魔法より、君に恋をする。
ルシアンルート 第35章 あなたに会いたい
翌朝、目を覚まして最初に思い浮かんだのは、昨日ノートに書いた六つの名前だった。
ノア。
レオン先輩。
アレン先輩。
クロフォード先輩。
ルシアン先輩。
セシル。
それぞれに違う気持ちがある。
安心する人。気になる人。一緒にいると楽しい人。もっと知りたい人。
その中で、今日一日何の予定もなくて、誰のところへ行ってもいいと言われたら。
誰に会いたいだろう。
ベッドの上でしばらく考えて、リリアは起き上がった。
「……決めた」
身支度を済ませて女子寮を出る。
行き先は、生徒会室だった。
理由は簡単だった。
一番分からないからだ。
ルシアン・ノクス。
生徒会長。
学院の監督役。
世界についても、過去のリリアについても、自分の知らないことをたくさん知っている人。
いつも穏やかで、少し意地悪で、何を聞いても答えているようで肝心なところだけ綺麗に避ける。
だから今日は、世界のことを聞きに行く。
――つもりだった。
生徒会室の前まで来て、リリアは扉を見つめた。
「……本当に?」
自分に聞く。
昨日までは、知りたいことがあるからルシアンに会っていた。
でも今日は違う。
別に今日じゃなくてもいい。
世界は今すぐ壊れそうなわけではないし、昨日、自分が独立した存在であることも分かった。
急いで何かを聞く必要はない。
それでもここへ来た。
「……まあ、いいか」
考えても分からない。
ノックする。
「どうぞ」
聞き慣れた声が返ってきた。
扉を開ける。
ルシアンは窓際の机に座っていた。
黒紫の髪。
眼鏡の奥の紫の瞳。
深紅のネクタイ。
いつも通り、書類の山に囲まれている。
「おはようございます」
「おはよう、リリア」
ルシアンは顔を上げる。
「朝から珍しいね。何か問題でも?」
「ないです」
「迷子?」
「違います」
「それは失礼」
「ちゃんと生徒会室目指して来ました」
「それは偉い」
「馬鹿にしてます?」
「褒めているよ」
「絶対嘘」
いつものやり取り。
それだけで、少し安心した。
「それで?」
ルシアンがペンを置く。
「何を聞きに来たのかな」
「……何で質問がある前提なんですか」
「君が僕を訪ねる時は、大抵そうだからね」
「じゃあ今日は違います」
ルシアンの動きが止まった。
「違う?」
「はい」
「では何の用?」
リリアは少し考える。
自分でも、まだ上手く言葉にできない。
「会いに来ました」
沈黙した。
ルシアンはリリアを見る。
「……僕に?」
「他に誰がいるんですか」
「いや」
眼鏡を押し上げる。
「それはそうなんだけどね」
「何ですかその反応」
「予想していなかった」
「ルシアン先輩でも予想外とかあるんだ」
「僕を何だと思っているのかな」
「大体何でも知ってる人」
「買い被りだよ」
「じゃあ私が今日来るのも知らなかった?」
「ああ」
ルシアンは少し笑った。
「知らなかった」
その言い方が、なぜか印象に残った。
「……嬉しいですか?」
「何が?」
「私が会いに来たの」
聞いてから、少し変な質問だったと思う。
けれどルシアンは笑わなかった。
「嬉しいよ」
思ったより普通に返ってきた。
「そうなんだ」
「疑っていたのかい?」
「ちょっと」
「傷つくな」
「絶対傷ついてない」
「それも決めつけだね」
ルシアンが立ち上がる。
「座る?」
「はい」
ソファへ移動する。
リリアがいつもの位置へ座ると、ルシアンは向かい側に腰を下ろした。
「それで、会いに来たあとは?」
「考えてませんでした」
「計画性がない」
「会ってから考えようと思って」
「僕が忙しかったら?」
「帰ります」
「潔いね」
「忙しい?」
ルシアンは机の上の書類を見る。
「忙しいと言えば忙しい」
「じゃあ帰る」
立ち上がろうとした。
「待って」
止められる。
リリアはルシアンを見る。
「何ですか」
「帰る必要はないよ」
「でも忙しいんでしょ?」
「君と話す時間くらいはある」
「無理してない?」
「していない」
「本当に?」
「……今日はよく疑うね」
「ルシアン先輩、何考えてるか分からないから」
その言葉に、ルシアンの表情が僅かに変わった。
「そうだね」
