魔法より、君に恋をする。

ルシアンルート 第41章 恋人になった次の日

翌朝。

 リリアは目を覚まして、しばらく天井を見ていた。

 昨日のことを思い出す。

 最初のリリア。

 ルシアンの魂。

 運命なんてないこと。

 そして。

 キス。

「……あ」

 そこまで思い出したところで、布団を頭まで被った。

 昨日は平気だった。

 自分から「短い」とまで言った。

 なのに一晩経ったら急に恥ずかしい。

「何で今……」

 唇へ触れる。

 当然、何も残っていない。

 それでも思い出せる。

 眼鏡を外した顔。

 頬に触れた手。

『キスしてもいい?』

「……無理」

 今日会ったら絶対思い出す。

 でも。

 会いたくないかと言われれば。

「会いたい……」

 結局そこだった。

 放課後。

 授業が終わると、リリアはいつものように生徒会室へ向かった。

 扉の前まで来る。

 昨日までなら、そのままノックしていた。

 今日は一度止まった。

 深呼吸する。

「……普通にしよう」

 恋人になっただけだ。

 昨日キスしただけだ。

 何も変ではない。

 ノックする。

「どうぞ」

 声を聞く。

 もう少し緊張する。

 扉を開けた。

「こんにちは」

「こんにちは、リリア」

 ルシアンが顔を上げる。

 眼鏡。

 いつもの顔。

 いつもの笑み。

「……普通だ」

「何が?」

「何でもない」

「入らないの?」

「入ります」

 扉を閉める。

 ルシアンはリリアを見ていた。

「何ですか」

「いや」

「絶対何かある」

「君が今日はどこまで近づいてくるのかなと思って」

 足が止まった。

「……何それ」

「昨日までは、随分積極的だったからね」

「今日は普通です」

「そう」

「普通に恋人です」

「それは普通なのかな」

「分かんない」

 ルシアンが笑った。

「おいで」

「……どこに?」

「ここへ」

 ソファを指す。

「言い方」

「何かおかしかった?」

「犬みたい」

「では訂正しよう。隣に座ってくれる?」

「はい」

 いつものソファへ座る。

 ルシアンも隣へ来た。

 昨日と同じ。

 なのにリリアは妙に姿勢がいい。

「リリア」

「はい」

「緊張している?」

「してない」

「背筋が随分伸びているけど」

「姿勢がいいだけ」

「普段はもう少し丸いよ」

「見すぎ」

「好きな人だからね」

 さらりと言われた。

 リリアは横を見る。

「……今日も好き?」

「ああ」

「よかった」

「毎日確認するつもり?」

「しばらく」

「構わないよ」

 ルシアンが少しだけ笑う。

「僕も毎日答えたい」

 まただ。

 こういうことを平気で言う。

「先輩、昨日から強くなった」

「何が?」

「キュンとさせる力」

「そんな魔法は持っていないよ」

「魔法じゃない」

「なら君にしか効かないのかもしれないね」

「……今のも」

「何が?」

「もういい」

 リリアは顔を逸らした。

 ルシアンが楽しそうに笑う。

「昨日はあんなに僕を困らせていたのに」

「昨日の私は強かった」

「今日は?」

「弱い」

「どうして?」

 分かっているくせに。

 リリアは少し迷ってから答えた。

「……昨日のこと思い出すから」

「色々あったね」

「最後の方」

「最後?」

「分かってるでしょ」

「分からないな」

「絶対嘘」

「言ってくれたら分かるかもしれない」

 意地悪だ。

「キス」

 小さく言う。

 ルシアンの笑みが少し変わった。

「思い出していた?」

「朝から」

「それは」

 ほんの一瞬、言葉に詰まる。

「……嬉しいな」

「先輩は?」

「もちろん思い出したよ」

「いつ?」

「朝」

「同じじゃん」

「そうだね」

「恥ずかしくなった?」

「少し」

「嘘」

「本当だよ」

「全然見えない」

 リリアはルシアンの顔をじっと見る。

 いつも通り。

 余裕がある。

「ずるい」

「何が?」

「私だけ顔に出る」

「僕だって出ていると思うけど」

「どこ?」

「そんなに見られると余計に隠したくなるな」

「見せて」

「嫌だ」

「恋人なのに?」

「便利な言葉として使い始めたね」

 ルシアンが笑う。

 リリアはもっと近くから確認しようと身体を寄せた。

「どこ?」

「リリア」

「耳?」

「近いよ」

「昨日もっと近かった」

