?」

「今さらだろ」

「今さら?」

 アレンが。

 少しだけ。

 困ったような顔をした。

「俺がお前のこと好きなの、知らなかったのか?」

「……知らない」

「マジかよ」

「ちゃんと聞いたことない」

「嘘だろ」

「いつ言った?」

 アレンが記憶を探すように黙る。

「……言ってねえかも」

「ほら」

「でも分かるだろ!」

「なんとなくは」

「なんとなく!?」

「距離近いし」

「そこ!?」

「よく見てるし」

「他には?」

「すぐ怒る」

「それ好意の根拠に入れんな!」

 リリアは笑った。

 でも。

 胸の奥が。

 さっきから。

 落ち着かない。

「じゃあ」

 聞く。

「本当に好きなんですか?」

 今度は。

 アレンは笑わなかった。

 廊下にはまだ人がいる。

 だから。

 少しだけ。

 声を落とす。

「好きだよ」

 赤い瞳が。

 まっすぐ。

 こちらを見る。

「ずっと好きだ」

 その「ずっと」が。

 妙に重かった。

「どれくらい?」

 何となく聞いた。

 アレンの目が。

 揺れた。

「……お前が思ってるより」

「入学してから?」

 返事がない。

「アレン先輩?」

「その話は」

 視線を逸らす。

「飯食いながらする話じゃねえな」

 逃げた。

 初めて。

 そう思った。

 いつも。

 何でも真っ直ぐ言う人なのに。

「じゃあ、いつか教えて」

「……ああ」

「約束」

「分かった」

 歩き出す。

 今度は。

 少しだけ。

 距離が近かった。

     *

 学院から少し離れた街の食堂へ入った。

 高級な店ではない。

 学生も多い。

 焼いた肉と野菜。

 スープ。

 パン。

 簡単な料理。

「ここでよかったの?」

 アレンが聞く。

「うん」

「レオンならもっと洒落たとこ連れてくぞ」

「なんでレオン先輩?」

「いや」

「比べてる?」

「比べてねえ」

「じゃあいい」

 向かいに座る。

 料理が来る。

「いただきます」

 食べる。

 美味しい。

「うまい?」

「うん」

「よかった」

「アレン先輩のおすすめ?」

「たまに来る」

「一人で?」

「友達とも。一人の時もある」

「何食べるの?」

「だいたい肉」

「やっぱり」

「何だよ」

「イメージ通り」

「お前は?」

「甘いもの」

「それもイメージ通り」

「真似した?」

「してねえ」

 特別なことは。

 何もしていない。

 ただ。

 ご飯を食べて。

 話して。

 笑う。

 でも。

 不思議だった。

 楽しい。

「アレン先輩」

「ん?」

「こういうのいいですね」

「こういうの?」

「普通の」

 アレンの手が。

 止まった。

「普通……」

「うん」

「そっか」

 その顔。

 また。

 少しだけ。

 遠い。

「嫌?」

「違う」

 アレンは。

 ゆっくり。

 笑った。

「俺も好きだ」

「この店?」

「こういうのが」

 目が合う。

「お前と飯食って、くだらねえ話して、明日もまた会うって分かってるの」

 胸の奥が。

 きゅっとなる。

「それがいい」

 アレンが言った。

 どうして。

 そんな。

 当たり前のことを。

 大切そうに言うのだろう。

「明日も会えますよ」

「分かってる」

「明後日も」

「ああ」

「来週も」

「……ああ」

「卒業まで」

「リリア」

 名前を呼ばれた。

 声が。

 少し掠れている。

「どうしたの?」

「それ以上言うな」

「なんで?」

「嬉しいから」

 笑っている。

 でも。

 泣きそうにも見えた。

「アレン先輩」

「ん?」

「私、どこか行くと思ってる?」

 その瞬間。

 赤い瞳が。

 はっきり揺れた。

 聞いてはいけなかったのかもしれない。

 でも。

 もう。

 気づいてしまった。

「時々、そういう顔する」

「……どんな」

「私がいなくなるみたいな」

 アレンは。

 答えなかった。

 周囲では。

 普通に人が話している。

 皿の音。

 笑い声。

 料理の匂い。

 その中で。

 二人の間だけ。

 少し静かになった。

「昔」

 やがて。

 アレンが口を開く。

「約束した奴がいた」

「誰?」

「……お前」

 リリアは。

 瞬きをした。

「私?」

「ああ」

「覚えてない」

「知ってる」

 アレンは。

 少し笑った。

「覚えてなくていい」

 その言い方が。

 優しすぎて。

 逆に。

 胸が痛かった。

「何を約束したの?」

「まだ言いたくねえ」

「どうして?」

「今のお前が俺に会いたいって言ってくれた日くらい」

 アレンは。

 リリアを見る。

「昔の話じゃなくて、今の話してえから」

 その言葉に。

 リリアは。

 何も返せなかった。

 昔。

 自分とアレンの間に。

 何があったのか。

 知りたい。

 でも。

 今。

 目の前にいる彼が。

 過去ではなく。

 自分を見ようとしている。

 それも。

 嬉しかった。

「じゃあ今日は聞かない」

「悪い」

「その代わり」

「何だ?」

「またご飯行こう」

 アレンが。

 目を見開く。

「今日だけじゃなくて」

 言葉にする。

「また普通のことしたい」

 赤い瞳が。

 ゆっくり。

 柔らかくなる。

「……ああ」

「次は私が店決める」

「迷わず行けんのか?」

「迎えに来て」

「結局俺じゃねえか」

「お願いします」

 アレンが笑った。

「分かったよ」

 それから。

 少しだけ。

 照れたように。

「何回でも迎えに行く」

     *

 店を出た頃には、空が薄い橙色に染まっていた。

 学院へ戻る道を二人で歩く。

 行きより。

 距離が近い。

 手は。

 繋いでいない。

 でも。

 歩くたび。

 時々。

 指先が触れる。

 一回。

 二回。

 三回。

 気づいている。

 たぶん。

 アレンも。

 でも。

 どちらも。

 手を離すほど。

 距離を取らなかった。

 四回目。

 触れた時。

 アレンの小指が。

 ほんの少し。

 リリアの指に絡んだ。

 握るわけではない。

 すぐに。

 離せるくらい。

「……アレン先輩」

「嫌なら離す」

 前を向いたまま。

 言われる。

 リリアは。

 自分の指を見る。

 少しだけ。

 考える。

「嫌じゃない」

 答えた。

 小指だけ。

 繋がったまま。

 二人で歩く。

 手を繋ぐより。

 なぜか。

 恥ずかしい。

「アレン先輩」

「ん?」

「顔赤い」

「夕日のせいだ」

「耳も」

「うるせえ」

「私も赤い?」

 聞くと。

 アレンが。

 初めて。

 こちらを見る。

 目が合う。

「……赤い」

「そっか」

「何笑ってんだよ」

「同じだなと思って」

 アレンは。

 一瞬黙って。

 それから。

 笑った。

「そうだな」

 学院が。

 見えてくる。

 明日も。

 会える。

 それは。

 リリアにとって。

 当たり前だった。

 でも。

 隣を歩く彼にとっては。

 きっと。

 当たり前ではなかった。

 その理由を。

 まだ。

 知らない。

 ただ。

 今は。

 明日も会いたいと思う。

 その気持ちだけは。

 昔の誰かのものではない。

 今の。

 リリア自身のものだった。
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