否定しなかった。
「僕は君に隠していることが多い」
「やっぱり」
「知っていただろう?」
「まあ」
「それを聞きに来た?」
「今日は違います」
リリアは首を振った。
「今日はルシアン先輩のことを知りたい」
また沈黙した。
今日はよく黙る。
「……僕の?」
「はい」
「世界の仕組みではなく?」
「うん」
「過去の君のことでもなく?」
「うん」
「魂についてでもない?」
「しつこい」
「確認しているんだよ」
「ルシアン先輩のこと」
はっきり言う。
「好きな食べ物とか、嫌いなものとか、休みの日何してるとか。そういう普通のこと」
ルシアンが目を細めた。
「なぜ?」
「知らないから」
「知らなくても困らないよ」
「でも知りたい」
答えると、ルシアンが黙る。
「……駄目?」
「いや」
少し遅れて返ってきた。
「駄目ではない」
「じゃあ好きな食べ物」
「急だね」
「何?」
「特にない」
「つまんない」
「酷いな」
「じゃあ甘いもの好き?」
「普通」
「辛いもの」
「普通」
「嫌いな食べ物」
「特にない」
「面白くない!」
「食事に娯楽性を求めすぎじゃないかな」
リリアは眉を寄せる。
「じゃあ趣味」
「読書」
「何読むの?」
「魔法史、古代術式、世界構造論」
「仕事じゃん」
「趣味だよ」
「絶対嘘」
「本当に好きなんだけどね」
「もっと普通のないの?」
「普通とは?」
「散歩とか。寝るとか。お菓子食べるとか」
「君の趣味が混ざっていないかい?」
「寝るの好き」
「知っている」
さらりと言われた。
リリアは止まる。
「何で知ってるの?」
「朝が弱いだろう」
「……見てた?」
「君は割と有名だからね」
「誤魔化した」
「そうかな」
「そうです」
ルシアンは微笑んでいる。
いつもの顔。
でも、ふと思った。
「ルシアン先輩って、私のこと結構知ってますよね」
「ああ」
「私は先輩のこと全然知らない」
「そうだね」
「不公平」
「何が?」
「私ばっかり知られてる」
リリアはソファの背もたれへ寄りかかった。
「だから教えて」
「何を?」
「ルシアン先輩のこと」
ルシアンはしばらくこちらを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「コーヒーは苦い方が好きだ」
「うん」
「雨の日は嫌いじゃない」
「うん」
「静かな場所が好きだが、静かすぎる場所はあまり好きじゃない」
「それ何で?」
「考えすぎるから」
少し意外だった。
「何を?」
「色々と」
「また誤魔化した」
「全部一度に知ろうとしないでくれるかな」
「じゃあ次」
「まだあるの?」
「いっぱい」
ルシアンが少し笑った。
「休みの日は?」
「学院の外へ出ることもある」
「どこ行くの?」
「古書店」
「やっぱり本」
「あとは適当に歩く」
「散歩するんじゃん!」
「するよ」
「最初に言ってよ」
「君が勝手に僕を本棚に住んでいる人間みたいに扱ったんだろう」
「住んでそう」
「失礼だな」
「今度一緒に行きたい」
口から自然に出た。
ルシアンの表情が止まる。
「古書店?」
「うん」
「僕と?」
「だから何で毎回そこ確認するの」
「……そうだね」
ルシアンは眼鏡の位置を直した。
「行く?」
「いいんですか?」
「ああ」
「いつ?」
「次の休日」
「空いてる」
「では決まりだ」
「やった」
思ったより簡単に約束ができた。
嬉しくなって、リリアは笑う。
その顔をルシアンが見ていた。
「何ですか」
「いや」
「またそれ」
「君は分かりやすいなと思って」
「何が?」
「嬉しい時」
「嬉しいから」
「僕と出かけるのが?」
「うん」
ルシアンが黙った。
「……先輩?」
「君は時々、随分と困ることを平気で言うね」
「何で?」
「自覚がないなら、そのままでいいよ」
「気になる」
「教えない」
「意地悪」
「知っている」
そのあとも、しばらくどうでもいい話をした。
ルシアンが意外と朝に強いこと。
料理はできるけれど、必要がなければしないこと。
猫より犬が好きなこと。
理由は「猫は僕を信用しないから」。
それを聞いてリリアは笑った。
「絶対何か見抜かれてるんですよ」
「猫に?」
「うん」
「何を」
「怪しい人だって」
