魔法より、君に恋をする。
アレンルート 第38章 待つことに慣れた人
好きになる途中かもしれない、と口にしてから、アレンとの距離は少しだけ変わった。
恋人になったわけではない。告白を受け入れたわけでもないし、何か新しい約束をしたわけでもない。それなのに、朝の廊下で姿を見つければ自然と互いの方へ歩いていくようになり、昼食を一緒に取る回数が増え、放課後に予定がなければどちらからともなく相手を探すようになった。
手を繋ぐことも、いつの間にか珍しくなくなっていた。
「アレン先輩」
「ん?」
「今日、手」
学院を出たところで言うと、アレンが自分の右手を見る。
「繋ぐ?」
「聞く前に出してんじゃねえか」
リリアはすでに左手を差し出していた。
「嫌ならしまいます」
「嫌じゃねえよ」
すぐに大きな手が重なる。指を絡めるところまで、今ではどちらも迷わなかった。
「慣れた」
「俺は慣れねえ」
「毎回?」
「毎回」
「なんで?」
「好きな女と手繋いで平然としてられるほど器用じゃねえから」
「でも顔は普通」
「努力してんだよ」
そう言われて横顔をよく見ると、確かに耳が少し赤い。
「本当だ」
「見るな」
「可愛い」
「それ禁止にしねえ?」
「嫌です」
「即答すんな」
手を繋いだまま歩く。何でもない帰り道なのに、以前より少しだけ帰る時間が惜しく感じるようになった。
それが何なのかは、もうたぶん分かり始めている。
ただ、まだ言わない。
アレンは待つと言った。
だから自分も、急いで答えを出したくなかった。
自分の気持ちがどこへ辿り着くのか、ちゃんと見ていたかった。
「今日どうする?」
アレンが聞く。
「何が?」
「このまま帰るか、どっか寄るか」
「アレン先輩は?」
「俺はお前といられんならどっちでもいい」
「それ、選択肢として役に立たない」
「じゃあ寄る」
「どこ?」
「お前決めろ」
「甘いもの」
「予想通りだな」
少し遠回りをして、以前とは別の店へ入った。焼き菓子と紅茶が中心の小さな店で、リリアが窓際の席を選ぶと、アレンは向かいではなく隣へ座った。
「なんで隣?」
「駄目か?」
「駄目じゃない」
「ならいいだろ」
注文した果実のタルトを食べながら、授業の話をした。アレンは座学が思ったより苦手ではないらしい。ただし古代魔法史だけは眠くなると言い、リリアが「意外」と笑えば、「俺を戦うことしかできねえ馬鹿だと思ってただろ」と睨まれた。
そんな話をしている時間が好きだった。
過去も、世界も、黒い月も関係ない。ただ十六歳のアレンと十五歳のリリアが放課後に寄り道をしているだけの時間。
「一口いる?」
リリアが聞く。
「何を?」
「これ」
自分のタルトを指す。
「いいのか?」
「うん」
皿を渡そうとしたら、アレンが少し身を寄せた。
「そのままでいい」
「そのまま?」
「フォーク」
そこで意味が分かった。
「……これ?」
「嫌ならいいけど」
自分が使っていたフォーク。
手を繋ぐより、なぜか恥ずかしい。
「間接キス?」
「言うなよ!」
「アレン先輩が言い出したのに」
「言葉にされると違うんだよ!」
リリアは少し考えてから、タルトを一口分取った。
「はい」
「……マジ?」
「食べないの?」
「食う」
アレンが身を屈める。
フォークから食べる。
それだけなのに、妙に意識した。
「どう?」
「うまい」
「それだけ?」
「何を期待してんだよ」
「分からない」
「お前な……」
今度はアレンが頼んだ焼き菓子を割った。
「ほら」
「くれる?」
「お返し」
差し出された。
手ではなく。
アレンが持ったまま。
「……これも?」
「嫌なら皿置く」
少し迷った。
でも。
顔を近づける。
一口。
食べる。
指には触れなかった。
なのに。
二人とも黙った。
「……美味しい」
「おう」
「アレン先輩」
「何だ」
「顔赤い」
「お前もな」
言われて。
頬へ手を当てる。
熱い。
二人で顔を見合わせて、結局笑った。
「これ、付き合ってない人がすること?」
何となく聞いた。
アレンが咳き込んだ。
「急に何言ってんだ!」
「気になった」
「俺に聞くな!」
「付き合ったことないから分からない」
「俺もねえよ!」
「二人とも初心者?」
「……そうなるな」
妙におかしくて、また笑った。
けれど笑いが落ち着いたあと、アレンがぽつりと言った。
「でも、昔は」