「それを今言う?」

 ルシアンが僅かに身体を引く。

 追いかける。

「耳赤くない」

「赤くなるまで見るつもり?」

「うん」

「困った恋人だ」

 その言い方に、胸が跳ねる。

「……もう一回」

「何を?」

「恋人って」

 ルシアンが少し驚いたあと、柔らかく笑った。

「僕の恋人」

「……それいい」

「そう?」

「うん」

「では覚えておこう」

「先輩は?」

「何が?」

「私に何て呼ばれたら嬉しい?」

 ルシアンが少し考える。

「今のままでいいよ」

「ルシアン先輩?」

「ああ」

「恋人なのに先輩?」

「君が自然にそう呼んでいるからね」

「ルシアンは?」

 口に出した瞬間。

 ルシアンが止まった。

 分かりやすく。

「……あ」

「何?」

「今の顔」

「どんな顔?」

「びっくりしてた」

「急だったからね」

「ルシアン」

 もう一度。

「リリア」

「何?」

「楽しんでいるだろう」

「ちょっと」

「困ったな」

「嫌?」

「逆だよ」

 またその言葉。

「でも今は先輩つける」

「なぜ?」

「そっちの方がしっくりくる」

「そう」

「卒業したら考える」

 ルシアンが一瞬黙った。

「……卒業したら?」

「うん」

「その頃も僕と付き合っている前提なんだね」

「嫌なの?」

「まさか」

 今度は本当に、少しだけ耳が赤くなった。

「見つけた」

「何を?」

「赤い」

「……君は本当に」

「卒業したあとも付き合いたい?」

 聞く。

 ルシアンは笑うのをやめた。

「付き合いたいよ」

 静かな声。

「君がそう望んでくれるなら」

「先輩も望んで」

「もちろん」

「じゃあいい」

「ずっと先まで?」

「分かんない」

 リリアは正直に答える。

「でも今は、卒業したあとも一緒にいたい」

「うん」

「先輩は?」

「僕は」

 ルシアンが少し考える。

「先のことを考えすぎる癖があるからね」

「そうだね」

「だから今日は、明日も君に会いたいとだけ言っておくよ」

 その答えが、なぜかすごく好きだった。

「私も」

「そう」

「明日も会いたい」

「よかった」

 自然に手が近づく。

 でも、触れる直前でルシアンが止めた。

「手、繋ぐ?」

 聞かれる。

「うん」

 リリアから手を重ねる。

 指を絡める。

 昨日より自然だった。

「……これ慣れてきた」

「残念だな」

「何で?」

「緊張している君も可愛かったから」

「今は?」

「今も可愛いよ」

「……そういうの」

「嫌?」

「もっと言って」

 ルシアンが吹き出した。

「君は時々本当に強いね」

「今日は弱いって言った」

「訂正する。十分強い」

 繋いだ手を見ながら、リリアは少し考える。

「ねえ」

「何?」

「恋人って何するの?」

「随分大きな質問だね」

「付き合ったけど、よく分かってない」

「何かしなければいけないわけではないよ」

「でもデートとかするでしょ?」

「するね」

「手繋ぐ」

「している」

「キス」

「……するね」

 少し間があった。

 リリアは横を見る。

「今意識した?」

「したよ」

「私も」

「そう」

 二人とも黙る。

 数秒。

 昨日のことを思い出す。

「……したい?」

 リリアが聞いた。

「正直に?」

「うん」

「したい」

 即答だった。

 胸が跳ねる。

「先輩から言うと結構恥ずかしい」

「君が聞いたんだろう」

「そうだけど」

「君は?」

「……したい」

 ルシアンがリリアを見る。

 視線が合う。

「では」

 少しだけ近づいてくる。

 でも途中で止まる。

「キスしてもいい?」

 昨日と同じ。

 リリアは頷こうとして。

「待って」

 止めた。

 ルシアンもすぐ止まる。

「どうした?」

「眼鏡」

「眼鏡?」

「昨日外してた」

「ああ」

「今日は?」

 ルシアンが少し笑う。

「外した方がいい?」

「分かんない」

「では試してみようか」

「試す?」

「眼鏡ありとなし」

「何を?」

「キスを」

 今度はリリアが固まった。

「……先輩」

「何?」

「今日、強い」

「恋人になったから少しくらいはね」

「ずるい」

「嫌ならやめるよ」

「やめない」

「即答」

 ルシアンが眼鏡をかけたまま、少し近づく。

「いい?」

「うん」

 目を閉じる。

 唇が短く触れた。

