魔法より、君に恋をする。
ルシアンルート 第48章 選ばれたんじゃない。選んだんだ
ブレスレットをつけたまま眠った。
朝、目を覚ましたリリアが最初にしたのは、左手首の確認だった。
紫と白。二つの小さな石が、ちゃんとそこにある。
昨日のことを思い出して、少しだけ笑った。
初めてのデート。服を見て、ケーキを食べて、雑貨屋を回った。ルシアンからプレゼントをもらって、自分からキスをした。
そして最後に、明日も会う約束をした。
「……今日も好き? って聞くの忘れないようにしよ」
そこまで考えてから、自分でも少し笑う。
完全に習慣になっていた。
支度をして部屋を出る。
いつもなら、そろそろルシアンが来る時間だった。
けれど。
「……あれ?」
寮の前にいない。
少し待つ。
五分。
十分。
「珍しい」
昨日、絶対来ると言った。
ルシアンが約束を忘れるとは思えない。
胸の奥に小さな不安が生まれた。
生徒会室へ行こう。
そう思って歩き出した瞬間。
「リリア」
後ろから声がした。
振り返る。
「ノア?」
ノアが立っていた。
でも、何かがおかしい。
顔色が悪い。
「どうしたの?」
「……分からない」
「何が?」
「昨日の夜から変なんだ」
ノアが胸元を押さえる。
「熱い」
「魔力?」
「多分。でも俺のじゃない気がする」
嫌な予感がした。
「ルシアン先輩に見てもらおう」
「俺もそう思って探してた。でも生徒会室にいない」
「いない?」
「ああ」
リリアの不安が大きくなる。
「どこ行ったんだろ」
「連絡は?」
「来てない」
「珍しいな」
「うん」
その時。
ノアの身体が僅かに揺れた。
「ノア?」
「……っ」
胸元から金色の光が漏れる。
「何それ」
「だから、分かんねえって……!」
ノアが膝をついた。
「ノア!」
リリアが駆け寄る。
肩へ触れた。
その瞬間。
世界が止まった。
「――え」
音が消えた。
風も。
鳥の声も。
遠くを歩いていた生徒たちも。
全てが静止する。
動いているのは。
リリアと。
ノアだけ。
「……何だよ、これ」
「分かんない」
リリアは周囲を見る。
空に。
巨大な文字が現れた。
《対象個体ELICIAとの接触を確認》
「……エリシア」
ノアが文字を読む。
「これ、お前のこと?」
「多分」
「何で?」
「説明すると長い」
「また世界滅びる系?」
「……大体合ってる」
「マジかよ」
こんな時なのに、少しだけいつものノアだった。
次の文字が浮かぶ。
《第二管理候補NOAH》
《接続試験開始》
「第二管理……?」
ノアが顔をしかめる。
リリアの胸が冷たくなる。
「ノア、離れて」
「何で?」
「いいから」
肩に置いた手を離そうとする。
離れない。
「え?」
「リリア?」
指が動かない。
ノアの肩へ吸いついたように固定されている。
《接続率――三・二パーセント》
「待って」
《四・八パーセント》
「何だこれ」
「ノア、魔力止められる?」
「やってる!」
《六・一パーセント》
リリアの腕に金色の線が走る。
「痛っ」
「リリア!」
ノアが反対の手でリリアの腕を掴んだ。
「触らないで!」
「でも!」
《接続率――八・九パーセント》
「増えた!」
「俺が触ると上がるのか!?」
「多分!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!」
その時。
空間が裂けた。
紫黒色の魔法陣。
そこから腕が伸びる。
リリアの腰へ回った。
「え」
強く引かれる。
ノアの肩から手が外れた。
そのまま身体が後ろへ倒れる。
誰かの胸にぶつかった。
「先輩!」
ルシアンだった。
「リリア、僕を見て」
「でもノアが」
「ノアは大丈夫。今は僕を見て」
声がいつもより低い。
余裕がない。
リリアはルシアンを見る。
「手」
「え?」
「僕の手を握って」
差し出された手を握る。
その瞬間、紫色の光がリリアの腕を走った。
《第一管理者LUCIAN――接続》
《競合処理開始》
「競合って何!?」
「後で説明する!」
ルシアンがリリアを抱き寄せる。
片腕が背中へ回る。
強い。
いつもの抱き方よりずっと強い。
「先輩、痛い」
「……ごめん」