「君も随分言うようになったね」
「仲良くなったから」
ルシアンの笑みが、ほんの少し止まる。
「……仲良くなった?」
「違う?」
「いや」
紫の瞳が柔らかくなる。
「そうだといいね」
「何その言い方」
「僕は友人関係の判定に自信がなくてね」
「じゃあ私が決めます」
「君が?」
「うん。仲良し」
「勝手だな」
「嫌?」
「嫌じゃないよ」
少しだけ笑う。
「むしろ嬉しい」
今日二回目の「嬉しい」だった。
ルシアンは思ったより、自分の気持ちを言う。
ただし、こちらから聞いた時だけ。
「じゃあもう一個聞く」
「どうぞ」
「私が来なかったら、今日何してた?」
「仕事」
「一日?」
「おそらく」
「つまんない」
「君は僕の生活に厳しいね」
「じゃあ来てよかった?」
ルシアンは少しだけ考えた。
「よかったよ」
「仕事邪魔したのに?」
「ああ」
「何で?」
また、聞いてしまった。
ルシアンは答えようとして。
やめた。
「……それはまだ秘密かな」
「また秘密」
「全部教えたら、君はもう僕を知りたいと思わなくなるだろう?」
「ならないと思う」
「どうして?」
「一個知ると、また次知りたくなるから」
ルシアンがこちらを見る。
「今日もそう。コーヒー好きって知ったら、どこのが好きなのか気になるし、散歩するって知ったらどこ歩くのか気になる」
「……そう」
「だから多分、いっぱい知っても終わらない」
何となく言っただけだった。
けれどルシアンは、しばらく何も言わなかった。
「先輩?」
「君は本当に」
小さく息を吐く。
「残酷だね」
「えっ」
「褒めている」
「絶対違う」
「半分くらいは」
「半分悪口じゃん」
リリアが睨むと、ルシアンは笑った。
でもその笑顔は、いつもより少しだけ困っているように見えた。
昼前になり、リリアは立ち上がった。
「そろそろ帰ります」
「昼食は?」
「まだ決めてない」
「一緒に食べる?」
今度はリリアが止まった。
「ルシアン先輩から誘った」
「そんなに珍しい?」
「珍しい」
「なら撤回しようかな」
「食べる!」
「即答だね」
「どこ?」
「食堂でいいだろう」
「うん」
二人で生徒会室を出る。
廊下を歩きながら、リリアは少し不思議な気分だった。
今までルシアンと歩く時は、何か問題があった。
世界のこと。
魔法のこと。
過去のこと。
今日は何もない。
ただ一緒に昼食を食べるために歩いている。
「ルシアン先輩」
「何?」
「今日、普通ですね」
「僕は普段から普通だよ」
「嘘」
「酷いな」
「でもこっちの方が好きかも」
ルシアンの足が僅かに止まった。
「……何が?」
「世界の話してないルシアン先輩」
「そう」
「普通に喋ってる方が楽しい」
「……そうか」
「うん」
また歩き出す。
けれど少しだけ、ルシアンの歩く速度が遅くなった。
リリアは気づかなかった。
彼が横を向いた理由にも。
眼鏡の奥の目を、一瞬だけ伏せたことにも。
その日の夜。
ルシアンは一人、生徒会室に残っていた。
机の上には、古い記録が開かれている。
十二の世界。
十二回の再構築。
そして、その遥か前。
まだ最初の世界すら壊れていなかった頃の記録。
そこには一人の少女と、一人の少年の名前があった。
ルシアンは長い間、そのページを見ていた。
『あなたのことが好き』
記録の中に残る言葉。
かつて彼女が、彼に伝えた言葉だった。
そして自分は、それを拒んだ。
拒まなければならなかった。
彼女が一人の人間として生きるために。
「……今度は逆か」
小さく呟く。
今日、リリアは自分から会いに来た。
世界について聞くためではない。
過去を知るためでもない。
ただ、自分を知りたいと言った。
次の休日、一緒に出かける約束までした。
それがどれほど嬉しかったか。
彼女は知らない。
知らなくていいと思う。
今のリリアは、あの少女ではない。
自分の魂の半分から生まれた存在でもない。
運命で結ばれた相手でもない。
だからこそ。
「……困ったな」
ルシアンは眼鏡を外し、目元を押さえた。
世界の構造なら読める。
術式なら解ける。
過去も知っている。
未来の可能性だって、ある程度なら予測できる。
けれど。
次の休日、彼女と二人で出かける時。
