魔法より、君に恋をする。

ルシアンルート 第47章 今日は、君の恋人として


 翌日の午後、リリアは鏡の前で三度目のため息をついた。

 別に、初めて二人で出かけるわけではない。これまでだって街へ行ったことはあるし、隣を歩いたことも、二人きりで食事をしたこともある。それなのに今日は朝から妙に落ち着かなかった。

 理由は分かっている。

 今日は「調査のついで」でも「生徒会の仕事」でもない。昨日、二人で明確に決めたのだ。

 デートをする、と。

「……何着ても変な気がする」

 ベッドの上には、候補から外された服が二着転がっている。制服でもいいかと思ったが、せっかくなら私服がいい。かといって頑張りすぎたと思われるのも恥ずかしい。

 結局、淡い色のワンピースに薄手のカーディガンを合わせた。鏡の前で髪を整えていると、ふと昨日のルシアンの言葉が蘇る。

『僕も、君の恋人でいることだけ考えていい?』

「……ずるいんだよなあ」

 思い出しただけで頬が熱くなる。

 しかも昨日、デート中の一時間は世界の話をしないと約束した。管理権限も、同期率も、黒い月もなし。ルシアンはただのルシアンで、自分もただのリリア。

 そう考えたら、余計に緊張してきた。

「……普通にすればいい。普通に」

 自分へ言い聞かせて部屋を出た。

 待ち合わせは学院の正門前だった。

 少し早く着いたつもりだったのに、ルシアンはもういる。いつもの制服ではなく、黒いシャツに落ち着いた色の上着。眼鏡はいつも通りなのに、服が違うだけで妙に知らない人に見えた。

 リリアは思わず足を止める。

 その瞬間、ルシアンがこちらに気づいた。

「リリア」

 名前を呼ばれて、ようやく歩き出す。

「早い」

「君もね。待たせたくなかったから」

「私も同じこと考えてた」

「では、お互い少し失敗したね」

「何で?」

「待つ時間もデートらしいかと思って」

 そんなことを言いながら笑う。

 リリアはルシアンを上から下まで見た。

「先輩、今日ちょっと違う」

「私服だから?」

「うん。なんか……」

「なんか?」

 格好いい。

 そう言えばいいだけなのに、急に恥ずかしくなった。

「……生徒会長じゃないみたい」

「今日はそのつもりだよ」

「え?」

 ルシアンはごく自然に答えた。

「今日は生徒会長として君と出かけるわけじゃないから」

 昨日の約束を覚えている。

 それだけなのに胸が跳ねた。

「じゃあ何として?」

 分かっているのに聞いた。

 ルシアンも分かっているのだろう。少しだけ目を細める。

「君の恋人として」

「……はい」

「どうして敬語?」

「急に強いから」

「昨日も言われたね」

「自覚して」

「善処するよ」

「絶対しないやつ」

 笑いながら並んで歩き出した。

 正門を抜け、学院から街へ続く道へ入る。最初の数分は普通に話していた。朝の調査で何も見つからなかったこと。昼食をちゃんと食べたかということ。リリアが支度に時間をかけすぎたこと。