すぐに力が緩む。
それでも離さない。
《第二管理候補NOAH――接続率八・九パーセント》
《第一管理者LUCIAN――同期率五十二・三パーセント》
「上がってる」
昨日まで四十八・七だった。
一気に三パーセント以上。
「何で?」
「競合しているからだ」
「どういうこと?」
ルシアンは空に浮かぶ文字を睨んだ。
「管理構造が、僕一人では不安定だと判断した」
「それでノアを?」
「ああ。第二の管理者として接続しようとしている」
「何でノア?」
「適性があるんだろう」
「そんなの本人の意思は?」
「聞いていない」
「最悪じゃん」
「ああ。最悪だ」
ノアが立ち上がる。
「おい、俺にも分かるように説明しろ」
「簡単に言えば、世界が君をリリアの管理者にしようとしている」
「は?」
「拒否してくれ」
「言われなくても嫌だよ!」
「ありがとう」
「礼言うところか?」
いつものやり取り。
でもルシアンは笑わなかった。
「ノア。今から何が聞こえても、命令に同意しないでくれ」
「命令?」
「管理者になるための承認要求が来る」
「分かった」
「絶対に肯定しないで」
「だから嫌だって言ってんだろ」
「……頼む」
ノアが一瞬黙る。
ルシアンの顔を見て。
「分かった」
その直後。
ノアの身体を金色の光が包んだ。
「っ……!」
「ノア!」
《第二管理候補への承認要求》
《対象個体ELICIAの保護権限を取得しますか?》
「しねえよ!」
《対象個体ELICIAの生命維持権限を取得しますか?》
「いらねえ!」
《対象個体ELICIAの魔力制御権限を取得しますか?》
「全部いらねえ!」
ノアが叫ぶ。
「リリアはリリアだろ! 何で俺が管理すんだよ!」
光が激しく揺れた。
《承認拒否》
《第二管理候補――不適合判定》
「やった?」
リリアが言う。
ルシアンは答えない。
空を見ている。
《代替管理候補を検索》
「……まだやるのか」
ルシアンの声が低くなる。
《候補個体――CECIL》
《候補個体――LEON》
《候補個体――ALLEN》
《候補個体――KYLE》
「待って」
リリアの顔から血の気が引く。
「みんな?」
「ああ」
「全員にやるつもり?」
「適合するまで」
「そんなの駄目」
リリアがルシアンの腕を掴む。
「止めて」
「止める」
「どうやって?」
「管理関係を解除する」
「条件分かったの?」
「……まだ全部は」
「じゃあ」
「でも、もう時間がない」
ルシアンの視線がリリアへ戻る。
「昨日までは四十三時間あると思っていた。でも第二管理候補の検索が始まった以上、待てない」
「どうするの?」
「対象側の条件を推測する」
「危なくない?」
「危険だよ」
「どれくらい?」
「失敗すれば」
ルシアンが一度言葉を止めた。
「僕との接続が完全に切れる可能性がある」
「それは解除成功じゃないの?」
「魔力だけではなく、記憶まで含めて」
リリアは固まった。
「……記憶?」
「ああ」
「先輩が私を忘れる?」
「その可能性もある」
「私が先輩を?」
「ある」
嫌だ。
反射的にそう思った。
管理権限はいらない。
魂の接続もいらない。
同期率なんてゼロでいい。
でも。
昨日のことまで消えるのは嫌だ。
「他の方法は?」
「探している」
「じゃあ探そうよ」
「その間にも候補は増える」
「でも」
「リリア」
ルシアンの手が頬へ触れる。
昨日、何度も触れた手。
「怖い?」
「……怖い」
「僕も」
「忘れたくない」
「ああ」
「先輩のこと忘れたくない」
「僕も君を忘れたくない」
「じゃあやめようよ」
声が少し震えた。
「もうちょっと探そう」
ルシアンはすぐに答えなかった。
その沈黙が怖い。
「先輩」
「……僕は」
言いかけた時。
「待て」
ノアだった。
二人が見る。
「お前ら、さっきから二人で全部決めようとしてるけど」
「ノア?」
「対象側の条件って、リリアがやることなんだろ?」
「ああ」
「なら本人に決めさせろよ」
ルシアンが黙る。
「こいつが怖いって言ってんのに、勝手に危険な方法やろうとすんな」
「でも時間が」
「それも含めて説明して、こいつが決めるんだよ」
ノアは真っ直ぐルシアンを見る。
