魔法より、君に恋をする。
その日の午後、魔法実技の授業が終わったところで、リリアは教師に呼び止められた。

「アステル。これを第三資料室へ返しておいてくれ」

 渡されたのは、分厚い術式辞典だった。

「第三資料室?」

「三年棟の二階だ」

「分かりました」

「……場所は分かるか?」

「はい」

 教師が黙った。

「何ですか?」

「いや。頼んだ」

「はい」

 信用されていない気がする。

 リリアは辞典を抱えて教室を出た。

 三年棟の二階。

 簡単だ。

 まず中央階段を下りる。

 渡り廊下を通る。

 それから右。

 途中で中庭が見えたので、そちらへ曲がった。

 違った。

 戻る。

 今度は左へ進む。

 階段があったので上る。

 なぜか四階に着いた。

「……建物の構造が悪い」

 誰にともなく呟く。

「お前はいつも建物のせいにするのか」

 聞き覚えのある低い声がした。

 振り返る。

 黒髪に、深紅の学年章。

 カイルが廊下の向こうから歩いてきていた。

「クロフォード先輩」

「何をしている」

「第三資料室に行きます」

「ここは四階だ」

「知ってます」

「第三資料室は二階だ」

「それも知ってます」

「ならなぜ四階にいる」

 リリアは少し考えた。

「途中で階段があったので」

「上る必要はないだろう」

「そうですね」

「……」

「今気づきました」

 カイルは眉間を押さえた。

「来い」

「どこに?」

「第三資料室だ」

「先輩も行くんですか?」

「今から行くことにした」

「暇?」

「違う」

 カイルが歩き出す。

 リリアはその隣へ追いついた。

「案内してくれるんですね」

「放っておいたら五階まで行きそうだからな」

「四階建てですよ」

「なら屋上だ」

「そこまで迷いません」

「信用できない」

「失礼」

 そう言いながらも、リリアは少し笑った。

 最初に会った頃のカイルとは、こういう会話をしなかった。

 彼はもっと怖かった。

 正確には、怖いと思っていた。

 いつも無表情で、必要なことしか言わず、こちらを見る目だけが妙に重い。何を考えているのか分からなかった。

 今も口数は多くない。

 けれど、以前ほど怖くはなかった。

「クロフォード先輩」

「何だ」

「話しやすくなりましたね」

 カイルの足がわずかに遅くなる。

「俺が?」

「はい」

「……そうか?」

「最初は怖かった」

「知ってる」

「知ってたんだ」

「顔に出ていた」

「私、そんなに分かりやすい?」

「ああ」

「アレンにも言われました」

 カイルの眉が動いた。

「アレン?」

「昨日、一緒に帰りました」

「……そうか」

「苺のタルトも買ってもらいました」

「そうか」

「ちょっと不機嫌?」

「別に」

「顔に出てますよ」

「出ていない」

「出てる」

「……」

 カイルは前を向いた。

 リリアは少し面白くなる。

「アレンって呼ぶこともあります」

 カイルが止まった。

「……何?」

「二人の時だけ」

「なぜ俺に報告する」

「今、気にしてそうだったから」

「気にしていない」

「そう?」

「ああ」

 再び歩き出す。

 明らかに先ほどより歩く速度が速い。

「クロフォード先輩」

「何だ」

「速い」

「普通だ」

「私、足短いので」

 ぴたりと止まった。

 カイルが振り返る。

 リリアが追いつくのを待ってから、今度は少し遅く歩き始めた。

「優しい」

「普通だ」

「それも最近分かりました」

「何が」

「クロフォード先輩、怖い顔してるだけで結構優しい」

「……褒めているのか?」

「かなり」

「そうは聞こえない」

「格好いいとも思ってます」

 今度こそ完全に足が止まった。

「何?」

「急に何を言ってる」

「褒め直した」

「そういう問題じゃない」

「セシルにはよく言います」

「……」

「アレン先輩にも昨日言いました」

「……そうか」

「レオン先輩も格好いいし」

「もういい」

「ノアも顔はいい」

「聞いてない」

「ルシアン先輩は――」

「本当にもういい」

 少し強めに止められた。

 リリアは瞬く。

「やっぱり不機嫌」

「違う」

「じゃあ何?」

「……お前はもう少し、言葉を選べ」

「みんなそれ言う」

「みんなが正しい」

 珍しく即答された。
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