 それなのに、ずっと気になっているものがある。

 手。

 歩くたび、隣にあるルシアンの左手が視界へ入る。

 昨日、約束した。

 デートでは手を繋ぐ、と。

 でも、どちらから繋ぐのかまでは決めていない。

 リリアがちらりと見る。ルシアンは前を向いている。

 もう一度見る。

「リリア」

「何?」

「さっきから僕の手を見ているね」

「……見てない」

「三回見た」

「数えてたの?」

「目に入ったから」

「じゃあ先輩から繋いでよ」

「待っていたんだけど」

「何を?」

「君から来るのを」

「何で!」

「昨日、君が『手を繋ぐ』と言ったから」

「そういうところ真面目すぎる」

「では僕からでもいい?」

 今さら聞く。

「……いいよ」

 ルシアンが手を差し出す。

 リリアが重ねると、指が自然に絡んだ。

「これで満足?」

「うん」

「よかった」

「先輩は?」

「かなり」

 あっさり返されて、リリアは前を向いた。

「……今日やっぱ強い」

「何が?」

「何でもない」

 繋いだ手が少し揺れる。

 同期率は四十八・七パーセントのまま。昨夜から変化はない。

 でも今日は確認しない。

 少なくとも約束した一時間は。

 街へ着くと、休日らしく人が多かった。最初に入ったのは服屋だった。リリアが見たいと言った店なのに、気づけばルシアンの服ばかり見ている。

「これ似合いそう」

「僕?」

「うん」

 深い紫色のシャツを身体に当ててみる。

「いつも黒多いじゃん」

「選ぶのが楽だからね」

「紫も似合う」

「君が好き?」

「好き」

「では買おうかな」

「早くない?」

「君が好きなら」

「服がだよ?」

「分かっているよ」

 絶対少し遊ばれた。

「先輩も私の選んで」

「いいの?」

「うん」

「では真剣に選ばないと」

「そんな大仕事じゃないよ」

 ルシアンは本当に真剣に店内を見始めた。

 しばらくして持ってきたのは、白を基調に淡い青の入ったワンピースだった。派手ではない。どちらかといえばシンプルだ。

「これ?」

「ああ」

「何で?」

「君に似合いそうだから」

「もっと詳しく」

「面接かな?」

「選んだ理由聞きたい」

 ルシアンは少し考える。

「君は明るい色が似合う。それから、飾りが多いものより、こういう方が君自身がよく見えると思った」

「……」

「気に入らなかった?」

「違う」

「では?」

「ちゃんと見てるんだなって」

「君を?」

「うん」

「かなり見ているよ」

「そういうの急に言う」

「聞かれたから答えただけだけど」

「もういい」

 服を受け取る。

「試着してくる」

「ああ。待っている」

 試着室へ入り、着替える。

 鏡を見る。

「……可愛いかも」

 自分で言って少し恥ずかしい。

 カーテンを開けると、ルシアンが近くで待っていた。

「どう?」

 ルシアンがこちらを見る。

 そして。

 黙った。

「……何?」

「いや」

「変?」

「逆」

「逆って何」

「少し困っている」

「だから何で?」

 ルシアンは眼鏡の位置を直した。

「似合うと思って選んだけれど、想像より似合っていた」

「それ困るの?」

「ああ」

「何で?」

「僕以外にも見られるから」

 リリアは数秒固まった。

「……先輩」

「何?」

「独占欲出てる」

「自覚している」

「昨日聞いたから?」

「聞かれたせいで隠す必要がなくなった」

「それはそれで困る」

「嫌?」

「逆」

 今度はリリアが使った。

 ルシアンが笑う。

「気に入った?」

「うん。でも今日は買わない」

「そう?」

「見るだけのつもりだったから」

「では覚えておこう」

「何で?」

「秘密」

「怪しい」

「何もしないよ」

「本当に?」

「多分」

「多分になった」

 結局、ルシアンだけ紫色のシャツを買った。

 店を出ると、次は菓子店へ向かった。焼き菓子の甘い匂いが外まで漂っている。

「ここ行きたかった」

「昨日から言っていたね」

「先輩甘いの平気?」

「嫌いではないよ」

「何好き?」

「君が食べたいもの」

「それ一番困る答え」

「では、チョコレート」

「意外」

「そう?」

「コーヒーしか飲んでないイメージ」