「管理者やめたいんだろ?」
ルシアンの目が僅かに見開かれた。
「だったら最初にやめろよ。それ」
「……」
「守るためだからって勝手に決めるの」
リリアは思わずノアを見る。
「ノア」
「何だよ」
「今めちゃくちゃいいこと言った」
「普段も言ってる」
「それはない」
「お前な」
少しだけ空気が緩んだ。
ルシアンが息を吐く。
「……その通りだ」
「先輩?」
「またやるところだった」
頬にあった手が離れる。
でも今度は、逃げるような離し方ではない。
「ごめん、リリア」
「うん」
「君が決めて」
「何を?」
「今すぐ解除を試すか。もう少し条件を探すか」
「探す」
即答した。
「どれくらい?」
「今日いっぱい」
「分かった」
「それで見つからなかったら」
怖い。
でも言う。
「明日の朝、解除を試す」
ルシアンが頷いた。
「分かった」
「勝手にやらない?」
「やらない」
「絶対?」
「約束する」
「よし」
リリアは手を差し出した。
「何?」
「約束」
「指切り?」
「違う。手繋ぐ」
「どうして?」
「怖いから」
ルシアンは少しだけ笑った。
「そういう時は素直だね」
「今はからかわないで」
「ごめん」
手が重なる。
指が絡む。
その瞬間。
《第一管理者LUCIAN――同期率五十二・三パーセント》
変化なし。
リリアは表示を見て、少し安心した。
「上がらない」
「ああ」
「やっぱり普通に触るのは関係ない」
「そうだね」
ノアが二人を見る。
「……俺、帰っていい?」
「何で?」
「何でって」
「一緒に調べてよ」
「俺も?」
「第二管理候補だったんでしょ」
「過去形にしてくれ」
「じゃあ元第二管理候補」
「肩書きみたいに言うな」
ルシアンがようやく少し笑った。
「手伝ってもらえると助かる」
「……仕方ねえな」
「ありがとう」
「ただし」
ノアが二人の繋いだ手を見る。
「調査中ずっとそれやってるなら、俺帰るからな」
「何で?」
「邪魔なんだよ!」
「手繋いでるだけじゃん」
「昨日デートしてた奴らの『手繋いでるだけ』は信用できねえ!」
リリアがルシアンを見る。
「先輩」
「何?」
「ばれてる」
「何が?」
「デート」
「別に隠していないよ」
「そうだった」
「お前ら本当に緊張感ねえな!」
ノアの声を聞きながら、生徒会室へ向かった。
世界は止まったままだった。
ルシアンが簡易的に時間停止領域を解除すると、風が戻り、人々が再び動き出す。
何事もなかったように。
でも、残された時間は確実に減っていた。
生徒会室へ入ると、三人で古い記録を机いっぱいに広げた。
リリアは対象個体に関する記述。
ルシアンは管理権限解除。
ノアは過去の接続事例。
一時間。
二時間。
三時間。
何も見つからない。
「疲れた」
リリアが机へ突っ伏した。
「休憩しようか」
「五分」
「十五分にしよう」
「先輩も疲れてる?」
「少し」
「コーヒー飲む?」
「淹れてくれる?」
「うん」
「俺のは?」
ノアが言う。
「自分で」
「差別!」
「恋人なので」
「その言葉便利に使いすぎだろ!」
ルシアンが笑っている。
「ノアも何か飲む?」
「ルシアン、お前甘やかすな」
「手伝ってもらっているからね」
「……じゃあコーヒー」
「三人分淹れるよ」
「最初からそうしろ」
少しだけ普通の時間。
それがありがたかった。
コーヒーを飲みながら、リリアは左手首を見る。
昨日もらったブレスレット。
紫と白。
何の魔力もない。
何の意味もない。
ただ二人が選んだもの。
「……選ぶ」
リリアが呟いた。
「何?」
ルシアンが見る。
「昨日、先輩言ったよね」
「何を?」
「このブレスレット。自分で選んだものを増やしたかったって」
「ああ」
「管理じゃなくて、世界じゃなくて、自分で」
「そうだね」
リリアはブレスレットを見たまま考える。
「最初のリリアは、何で解除を拒否したんだろ」
「僕との繋がりを失いたくなかったから」
「本当に?」
ルシアンが止まる。
「記録にはそう」
「でもそれ、結果じゃない?」
「どういう意味?」
「『自由なんていらない』って言った。でも、解除を拒否するために何をしたの?」
ルシアンの表情が変わった。