自分がどんな顔をすればいいのかだけは。
どうしても分からなかった。
ノア。
レオン先輩。
アレン先輩。
クロフォード先輩。
ルシアン先輩。
セシル。
それぞれに違う気持ちがある。
安心する人。気になる人。一緒にいると楽しい人。もっと知りたい人。
その中で、今日一日何の予定もなくて、誰のところへ行ってもいいと言われたら。
誰に会いたいだろう。
ベッドの上でしばらく考えて、リリアは起き上がった。
「……決めた」
身支度を済ませて女子寮を出る。
行き先は、生徒会室だった。
理由は簡単だった。
一番分からないからだ。
ルシアン・ノクス。
生徒会長。
学院の監督役。
世界についても、過去のリリアについても、自分の知らないことをたくさん知っている人。
いつも穏やかで、少し意地悪で、何を聞いても答えているようで肝心なところだけ綺麗に避ける。
だから今日は、世界のことを聞きに行く。
――つもりだった。
生徒会室の前まで来て、リリアは扉を見つめた。
「……本当に?」
自分に聞く。
昨日までは、知りたいことがあるからルシアンに会っていた。
でも今日は違う。
別に今日じゃなくてもいい。
世界は今すぐ壊れそうなわけではないし、昨日、自分が独立した存在であることも分かった。
急いで何かを聞く必要はない。
それでもここへ来た。
「……まあ、いいか」
考えても分からない。
ノックする。
「どうぞ」
聞き慣れた声が返ってきた。
扉を開ける。
ルシアンは窓際の机に座っていた。
黒紫の髪。
眼鏡の奥の紫の瞳。
深紅のネクタイ。
いつも通り、書類の山に囲まれている。
「おはようございます」
「おはよう、リリア」
ルシアンは顔を上げる。
「朝から珍しいね。何か問題でも?」
「ないです」
「迷子?」
「違います」
「それは失礼」
「ちゃんと生徒会室目指して来ました」
「それは偉い」
「馬鹿にしてます?」
「褒めているよ」
「絶対嘘」
いつものやり取り。
それだけで、少し安心した。
「それで?」
ルシアンがペンを置く。
「何を聞きに来たのかな」
「……何で質問がある前提なんですか」
「君が僕を訪ねる時は、大抵そうだからね」
「じゃあ今日は違います」
ルシアンの動きが止まった。
「違う?」
「はい」
「では何の用?」
リリアは少し考える。
自分でも、まだ上手く言葉にできない。
「会いに来ました」
沈黙した。
ルシアンはリリアを見る。
「……僕に?」
「他に誰がいるんですか」
「いや」
眼鏡を押し上げる。
「それはそうなんだけどね」
「何ですかその反応」
「予想していなかった」
「ルシアン先輩でも予想外とかあるんだ」
「僕を何だと思っているのかな」
「大体何でも知ってる人」
「買い被りだよ」
「じゃあ私が今日来るのも知らなかった?」
「ああ」
ルシアンは少し笑った。
「知らなかった」
その言い方が、なぜか印象に残った。
「……嬉しいですか?」
「何が?」
「私が会いに来たの」
聞いてから、少し変な質問だったと思う。
けれどルシアンは笑わなかった。
「嬉しいよ」
思ったより普通に返ってきた。
「そうなんだ」
「疑っていたのかい?」
「ちょっと」
「傷つくな」
「絶対傷ついてない」
「それも決めつけだね」
ルシアンが立ち上がる。
「座る?」
「はい」
ソファへ移動する。
リリアがいつもの位置へ座ると、ルシアンは向かい側に腰を下ろした。
「それで、会いに来たあとは?」
「考えてませんでした」
「計画性がない」
「会ってから考えようと思って」
「僕が忙しかったら?」
「帰ります」
「潔いね」
「忙しい?」
ルシアンは机の上の書類を見る。
「忙しいと言えば忙しい」
「じゃあ帰る」
立ち上がろうとした。
「待って」
止められる。
リリアはルシアンを見る。
「何ですか」
「帰る必要はないよ」
「でも忙しいんでしょ?」
「君と話す時間くらいはある」
「無理してない?」
「していない」
「本当に?」
「……今日はよく疑うね」
「ルシアン先輩、何考えてるか分からないから」
その言葉に、ルシアンの表情が僅かに変わった。
「そうだね」
否定しなかった。
「僕は君に隠していることが多い」
「やっぱり」
「知っていただろう?」