 昨日より緊張しなかった。

 でも嬉しい。

 離れる。

「……どう?」

「分かんない」

「何が?」

「眼鏡あんまり関係なかった」

「そうだろうね」

「じゃあ外してもう一回」

 ルシアンが黙った。

「……最初からそれが目的だった?」

「違う」

「本当に?」

「半分くらい」

「正直だね」

 ルシアンが眼鏡を外す。

 テーブルへ置く。

 紫の瞳が近くなる。

 やっぱり印象が違う。

「こっち好き」

「眼鏡がない方?」

「顔がよく見える」

「君は僕の顔が好きだね」

「好き」

「……そう」

「ルシアン先輩も私の顔好き?」

「かなり」

「どこ?」

「全部」

「雑」

「では具体的に?」

「うん」

 ルシアンがリリアの顔を見る。

 思ったより真剣に。

「目」

「うん」

「笑った時の口元」

「うん」

「考え事をしている時、少しだけ眉間に皺が寄るところ」

「そんなとこ?」

「それから」

 指先が頬の近くまで来る。

 触れる前に止まる。

「ここ、触っていい?」

「うん」

 指が頬へ触れた。

「頬」

「何で?」

「柔らかいから」

「それ顔が好きな理由?」

「触るのが好きな理由」

 急に恥ずかしくなる。

「……もういい」

「聞いたのは君だよ」

「キスする」

「話を終わらせる方法として使わないでくれるかな」

「したくなったの」

 ルシアンが黙る。

「……それなら仕方ない」

「仕方ないの?」

「僕もしたいからね」

 今度はリリアから少し近づいた。

 でも最後の距離はルシアンが埋める。

 二度目のキス。

 短く触れて、離れる。

 昨日より少しだけ自然。

 それで十分だった。

「……どっち?」

 ルシアンが聞く。

「何が?」

「眼鏡ありとなし」

 リリアは真面目に考える。

「なし」

「そう」

「近い時は」

「近い時?」

「キスする時とか」

 ルシアンが一瞬視線を逸らした。

「あ」

「何?」

「今照れた」

「君は本当に見逃さないね」

「だって嬉しい」

「僕が照れると?」

「うん」

「なぜ?」

「私のせいだから」

 ルシアンはしばらくリリアを見たあと、笑った。

「それは僕も同じだよ」

「何が?」

「君が僕のせいで照れていると、嬉しい」

「性格悪い」

「お互い様だね」

 眼鏡をかけ直す。

 いつものルシアンに戻る。

 でももう知っている。

 この人が余裕ばかりではないこと。

 自分の一言で耳が赤くなること。

 手を繋ぐだけで緊張すること。

 キスの前には、必ず聞いてくれること。

 それを知っているのが、少し嬉しい。

「そうだ」

 ルシアンが言った。

「次の休日、空いている?」

「空いてる」

「まだ日も言っていないよ」

「いつでも空ける」

「それは嬉しいけれど」

「どこ行くの?」

「君が行きたい場所」

「先輩の好きな場所は前行った」

「ああ」

「じゃあ今度は私?」

「そうしよう」

 リリアは考える。

「街の大きい本屋」

「また本?」

「先輩好きでしょ」

「君が行きたい場所でいいんだよ」

「じゃあ服見る」

「うん」

「お菓子食べる」

「うん」

「雑貨見る」

「うん」

「先輩つまんなくない?」

「君が楽しんでいるところを見るのは、割と好きだよ」

「……それデートっぽい」

「デートに誘ったつもりだけど」

「そうなの?」

「恋人だからね」

 またその言葉。

 何度聞いても少し嬉しい。

「行く」

「決まりだ」

「手繋ぐ?」

「君が嫌でなければ」

「キスは?」

 ルシアンがこちらを見る。

「外で?」

「分かんない。聞いただけ」

「君は時々、僕の心臓を試しているのかな」

「してない」

「では、その時二人でしたければ」

「する?」

「ああ」

「分かった」

「随分楽しそうだね」

「楽しみだから」

「僕もだよ」

 それからしばらく、何でもない話をした。

 授業のこと。

 食堂の新しいメニュー。

 リリアが今日また階段を一本間違えたこと。

 ルシアンが朝、眼鏡を探していたのに頭の上に乗せていたこと。

「それ見たかった!」

「絶対に見せない」

「次やったら呼んで」

「なぜ自分の失敗を恋人に報告しなければならないんだい」

「可愛いから」

「君の中で僕はどうなっているんだろうね」

「かっこいいし可愛い」

「欲張りだな」

「好きだから」