「……待って」
古い記録を開く。
何ページも戻る。
「ここだ」
「何?」
「対象個体による解除承認」
「承認?」
「ああ」
「じゃあ拒否したってことは、承認しなかった?」
「そういうことになる」
「承認ってどうやるの?」
「記録が欠けている」
「他にない?」
三人で探す。
ノアが別の本を引き寄せる。
「これ似た言葉あるぞ」
「どこ?」
「ここ。『管理対象は、管理者による権限放棄の際――』」
ルシアンが読む。
「『自身の所属を宣言する』」
「所属?」
「続きが破れてる」
「また!?」
「古い本だからね」
「大事なところだけ破れすぎじゃない?」
「物語なら随分都合がいいな」
「ノア、それ言っちゃ駄目なやつ」
「何の話だよ」
リリアは文章を見る。
自身の所属。
「誰のものか言うってこと?」
「可能性はある」
「じゃあ『私はルシアン先輩のものです』とか?」
ルシアンが咳き込んだ。
「先輩?」
「急に何を言うの」
「例えだよ」
「心臓に悪い例を出さないで」
ノアが呆れた顔をする。
「お前ら俺がいること忘れてない?」
「忘れてない」
「ならもう少し抑えろ」
リリアは笑いながら、もう一度文字を見る。
「でも、それだと解除にならなくない?」
「僕もそう思う」
「管理者のものって宣言したら、むしろ管理されるじゃん」
「そうだね」
「じゃあ誰のもの?」
沈黙。
リリアは自分の手を見る。
誰のもの。
管理者でもない。
世界でもない。
魔法でもない。
「……私」
ルシアンが顔を上げる。
「何?」
「私のもの」
「リリア?」
「自分の所属を宣言するって」
心臓が速くなる。
「『私は私のもの』ってことじゃない?」
ルシアンが完全に止まった。
ノアも黙る。
「管理される側が、自分は誰かの所有物じゃないって宣言する」
リリアは立ち上がった。
「それが対象側の権限放棄なんじゃない?」
ルシアンが記録を何冊も開く。
文字を追う。
「……ある」
「何?」
「別の時代の記録」
指で一行を示す。
「『自己帰属を確立した対象は、管理権限の外へ出る』」
「それだ!」
「待って。まだ確定では」
「でも繋がるじゃん」
「ああ」
ルシアンの声が少し震えていた。
「繋がる」
リリアの胸が高鳴る。
「じゃあ解除できる?」
「可能性は高い」
「記憶は?」
「自己帰属が成立するなら、魂そのものを切断する必要はない」
「じゃあ忘れない?」
「理論上は」
リリアは笑った。
「やろう」
「今?」
「今」
「明日の朝と言っただろう?」
「条件見つかったじゃん」
「でもまだ検証が」
「先輩」
「……うん」
「怖い?」
ルシアンは黙った。
そして。
「怖いよ」
素直に答えた。
「僕が管理者じゃなくなった瞬間、君との繋がりが全部なくなるかもしれない」
「うん」
「君の魔力を感じられなくなるかもしれない」
「うん」
「君がどこにいるかも、危険かどうかも分からなくなる」
「うん」
「今まで僕が当然に持っていたものを、全部失う」
「うん」
「それでも」
ルシアンがリリアを見る。
「君を自由にしたい」
リリアは笑った。
「じゃあやろう」
「……ああ」
「その代わり」
「何?」
「管理者じゃなくなったら、普通に心配して」
「普通に?」
「私が危なそうなら聞いて。大丈夫って」
「うん」
「どこにいるか分からなかったら連絡して」
「ああ」
「会いたかったら会いたいって言って」
ルシアンの表情が柔らかくなる。
「それでいいの?」
「それがいい」
「……分かった」
ノアが立ち上がる。
「俺、外出てる」
「何で?」
「何となく二人でやった方がいいだろ」
「ノア」
「何だよ」
「ありがとう」
「終わってから言え」
扉へ向かう。
途中で振り返った。
「あとリリア」
「何?」
「自分のものならちゃんと自分で帰ってこいよ」
「……うん」
「ルシアン」
「何?」
「こいつ戻ってきたらちゃんと捕まえとけ」
「管理はしないよ」
「そういう意味じゃねえ!」
扉が閉まる。
二人きりになった。
ルシアンが魔法陣を展開する。
紫黒色の光。
「リリア」
「うん」
「最後に確認する」
「うん」
「本当にいい?」
「いいよ」