「まあ」
「それを聞きに来た?」
「今日は違います」
リリアは首を振った。
「今日はルシアン先輩のことを知りたい」
また沈黙した。
今日はよく黙る。
「……僕の?」
「はい」
「世界の仕組みではなく?」
「うん」
「過去の君のことでもなく?」
「うん」
「魂についてでもない?」
「しつこい」
「確認しているんだよ」
「ルシアン先輩のこと」
はっきり言う。
「好きな食べ物とか、嫌いなものとか、休みの日何してるとか。そういう普通のこと」
ルシアンが目を細めた。
「なぜ?」
「知らないから」
「知らなくても困らないよ」
「でも知りたい」
答えると、ルシアンが黙る。
「……駄目?」
「いや」
少し遅れて返ってきた。
「駄目ではない」
「じゃあ好きな食べ物」
「急だね」
「何?」
「特にない」
「つまんない」
「酷いな」
「じゃあ甘いもの好き?」
「普通」
「辛いもの」
「普通」
「嫌いな食べ物」
「特にない」
「面白くない!」
「食事に娯楽性を求めすぎじゃないかな」
リリアは眉を寄せる。
「じゃあ趣味」
「読書」
「何読むの?」
「魔法史、古代術式、世界構造論」
「仕事じゃん」
「趣味だよ」
「絶対嘘」
「本当に好きなんだけどね」
「もっと普通のないの?」
「普通とは?」
「散歩とか。寝るとか。お菓子食べるとか」
「君の趣味が混ざっていないかい?」
「寝るの好き」
「知っている」
さらりと言われた。
リリアは止まる。
「何で知ってるの?」
「朝が弱いだろう」
「……見てた?」
「君は割と有名だからね」
「誤魔化した」
「そうかな」
「そうです」
ルシアンは微笑んでいる。
いつもの顔。
でも、ふと思った。
「ルシアン先輩って、私のこと結構知ってますよね」
「ああ」
「私は先輩のこと全然知らない」
「そうだね」
「不公平」
「何が?」
「私ばっかり知られてる」
リリアはソファの背もたれへ寄りかかった。
「だから教えて」
「何を?」
「ルシアン先輩のこと」
ルシアンはしばらくこちらを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「コーヒーは苦い方が好きだ」
「うん」
「雨の日は嫌いじゃない」
「うん」
「静かな場所が好きだが、静かすぎる場所はあまり好きじゃない」
「それ何で?」
「考えすぎるから」
少し意外だった。
「何を?」
「色々と」
「また誤魔化した」
「全部一度に知ろうとしないでくれるかな」
「じゃあ次」
「まだあるの?」
「いっぱい」
ルシアンが少し笑った。
「休みの日は?」
「学院の外へ出ることもある」
「どこ行くの?」
「古書店」
「やっぱり本」
「あとは適当に歩く」
「散歩するんじゃん!」
「するよ」
「最初に言ってよ」
「君が勝手に僕を本棚に住んでいる人間みたいに扱ったんだろう」
「住んでそう」
「失礼だな」
「今度一緒に行きたい」
口から自然に出た。
ルシアンの表情が止まる。
「古書店?」
「うん」
「僕と?」
「だから何で毎回そこ確認するの」
「……そうだね」
ルシアンは眼鏡の位置を直した。
「行く?」
「いいんですか?」
「ああ」
「いつ?」
「次の休日」
「空いてる」
「では決まりだ」
「やった」
思ったより簡単に約束ができた。
嬉しくなって、リリアは笑う。
その顔をルシアンが見ていた。
「何ですか」
「いや」
「またそれ」
「君は分かりやすいなと思って」
「何が?」
「嬉しい時」
「嬉しいから」
「僕と出かけるのが?」
「うん」
ルシアンが黙った。
「……先輩?」
「君は時々、随分と困ることを平気で言うね」
「何で?」
「自覚がないなら、そのままでいいよ」
「気になる」
「教えない」
「意地悪」
「知っている」
そのあとも、しばらくどうでもいい話をした。
ルシアンが意外と朝に強いこと。
料理はできるけれど、必要がなければしないこと。
猫より犬が好きなこと。
理由は「猫は僕を信用しないから」。
それを聞いてリリアは笑った。
「絶対何か見抜かれてるんですよ」
「猫に?」
「うん」
「何を」
「怪しい人だって」
「君も随分言うようになったね」
「仲良くなったから」