「君の中の僕はどうなっているんだろう」

 店内でそれぞれ菓子を選び、窓際の席へ座った。

 リリアは苺のタルト。ルシアンは小さなチョコレートケーキ。

「一口交換しよ」

「いいよ」

 リリアが自分の皿を少し押す。

「はい」

「自分で取るよ」

「食べさせようと思ったのに」

 ルシアンの手が止まった。

「……それは」

「嫌?」

「嫌ではないけれど」

「じゃあはい」

 フォークで小さく切ったタルトを差し出す。

 ルシアンが周囲をちらりと見る。

「恥ずかしい?」

「少し」

「先輩でも恥ずかしいことあるんだ」

「かなりあるよ。君が増やしているだけで」

「はい」

「逃がしてくれないんだね」

「早く」

 観念したように食べる。

「どう?」

「美味しい」

「でしょ」

「満足?」

「うん」

「では次は僕の番だね」

「え」

 今度はルシアンがチョコレートケーキを小さく切る。

「はい」

「自分で食べる」

「僕もそう言ったよ」

「……」

「逃がしてくれないんだろう?」

「仕返し?」

「半分」

「残りは?」

「やってみたい」

 昨日から、この「半分」が二人の間で妙に定着している。

 リリアは少しだけ周囲を見て、それから口を開けた。

「……美味しい」

「顔が赤いよ」

「先輩もさっき赤かった」

「お互い様だね」

「もう一口」

「気に入った?」

「うん」

「では」

 もう一度差し出される。

「待って。今度は普通に食べる」

「どうして?」

「恥ずかしくなってきた」

「僕は楽しくなってきたのに」

「先輩、慣れると強い」

「君が教えたんだよ」

 結局二口目は自分で食べた。

 店を出た頃には、約束した一時間はとっくに過ぎていた。

「先輩」

「何?」

「世界のこと一回も考えなかった」

「僕もだよ」

「一時間以上経ってる」

「ああ」

「怒る?」

「誰が?」

「世界」

「それなら僕が謝っておく」

「何て?」

「恋人とのデートが楽しかったので忘れていました、と」

「怒られるよ」

「仕方ないね」

 繋いだ手が揺れる。

 そのまま最後の目的地、雑貨店へ向かった。

 小さな店だった。

 アクセサリーや文具、魔石を使った小物が並んでいる。

「可愛い」

 リリアは棚から棚へ移動する。

 ルシアンは少し後ろをついてくる。

「これ見て」

 星形の小さな髪飾りを持ち上げる。

「似合いそうだね」

「本当?」

「ああ」

「買おうかな」

「それより」

 ルシアンが別の棚を見る。

「こっちは?」

 小さな銀色のペンダント。

 中央に透明な石が一つ入っている。

「綺麗」

「魔力石だね」

「何するやつ?」

「微弱な魔力を蓄える。実用品というよりお守りに近い」

「へえ」

 リリアは少し眺めて、元へ戻した。

「買わないの?」

「今日は見るだけ」

「そう」

 ルシアンはそれ以上何も言わなかった。

 店を一周して、リリアは結局小さな髪飾りだけ買った。

「満足?」

「うん。楽しかった」

「では帰ろうか」

「もう?」

「調査が待っている」

「現実に戻された」

「僕も戻りたくないけどね」

「じゃあもうちょっと」

「リリア」

「十分」

「……十分だけだよ」

「やった」

 店を出て、少し遠回りして帰ることにした。

 川沿いの道。

 人が少ない。

 夕方の光が水面に反射している。

 リリアはルシアンの隣を歩きながら、今日のことを思い返していた。

「先輩」

「何?」

「デート楽しかった?」

「楽しかったよ」

「何が一番?」

「難しいな」

「服?」

「うん」

「ケーキ?」

「うん」

「私?」

「それは最初から一番だけど」

 リリアの足が止まりかけた。

「……また急に」

「質問されたから」

「先輩今日強すぎない?」

「恋人として過ごしていいと言われたからね」

「普段は?」

「抑えている」

「え」

「何?」

「何を?」

「色々」

「例えば?」

「秘密」

「教えて」

「嫌だ」

「何で!」

「君が調子に乗るから」

「もう乗ってる」

「知っているよ」

 笑いながら歩く。

 少しして、ルシアンが立ち止まった。

「リリア」

「何?」