「管理権限を失えば、僕はもう君の魔力を強制的に止められない」
「うん」
「君を呼び戻すこともできない」
「うん」
「命令もできない」
「それは元からしないで」
「そうだった」
二人とも少し笑った。
ルシアンが手を差し出す。
「では」
リリアが握る。
指を絡める。
「始めるよ」
「うん」
魔法陣が広がる。
《第一管理者LUCIAN》
《対象個体ELICIA》
《管理関係解除申請》
《双方の承認を要求》
ルシアンが息を吸う。
「僕、ルシアン・ノクスは」
紫色の光が強くなる。
「対象個体エリシアに対する全管理権限を放棄する」
《管理者側――承認》
リリアの胸に光が集まる。
《対象個体――自己帰属を宣言してください》
来た。
リリアはルシアンを見る。
紫の瞳。
怖そうだった。
それでも笑っている。
だからリリアも笑った。
「私は」
世界が震える。
「リリア・アスター」
胸の奥で何かが切れ始める。
痛い。
でも言う。
「エリシアでも、十三回目でも、管理対象でもない」
光が弾ける。
「私は私のもの」
ルシアンの手が震えた。
「誰かに選ばれたからここにいるんじゃない」
昨日のブレスレットが光を反射する。
魔力はない。
何の力もない。
それでも。
今、一番心強い。
「私が自分で選ぶ」
リリアは繋いだ手へ力を込めた。
「生きることも」
一つ。
鎖が切れる。
「この世界にいることも」
二つ。
「誰を好きになるかも」
三つ。
最後の鎖。
「全部、私が決める」
そして。
ルシアンを見る。
「私は、ルシアン先輩が好き」
ルシアンの目が見開かれる。
「それも、世界に決められたんじゃない」
最後の鎖が軋む。
「私が選んだの」
音がした。
何かが。
完全に切れた。
《自己帰属――確立》
《管理関係――解除》
《第一管理者LUCIAN――権限消失》
《対象個体ELICIA――管理対象指定解除》
光が消えた。
静かになる。
「……」
「……」
リリアは自分を見る。
「終わった?」
ルシアンが答えない。
「先輩?」
顔を見る。
ルシアンは。
泣いていた。
「……え」
リリアが固まる。
「先輩?」
「……」
「泣いてる?」
「見れば分かることを聞かないで」
「だって初めて見た」
「僕もあまり見せたことはないよ」
「何で?」
ルシアンは目元を押さえる。
「分からない」
「悲しい?」
「違う」
「痛い?」
「違うよ」
「じゃあ」
ルシアンが笑った。
涙が一つ落ちる。
「君が自由になったから」
胸が締めつけられた。
リリアは迷わず抱きついた。
「先輩」
「……うん」
「私、いるよ」
「ああ」
「忘れてない」
「ああ」
「先輩も覚えてる?」
「全部」
「昨日のデートも?」
「覚えている」
「キスも?」
「それを今確認する?」
「大事」
「覚えているよ」
「私が何回したかも?」
「数えていない」
「嘘」
「……覚えている」
「よし」
ルシアンの腕が背中へ回った。
でも。
その瞬間。
リリアは気づく。
「先輩」
「何?」
「私の魔力、分かる?」
ルシアンが少し黙る。
「……分からない」
「本当に?」
「ああ」
「今どれくらいあるかも?」
「全く」
「私が離れたら?」
「分からない」
「どこにいるかも?」
「分からないよ」
リリアは少し身体を離した。
ルシアンを見る。
「どう?」
「……怖い」
「そっか」
「でも」
頬へ手が触れる。
今まで何度もされたこと。
なのに。
今日は違う。
管理者の手ではない。
魔力を止められない。
居場所も分からない。
命令もできない。
ただの。
好きな人の手。
「嬉しい」
ルシアンが言った。
リリアは笑う。
「私も」
「リリア」
「何?」
「一つ聞いていい?」
「うん」
「今」
少しだけ言いづらそうにする。
「僕に触れられるのは嫌?」
「何で?」
「もう管理関係はない」
「うん」
「だから改めて」
ルシアンの親指が頬から離れる。
「触れてもいい?」
リリアは一瞬黙った。
それから。
笑った。
「いいよ」
頬へ戻ってくる。
「抱きしめても?」
「いいよ」
腕が背中へ回る。
「手を繋いでも?」
「いい」
指が絡む。
「キスは?」