ルシアンの笑みが、ほんの少し止まる。
「……仲良くなった?」
「違う?」
「いや」
紫の瞳が柔らかくなる。
「そうだといいね」
「何その言い方」
「僕は友人関係の判定に自信がなくてね」
「じゃあ私が決めます」
「君が?」
「うん。仲良し」
「勝手だな」
「嫌?」
「嫌じゃないよ」
少しだけ笑う。
「むしろ嬉しい」
今日二回目の「嬉しい」だった。
ルシアンは思ったより、自分の気持ちを言う。
ただし、こちらから聞いた時だけ。
「じゃあもう一個聞く」
「どうぞ」
「私が来なかったら、今日何してた?」
「仕事」
「一日?」
「おそらく」
「つまんない」
「君は僕の生活に厳しいね」
「じゃあ来てよかった?」
ルシアンは少しだけ考えた。
「よかったよ」
「仕事邪魔したのに?」
「ああ」
「何で?」
また、聞いてしまった。
ルシアンは答えようとして。
やめた。
「……それはまだ秘密かな」
「また秘密」
「全部教えたら、君はもう僕を知りたいと思わなくなるだろう?」
「ならないと思う」
「どうして?」
「一個知ると、また次知りたくなるから」
ルシアンがこちらを見る。
「今日もそう。コーヒー好きって知ったら、どこのが好きなのか気になるし、散歩するって知ったらどこ歩くのか気になる」
「……そう」
「だから多分、いっぱい知っても終わらない」
何となく言っただけだった。
けれどルシアンは、しばらく何も言わなかった。
「先輩?」
「君は本当に」
小さく息を吐く。
「残酷だね」
「えっ」
「褒めている」
「絶対違う」
「半分くらいは」
「半分悪口じゃん」
リリアが睨むと、ルシアンは笑った。
でもその笑顔は、いつもより少しだけ困っているように見えた。
昼前になり、リリアは立ち上がった。
「そろそろ帰ります」
「昼食は?」
「まだ決めてない」
「一緒に食べる?」
今度はリリアが止まった。
「ルシアン先輩から誘った」
「そんなに珍しい?」
「珍しい」
「なら撤回しようかな」
「食べる!」
「即答だね」
「どこ?」
「食堂でいいだろう」
「うん」
二人で生徒会室を出る。
廊下を歩きながら、リリアは少し不思議な気分だった。
今までルシアンと歩く時は、何か問題があった。
世界のこと。
魔法のこと。
過去のこと。
今日は何もない。
ただ一緒に昼食を食べるために歩いている。
「ルシアン先輩」
「何?」
「今日、普通ですね」
「僕は普段から普通だよ」
「嘘」
「酷いな」
「でもこっちの方が好きかも」
ルシアンの足が僅かに止まった。
「……何が?」
「世界の話してないルシアン先輩」
「そう」
「普通に喋ってる方が楽しい」
「……そうか」
「うん」
また歩き出す。
けれど少しだけ、ルシアンの歩く速度が遅くなった。
リリアは気づかなかった。
彼が横を向いた理由にも。
眼鏡の奥の目を、一瞬だけ伏せたことにも。
その日の夜。
ルシアンは一人、生徒会室に残っていた。
机の上には、古い記録が開かれている。
十二の世界。
十二回の再構築。
そして、その遥か前。
まだ最初の世界すら壊れていなかった頃の記録。
そこには一人の少女と、一人の少年の名前があった。
ルシアンは長い間、そのページを見ていた。
『あなたのことが好き』
記録の中に残る言葉。
かつて彼女が、彼に伝えた言葉だった。
そして自分は、それを拒んだ。
拒まなければならなかった。
彼女が一人の人間として生きるために。
「……今度は逆か」
小さく呟く。
今日、リリアは自分から会いに来た。
世界について聞くためではない。
過去を知るためでもない。
ただ、自分を知りたいと言った。
次の休日、一緒に出かける約束までした。
それがどれほど嬉しかったか。
彼女は知らない。
知らなくていいと思う。
今のリリアは、あの少女ではない。
自分の魂の半分から生まれた存在でもない。
運命で結ばれた相手でもない。
だからこそ。
「……困ったな」
ルシアンは眼鏡を外し、目元を押さえた。
世界の構造なら読める。
術式なら解ける。
過去も知っている。
未来の可能性だって、ある程度なら予測できる。
けれど。
次の休日、彼女と二人で出かける時。
自分がどんな顔をすればいいのかだけは。
どうしても分からなかった。