「少しだけ、ここにいていい?」

「うん」

 川沿いのベンチへ座る。

 ルシアンは隣に座ったあと、上着のポケットへ手を入れた。

「何?」

「一つ渡したいものがある」

「え?」

 心臓が少し跳ねる。

「さっきの店で買った?」

「違うよ」

「いつ?」

「昨日」

「昨日?」

 ルシアンが小さな箱を取り出した。

 掌に収まるくらい。

「何これ」

「開けて」

「プレゼント?」

「そう」

「何で?」

「理由が必要?」

「誕生日じゃないよ」

「知っている」

「記念日でも」

「知っているよ」

「じゃあ何で?」

 ルシアンは少しだけ困ったように笑った。

「君に渡したかったから」

 その答えだけで、胸がいっぱいになる。

「開けていい?」

「もちろん」

 箱を受け取る。

 蓋を開ける。

 中に入っていたのは、細い銀色のブレスレットだった。

 派手ではない。

 小さな紫色の石が一つ。

 その隣に、白い石が一つ。

 二つだけ。

「……可愛い」

「気に入った?」

「うん。すごく」

「よかった」

 リリアは石を見る。

「紫は先輩?」

「そう思って選んだ」

「白は私?」

「ああ」

「二つ並んでる」

「……それが嫌なら」

「何で嫌なの」

「重いかと思って」

「全然」

 リリアはブレスレットを箱から出した。

「つけて」

「僕が?」

「プレゼントした人がつけるものじゃないの?」

「そういう決まりは聞いたことがないけど」

「今できた」

「君の法律?」

「うん」

「では従おう」

「管理されてる」

「これは僕が同意しているからいいんだよ」

 ルシアンが笑いながらブレスレットを受け取る。

 リリアは左手を差し出した。

 細い鎖が手首へ回る。

 留め具をつける指が少しだけ触れた。

「できた」

 リリアは手首を上げる。

 紫と白。

 二つの石が夕日に光る。

「可愛い」

「似合っているよ」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「でも何で急にプレゼント?」

 ルシアンは川へ視線を向けた。

「昨日、古い記録を読んだだろう?」

「うん」

「最初の彼女との繋がりが、全部世界によって作られたものだったわけではない。でも、どこまでが僕たち自身の意思だったのか、もう確かめようがない」

「……うん」

「だから」

 ルシアンがリリアの手首を見る。

「君との間には、僕が自分で選んだものを増やしたかった」

 リリアは何も言えなくなった。

「管理権限でもない。魂の接続でもない。魔法でもない。ただ僕が店へ行って、君に似合うと思って選んで、買っただけのもの」

「……うん」

「君が嫌なら外せるし、なくしても世界は何も変わらない」

「なくさない」

「例えばだよ」

「絶対なくさない」

「……そう?」

「うん」

 リリアはブレスレットを見つめた。

「これ、同期率関係ない?」

「ただの装飾品だよ。魔力も入っていない」

「本当に何もない?」

「何もない」

「じゃあ好き」

「魔法がない方が?」

「うん」

 リリアは笑った。

「だってこれ、先輩が私にあげたいからくれたんでしょ?」

「ああ」

「私がつけたいからつけてる」

「ああ」

「それだけ?」

「それだけだよ」

「それがいい」

 ルシアンが柔らかく笑う。

「僕もそう思った」

 リリアは手首を眺めてから、ふとルシアンを見る。

「先輩」

「何?」

「私、何も用意してない」

「必要ないよ」

「でも先輩だけずるい」

「何が?」

「私も何かあげたい」

「では今度」

「今がいい」

「今?」

「うん」

「何を?」

 持っているものなんてほとんどない。

 髪飾りはさっき買ったばかりだし、ルシアンが使うものでもない。

 少し考えて。

「……ない」

「だろうね」

「笑わないで」

「別に今日交換する日ではないから」

「でも何か」

「リリア」

「何?」

「もう貰っているよ」

「何を?」

「今日」

「何?」

「一日」

 リリアが瞬きをする。

「君が僕と過ごすために空けた時間」

「それ?」

「ああ」

「プレゼントにしては安くない?」

「僕にはかなり価値がある」

「……先輩」

「何?」

