その溺愛、予想外につき。
「……ふわり」

その呼び方だけで、急に泣きそうになる。

でもここでは、ふわりのままじゃいられない。
そう思ってぐっと唇を噛む。

「まだそう呼んじゃだめだよ」

小さく言うと、涼は苦しそうに目を細めた。

「ごめん」

「ううん」

謝ってほしかったわけじゃない。
ただ、これから本当に変わるんだって、自分に言い聞かせたかっただけだ。

兄はしばらく黙ってから、そっと私の頭に手を置く。

「……無理だと思ったら、すぐ言えよ」

その声が優しすぎて、胸がぎゅっとなる。

私はこくんと頷いた。
本当は今すぐ抱きついてしまいたいくらい心細い。
でも、そんなことしたら前に進めなくなる気がした。

黒崎さんが空気を切り替えるように言う。

「まずはウィッグを合わせよう。髪色も長さも、涼に寄せないといけない」

その一言で、現実が一気に押し寄せる。

ウィッグ。
男の子の服。
話し方。
歩き方。
兄の名前。

私は自分の長い髪にそっと触れた。
ずっと当たり前だったこの姿を隠して、今日から別人になる。

怖い。
けれど、不思議と逃げたい気持ちだけではなかった。

兄の夢を守れるかもしれない。
ほんの少しでも、その役に立てるかもしれない。

そう思うと、胸の奥に小さな光が灯る。

私は鏡の中の自分を見た。
頬はまだ赤くて、表情も不安そうで、とても強そうには見えない。

それでも、もう決めた。

今日から私は、天宮ふわりじゃない。
兄の代わりとして、みんなの前に立つ。

天宮涼になる。

その名前を心の中でそっと繰り返した時、
新しい人生の扉が、静かに開いた気がした。
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