その溺愛、予想外につき。
けれど、ここで引くわけにはいかない。

私は胸の前でぎゅっと手を握ってから、ゆっくり下ろした。

音楽が流れ出す。

聞き慣れたイントロ。
兄が何度も口ずさんでいたメロディ。
ドアの外から、廊下から、こっそり何度も聞いて覚えた曲。

大丈夫。
歌える。
きっと。

そう言い聞かせて、私は口を開いた。

最初の一音は、少し震えた。

しまった、と思う。
喉が強張っている。
呼吸も浅い。
こんなんじゃだめだ。

だけど途中で、ふと兄の背中が浮かんだ。
夜遅くまで練習していた姿。
悔しそうに何度も同じフレーズを繰り返していた声。
あの努力を知っているから、下手でも雑には歌えなかった。

私は目を閉じず、鏡の中の自分を見つめたまま歌う。
音程は完璧じゃない。
でも、知っている気持ちだけは乗せたかった。

最後の音が消える。

静かだった。

スピーカーのノイズだけが小さく残って、すぐにそれも止まる。

怖い。
何を言われるんだろう。

真白さんはタブレットを胸の前に抱えたまま、無表情で言った。

「……思ったより悪くない」

「え」

あまりにも予想外で、間の抜けた声が出る。

「声質が少し似てる。完全に同じではないけど、寄せる余地はある」

胸がどくっと鳴る。

「でも、基礎がない。ブレスが浅いし、音の置き方も不安定。人前に出せるレベルでは全然ない」

言葉は厳しい。
でも、さっきみたいな一刀両断ではなかった。

黒崎さんが涼を見る。
涼は信じられないものを見るみたいな顔をしていた。

「次、ダンス」

真白さんは手加減しない。

「サビだけ。涼の振り、どこまで覚えてるか見せて」

私はこくりと頷いた。
正直、歌よりこっちの方が怖い。
見よう見まねで覚えた動きなんて、本物の前ではすぐばれるに決まってる。
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