「やっぱ今日強い」

「何度目だろうね」

「ずるい」

「では」

 ルシアンが少し笑う。

「もう一つ貰ってもいい?」

「何?」

「君が嫌でなければ」

「だから何?」

 ルシアンの視線が少し下がる。

 唇。

 分かってしまった。

「……キス?」

「正解」

「それプレゼントに数える?」

「君からなら」

 リリアの胸が跳ねる。

「ここで?」

「人はほとんどいないけど、嫌なら学院まで待つ」

「嫌じゃない」

「では?」

「……いいよ」

 ルシアンはすぐには近づかなかった。

「リリアからでもいい?」

「また?」

「嫌?」

「恥ずかしい」

「では僕から」

「待って」

「どっち?」

「私からする」

 言ってしまった。

 ルシアンが笑う。

「はい」

「目閉じて」

「また?」

「見られると無理」

「分かった」

 眼鏡はそのまま。

 ルシアンが目を閉じる。

 リリアは少しだけ周囲を見る。

 誰もいない。

 もう一度ルシアンを見る。

 近づく。

 頬へ手を添える。

 初めて自分からそうした。

 ルシアンの眉が僅かに動く。

「動かないで」

「動いてないよ」

「喋らない」

「はい」

 近づいて。

 唇へ触れる。

 昨日よりは長く。

 離れようとして。

 少し迷う。

 もう一度。

 自分から触れた。

 今度はルシアンの手がリリアの手に重なる。

 頬に置いた手を包まれる。

 でも、それ以上は動かない。

 リリアが離れるまで待っている。

 唇を離す。

 近いまま目が合った。

「……どう?」

「何が?」

「プレゼント」

「かなり嬉しい」

「ブレスレットとどっち?」

「比較するものじゃないだろう」

「どっち?」

「困ったな」

「答えて」

「キス」

「即答じゃん」

「君が答えろと言ったから」

「ブレスレット可哀想」

「買った本人が言っているからいいんだよ」

 リリアは笑う。

 ルシアンも笑った。

 それから彼は、リリアの手首にある二つの石を指先でそっと触れた。

「リリア」

「何?」

「来年も」

「うん?」

「こういう日があるといいね」

 急に胸が締めつけられた。

 六十時間ほど先に何が起こるか分からない。

 それでもルシアンは「来年」と言った。

「あるよ」

「……うん」

「来年もデートする」

「ああ」

「同じ店行く?」

「別のところも行こう」

「何したい?」

「君が行きたいところ」

「またそれ」

「では僕が決める」

「うん」

「来年まで考えておく」

「長すぎ」

「一年分だからね」

「じゃあ私も考える」

「楽しみにしているよ」

 リリアはルシアンの肩へ少しだけ頭を預けた。

 すぐに腕が触れる。

 何も言わなくても、そのままでいてくれる。

 夕日が少しずつ低くなる。

「先輩」

「何?」

「今日、幸せだった」

「……過去形?」

「今も」

「よかった」

「先輩は?」

「僕も」

「何点?」

「採点するの?」

「百点満点」

「百二十」

「超えた」

「予定外のことが多かったから」

「何?」

「君が試着した服が想像以上に似合っていたこと。ケーキを食べさせてもらったこと。君からキスしてもらったこと」

「それで二十点?」

「もっとつけてもいいよ」

「じゃあ二百点」

「僕が採点するんじゃなかった?」

「私も二百点」

「なら引き分けだね」

「勝負だったの?」

「今決まった」

「適当」

 笑う。

 こんな普通の会話が、今は何より大切だった。

 しばらくして、ルシアンが時計を見る。

「そろそろ戻ろう」

「うん」

 立ち上がる。

 リリアが先に手を差し出した。

「はい」

「今日は積極的だね」

「デート終わるまでだから」

「では急いで帰らない方がいいかな」

「調査は?」

「……帰ろう」

「真面目」

「誰かが真面目でいないとね」

 手を繋いで歩き出す。

 学院へ戻る頃には、空はもう薄暗くなっていた。

 正門の前。

 ルシアンが足を止める。

「ここでデート終了?」

 リリアが聞く。

「そうなるのかな」

「じゃあ手離す?」

 ルシアンは繋いだ手を見る。

「……まだいいんじゃない?」

「どこまで?」