 自然に言えた。

 ルシアンは一瞬黙ってから、少し笑った。

「……やっぱり、それにはまだ慣れたくないな」

「何で?」

「今くらい嬉しいままでいたい」

 帰る時間になった。

 生徒会室を出る。

 廊下では手を繋がなかった。

 人がいるから隠す、というより。

 二人とも自然にそうした。

 でも階段を降りて、人の少ない渡り廊下へ入ったところで。

 リリアの手に何かが触れた。

 ルシアンの小指だった。

 最初の日と同じ。

 小指だけ。

 リリアは横を見る。

「何?」

「いや」

 ルシアンは前を向いている。

「手繋ぎたい?」

「少し」

「じゃあ繋げばいいのに」

「人が来るかもしれない」

「見られたら駄目?」

「僕は構わないよ」

「私も」

「では」

 小指だけだった触れ方が変わる。

 指が絡む。

 手を繋ぐ。

 そのまま歩いた。

「ねえ」

「何?」

「先輩って、付き合ってるの隠したい?」

「いや」

「じゃあ聞かれたら言う?」

「ああ」

「生徒会長なのに?」

「恋愛禁止ではないからね」

「人気あるでしょ」

「そうなの?」

「絶対ある」

「興味がなかった」

「女の子に告白されたことは?」

「あるよ」

「何回?」

「数えていない」

「……何か嫌」

 足が少し遅くなった。

 ルシアンが気づく。

「嫉妬?」

「多分」

「そう」

「嬉しそう」

「少しね」

「性格悪い」

「でも」

 ルシアンが歩く速度を合わせる。

「全部断ったよ」

「何で?」

「好きな人がいなかったから」

「……今は?」

「いる」

「誰?」

「本当に聞くの?」

「聞きたい」

 ルシアンが笑う。

「リリア・アスター」

 名前まで言われると思わなかった。

 顔が熱くなる。

「聞かなきゃよかった」

「君が聞いたんだよ」

「そうだけど」

「エリシアでもある、今の君だ」

「……うん」

「満足?」

「かなり」

 女子寮が見えてくる。

 もう少し歩きたいと思った。

 でも今日は、明日も会える。

「ルシアン先輩」

「何?」

「明日も生徒会室行っていい?」

「ああ」

「仕事あったら?」

「待っていて」

「いいの?」

「君がいる方が早く終わらせようと思える」

「邪魔しない?」

「少しくらいならしてもいいよ」

「じゃあいっぱい話しかける」

「前言撤回しようかな」

「遅い」

 寮の前で手を離す。

 今日はキスしない。

 それでも寂しくなかった。

「じゃあ明日」

「ああ」

「おやすみ」

「おやすみ、リリア」

 数歩進んで。

 リリアは振り返った。

「ルシアン先輩!」

「何?」

「今日も好きだった!」

 一瞬。

 ルシアンが完全に固まった。

 その顔が面白くて、リリアは笑う。

「また明日!」

「……リリア」

「何?」

 ルシアンは少し困ったように笑った。

「僕もだよ」

 それだけ聞いて、今度こそ寮へ入った。

 ルシアンは一人になってから、しばらくその場に立っていた。

「今日も、か」

 今日も好きだった。

 明日のことは明日決める。

 以前の自分なら、不安になったかもしれない。

 永遠を保証する言葉を求めたかもしれない。

 でも今は。

 今日選ばれたことが嬉しい。

 明日また会えることが楽しみだった。

 それで十分だと思える。

「……随分変わったな、僕も」

 小さく笑う。

 その時だった。

 視界の端で、淡い光が揺れた。

「……?」

 振り返る。

 誰もいない。

 けれど、学院の中央塔の上。

 ほんの一瞬だけ。

 黒い月のような輪郭が浮かんだ。

 そして消えた。

 ルシアンの表情から笑みが消える。

「今のは……」

 見間違いではない。

 知っている。

 何度も見た。

 十二の世界が終わる前に現れたもの。

 けれど。

「あり得ない」

 今の世界は、独立している。

 リリアはエリシアだ。

 再構築される理由はない。

 それでも。

 確かに見えた。

 黒い月。

 ルシアンはしばらく中央塔を見上げていた。

 そして、すぐにはリリアを追わなかった。

 明日話す。

 隠さない。

 自分だけで答えを出さない。

 昔と同じ間違いはしない。

 そう決めて。

 ルシアンは静かに学院へ戻った。
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