「……それ毎回聞く?」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「なら」
「いいよ」
ルシアンが近づく。
でもリリアは直前で止めた。
「待って」
「何?」
「私から」
ルシアンが目を細める。
「どうぞ」
リリアは彼の頬へ手を添えた。
近づく。
唇が触れる。
短く。
離れる。
ルシアンを見る。
「……何?」
「何でもない」
「何?」
「嬉しいだけ」
「何が?」
ルシアンは繋いだ手を見る。
「今のキスに」
「うん」
「何の意味もなかったこと」
「……意味ないの?」
「世界にとっては」
リリアは少し考える。
「じゃあ私たちには?」
「かなりある」
「何?」
「君が僕を好きだという意味」
「先輩は?」
「僕も君が好きだという意味」
「じゃあ十分じゃん」
「そうだね」
リリアはもう一度近づく。
「もう一回」
「いいの?」
「うん」
二度目。
今度はルシアンから。
ゆっくり。
触れる。
離れる。
何も起きない。
同期率の表示も。
警告も。
世界の反応も。
何一つ。
ただ心臓だけが速くなる。
「先輩」
「何?」
「同期率」
「もう存在しないよ」
「ゼロ?」
「違う」
ルシアンが笑う。
「測れない」
リリアも笑った。
「それいいね」
「ああ」
「好き」
「僕も」
「どれくらい?」
「測れない」
「真似した」
「ちょうどいいだろう?」
「うん」
もう一度抱きしめられる。
今度はリリアも腕を回した。
その時。
机の上で。
監視術式が動いた。
「……先輩」
「ああ」
二人が見る。
《管理関係解除――確認》
《第一管理者消失》
《対象個体ELICIA――独立》
成功。
その下に。
新しい文字。
《第十三循環――終了条件を再計算》
リリアの笑顔が消えた。
「十三回目」
「ああ」
まだ終わっていない。
《管理者による維持機構――停止》
《世界寿命――》
数字が出る。
《残り四十二時間》
「……え」
ルシアンの顔色が変わった。
「何で」
「管理者がいなくなったからだ」
「私、自由になったのに」
「ああ」
「じゃあ世界は?」
ルシアンは答えられない。
次の文字。
《第十三循環の終了を選択してください》
《A:世界の初期化》
《B:第十四循環への移行》
《C:管理構造を持たない世界への再構築》
三つ。
初めて。
三つ目の選択肢が現れた。
ルシアンが息を呑む。
「……これだ」
「何?」
「今までなかった」
「C?」
「ああ」
「管理構造を持たない世界」
「管理者も、対象個体も存在しない世界だ」
「それ選べばいいじゃん」
「待って」
ルシアンが文字を読む。
その下。
条件が表示される。
《再構築には、第十三循環に蓄積された全記録の解放が必要です》
「全記録?」
「……十三回分の記憶だ」
リリアの表情が変わる。
《対象個体ELICIAに保存された十二循環分の記憶を復元します》
「私に?」
「ああ」
「十二回分全部?」
「……そうだ」
《記憶復元後、対象個体による最終選択を要求》
《拒否した場合――世界初期化》
リリアは画面を見つめた。
「つまり」
「ああ」
ルシアンの声が低くなる。
「君は思い出さなければならない」
一回目。
二回目。
三回目。
そして。
十二回目まで。
死んだことも。
失ったことも。
ルシアンを愛したことも。
憎んだことも。
全部。
「それを全部思い出して」
ルシアンがリリアを見る。
「それでも十三回目の君として、この世界を選ばなければならない」
リリアは少し黙った。
そして。
「……じゃあ」
「うん?」
「終わらせよう」
ルシアンの目が揺れる。
「十三回目」
「リリア」
「十四回目には行かない」
左手首。
紫と白の石。
昨日の自分が選んだ未来。
「だって私」
ルシアンの手を握る。
「来年、先輩とデートするから」
ルシアンは何も言わなかった。
数秒後。
握られた手へ、強く指を絡めた。
「……そうだったね」
「忘れた?」
「忘れてないよ」
「じゃあ生きないと」
「ああ」
「二人とも」
「ああ」
「約束」
ルシアンは笑った。
「約束する」
そして。
二人の前で。
《十二循環分記憶復元――開始》
最初の光が灯った。