そこで言葉が止まった。
リリアは横を見る。
「昔?」
「……何でもねえ」
まただ。
昔の話になると、アレンは止まる。
今までなら待てた。
でも。
好きになる途中だと気づいてしまった今は。
知りたいという気持ちも、前より大きくなっていた。
「アレン先輩」
「ん?」
「聞いてもいい?」
「内容による」
「昔の私と、付き合ってた?」
アレンの表情が消えた。
否定もしない。
肯定もしない。
「答えたくない?」
「……付き合ってた、って言い方が正しいか分かんねえ」
「どういうこと?」
アレンはしばらく黙っていたが、やがて椅子の背へ身体を預けた。
「好きだった」
「アレン先輩が?」
「ああ」
「昔の私は?」
「たぶん、俺を好きだった」
「たぶん?」
「ちゃんと聞く前に終わったから」
声が変わった。
さっきまで。
笑っていたのに。
「何があったの?」
「リリア」
「うん」
「今日はやめねえ?」
赤い瞳がこちらを見る。
拒絶ではない。
怖がっている。
そう見えた。
だからリリアは頷いた。
「分かった」
「悪い」
「謝らなくていい」
「でも」
「話したくなったら話して」
アレンは何も言わなかった。
ただ、テーブルの下で。
リリアの手へ。
自分の手を重ねた。
握る。
強くはない。
「……ありがとう」
「うん」
それ以上。
聞かなかった。
*
店を出た時には、日が沈みかけていた。
学院へ戻る道。
アレンはいつもより静かだった。
手は繋いでいる。
でも。
何度か。
握る力が強くなる。
「アレン先輩」
「ん?」
「大丈夫?」
「大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
「嘘っぽい」
「……お前、そういうとこ鋭くなったな」
「アレン先輩限定かも」
「それ喜んでいい?」
「たぶん」
アレンが少し笑う。
でも。
やっぱり。
いつもの笑い方ではない。
「昔のこと思い出した?」
「ちょっとな」
「嫌なこと?」
「……一番嫌なこと」
足が。
自然と止まる。
アレンも。
止まった。
「私に関係ある?」
「ああ」
「そっか」
聞きたい。
でも。
無理に聞きたくない。
少し迷って。
リリアは。
繋いでいた手を離した。
アレンの顔が。
一瞬で変わった。
驚き。
そのあと。
恐怖。
あまりにもはっきりしていて。
リリアの方が驚いた。
「……アレン先輩?」
離れた手を。
アレンが見ている。
「ごめん」
リリアは。
すぐ。
手を伸ばす。
「違う。こっち」
アレンの腕を引いた。
そして。
抱きついた。
自分でも。
少し驚いた。
でも。
さっきから。
そうしたかった。
アレンの身体が。
固まる。
「……リリア?」
「手よりこっちの方がいいかなと思って」
「お前」
声が。
震えた。
腕は。
まだ。
自分に触れない。
「嫌?」
「嫌なわけねえだろ」
「じゃあ抱きしめていいですよ」
「……簡単に言うな」
「嫌じゃないから」
数秒。
それから。
腕が。
背中へ回る。
強い。
思っていたより。
ずっと。
強く。
抱きしめられた。
「アレン先輩」
「悪い」
「苦しい」
腕が。
すぐ緩む。
「悪い!」
「少しだけ」
「マジで悪い」
「でも」
リリアは。
離れなかった。
「もうちょっとこのまま」
アレンが。
息を呑む。
今度は。
優しく。
抱きしめられた。
胸へ。
頬を寄せる。
心臓が。
速い。
「アレン先輩も速い」
「言うな」
「私も」
「……そっか」
少しだけ。
安心したような声。
背中へ回った手が。
ゆっくり。
髪へ触れる。
撫でる。
今まで。
頭を撫でられたことはある。
でも。
抱きしめられながらだと。
全然違う。
胸が。
苦しいくらい。
いっぱいになる。
「リリア」
「うん?」
「俺」
アレンが。
何かを言おうとする。
でも。
止まった。
「何?」
「……怖えんだ」
初めて。
聞いた。
アレンが。
怖いと。
口にするのを。
「何が?」
「お前がいなくなるのが」
抱きしめる腕が。
少しだけ。
強くなる。
「目の前にいても?」
「ああ」
「触ってても?」
「ああ」
「どうして?」
長い。
沈黙。
「一回」
アレンが。
ゆっくり。
言った。
「お前を失ったから」
リリアは。
動かなかった。
「昔の私?」
「ああ」
「死んだ?」
腕が。
僅かに。
震えた。