「君の寮まで」

「デート延長?」

「十分だけ」

「さっき私が言ったやつ」

「使ってみた」

「いいよ」

 そのまま女子寮へ向かう。

 歩きながら、リリアは何度も左手首を見た。

「そんなに見る?」

「嬉しいから」

「よかった」

「毎日つける」

「無理はしなくていいよ」

「つけたいの」

「……そう」

「先輩」

「何?」

「嬉しい?」

「かなり」

「よし」

 女子寮の前へ着く。

 今度こそ終わり。

「じゃあまた明日」

「ああ」

「朝来る?」

「行くよ」

「絶対?」

「絶対」

「今日も好き?」

「好きだよ」

「昨日より?」

 ルシアンが少し笑う。

「増えた」

「どれくらい?」

「測れないな」

「同期率みたいに出ればいいのに」

「それは嫌だよ」

「何で?」

「数字で決められたくない」

 リリアは一瞬黙った。

 それから笑う。

「確かに」

「君は?」

「増えたよ」

「どれくらい?」

「秘密」

「僕には聞いたのに?」

「恋人なので」

「その言葉、万能すぎない?」

「便利でしょ」

 手を離す。

 少し寂しい。

 でも今日は大丈夫だった。

 明日も会う約束がある。

「おやすみ、リリア」

「おやすみ、ルシアン先輩」

 リリアは数歩進んだ。

 そこで止まる。

 振り返る。

 ルシアンはまだいた。

「先輩!」

「何?」

 リリアは左手を上げた。

 紫と白の石が揺れる。

「ありがとう!」

 ルシアンが笑った。

「どういたしまして」

「大事にする!」

「ああ」

「あと!」

「まだある?」

「今日めちゃくちゃ楽しかった!」

 少し大きな声になった。

 近くにいた女子生徒がこちらを見る。

 恥ずかしい。

 でもルシアンは。

「僕もだよ!」

 珍しく、同じくらいの声で返してきた。

 リリアは笑って寮へ入った。

 その夜。

 机に向かいながらも、何度もブレスレットを見てしまう。

 魔力はない。

 何の術式も刻まれていない。

 世界にとっては何の意味もないもの。

 だからこそ、嬉しかった。

 リリアは二つの石を指で触った。

「……来年も」

 小さく呟く。

 その頃。

 ルシアンは生徒会室へ戻っていた。

 デート中、一度も開かなかった監視術式を起動する。

《同期率――四十八・七パーセント》

「……変化なし」

 あれだけ手を繋いでも。

 キスをしても。

 互いを好きだと確認しても。

 変わっていない。

 仮説はほぼ確信へ変わった。

 恋愛感情が二人を同期させているわけではない。

 管理関係が同期を生む。

「なら、切れる」

 ルシアンは昨日の古い記録を開く。

 管理関係解除。

 双方による権限放棄。

 欠けている対象側の条件。

 それさえ見つければ。

 リリアを自由にできる。

 自分も管理者ではなくなる。

 そしてそのあとでも。

 今日と同じように、彼女の隣にいられる。

 そう思った時。

 監視術式が音を立てた。

《管理構造修復開始まで――四十三時間》

 まだ時間はある。

 ルシアンが次の記録へ手を伸ばす。

 その瞬間だった。

《対象個体ELICIA――新規外部接続を検知》

「……何?」

 今日までなかった表示。

 ルシアンの表情が変わる。

《接続元を解析》

《該当個体――》

 文字が浮かぶ。

《NOAH》

「ノア?」

 同期率が動いた。

《四十八・七パーセント》

《四十九・一パーセント》

「……なぜ」

 ルシアンは立ち上がる。

《四十九・八パーセント》

《五十・六パーセント》

 初めて。

 ルシアンが何もしていないのに、同期率が上昇している。

 さらに。

《旧管理構造への第三者干渉を確認》

《対象個体ELICIAへの接続権限――競合》

 ルシアンの右手に、紫黒色の魔法陣が浮かぶ。

 同時に。

 学院の別棟。

 誰もいないはずの部屋で。

 ノアが自分の胸元を押さえていた。

「……何だ、これ」

 指の隙間から。

 金色の光が漏れている。

 そして頭の中に、知らないはずの声が響いた。

《第二管理候補――適合》
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