それだけで。
答えが分かった。
「……うん」
「アレン先輩の前で?」
「……ああ」
声が。
掠れている。
それ以上。
聞くのが。
怖くなった。
でも。
アレンは。
自分から。
続けた。
「だから」
深く。
息をする。
「お前が手離すと、たまに駄目になる」
さっき。
自分が手を離した瞬間。
あの顔。
ようやく。
理由が分かった。
「ごめん」
「謝んな」
「でも」
「お前は何も悪くねえ」
すぐに。
言われる。
「手くらい好きに離せ。俺が慣れなきゃいけねえ」
「……慣れたい?」
「ああ」
「なんで?」
「今のお前に、昔のこと背負わせたくねえから」
胸が。
痛い。
優しいから。
余計に。
「私は」
リリアは。
アレンの制服を。
少しだけ。
掴む。
「知りたいです」
「……」
「背負うとかじゃなくて」
顔を上げる。
赤い瞳。
すぐ近く。
「アレン先輩のことだから」
その瞳が。
揺れる。
「今のアレン先輩を知りたいって言ったでしょ?」
「ああ」
「昔のことも、今のアレン先輩の中にあるなら」
言葉を。
選ぶ。
「いつか、聞かせてほしい」
アレンは。
長い間。
何も言わなかった。
それから。
ゆっくり。
頷いた。
「分かった」
「今日じゃなくていい」
「ああ」
「明日でもなくていい」
「……ああ」
「話せる時でいい」
アレンが。
目を閉じる。
「お前」
「何?」
「そうやって待たれると」
少し。
困ったように。
笑う。
「余計好きになる」
胸が。
また。
速くなる。
「それは困る?」
「困らねえよ」
「じゃあいい」
「お前は?」
「何が?」
「俺のこと」
聞かれて。
少しだけ。
考える。
昨日なら。
好きになる途中。
そう答えた。
今日は。
どうだろう。
「昨日より好き」
正直に。
答えた。
アレンが。
固まる。
「……それ」
「うん?」
「もう一回言って」
「嫌です」
「なんでだよ!」
「恥ずかしいから」
「今さら!?」
「今さら恥ずかしくなった」
「遅えよ!」
笑う。
アレンも。
笑った。
今度は。
ちゃんと。
いつもの笑い方だった。
*
その夜。
アレンは。
一人で。
ベッドへ横になっていた。
眠れない。
目を閉じると。
昔の光景が。
出てくる。
血。
赤い月。
崩れた街。
自分の腕の中。
少女。
『お願い』
聞きたくない。
『アレン』
やめろ。
『あなたにしか頼めないの』
目を開ける。
天井。
学院の寮。
今。
ここ。
「……クソ」
顔を。
手で覆う。
思い出したくない。
でも。
忘れたことなど。
一度もない。
三つ目の世界。
世界が。
壊れかけていた。
リリアの魔力が。
暴走していた。
止める方法は。
一つ。
彼女自身が。
そう言った。
『殺して』
『ふざけんな』
『お願い』
『できるわけねえだろ!』
『このままだと、みんな死ぬ』
『知るか!』
『アレン』
『俺はお前を殺さねえ!』
それでも。
最後は。
自分が。
やった。
自分の手で。
好きだった女を。
殺した。
最後に。
彼女は。
笑った。
『次は、見つけて』
だから。
約束した。
『絶対見つける』
見つけた。
でも。
遅かった。
次の世界へ。
行けなかった。
壊れた世界に。
自分だけ。
残った。
三百年。
死ねなかった。
誰もいない世界で。
彼女の墓を作った。
毎日。
話した。
返事なんて。
一度もない。
それでも。
話し続けた。
今日あったこと。
何もないこと。
空が赤いこと。
花が咲いたこと。
腹が減ったこと。
死ねないこと。
会いたいこと。
寂しいこと。
許してほしいこと。
早く。
次へ行きたいこと。
三百年。
待った。
だから。
「待つくらい」
アレンは。
目を閉じる。
「何でもねえんだよ」
でも。
今日。
リリアは。
自分を抱きしめた。
昔の彼女ではない。
今の。
リリアが。
『昨日より好き』
思い出す。
胸が。
痛い。
でも。
昔とは違う。
温かい。
「……反則だろ」
小さく。
笑う。
明日。
会える。
それが。
まだ。
信じられない。
だから。
明日になったら。
また。
確かめよう。
彼女がいることを。
そして。
いつか。
話そう。
三百年。
待っていたことも。
自分の手で。
彼女を殺したことも。
全部。
それを聞いた彼女が。
自分を選ばなくても。
今度は。
ちゃんと。
彼女自身に。
選んでもらうために。